守りたいものとは(Said:ハリー)
『もし、エルがクロノスを出て行くときは……俺もクロノスを継承せずに出て行って構いませんか。』
父上であるシルヴィウス侯爵家当主に伝えたことが、どれほど自分勝手な願いかなんて、よく理解している。
本来、俺が受けてきた教育は総てに於いて、次期当主になる為のものだった。
けれど。
当主になって、何処かの貴族令嬢を嫁に迎えて、クロノス侯爵家を次代に繋ぐ未来が想像出来ない自分がいる事が常にあり、俺は学生時代にフィリップと共にギルド登録を果たしている。
すべて、いつかクロノスを離れて自由になりたいと願っているエリンの為に。
妹であるはずのエリンを、妹として見れなくなったのは……もう、随分と昔のことになる。
「ラース。これ、肥料足りてる?」
「そうですなぁ……ちょっとばかり多すぎるかもしれませんな?エリンお嬢様。」
「もー…エリンて呼び捨てにしていいってお願いしてるのに。私、お嬢様なんかじゃないんだから。」
「貴女様は立派なクロノス侯爵家のお嬢様ですよ。」
「ティータイムに時間をかけて、ドレスアップにお金かけて、訳の分からない匂い撒き散らして?貴金属や衣裳に魅了を感じないのは貴族じゃないんだって抜かしてたよ。」
「エリンお嬢様、言葉遣いが…」
「ラース。こっちに肥料移してみたよ?」
「おぉ、丁度良い塩梅となりましたな。これなら、作物も芽を出すでしょう。」
「やったー!楽しみだね!!?」
庭師のラースと会話しながら土いじりを楽しんでいるエリンに気付いたのは、エリンが4歳を過ぎた頃だった。
普段、邸の中で全く感情を見せない9歳も離れた妹の笑顔に驚いたのは、よく覚えている。
「ハロルドが教育を受けている間、僕はエルと図書室に一緒だよ。理解度が早いのか、本を読むペースは結構速い。クリス姉上とは違って真面目なだけだよ。母上は感情が無いだとか馬鹿にするけど、僕からしてみれば、あの人の方が子供だね。」
「ジーン……お前、7歳だろ。」
「ハロルドだって13歳じゃないか。大体、年齢で判断してたら馬鹿にしかならない。ねえ、ハロルド。僕はエルの方がクリス姉上より全然好きなんだ。エルの持つ空気、ハロルドも絶対気にいるよ。」
絶対、てなんだよ。
妹として見るに、クリスは母上に似て貴族令嬢たる宝飾や衣裳が好きな子であるのは理解してた。
だからなのか。
俺たち侯爵家の人間とは、滅多に口を利くことのないラースがエルの笑顔を引き出しているのに凄く興味を持った。
その日。
俺は、エルの行動を見てみることにした。
土いじりを終えたあと、図書室でジーンと過ごし、昼食を終えて再び図書館に籠っていたエルの表情が歪んだのは、夜も遅い頃。
「貴方、私……子供が欲しいの。早く種づけしてくださいませ!」
母上が父上に閨事を強請り、情事の声が廊下にまで聞こえてきていて、廊下に佇むエルが物凄い顔で部屋を睨みつけていたのが、4歳の表情とは思えなかった。
遮音魔法も使わずに、何を考えている。
執事なり、メイドなり控えていれば、エルが廊下にいることも気付いただろうに、下がらせたのかと息を吐いた。
近付いた俺に気付いたエルに、しーっと人差し指をたてた後、エルの体を抱き上げて両親の寝室から離れて、俺たち子らに与えられている区分へと足を向ける。
「今日は俺と一緒に寝よう、エル。」
「どうして?」
「ラースと植えていた苗の話、聞かせて欲しいんだ。水やりもするんだろう?俺も混ぜてくれる?」
「……いいの?……怒らないの?」
「なんで怒るんだ。ガーデニングに興味があることは良いことじゃないか。エルが楽しいと思えること、知りたいって思うのは悪いことじゃないだろ。」
俺は自室に入ると、エルをベッドに寝かせると自分も隣に寝転んだ。
「あの人は、汚い手……って言う。」
ポツリと落ちてきた言葉に、エルの表情も悔しそうに歪んでいて、俺はエルの身体を抱きしめた。
「ラースの手は、魔法の手だよ。」
「魔法の手?」
