2ヶ月目
1ヶ月が過ぎ、2ヶ月目に入った。この木があることにも少しは慣れ……うそだ、めちゃくちゃ怖い。
私の家賃は、1年間レオヴァルトさんが払ってくれることになった。吐いてぶっ倒れたあの日、ミイナさんから話を聞いた組合長が真っ青になって医務室に駆け込んできたことから話し合いが持たれたのだ。
さすがにそんなことをしてもらうわけにはいかないと訴えたけれど、僕の心を預かってもらうのだからというレオヴァルトさんの言葉と組合長の説得により、気がつくとそういうことになってお支払いも終わっていた。
即金で1年分、財力格差に足が震えた。冒険者の頂点と最底辺なのだから、当たり前の事ではあるのだけれど。
私は、まあ自分の心の木を抱えて路頭に迷われるのはものすごく怖いよなあ、と納得することにした。心が軽くなって安堵したのも事実だ。もし途中で木が枯れたら、余分になった金額はきちんとお返ししようと思う。
つらつらと考えながら、私は小指の先でそおっと葉っぱに触れた。白銀に輝く枝に、夕闇色をした美しい葉が繁っている。レオヴァルトさんの、髪と瞳の色だ。
想いのそそぎ方はまだわからない。毎日話しかけてはいる。レオヴァルトさんと、そうするようになったみたいに。
今日は、食事にいこうと誘われている。私はできるだけ――ごくわずかでも可能な限り小綺麗に見えるよう心がけて、木を背にして家をでた。
§
「食べ歩きがしてみたいんだ」
どこへ行くのかと恐る恐るたずねた私に、レオヴァルトさんはそう答えた。
「食べ歩き……ですか?」
「そう、大通りの屋台。たくさんあって、いつも通りかかっては美味しそうだと思っていたんだ。実際いくつか買って食べたこともあるんだけど、ゆっくり時間をかけて食べ歩いてみたいなって」
「私も!私もそれ、すごく楽しそうだと思います!」
思えば私は、相手は最上位冒険者様だ英雄様だと過剰に構えていたのだ。どんなご立派な店に行くことになるのかと怯え、乏しい想像力を必死に働かせ、勝手におののいていた。
場違いだったら、浮いてしまったら、周りから白い目で見られたら……私にはとうてい返すことのできない金額を積み上げられ、ひたすらに施しを与えられたら。そんな想像は私を、恐ろしくいたたまれない気持ちにさせた。
でも、違った。そんなのはまったく違ったのだ!
彼が言ったのは私がいつかたくさん稼げるようになったらやりたいと夢見ていたことで、彼はまさしく「たくさん稼げる冒険者」だった。
思いがけず現れた共通点に私はすっかり嬉しくなってしまって、声を弾ませてレオヴァルトさんに話しかけた。
「どこに、どこから行きましょう!私はいつも、噴水広場の串焼き肉がおいしそうだなあと思っているんです!」
「じゃあそこは1番に行こう」
炭火で炙られた甘辛いタレをまとった肉と滴る脂のじゅうと焦げる香りを求め、私たちは歩きだした。
「並んでくるけど、噴水前で待ってる?」
「いいえ!一緒に並びたいです!」
いつも遠目に眺めては財布の中身を数え、いつかは絶対にと思いながら立ち去る屋台を前に、並ばないという考えは私にはなかった。
それに、全部払ってもらおうなんて考えていない。自分の分は自分で支払おうと思う。そう思える余裕があるのは今月の家賃分のお金が浮いたからで、それこそレオヴァルトさんのおかげで――だから、当のレオヴァルトさんと過ごすためにそのお金を使うことは、とても真っ当なことに思えた。
順番は進む、私たちの番まで。何本だい!という威勢のいい店主の声に、レオヴァルトさんがおもむろに答えた。
「5本ください」
私は驚愕の目で彼を見つめた。
5本という衝撃の発言に度肝を抜かれている間にすべてが終わっていた。私はいつの間にか5本のうちの1本を持たされ、レオヴァルトさんは当然のように4本の串焼き肉を持っていた。
「レオヴァルトさん!5本、串焼き肉が5本!!1軒目ですよ、こんな大きい串焼き肉が……5本……」
「うん、あのね、リナリア嬢」
レオヴァルトさんは神妙な顔つきで私に向かった。
「僕は、きっと貴女が恐れ慄くほどたくさん食べると思う」
「おそれおののくほど」
「そう。これは準備運動にもならない」
「なんていうこと……」
いやかな、と小首をかしげるレオヴァルトさんに、私も神妙な顔つきをして、屋台の端から端まで食べ尽くしてみたいという壮大な願望があることを告げた。
僕はもしかしたら出来るかもしれない、と彼は笑った。
果たして、宣言どおりに彼はよく食べた。
酸いも甘いも辛いも苦いも、分け隔てなく楽しむ健啖家だった。私も遠慮なく気になったものを買い求め、分け合えるものは分け合い、圧倒的な量のちがいから気付けば彼が分け与えてくれるものでおなかがいっぱいになった。自分の分は自分で払うと過剰に入った肩の力はいつの間にか抜け、奢られているという引け目も感じないまま、ただただ楽しい1日は過ぎていった。
「全部は食べ尽くせなかったね」
「でも、こんなにたくさんの種類をいっぺんに食べたのは初めてです」
ぱんぱんに膨れた温かいおなかを抱えて私は笑った。
「また一緒に食べに来よう。次は、行けなかった店を重点的に」
「とても楽しみです」
「じゃあまた、リナリア嬢」
そう言って去ろうとする彼の背中に、私は思い切って声をかけた。
「あの……っあのねっリナリアで、リナリアって呼んでください。嬢って、あんまり私らしくない気がして、それで」
レオヴァルトさんは目をまんまるにして振り返って、そして答えた。
「じゃあ僕のこともレオと」
「それは!まだ!覚悟が!!」
ふふと笑ったレオヴァルトさんは言い直した。
「なら、普通に話して。敬語じゃなく、素の貴女で」
「それは……うん、善処すます」
ぜんぜん善処できていない私を見て、レオヴァルトさんは快活に笑った。
「またね、リナリア」
「うん、あの、またね」
楽しそうに、嬉しそうに笑って去っていくレオヴァルトさんを見ながら、私は、ああなんだ、あの人は、ぜんぜん怖くなんてないじゃないか、とそう思った。