049 人を呪わば穴2つ
時計の針は戻る。
エリンがウィリアムと対峙する少し前。
マスタング公爵の本邸、庭先。
「なんで私が旦那様に会えないのよ!?屋敷にも入れないなんて、どういうこと!!?」
大きくなったお腹の子を考えての行動ではない。
まして、本邸の敷地とは離れた場所に別邸を与えられているはずのクリスティを誰が手引きしたというのか。
窓からソッと見やるイナンナは、自身の胎児に影響を出してはならないと姿を見せずにいた。
使用人は、公爵夫人の肩書を持つクリスティに手を出すことなど出来ずにいた。
しかし、騎士達が漸く庭にたどり着くと、そこから更にクリスティのヒステリックが増していく。
「ふざけないで!私は、公爵夫人なのよ!?旦那様に会わせなさい!!」
「その旦那様より、本邸に来てはならないと命ぜられているはずです。マスタング公爵家の女主人はイナンナ様であって、クリスティ様ではありません。早急に、お引き取りください。」
執事長の声が響く。
「サルゴンの皇女だから何だと言うの!?私は旦那様に求愛されて公爵家に嫁いできたのよ!!カロス商会だって、サルゴンから来たバカ女のせいで売り上げが落ちて顧客も離れていってるの。旦那様に取りなして頂かないと!!」
「なりません。別邸に、お引き取りください。」
「冗談じゃ無いわ!!クロノスに文を送っても返事が無いし、連絡を取ろうとしても領地に入れない。私が何をしたというの!?バカ王子の断罪劇を打ち破って、ルートヴィヒ様と結婚して、商会も上手くいっていたのに!!」
黄色がかったオレンジ色の髪は振り乱れ、目は血走っていて息も荒い。
不意に。
ハッとした表情を浮かべたクリスティは、酒に溺れて汚くなった歯を見せて高笑いをする。
狂気に満ちた目と乱れた髪に君の悪さを感じた使用人たちは、後退りした。
黒い霧がクリスティの身体を纏い始める。
騎士達は一気に剣を鞘から抜いて構えを取った。
「ふふふ……このまま、引き下がるなんてしない。冗談じゃないわ。私は公爵夫人になったの!悪役令嬢なんかじゃないんだから!」
甲高い笑い声が響くと同時に、黒い霧が雷を帯びて渦巻いていく。
バチィッ、と音を立てて攻撃を弾いたのは本邸の中にいたイナンナであり、即応して反転魔法を適応させる。
しかしながら、黒い霧の量に違和感を覚える。
「きゃああああああぁぁぁっ!!」
空間を引き裂くような悲鳴が聞こえたのは庭先。
黒い霧の渦巻く中心にいたはずのクリスティが切り刻まれて大量に血を噴き出し、仰向けに倒れた。
髪色が一気に白髪へと変わっていく。
振り乱れたとはいえ、艶やかに磨いていた肌もまた、皺がれた肌へと変化した。
イナンナは、ぱらりと扇を開いて口元を隠す。
「悪役令嬢に囚われすぎた者の末路だとしたら悲惨ね。」
カマイタチが吹き荒んだ部屋は、反転魔法を使用した反動も残している。
ただ、自分の元に現れた量が総てとは思えず、イナンナは思考を巡らせていく。
パンッー
乾いた音を立てて、扇を閉じる。
イナンナは空間収納から、端末機器を取り出すと一人の連絡先へと通知を測った。
回線は繋がらず、既読にならない。
嫌な予感が頭を過ぎる。
ギリと握りしめた扇をテーブルに置き、イナンナが部屋を出て行こうとした時だった。
部屋の扉が勢いよく開かれる。
「イナンナ、無事……か?」
「私は平気です。それよりも、ルーイ。急ぎ、ホランドに連絡を取り、商会に勤める者達が無事かを確かめたいのです。それと、クロノス侯爵家とイスキオス王族にも確認を。」
イナンナの言葉に、ルートヴィヒは頷いて側に控えていた者に指示を出す。
「根拠は?」
「あの者が放った黒い霧の量は、私に向けられた量を考えれば少なすぎるのです。」
「家の者達が一様に見たという?」
「ええ。」
スッと腕を出してエスコートに務めるルートヴィヒに笑みを少しだけ浮かべ、邸内を移動しながらイナンナは口を開く。
「ルーイには、恐らく霧の攻撃は為されなかったでしょう。あの者は、クロノス侯爵家には見限られていましたから、カロス商会を立て直すのには貴方様がいなければ成り立たないはずですし。」
「シルヴィウス卿は奥方と離縁され、その奥方も公国に帰られたらしい。」
