3ヶ月目
それはそれとして木は怖い。
木が家にあることはやっぱり怖い。
みんなだって、怖いのだと思う。
なぜなら私は、『草むしり』と気軽に呼びかけられなくなったのだから。
気安さといくぶんかの嘲りをふくんだその呼び方を、それでも私は嫌いじゃなかった。なにも持っていなかった私が、必死に食らいついて手に入れた生きる手段がそれだったからだ。
『草むしり』と呼びかけられることは、それが私を揶揄するものであっても、ここに私の居場所があるのだと、そう思わせてくれた。
私は今、下手に手出しできない危険人物だ。
なにかを切欠に破裂してしまわないように、間違っても自棄を起こさないように、木を、折らないように。そう遠巻きに見守られている。息を吹きかけるのさえ恐ろしいというかのように。
それとももしかすると、単に『英雄の婚約者』という立場そのものが恐ろしいのかもしれない。
内実はどうあれ、私だって自分のことじゃなかったら、怖いから近寄らないでおこ……って、やっぱそう思うし。
§
「一緒に薬草採取ですか?」
予想外なその提案に、私はきょとんとして問い返した。
「敬語」
いたずらっぽく笑ったレオヴァルトさんが、私の鼻を柔くつまんだ。それは善処できていない私とレオヴァルトさんの、新しい決まり事だ。
「ええと、いいけど、第1階層だよ?きっとつまらないよ?」
「いいよね第1階層、広い草原で。きっと楽しいよ」
そう言うなら、いいんだけど……と口をもごもごさせながら、私たちは一緒に迷宮へ向かった。
迷宮の第1階層は、地上から1層地下に潜ったはずなのに、見上げれば空は抜けるように青く、足元には広大な草原が広がり風が限りもなく駆け抜けている。レオヴァルトさんはそこに、まるでピクニックにでも来たかのような軽装で立っていた。
気をつければ私でも安全に出入りできるこの場所は、レオヴァルトさんにとってはそれで充分なのだ。
「あのね、私は本当に薬草を採るよ?」
念を押してそう言うと、僕のことは気にしないでとレオヴァルトさんは笑った。
広い広い草原で他の草に紛れるように生える薬草を探し、根本から葉を丁寧に摘み取る。摘み取った瞬間から少しずつ弱まる効力をとどめるために、私は細心の注意を払って葉を乾燥させた。これが、私が『草むしり』で生きていける、その拠り所だった。
私はせっせとそれを繰り返す。葉を摘み取って、乾燥させて、次の薬草を探して。
「すごいね」
後ろから聞こえた声に飛び上がりそうになった。採取に集中し、レオヴァルトさんは気配を感じさせないほど静かで、私はいつの間にか一緒にいることをすっかり忘れてしまっていた。
「魔力の扱いがとても繊細なんだ。だからこんなに効力が残ってる」
私が取り落とした葉を拾って、それを透かし見ながらレオヴァルトさんは感心したように言った。
「私、一度にたくさんの魔力を扱うのができなくて、でも、たくさん頑張ったら、これはできたの」
「細かな操作が得意なんだね」
「そう!そう!そしたら、お前の葉っぱなら使ってやるって、そう言ってくれる人もできて、だから……」
「こんなに質がいいもんね。この薬草を扱う店なら僕も行きたい。店主の目利きが確かだ。後で店を教えてね」
そう言いながらレオヴァルトさんは私に薬草を渡してくれた。私は、私が頑張って手に入れたものが、必死にしがみついて磨いたものが、他でもない最上位冒険者に認められて、嬉しくて、嬉しくて、飛び跳ねて叫びだしたいような、たまらない気持ちになった。
「えへ、えへへ」
私はだらしなく頬をゆるませ、へらりと笑った。
「うれしいです」
「敬語」
レオヴァルトさんは私の鼻をつまみ、ふはっと笑った。
§
迷宮の外はすっかり夕暮れ時で、今まで蒼天の下にいたのがうそのように空は赤く染まっていた。迷宮の中はいつ訪れても変わらない。神の御業とは、そういうものなのだろう。
ミイナさんに薬草を納品し、少しばかりあたたかくなったお財布を大事に懐にしまい込む。そこは、なんだかいつもよりぽかぽかしている気がした。
今日はとても嬉しくて、私ばっかり楽しくて――レオヴァルトさんはつまらなくなかっただろうかと急に心配になった。
「一緒に来て、つまらなくなかった?」
私は夕暮れに頬を赤く染めてそうたずねた。
「楽しかったよ」
「でも私、割とレオヴァルトさんのこと忘れちゃってたし」
あんなに嬉しいことを言ってもらったのに、私は気まずさに手をむにむにと揉んだ。
「見たかったものがあって、それが見れたから楽しかったよ」
「そうなの?見れてよかったねえ」
私はレオヴァルトさんも楽しかったのだとわかって、とても嬉しくなった。
「うん、よかった。第1階層は、僕の始まりの場所だから」
夕暮れに赤く染まってきれいに微笑むレオヴァルトさんを見て、私は、レオヴァルトさんほどの冒険者でもやっぱり最初は第1階層から始まるんだよなあ……と納得した。