031 第一王子の憂い
クロノス侯爵家の3人が、ジェノヴァ共和国の軍服を着ていることにイスキオス大使館の人間が慣れてきた頃。
漸く、イナンナ=ニンメシャル=サルゴンを引き渡すための日取りが決まった。
王太子であるレオナルドの傍らには、軍部から王太子付きの近衛騎士に異動となったフィリップ=ラディースがいる。
「シルヴィウス侯爵から聞いてはいたが、中々に面白いものだな、ルド?」
「揶揄う暇があるなら仕事しろ。」
「えー…そんな事言ったって、会うのは明後日じゃないか。久々に親友と会えたんだから、会話は楽しまなくてはな。そうだろ、フィー。」
「そこで俺に振るな。辺境伯領の仕事があるのに、なんでお前の身辺警護をやらなきゃならん。」
フィリップは、ジロリと視線だけを送る。
「君だって、ルドに会いたがっていたじゃないか。妹のシャルロッテ嬢にも頼まれたんだろう?私は最良の手段を講じたと思うけどね。」
「エリン嬢のことを気にかけていた。学院へ一緒に通えると楽しみにしていたのも事実だけど、それに関しちゃ、ユージーンと話をして納得したみたいでさ。」
「ジーンと?」
「シャルは、エリン嬢の色を気に入った。一緒にいたハロルドも。まー、大体ユージーンとの婚約は、アイツの直筆の手紙で即断だしな。つうか、いいんだよ!ウチの妹のことは。エリン嬢、元気になったんだな。」
ニカッとフィリップが歯を見せて笑えば、ハロルドも口角を緩める。
「で、ハロルド。エリン嬢が落ち着いたなら、ボチボチ婚約者を決めるんだろ?」
不意に落としたレオナルドの爆弾に、ハロルドは頭をふった。
「フィリップは、今回の件が済めば子作りに励むんだろ?レイラ嬢だったか。薬師の家門で有名なユナニ子爵家出身の。」
「こづ…!あのなぁ、レオ。俺を揶揄う暇があるなら、お前の方こそ婚約者を決めなきゃなんねえだろうが。ハロルドにとやかく言う権利ないぞ!?」
「私は、ルイやアズラエルが成人したら継承権を破棄するつもりでいる。」
「「はぁ!!?」」
「ウィリアムの件があって、色々考えた結果だ。既に両陛下には許可を頂いているし、血の契約も交わしている。だから、私は自由に動けているんだよ。王族や貴族の膿を出し切らねば、民達も納得するまい。今回の件も、イスキオスに利となるようにせねばならん。」
おちゃらけていた空気が、ガラリと変わる。
レオナルドに準じるようにして、ハロルドとフィリップも雰囲気を引き締めた。
「帝国の皇位継承者に絡める機会が我が国にもたらされたんだ。争いは、人の心を疲弊させる。ハロルド、それは君が身をもって経験した事。頼りにさせてもらうぞ。」
「はっ。」
学院の級友であった頃は、兎角3人で一緒にいたのだ。
レオナルドは、この機会を無駄になどしない。
かつて、弟のウィリアムが逃したクロノス侯爵家の長女は今や、四大公爵家の筆頭として君臨したルートヴィヒの妻として社交界に君臨し、未だ王家の失墜した力は回復していない。
そこに、今回のイナンナ=ニンメシャル=サルゴンの不法な入国だ。
イスキオスならまだしも、サルゴン帝国とは敵対関係にしかないジェノヴァ共和国にである。
(この機会を逃すわけにはいかない。)
ルイやアズラエルを、愚行を犯したウィリアムのようにする訳にはいかない。
男児ではないが、ウィリアムと生母を王妃シルヴィアと同じくするソニアも、他山の石として、その身に降りかからぬようにしなくてはならないのだ。
レオナルドは、サラリと落ちる金糸の髪を払う。
三人での話を終えて、レオナルドは纏わりつくマスタング公爵夫妻の絵面を払い除けるべく、中庭に出た。
砂漠の入り口でもあるダウナント地区だが、木々はなっており、風も吹いている。
そこには、後ろでに一括りしたオレンジ色の髪を揺らすエリンが、ちょうど休憩のためにベンチに腰掛けているところだった。
「隣いいかい?」
突然声をかけられたエリンは驚き、相手がイスキオスの第一王子であった為に、急いで立ち上がる。
「慌てないでくれ。これでも私は、君の兄であるハロルドとは友達なのだから。何度か屋敷でも会っているだろう?」
そう言ってベンチに座ったレオナルドは、隣をポンポンと叩いた。
エリンは、直立不動状態を保つ。
「臣下たる私が殿下の隣に座るなど、恐れ多いことです。」
「駄目だよ、エリン嬢。ならば、私からの命令だ。此方に座りなさい。」
笑みを張り付けられ、エリンは王族の命令には逆らうまいと、避けれるギリギリの端に座る。
エリンは、座った後も手を膝の上で握りしめて前を見据えたまま、レオナルドを見ようとはしなかった。
その様子を見て、レオナルドはクスリと微笑う。
「君は、どうやって立ち直れた?」
「人に『悔しいなら抗え』と言われました。」
「ハロルドにではないね。アイツは、いつだって君の満足するまで付き合う奴だから。」
そう。
庭いじりも、本を読み漁るのも、魔法具作りに没頭するのも、ハロルドはエリンが満足するまで付き合っていたのだ。
「ジェノヴァ共和国の元首に言われました。」
「ラファエル=シア=ガルディオス、か。聡明な元首らしいな。ベルサリオス少佐とシャーマン中尉を見ていれば分かる。」
エリンは、どう答えればいいのか全く分からなかった。
「ねえ、エリン嬢。私はね、一度は君のことを恨んでしまったんだ。」
レオナルドの言葉に、ビクッと肩を震わせて両手を握りしめる。
「シルヴィウス侯爵とハロルドが見せてくれた愚弟の情けない行動を集めに集めた君に、私は腹を立ててしまった。悪い行いをしたのは、他の誰でもないウィリアムだったのに。君の作った魔法具は、あんな使い方をする為じゃなかったのにと、ハロルドに殴られて気付かされるまでは、ね。」
「兄様が……殿下を殴っ……?」
ふわりと笑ったレオナルドは、立ち上がってエリンの正面に片膝をつくと頭を下げて、握りしめていた両の手に右手を重ねて顔を見つめる。
「ちょっ!?殿下!!?」
「すまなかった、エリン嬢。私がもっと視野を広くしていれば、あのような事態は避けれたかもしれない。」
「殿下。そのようなこと、私などに申して頂くことなどありませんっ…」
「君が作った魔法具や、騎士達における勤務体制の改善案は有り難く思っていたのに。愚弟の事になると、私は何も見えなくなってしまっていた。ハロルドが友としていなければ、私は未だ2年前の出来事に囚われたままかもしれない。」
「私も、そうなの……かもしれないと思っていました。」
エリンは握っていた両手に力を込める。
「君が心を砕かなくていいよう、私も善処しよう。明後日の帝国との会合、宜しく頼むよ?」
「はい、殿下の御心のままに。」




