039 一息
イナンナとルートヴィヒの調印式が終わって数日後、エリンは久しぶりにノアと外出していた。
市場は大層な賑わいを見せていた。
帝国の皇女と王国の筆頭公爵家当主との結婚は、民達が賑わうには格好の娯楽になっており、両国の物が頻繁に行き交う様になると、かなりの人と物が動いている。
「へぇ。麻布を使った服、多いな?」
「気候に合ったものが既製品として出回っているのは良いことだよ。ノア、麻布の服って良く着てるんだし、何着か買う?」
「だなー。面倒な仕事も終わったし、そろそろエルの犬に戻りてぇし。」
掛かってある服を見ながら、会話は続く。
「エドワード様って呼ばれる度に、眉間に皺を寄せてたものね。」
「随分と前に棄てたはずなんだけどな。まあ、今回に限っては良かったて思うしか。あ、これいーな。エル、買ってもいい?」
「勿論。隊舎の環境整備も終わったし、システムの構築も終わったから。」
「そんじゃ、遠慮なく。」
ノアは、ひょいひょいと欲しい服を選んでいく。
カウンターに持っていって支払いを済ませると、大使館に届けるように手配する。
「エルも結構選んだね。」
「寝る時とか、暑苦しい時は涼しいもの。汗には気をつけなきゃいけないけど、それは洗濯をちゃんとすれば良い訳だし。」
「次、どーする?」
店を出て、エリンとノアは並んで歩く。
衣類や宝飾の店から、徐々に工具や魔法具の店や屋台が増えてくる。
それを抜ければ、飲食出来るエリアが広がっていく。
「新しい物が増えたね。」
「カロス商会の独り勝ち状態だったのが、急速にウルク・マルシェが台頭してきたからな。」
「ウルク・マルシェ?」
果実水を二つ買ったノアは、片方のコップをエリンに手渡す。
礼を言って受け取ると、喉を潤した。
コップの中で、カランと氷が音を立てて溶けていく。
「アナの経営するギルドだよ。」
「ギルド?」
「ギルドは、部門ごとに完全独立してて、対価は変動。衣服だけでも、整靴・布屋・紡績・仕立・毛織物・染色と分業させる事で、雇用の確立をしてる。但し物の値段はバラバラだから、人を雇い、利益を出す為の収支と、生きていく為の給与なんかは、しっかりしてるみたいだぜ。」
「扱いが難しいものには、それなりに対価が払われる?」
「ギルドは基本、国を選ばないし、階級や身分の差を選ばない。上司と部下みたいな組織的な解釈はあるけど。」
「へぇ。ギルドのトップは?」
「ホランドだったかな。実際、表に出て取り仕切ってるのは。」
「表?」
「ウルク・マルシェの裏顧問はアナだよ。なーんも知らんふりして、がっつり経済に絡んでた。」
「ノアは?」
「情報も充分取引になるぞ?けど、それが価値を見出さなくなったら終わるかもな。お!エル、あれ食べよう。鹿肉の串焼き!ちょいとクセはあるんだけど、美味いぞ。」
「うん、食べる!」
屋台の店主から2本買い、二人は食べる。
「おいしー。」
「だな。」
市場の中央は広場になっており、噴水が置かれて憩いの場としての機能を果たしていた。
近くにあるベンチに並んで座る。
賑やかな人々、子供達の笑い声と屈託のない笑顔は、喧騒とまではいかなくても、日々の積み重ったストレスを癒してくれる。
「元々地下水路が敷かれているからか、蒸し暑いとはいっても、我慢出来ないほどじゃないね。」
「各家にも配置したんだっけ?体感温度が低くなった事が実感出来るからって、利用したいと契約をする者が増えたらしいね。」
「どーしても、維持管理にはお金が掛かるから。需要と供給のバランスは大事だし、便利にしすぎた余り、自然との共存が崩れるのは避けなきゃ。」
「あぁ、砂漠化に伴う植林だったか?水分を含む花サボテンやら、椰子やらを植えるやつ。」
食べ切った串を指揮棒のように振りながら、エリンは果実水を飲む。
「今の世代から、子や孫へ。今が良けりゃ万事良しという訳にはいかないでしょうに。」
税金の使い方は、なんだかんだ前世に於いても気になる事柄であった。
福利厚生や教育、郵政や運送事業、祭事等々。
政治に文句を言うならば、選挙に行って一票を投じるべきだと必ず行き、地元に縁の薄い候補者に疑問符を投げつつ投票する。
けれど。
身分差が確立された今世に於いて、大好きだったファンタジーなRPGは、冷めた感覚でもって現実として受け入れなければならない。
「ノア。」
名を呼ばれ、エリンを見やる。
「私、このまま家には戻らずに、グランコールへ行こうと思ってる。ノアも来てくれる?」
グランコール。
イスキオスの北方に位置するパランクス領内の最北端、山岳地帯を利用した研究機関を有する領。
ここには、パランクス公爵家の三男セイロンが封じられている。
「勿論、行くよ。」




