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032 壁一枚

「我が国と同じ共和国の争いにイスキオスが出てくる事自体が間違っているのです!」



「私どもの国は、海を超えてダウナント地区にまで出向いた。ジェノヴァ国籍の船が貴殿らの国の領海に入った場合、きちんとした話し合いの場が出来る保証があるのか?」



 淡々としたノアが返せば、相手の声量が上がっていく。



「随分と賑やかですね、エリン。」



 のんびりとした口調で微笑うのは、イナンナだった。


 白熱する扉一枚を隔てた向こうで行われている話し合いの場に、イシルドゥアを推す軍部の人間が来ており、話が通じないらしく、勝手に盛り上がっているようだ。


 白熱する隣室と異なり、エリンとイナンナは静かに会話ん続ける。



「私はただ、外を見てみたかっただけですのに。まあ、そのような個人の心情でしかないものを話してもしょうがないのでしょうか。」



「イナンナ様が皇位継承者でなければ、それも通ったかもしれません。」



「ふふ……そうですね。ねえ、エリン。貴女は今日の話し合いの場には入るのです?」



「殿下より、そう命ぜられております。」



「もし、ね?この場で、イシルドゥアが私を要らぬと申した場合は、私はジェノヴァ共和国に戻れると思います?」



「……失礼ながら。イシルドゥア様は、イナンナ様とは従兄妹の関係にあると伺っております。」



「その通りです。イシルドゥアは先帝の兄の、私は先帝の弟の子となります。サルゴンの名を継ぐ直系は二人のみ。イシルドゥアとは別に仲違いなどはしておりませんが、私よりは現実を見ます。帝国に不利すぎる条件ならば、私を切り捨てるでしょう。」



 笑みを携えたまま言うイナンナに、エリンは目を瞬いた。



「イナンナ様は、きちんと現実に向き合っておられると思います。」



「なぜです?」



 イナンナは首を傾げた。



「貴女様と一緒にジェノヴァ共和国に転移なさったジュード様ですが、本当は何者でいらっしゃいますか。」



 エリンの確定的な物言いに、イナンナは一瞬だけ目を見開いて、また直ぐに微笑んだ。


 悪戯が成功した子供のように、純粋な笑み。


 自分の読みは外れていなかったのだと、エリンは素直に感じた。



「いつ気付いたのです?」



「私を転移魔法陣で巻き込んだ理由を、イナンナ様が自ら教えて頂けるならば考えます。」



「それでは、教えて頂けそうにありませんね。」



「はい。」



 エリンはコクッと息を呑む。


 狐と狸の化かしあいのように成立したやり取りなら良いが、確信は持てない。



(やっぱり、この人は強い。気を抜けば此方が後手になる。今のやり取りですら、間違っている気がする……貴族社会の性質なのだとしたら、不得手。)



 言葉にしたものは引っ込めるべきではない。


 ラファエルに対する反骨精神と、レオナルドに対する臣下としての行為とが入り混じる。


 嫌いではない。


 ただ、イナンナとのやり取りは、職務質問や取り調べの要素があるような気がするものの、主導権を握られている気がした。


 詰めが甘いと取るべきなのか、単純に力不足なのか。


 どうしたものかと目を少し伏せたエリンに、イナンナは微笑った。



「我が帝国は、皇帝の席が空位であろうと力を衰えさせることなく成立しています。ジェノヴァ共和国の元首、イスキオス王国の王、ボリス皇国の教皇と並ぶ席であることは事実ですが、上院と下院で割れている限りは帝国の指揮をとる者は永遠に定まらないでしょう。」



「イナンナ様。」



「はい?」



「ジュード様を推したて、貴女は何処に進みたいのですか。」



「人々が安寧に過ごせる事が、一番だと思います。リューベックに住む人々のように、皆さんが笑顔で過ごせるのであれば、私も笑っていられるのではないかと。そうではありませんか?」



 スッと椅子から立ち上がったイナンナは、扉の前に歩いていく。


 隣の部屋からは、丁度パリィンと食器が割れるような音が聞こえてきた。



「行きましょう、エリン。イシルドゥアは、悪し様な連れを止める気は無いようです。くだらない茶番に、お付き合いしてくださいね?」



「承知しました。」

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