「職人達がいるから、俺たちの生活は彩られてる。調理人がいるから料理は研鑽されるし、細工師やデザイナーがいるから衣服や宝飾は次々に洗練された物が出てくる。大体、食べる物が無ければ、生きていけないのが人だろう?それを解らない奴を相手にする必要はないよ。」
「相手に……しなくて、いい?」
「いいさ。それで、エルが笑っていられるなら。ジーンとは図書室で一緒に過ごしてるんだろ?」
「うん。」
「俺も付き合えるときは図書室に行くよ。」
「ハロルド……お兄様、も?」
「邪魔?」
そう問えば、頭が横に振れた。
「ありがとう。」
コンコン、と扉がノックされる。
身体を起こして返事をすると、ジーンが部屋に入ってきた。
「此処にいたんだ。部屋に行ったらいないから、そうかなと思ってさ。僕も一緒に寝ていい?」
「勿論。」
「じゃー、僕はハロルドの反対側にしよっと。あれ……エルってば顔が真っ赤。それに嬉しそう。ハロルドと話してみて良かったでしょ?」
「ジーン…!」
「エルってば照れてる、可愛い。」
「真っ赤なのか?」
「なってない!もー、寝る!ハロルド、ジーン、おやすみ!」
背を向けたエルの表情は全て見えなかったけど、ほんのり薄暗い部屋でも耳が真っ赤になっているのが見えて。
俺は、ジーンと目を合わせて笑った。
それから。
すぅすぅと寝息がし始めた頃、エルの髪が俺たちと同じオレンジ系統の色から黒色に変化した。
「ジーン…」
「エルは不安定になった日、意識を失って眠りについてから暫くしたら髪色が変わる。」
「でも昼間は…」
「うん、僕達と同じオレンジだ。なんかさ、カメレオンみたいだろ?」
「身を守る為の、保護色。」
「今なら、エルの深層を読めないかと思って。ねえ、ハロルド。エルの心に、触れてくれないかな。」
「……まったく……最初から、これが狙いだったな?」
「僕の力だけじゃ、エルを守ってやれない。」
ジーンは、普段から表情を出さない。
それはエルにも言えることだけど、ジーンはエルのように母上から口撃されるようなことはなくて。
俺はエルの身体に手を回して触れ、目を閉じる。
波動のチャンネルが中々合わず、微調整を繰り返す。
一瞬だけ見えたのは、成人している黒髪の女性がメガネをかけて重たそうな装備品をつけて歩く姿だった。
「誰、だ?」
「なんか分かった?」
「いや…」
「ハロルドが分からないなら諦めるしか無いか。エルの負担を減らしてやりたかったのに。」
「ジーンは、いつからエルと?」
「さぁ……半年くらい前からかな。たまたま見ちゃったんだよ、エルが母上に突き飛ばされてるの。」
「は?」
「クリス姉上の衣裳選びにデザイナー達と盛り上がってるところに、エルが持っていたボールを転がしちゃってね。それを取りに行った時に。」
「父上は、そのこと?」
「オリバーが報告してる。大体、僕もその場にいたし。けれど、あの人は変わらなかった。」
それから、ジーンは母上と距離を置いたという。
元々近いわけではなかったから、尚更スッキリしたみたいで、ジーンも凄く笑顔だった。
エルと一緒に眠るようになり。
髪色が変わる日には、エルの記憶に触れた。
いつも同じ女性が制服を着て歩き回っていて、プライベートと判断出来そうな時は、男の子と手を繋いで買い物をしてある様子がみえたりした。
女性の顔立ちによく似た、男の子。
けれど、暫くしないうちにエルの心に触れても、何も見えなくなってしまった。
エルが魔法具を作り始めた頃から、エル自身の中で制御がきくようになったらしく、黒髪に変化することも無くなっていて。
ノアが傍らにいるようになって、更にエルは落ち着いた。
「ハリー兄様、お帰りなさい!」
「ただいま、エル。」
クロノス侯爵家の次女として、父上が教育を手配したものは素直に学び、言葉遣いも丁寧になった。
でも。
人との付き合いだけは、不得手なままだった。
感情表現が上手い下手だというよりも、話す相手を選り分けていたという表現の方があっているだろうか。
カズホやラースと話が出来るエルは、女主人の味方になりかねないはずのメイド達とも上手く付き合う術を得ていた。
だから、完全に孤立するという状況にはならず。
「エリン様。これ、使いやすいです!」
