038 筆頭公爵と皇女
ルートヴィヒ=マスタング。
イスキオス王国のエルンスト王が弟、ロタール=フォス=アステーラス=イスキオス大公の長男。
大公は、一代限りの爵位。
王位継承権を放棄したロタールは、王都から東に続く僻地を領地として静かに暮らしており、世俗からは離れていた。
尤も、王室の公式行事には参加していたが、近年はルートヴィヒに任せており、表舞台に立つことは片手で足りるくらいだった。
さて。
キーナ元公爵家の陥落により、本来ルートヴィヒが戴く予定ではなかった公爵の地位が転がり込んできた訳だが、それが今回、イナンナ皇女を嫁がせる為の口実になった事は、ルートヴィヒは勿論、ロタールも承知している。
『ロタール、余の頼みを叶えてはくれまいか。サルゴンの皇女であれば、ルートヴィヒの妻にするに相応しかろう?あちらも、子を多く成すことを理解している。皇族としての義務は、此方の義務と等しく気高い存在故、他の家門へやるわけにはいかぬ。』
『義務ですか。』
『ましてや、筆頭公爵が迎えた妻が、いくらクロノスの血筋とはいえ、所詮は侯爵家。皇女の血は、それよりも数倍以上の価値があるのは、お主も分かるであろう?』
『兄上…』
『幾ら愚行を行ったとはいえ、我が息子を貶めた張本人だ。よもや、その血が混じった者を次代の公爵に据える許可を儂が出すと思うてか?』
『クリスティを選んだのは、ルートヴィヒの意思。私は王位継承権も放棄した身分。それでも兄上は口を出されるのか?』
『よく考えよ、ロタール。キーナが滅び、一代限りの大公たる爵位はルートヴィヒが引き継げぬ。空になった公爵家の椅子を埋めた時点で、ルートヴィヒは儂の駒に成り下がったに過ぎん。たかが臣下が王命に叛くなど、あってはなるまい?』
『兄上の望みは?』
『イナンナ=ニンメシャル=サルゴンを、ルートヴィヒ=マスタングの正妻に迎え、子を成させよ。クリスティは側妻とし、筆頭公爵に相応しい家門の構築に努めさせ、公式行事は勿論、ルートヴィヒには全てに於て、イナンナ皇女を優先させよ。』
『御意。』
ロタールに拒否権など存在しなかった。
空席となった四大公爵家の椅子を埋めたという事実。
ひとりの嫁に、ポンポンと子供を産ませ、家の血を絶やさないようにする為の人数を確保させることは難しい。
キーナの一族が消えた分の穴埋めは、侯爵家や伯爵家からも成されていたが、過分な混乱を招いており、領民達の反発や反応希薄のために、再構築が上手くいってなかった。
東を治めていたキーナが横暴を続けていた結果。
キーナの影に隠れていた貴族らが経営を変わったところで、人がついてこなかったのである。
イナンナの受け取りは、ダウナント地区の大使館にて行われることになった。
表向きの名目は、筆頭公爵家の財力をイスキオス王国の民達に見せつける為である。
移動の道中で見られる豪華な装飾の馬車や、着飾る騎士達の装備品、持たせている武具など力のあることも見せつける為だけに長い時間をかけさせたのだ。
勿論、帰りも同じ行程であるため、かなりの日数を要する。
その間に、ルートヴィヒはイナンナと閨を常に共にし、同じ馬車で昼間は移動して愛を育む。
皇族と王族に籍を置いていたものの責務として。
ロタールからエルンスト王の思惑を聞かされたルートヴィヒもまた、否とは言えなかったのである。
この為、荒れに荒れたのは、他の誰でもないクリスティだった。
『どうしてですの!?イナンナ皇女を正妻にするですって!?旦那様の妻は、この私でしょう!?』
『奥様、お体に触ります!』
『うるさいっ!たかが使用人の分際で勝手に私の物を運び出すなんて何を考えてるのよ!!この家の女主人は私よ!早く旦那様にお会いして、旦那様の口から聞かなければ!!』
『奥様は本日より、本邸を離れて別邸に移って頂きます。此方へは本日限りにて、立ち寄られることはかないません。』
