035 出回る噂話
元クロフォード侯爵家の次男、サイラス。
父親を騎士団長に持ち、兄と弟また騎士を目指すべく、王都の学院では騎士科に所属。
身長190センチメートル超の体躯に、鍛え上げられた筋肉、そして磨かれた剣術は、流石ゼクス=クロフォード騎士団長の息子だと言わしめた。
その名声が堕ちたのは、勿論2年前の断罪劇。
イザベラ=カスティーアに絆された挙句、エリンが精査した映像では、観劇中にウィリアムと二人でイザベラを貪るものが流れ、騎士の誓いを『イザベラを愛することを我が剣に誓う』と言いのけた後、そのまま睦み合うものまで流れた。
本来、騎士とは。
〝イスキオスに生きる民を、誇りと使命感を持ちて須らく守るべし〟
要は、ただ一人に対して捧げるものではなく、須らく、等しく全てに誓えとあるのだ。
それを、ただ一人の為に。
ましてや、その一人ですらもサイラスが本命ではなく、ウィリアムという王家の血筋を持つ者。
誰が納得するのだろうか。
騎士団長ゼクスによる粛清は、サイラスの婚約者であったルクレツィア=ピースミリオン子爵令嬢の訴えもあり、ダウナント地区の警備兵として派遣された。
寛大な処分、といえば聞こえはいい。
しかし。
警備兵としての給与は実質、ルクレツィア子爵令嬢に対する賠償金に当てられた上に、サルゴンへの移送業務等も休みなく組み込まれている。
であるからして。
エリンが、ジェノヴァ共和国の軍服を着てダウナント地区のイスキオス大使館に到着してからというものの、ハロルドが会った一度を除いては、誰もサイラスの姿を見ていなかったのだ。
因みに、クロノス侯爵家に対する配慮として、大使館館長であるディエゴ=アレハンドロが動いていることも会わないことの要因となっている。
ただ、サイラスは元々は真面目な気質である為、仕事に対する姿勢は模範的だった。
アレハンドロの采配もあり、騎士団の統率もなされていたため、陰湿な嫌がらせは発生していない。
やらかした事に対して白い目を向けていた者たちも、サイラスの働きぶりを見て多少の嫌悪感を残しつつも、当たり障りない会話が成り立つようになっていた矢先なのだ。
『職務に忠実なのは褒めてやる。だが、その判断が正しいものとは限らない。』
ジェノヴァ共和国の軍服を着ていたとはいえ、自国の侯爵家筆頭の嫡男を目の前にして、長槍をクロスせせてしまった門番の兵士たち。
彼らは、王族や貴族の写真入り図鑑を只管見て覚え、全問正解するまでは元来の勤務に戻れなくなってしまった。
その皺寄せを一手に引き受けさせられたのが、他でもないサイラスである。
出入りする商人の手形を確認し、サイラスは本日の任務を終えて隊舎に戻るところだった。
「やはり、暑さが違うので涼しく過ごせるような造りも考えたいところだな。」
不意に聞こえてきた声がフィリップの者であると気付き、サイラスは足を止める。
「冷風が出るような魔法具が各所に配置されたら、少しは熱中症対策になるかもなぁ。でも、各部屋となると経費がかかりすぎちゃうのか?いや……健康には変えられないから、予算採りは可能かも?採算が取れる収入源があれば尚よし?」
「エリン嬢。軍部なら、それなりに予算あるよ。前に、うちのラディース辺境伯領にある隊舎を整備してくれたじゃないか。その時と比べたら、どんな感じだ?」
「うーん……そうだなぁ。」
ジェノヴァの軍服を着たオレンジ色の髪。
一括りに縛られた髪が揺れて、その姿が視界に入るなり、それがエリンであることにサイラスは気付いた。
隊舎前で両手を腰に当てて考え込むエリンの姿を眺める。
「ラディース辺境伯領の隊舎は、この地区みたいな蒸し暑さは無かった。比較するのは難しい。正確な数字を出すならば、少しずつ試して数字を取らないとなんとも。だけど、ラディース辺境伯領の時よりは確実に費用がかかると思う。」
「うーん。此処に勤務する騎士たちの指揮を上げるには私生活の向上なんだけどな。」
フィリップの銀髪が耳にかかり、汗が首筋に流れる。
「レオナルド殿下が仰られた通り、軍部に所属されているのが不思議です。ね、フィリップ様。」
「おいおい、エリン嬢。勘弁してくれ。」
頭を掻いたフィリップに、エリンは微笑う。
穏やかな空気が流れ、サイラスも自然と口元を緩めた。
ハッと気付き、思わず口に手を当てる。
(彼女は、2年前の件を境に表へ益々出なくなったと聞く。王妃が開催したルイ王子の顔見せ茶会に参加したのみだと、前に商人が話していたが。)
その噂話を流した商人の登録している商会名を思い出す。
サイラスの頭に浮かんだ女の髪が、真剣に考えているエリンの髪と重なる。
それは。
似てるようで似ていない顔に繋がった。
サイラスの眉間に皺がより、それまで和やかに眺めていた目に焔が灯り、ギリと拳を握りしめる。
(……クリスティ=クロノス……!)
自分がした行いは、決して許されるものではないのだ。
それでも。
今この瞬間、サイラスの目に映るエリンは、人のためにどうすれば良いのかを考える姿であって、その商人が発した言葉との違和感に気付く。
『男女がセックスをする映像ばかり見て、残念な脳みそになったのだと、会頭が言われてましたよ。』
それは自分の行動を棚に上げても問題視出来るはずだと、サイラスは考えを巡らせる。
「会頭自ら?」
自分達がした行いは許されないが。
今も尚、マイナスの話を振りまくカロス商会に嫌悪感を覚えたサイラスは、覚悟を決めて隊舎の入口へと歩を進める。
近づいてくる気配に、フィリップは体を向ける。
「お前…」
「お久しぶりです、フィリップ様。それと御令嬢には、お初にお目にかかります。自分はサイラスと申します。此方の隊舎における施設管理を担当する上官は隊務にて席を外していますが、呼んだ方が宜しいでしょうか?」
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます。」
エリンは、スッと頭を軽く下げる。
何度も映像で見たサイラスを、生で見るのは初めてだったが、エリンは特に表情を崩さなかった。
不貞行為は嫌いだが、前世に於いても全く無い行為ではない。
まして、サイラスは婚約者である子爵令嬢が情状を申し入れたことを知るだけに、多目的トイレで行為に及んだニュースを知った時の嫌悪感より、歌舞伎役者が不倫したニュースを知った時ほどの衝撃で終わっているのかもしれない。
無言の時間が流れ、フィリップは首筋に手を当てる。
「エリン嬢。そろそろ戻る?」
「はい。」
エリンはサイラスに再度頭を下げて、フィリップと共に場を離れていく。
「なぜ、自分の妹を悪く言う必要がある?」
ポツリと呟いたサイラスの言葉は、エリン達には届かなかった。