「洗い皺がキレイに伸びますよ。」
「火傷しないように気を付けて使用して下さいね。重たいとかデザインとか、気になるところあれば、また教えてもらえると助かります。」
「では、色んなタイプの生地で試していきますね。」
「宜しくお願いします。」
よくエルを相手にしてくれるメイドは、母上やクリス専属のメイドではなかった。
バトラーの学園を好成績で卒業したコニーとノエルは、どちらも子爵令嬢であり、偏見などを持たずにエルと接してくれる貴重なメイド。
エルが場を離れてからも。
「なんで奥様って、エリン様を嫌いなのかしらね?変わり種とか仰るけど、世の中もっと酷いのが沢山いることを知らないのかしら。」
「仕事をし易いように考えてくれる方なんて、僅か10歳に満たない方で中々いらっしゃらないのに。」
「あ、そうそう。レスリー様とレナード様の専属、また変更になるそうよ。」
「ああ、メイド長から聞いたわ。奥様が好き放題なさるのを咎めないから自由なのでしょう?普段からお相手されないエリン様は勿論、ハロルド様やユージーン様の方がかなり優秀よね。」
「あ、それ分かる。」
「エリン様の専属って、サリーでしょ?」
「あー、あの子。殆ど挨拶してこないわね。侯爵家におけるエリン様の立ち位置、難しくする動きをしてどうするのかしら。」
「料理長や庭師のラースさんと喋れるんだもの。エリン様、何処が人付き合い苦手なの?」
「私とノエルには、普通……よね。」
「話し方、かなり丁寧だけど。専属になるなら、エリン様がいいわ。話されている方を選んでるのだとしたら、何が基準となっているかをお聞きしてみたいわ。」
「そうね。エリン様は何も悪くないもの。自信持って頂くためにも、お仕えしたいわね。」
邸内に、エルの味方がいる。
それが分かっているだけで、十分だった。
サリーがいなくなって、コニーとノエルが挙手をしてくれたけれど、母上が決してOKを出さず、此処でも母上の頑なな態度に俺は辟易した。
父上は……何故、母上を放置したままなのか。
家族間の問題なのに踏み込めなかったのは、俺も同じなんだけれど。
エルの精神が病んだことで、ノアが常にエルの傍らに控えるようになったから、仕事の合間に色々と調査するようになった。
俺とジーンは、エルの心が戻ってほしくて。
ひとまず、コニーとノエルには母上が手を出す前に俺の専属になってもらった。
そして、エルが元気になった時に専属を頼めないかと申し出た。
「「お任せください!」」
母上がいなくなった今なら、2人をエルの専属につけてやれる。
いつかエルが、クロノスを出ていく時のために必要な事を少しでも増やしてもらいたい。
クロノスに残る基盤が出来た気もするけれど、それは無いだろうから、俺は自分の意志を貫こう。
貴族として、クロノス侯爵家の光陰を担う責務から外れるには相応の覚悟がいるけれど、それでも……エルを切り捨てる方が耐えられそうにない。
決意が固まったのは、イナンナ皇女の転移魔法陣でヴォクリューズドの丘に飛んだ時だった。
伸びてきたエルの手が震えてて。
ポロポロと流れる涙に、呼吸も乱れていて、明らかに異常事態なのが分かる。
久しぶりに、エルの声がダイレクトに伝わってきた。
〝ハロルド、もう……嫌。お願い、助けて……!〟
ガチガチに震えるエルの背中を摩る。
『大丈夫だ、エル。俺はエルの側にいるし、今日はノアも一緒だ。』
〝此処、どこ……?〟
『王都の邸からジェノヴァ共和国にあるヴォクリューズドの丘に飛ばされたみたいなんだ。ゆーっくりで良いから、周りを見て、空を見てごらん。ラベンダーも良い香りするし、星も綺麗だよ?国を越えても、大陸を渡っても、月は変わらない光でエルを照らしてくれてる。』
〝つ、き…〟
『綺麗だろ、エル。この景色を、エルやノアと一緒に見れて、俺は嬉しいよ。』
〝ハロルドと、ノアと、一緒?〟
落ち着きを取り戻したエルに、俺はホッとした。
エルの心を守るためなら、俺もノアのように覚悟を決めよう。
ジーンに、どう伝えようか。
伝え方を間違えると、ジーンに怒られるだろうな。