「……ならば、やはり危ないのはハロルド様やユージーン様、エルに違いありません。ルーイ、私はエルを大切な友と思っています。あの者とは違い、クロノスの光陰にも守られている。有益を考えてもキリはありませんが、エルを失いたくないのです。」
私室のソファに座り、イナンナは静かに息を吐いた。
ルートヴィヒが隣に座れば、手を取る。
イナンナも自然とルートヴィヒの身体に、自身の体重を預ける。
「黒い霧の正体は、呪詛でしょう。しかし、私は自分に向けられた呪詛を跳ね返しました。その為の術を持っていたからです。」
「辛いところはないか?」
「ええ、大丈夫です。ただ、私が返した呪詛の量を考えると魔力量に差がありすぎました。恐らく、別の者へ飛ばした可能性が高い。だからこそ、連絡を取りたかったのですけれど、上手くいきませんでした。」
不意に流れる魔力の流れに、イナンナは体を起こす。
「……ユージーン様……?」
驚いたのは隣にいたルートヴィヒのみで、名を呼ばれた本人は、2人の前に姿を現した。
黒い服に身を包んだユージーンは、口を覆っていた布を外して笑みを浮かべる。
イナンナは立ち上がり、礼をとる。
「妹なら無事ですよ。魔法反射を使える奴が傍にいたお陰で。」
淡々とした口調のユージーンからは、何の感情も読み取れないでいた。
ルートヴィヒは立ち上がると、イナンナより少し前に立って身体を若干かぶせる。
「心配せずとも、お二人をどうこうしようとは思っていませんから警戒しないで下さい。僕は、提案をしにきただけです。」
「提案だと?」
「貴方の側室は、其方で静養のために僻地へ飛ばしてください。周りは、僕の部下で固めます。ただし、マスタング公爵家からも3人は人を出してください。」
にいっ、と笑みを貼り付けたままで言葉を紡ぐ。
「カロス商会の事業は、ウルク・マルシェで引き継いで頂きます。但し、このリストで赤線を引いている者は間引きさせてもらっているので、幾ら消息を探そうとしても無駄です。」
ヒラヒラと出した束をサイドテーブルに放り投げる。
ユージーンは、貼り付けたままの笑みを止めるとルートヴィヒにだけ殺気を向けた。
少しだけ重力の圧を変える。
対するルートヴィヒは、ヒヤリと背中に汗が流れるのを感じると自然と唾を飲み込み、自身より幾つも若いユージーンに気圧されていると気付く。
「貴方が馬鹿な側室の手綱さえ、しっかりと引いていれば今回のような事にはなりませんでした。イナンナ皇女が嫁いできたことはイレギュラーとしても、今回の責は貴方が一番大きい。アレを輩出した我がクロノス侯爵家の落ち度と仰るのであれば別ですが、公爵の地位を得てまで欲した事の意味を考えてくださいね。」
「……ああ。」
返事をするのが、ギリギリだった。
「それから、サルゴン帝国の元皇女様。妹をジェノヴァ共和国に連れ出してくださり、ありがとうございました。」
「気付いていたのです?」
「まあ、僕も魔術研究に興味を持つ者の一人ですから。貴女の意図までは判りませんが、妹が前を向いて歩ける変化を頂けたこと、並びにアレが流した馬鹿な噂を全て否定して頂いたことは深く感謝しています。」
スッと手を胸に当てて礼を言ったユージーンは、口元を隠して部屋から消えた。
緊迫とした空気がなくなり、ルートヴィヒは大きく息を吐きながらソファに身体を埋める。
イナンナは、エリンが無事であることに安堵し、先までいたユージーンの場所をボンヤリと眺めていた。
(私は勿論、エルも異世界から転生したとは思っていないはずですけれど。クロノスの影が持つ力は、本当に強大ね。)
クルリ、と身体を翻して、イナンナはルートヴィヒの傍に歩いていく。
「ルーイ、大丈夫です?」
「ああ。」
「私は、貴方と共に生涯をイスキオスで歩んでまいります。」
スッと頬に手を伸ばせば、ルートヴィヒが手を重ねて己の膝の上にイナンナを抱く。
イナンナは微笑む。
疲労感があったものの、イナンナの笑みに応えたルートヴィヒもまた笑みを浮かべ、キスを交わす。
「ユージーン様の条件、私も精一杯お手伝い致します。生まれてくる子、公爵家の繁栄のため、貴方様の傍にいさせてくださいませ。」




