036 下された判断
「エル、フィリップから聞いたんだけど、サイラスに会ったんだって?」
「うん。」
ハロルドに頷いたエリンの現在位置は、イシルドゥアに処断されたバードン卿が猿轡を噛まされて縄で縛られたら挙句。
磔の上、刺殺刑に処された後片付け最中の広場。
イスキオス王国は、サルゴン帝国の皇帝を立てるべく介入し、イナンナ皇女の従者に落ち着いていたジュードことジュード=ノワール=サルゴンの皇帝着任式が行われるより前に、速やかに処刑された。
理由は、恩赦を出すつもりがなかった為である。
イスキオス王国の介入に、サルゴン帝国の民達が暴れることは無かった。
なぜなら、イシルドゥアとイナンナが共同声明を出し、イスキオスの介入を認め、専権的な貴族の特権を縮小若しくは無くしていくことを表明したからだ。
また、往々にして正当な血筋は、象徴としての存在なら意義をなすらしい。
イシルドゥアは、ジェノヴァ共和国の中でも元首であるラファエルを強く支援するメンドーサ公爵家の長女カタリナを妻として迎えることになった。
「あの人、不思議だった。声のトーンも、目の動きも、ほとんど変わらなかった。」
「俺も実は、一度だけ会ってる。最初は驚いていたが、後は普通に対応してきた。元々は優秀だから、憑き物が取れたとみても変ではないよ。」
「そっか。あ、そうだ……イナンナ皇女から、クリス姉様のことを聞かれた。」
「あー……エルもか。」
イナンナの嫁ぎ先に、レオナルドはマスタング公爵家をぶつけたのである。
これには、誰もが目を見開いて驚いた。
イスキオス王国は、王族と四大公爵家並びに16侯爵家には一夫多妻、若しくは一妻多夫が法的に認められている。
但し、王族は4人まで。
公爵は3人、侯爵は2人までと決められており、3年間に子を成せなかったり、白い結婚が認められる状況があれば離縁出来るとしていた。
レオナルドがイナンナをぶつけたルートヴィヒ=マスタングは嫁にクリスティ1人のみ。
そこに、イナンナ皇女を嫁がせるのだ。
血が絶えないようにする為の措置ではあるが、子宝に恵まれれば、わざわざ複数の相手を持つ必要はない。
「エルンスト王からロタール大公に話がされて、了承したんだそうだ。」
「イナンナ皇女は、よく承諾なさいましたね。」
「フィリップの案も割といいかなと思ってたけど。さらに斜め上をいったよ、殿下の案は。」
「他の公爵家や貴族に嫁げば、新しい争いの種になるだろうからね。」
聞こえてきた声に、ハロルドとエリンは身体を向ける。
父シルヴィウスの姿だった。
2人が礼をとると、シルヴィウスは軽く手をあげて制止させる。
「陛下からはハリーの嫁にどうかな、とも言われたんだけどね。流石に、皇族を迎え入れるなど恐れ多いから断ったよ。我が家も穏やかな雰囲気ではないし、なにより、今はクリスを牽制した方がいい。どうやら、あの子は力と金に魅入られて自由にし過ぎているようだから。」
「力と金、ですか。」
ハロルドが言うと、シルヴィウスは溜め息を吐いて肩を竦める。
ハロルドはエリンと顔を見合わせた。
エリンが静かに周囲へバレないように遮音魔法をかけると、シルヴィウスは徐に頷いて口を開く。
「あの子は、エルが社交に一切出ないのは精神的におかしくなったからだと言いふらしているようだ。エルは元から貴族社会の付き合い方は不得手であることは分かっているはずなのに『残念な脳みそになった』などと多方面に広めている。」
「なっ!?」
唖然とするハロルドは、眉間に皺を寄せた。
かたやエリンは、何度か瞬きをして、手を強く握りしめる。
ある程度、予想は出来る行為だ。
「イナンナ皇女をクリスに対する力として、レオナルド殿下はルートヴィヒ=マスタング公爵に嫁がせると決められた。イナンナ皇女は、殿下の意図を汲まれたそうだ。彼女は、エルのことを気に入ってるらしい。」
「エルを?」
「イナンナと呼び捨てにして欲しいと請われているんだろう、エル。」
「はい。三国の会談が初めて行われた日から、毎日顔を合わせれば言われております。皇女様の名前を呼び捨てにするなど恐れ多い、とその都度お断りを申し上げている状態です。」
「私にも直接会いに来られてね。皇女から『エリンと親しく付き合っていきたい。敬称無しで名前を呼ぶよう、侯爵からも伝えて欲しい。』と。」
「お父様の考えは?」
「クリスに対する牽制には良いだろう。イナンナ皇女のエルに対する評価は、クリスよりも断然高いようだからな。訳の分からない理屈を並べ、風評被害を作りつつあるあの子には、灸を据えるべきだ。2年前、エルが頑張ったのは他の誰でもないクリスの為なのに。」
「呼び捨て、ですか。」
「うん。私は、強ち悪くない手段だと思う。勿論、エルが望まなければ望まないなりの行動となるだろうが。ルートヴィヒが皇女を1として扱うか、2として扱うかのお手並み拝見といこうじゃないか。」
目で合図され、エリンは魔法を解いた。
「私はレオナルド殿下らと共に王都へ戻る。ハリーとエルは、やりたいことを全てやってきなさい。中途半端にならないようにね。」
「「はい。」」
返事が揃った兄妹に満足したシルヴィウスは、エリンの頭を撫でてから踵を返して歩き出す。
エリンには、クリスの意図がわからなかった。
前世の記憶持ちである事は知られていないと判明しているだけに、拘りは薄くなってしまっている。
姉はやはり、姉でしかないようだ。
息を吐いたエリンに、ハロルドも頭を撫でる。
「とりあえず、大使館の隊舎から手をつけるんだろう?経費の算出は俺に任せて、エルは魔法具の作製に集中するといいよ。」
「ありがとう、ハロルド。」