『どうしてよ!?』
『御当主様より、正妻はイナンナ皇女がなられるとのこと。よって、当家の女主人はクリスティ様ではなく、イナンナ皇女様がなられます。クリスティ様は別邸にて、お過ごし下さい。』
毅然とした執事の態度に、身重のクリスティに抵抗する手段は残されていなかった。
カロス商会は繁盛しているが、マスタング公爵家の名前で得た取引も存在している為に、損益となり得る行為は起こしたくない。
エルンスト王がロタールに求めたものを、筆頭公爵家としてルートヴィヒが何処まで行使するか。
別邸に移されることになったクリスティが知る由は無かったのである。
そして。
準備が整ったイナンナは、翠色の髪が対照的に映るようにと、薄い桜色のドレスで、首からデコルテに掛けた総レースは銀梅花をあしらった模様を主としているものを選んでいた。
カロス商会が流行らせている、肩がパックリと見えるドレスは選ばなかったのである。
「イスキオスの筆頭公爵様に、初めてお目にかかります。イナンナ=ニンメシャル=サルゴンです。三国の架け橋となれますよう、宜しくお願い致したく思います。」
「サルゴン帝国の皇女様をお迎えにあがりました、ルートヴィヒ=マスタングです。以後、優良な関係を築けるように誠心誠意心を砕く所存です。」
煌びやかな礼服は、均整が取れていた。
ふわりと笑みを浮かべるイナンナの手を取ると、ルートヴィヒは手甲にキスを落とす。
混じり合う視線に、幾重もの思惑が絡みついているが気にしてはいられない。
エリンはイナンナの晴れ場にそぐうようにと、ハロルドが用意した翡翠色のグラデーションにかかる服を着ている。
但し、何事かあれば動けるようにと、スカートではなくパンツを選んでいた。
「私、心を砕いて無くして仕舞われる様な我儘はしたくありません。公爵様の領に向かいましたら、どこかヒッソリした住まいを頂ければ幸いです。国を繋ぐ為の行為は義務と思いますので、その時はお相手して下さいます?」
ハッと表情を変えたルートヴィヒに、イナンナは笑みを携えたまま。
視線を流されたエリンは、少し首を傾げる。
イナンナは手の先を振ってエリンを指し示し、携えたままの笑みをより深くして口を開く。
「此方、エリン=クロノス嬢と申しまして。私の大切な友達なのです。イスキオスでは、彼女が一番親しみを持たせていただいてまして、近いうちにラディース辺境伯の御令嬢であるシャルロッテ様を紹介して頂く予定にしております。」
指し示した手を戻し、臍の上あたりで手を組む。
「見聞を広め、イスキオスに生きる人々の暮らしを理解していくために。私が自由にイスキオス国内を動くこと、ご承知下さいます?」
「貴女の行動を制限する事はありません。」
「ふふ、ありがとうございます。公爵様の公私に於いて邪魔とならないよう、持参金と経営しています商会や学院等の収益や諸々の資産にて暮らしてまいりますので、ご安心くださいませね?」
皇女としての圧は顕在。
膝をついて頭を垂れたのは、他の誰でも無いルートヴィヒだった。
(これが、皇族と貴族の違い。)
エリンは目を瞬く。
ルートヴィヒは大公の息子だが、生まれた時には既にロタールは王位継承権を放棄していた。
この為、王族としての教育は受けておらず、高位貴族が受ける教育を施されている。
反対に、イナンナは皇位継承者としての教育を受けていたのだ。
これが積み重ねた歴史の差。
イナンナ=ニンメシャル=サルゴンが、ルートヴィヒ=マスタングの上であるという構図の出来上がり。
「エルは私の親友ですから、アナと呼んでもらっているのですが。公爵様は、私の事をイナンナとお呼びくださいます?」
「私のことは、ルーイと。」
「ふふ、ではルーイ?早々と婚姻の調印を済ませてしまいましょう?」




