8ヶ月目
気付けば、私の生活にはレオヴァルトさんと交わした約束がたくさんつめこまれていた。
組合本部で話をすること
たまに一緒にごはんを食べること
敬語をつかったら鼻をつままれること
予定が合うときに、一緒に第1階層に行って薬草を摘むこと
薄着で第3階層に降りないこと
また一緒に赤い実を食べること
新年祭に一緒に行くこと
果たした約束もある。
ニレさんの薬屋に一緒に行ったし、洋菓子店にも、祈豊祭にも一緒に行った。
ひとつひとつは小さくて、でもとても大切なその約束たちは、積み重なって私の生活を照らしてくれる。
迷宮と家を往復し薬草を摘むばかりだった私の生活を、優しく、暖かく、次はこっちだよ、と。
それは私にとって、泣きたくなるほど暖かくて、幸せで、かけがえのない大切なものだった。
今日、木につぼみがついた。
§
「前髪、伸びてきたね」
レオヴァルトさんが、ためらうような口出ししたいような、珍しく歯切れの悪い言い方でそう言った。
「ああー……そろそろ切らなきゃなあ」
見苦しかったかと反省し、私は前髪をつまみ上げた。
「……ねえ、いつもどうやって切ってるの?」
レオヴァルトさんが確認してきた。髪をどうやって切るのかなんて、どういうことだろう。
「普通だよ?こうひと掴みして、おでこの半分くらいのところでじゃきんって」
私は指ではさみを作って、わし掴みにした前髪のほどよい場所をはさんでみせた。
「これくらいに切ったら、ひんぱんに切らなくて済むから楽なんだあ」
私は得意げに笑ってそう言った。
「うん、うん、そっかあ」
レオヴァルトさんも深く頷いてくれたので、私はとても嬉しくなった。
「あのねリナリア」
レオヴァルトさんが真剣な顔をして私を真正面に見つめた。
「僕が髪を整えていい?」
いいよ、自分で切るよ、という私の主張を、レオヴァルトさんはにっこりと笑って黙殺した。レオヴァルトさんの笑顔は、ときどきとても有無を言わせない。
あれよあれよという間に私は組合本部の中庭に連れてこられ、どこからか持ってこられた丸椅子に座らされていた。
マントの前をしっかりと閉じ合わせて内側から握りしめ丸椅子に座っている私の髪を、レオヴァルトさんは、まるで私のことを大切だと告げるように、優しく丁寧に丁寧に櫛で梳いてくれる。
時々頭を撫でるように行われるそれは、くすぐったくてなんだか落ち着かないような、そんな気分にさせた。
「あのね!」
私はがまんしきれずに声をあげた。
「そんなね、そんなだから、じゃきってしたら大丈夫だから」
「大丈夫だよ、任せてね」
レオヴァルトさんは優しく言い聞かせるように言った。
「でもね、そんなあれじゃないから」
「前を向いて座っててね」
レオヴァルトさんの手付きは優しいが、有無は言わせなかった。
ひとしきり梳き終わると、レオヴァルトさんはまず私の後ろ髪に手を出した。
「なんで?」
「ちょっと量を減らして整えるだけだからね」
「そんなに邪魔じゃないよ?」
「大丈夫だよ、任せてね」
レオヴァルトさんは、もうあまり取り合ってくれなかった。
しゃきんしゃきんとはさみの音が中庭に響く。
私はじっと座ってその音を聞き続ける。
いつもなら誰かと無言でいるなんていたたまれなくて逃げ出したくなるはずなのに、レオヴァルトさんはちっとも平気で、お互いに黙ってただ優しく響くはさみの音を聞き続けている。
「後ろはできたよ。次は前髪」
レオヴァルトさんはしばらくしてそう言った。
「この辺で、この辺でね」
私はおでこの丁度いい場所を指さした。
「大丈夫だよ、任せてね」
レオヴァルトさんは私の意見を握りつぶそうとした。
しばらくこのくらい、いやもっと下で、と言い合って、なんとか折り合いがついたのは眉の少し上のあたりだった。
私は、私の前髪をどの長さにするか真剣に言い合っていたことがなんだか面白くなってしまって、レオヴァルトさんも笑い出しそうな私のことを見て、なんだか2人とも可笑しくなってしまってしばらく笑いあった。
「できたよ」
レオヴァルトさんの声で私は閉じていた目を開けた。
「ほら、こんな感じ」
そう言ってレオヴァルトさんは鏡を持たせてくれた。
「すごい!前髪ががたがたしてない!」
「整えたからね」
「長さが変わってないのに髪の毛が少なくなってる!!」
「梳いて整えたからね」
何ということもなさげにレオヴァルトさんはそう答えた。
「レオヴァルトさんすごい……!」
「刃物を扱うのは得意なんだ」
レオヴァルトさんは急に物騒なことを言った。
「どうしよう、頭が軽くてすごくいい、これを知ってしまうと前に戻れなくなる……」
私は本気で悩んでしまった。
「また伸びたら僕が切るから大丈夫だよ」
とレオヴァルトさんは言った。
私は、またひとつ大切な約束が増えたと嬉しくなって
次に髪の毛が伸びるのはいつだろうと思って
なんだか、とても曖昧な気分になった。








