最終月
私は毎日、不安を抱えて今にも開きそうに膨らんだつぼみを見つめている。
まだ開かないでほしいと、もう少しこのままでいたいとそう毎日じっと見ていると、ついに、パン、と高く澄んだ音をたてて、つぼみが開いた。開いてしまった。私の不安を笑うように、そこに赤い実を宿らせて。
信じがたくてそっと手をのばすと、その実は自然にころりと私の手のひらに落ちてきた。レオヴァルトさんの心の木は、役目を終えたとそう言うように、ふわりと解けて、きらきらと光の残滓を残しながら消えていった。
私は自分の手の上にある実を呆けたように見つめ続けた。
今にも手のひらの上で溶けて滴り落ちそうなほどに、見るからに甘く甘く、つやつやと輝くそれは、私が自覚していなかった私の想いをこれ以上なく突きつけてしかと存在していた。
レオヴァルトさんが好きだと、今抱いているものこそが恋だと、私に訴えかけて、赤く、赤く――――
「うそ、うそ!」
それはさっきまで必要だと思っていた覚悟とはまったく逆で、あんなに悲痛な思いでいたのにと私はうろたえて、恥ずかしくて、この実を誰にも見つからないようにどこかに隠してしまいたいと思った。
どこかに隠して、しまい込んで、そして私が正反対の覚悟をつけなおすまで、レオヴァルトさんに渡す勇気がでるまで待ってほしいと思って――そして、もしこの実もちょっと珍しいあのきれいな赤い実のように、夜にはだめになってしまったらどうしようと焦燥に駆られた。
私は実を手に隠し込んで組合本部に向かって走り出した。
§
「レッレレッレオヴァルトさんを知りませんか!!」
手になにかを隠して血相を変えて飛び込んできた私を見て、ミイナさんは何事か起こったのだと判断し、ガタンと音をたてて立ち上がった。
「現在の所在はわかりませんが、いつもこのくらいの時間にいらっしゃるはずです!組合長に確認をとってきます……!」
ミイナさんが上階へ走ろうとしたその時だった。
「どうしたの?」
レオヴァルトさんの声が急に後ろからふってきた。
「キイァアアアァアァァアアアァァァアア!!」
私は飛び上がって絶叫した。
恐る恐る後ろを振り返った私は、きっと途方も無いくらいに真っ赤だっただろう。
手になにかを隠し持って、真っ赤になって目を彷徨かせる私をみて、彼はどう思っただろう。
「レッレレレエレオヴァルトさん!!」
「うん、なに?」
「今っ今から私とっ第1階層にいきまひぇんひゃ!!」
私の声は見事にひっくり返ってその上に噛んだ。
「いいよ、行こうか」
レオヴァルトさんはいつものようににっこりと笑って快諾した。
ミイナさんは、大丈夫そうだなという顔をして上階へ歩いていった。
私と彼の間でなにかが変わるなら、それは迷宮の、第1階層が1番いいと思った。
私は、レオヴァルトさんを連れてきておきながら、俯いてなかなか言葉を口に出せなかった。
何と言えばいいのかわからず、口ははくはくと動くばかりで焦りきった私に、レオヴァルトさんは優しく声をかけてくれた。
「大丈夫だよ、待ってる」
その言葉を聞いて、私は、ああだからだ、と理解した。
この人は、私を急かさない。私は臆病で小心者で、そして勢いに弱いところがある。こうだ!と言い切られたらはい!と答えてしまうところが。
きっとレオヴァルトさんがその気なら私なんてすぐに良いように丸め込めるだろうに、彼は、レオヴァルトさんは、臆病で小心者の私が安心できるまで、私に合わせて待ってくれる人なのだ。
「実……実が、ついたの」
レオヴァルトさんは、うん、と優しく頷いた。
「だから、えっと……、食べてください?」
「食べさせて」
彼は吐息でささやくようにそう言った。
私は実を手のひらに乗せて、そっと彼に差し出した。それはまるで、私の想いをそのまま彼に捧げるような、そんな行いだった。
彼は私が差し出した私の想いを見て、幸せをかみしめるように微笑んだ。
彼は私が差し出した実を、差し出されるまま、目を伏せて私の手のひらからそのまま食べた。私は彼の口の中に消えた実を見送って、ああ、あれはもう一生食べられないけど、どんな味がしたんだろう、とぼんやり思った。
彼は伏せていた目をゆっくりこちらに向けた。その視線は、狙いを定めたかのように真剣に、鋭く、私を射抜くようだった。レオヴァルトさんは、彼の口元に差し出したままにしていた私の手を取り指を絡めてぎゅうと握り込み、そのまま私の手をぐいと引いて、私に口付けた。
噛みつくようなそれの、重なった彼の口から、甘い甘い、思った通りにまるで滴り落ちるような甘い味がした。
繋がれた手の甲が暖かく熱を発し、御印が宿ったのだとそう告げた。
「捕まえた」
彼は熱い吐息をこぼすようにそう言った。私は、ああ、私はたぶん自分からゆっくり近付いて捕まりに行ったんだと、そう思った。
私は彼と手を握りあったまま地面にへたり込んで彼を見上げた。彼の背後にはひらひらと紫色をした花びらが降っていて、私は昔なにかの話で聞いたように、好きな人には本当に花が咲いて見えるのだと呆然とそれを見続けた。
しかし、ふと気がついて見ると、その花びらは私の上にも降り注いで、見渡してみると第1階層全域にひらひらと、ふわふわと舞い踊っていた。
「わあ……なんだろう……初めて見た……」
私は呆然としたままそうこぼした。
「神様が、祝ってくれているんだ」
レオヴァルトさんはいたずらっぽく笑ってそう言った。
私はふふと笑って、そうだといいなとそう思った。