029 大使館の前にて
船がダウナント地区の港に到着したのは、予定通り夕刻だった。
ハロルドは当初の打ち合わせ通り、ジェノヴァ共和国の軍服を着たまま、ダウナント地区の東側に位置するイスキオス王国の大使館に足を運ぶ。
『まずは自分だけで接触してきますね。』
『ええ。いきなり我々が訪ねたところで、大使館の門番が訝しるだけで話が進まないでしょうから。』
『この格好なら自分も同様でしょうけどね。まあ、身分を明かしてどう出るか、というところだとは思いますが。』
『宜しくお願いします。』
門扉の前にハロルドが到着した瞬間、門扉の両端にいた衛兵が長槍をクロスさせる。
ガシャンッー
金属の音が鳴り響き、衛兵の表情は険しい。
「ジェノヴァの軍人が何のようだ!?」
「職務に忠実なのは褒めてやる。だが、その判断が正しいものとは限らない。」
「なんだと!?」
「貴様!!」
飄々としたハロルドは、一気に圧を放つ。
「私は、イスキオスが侯爵家のいち。シルヴィウス=クロノス侯爵が長男、ハロルド=クロノスだ。ダウナントのイスキオス大使館館長、ディエゴ=アレハンドロ侯爵に至急目通りを願いたい。直ちに取り次いで頂こうか。」
胸ポケットから取り出したのは、クロノス侯爵家の家紋が入った〝エリン特製の懐中時計〟だ。
衛兵二人の身体が凍りつく。
「なっ!!」
「クロノス侯爵家!?」
「何を騒いでいる……って、ハロルド様!」
奥から出てきたのは、元クロフォード侯爵家の次男であり、二年前に平民落ちしたサイラスだった。
幾分か焼けた肌と鍛えられた肉体、当時より大人びたように見える。
ハロルドは、懐中時計をしまう。
「ああ……そうか。お前の配属先は此処だったな。今すぐにアレハンドロ侯爵に取り次いでくれるか。ジェノヴァ共和国元首の代行者が、現在港で船を停泊させている。」
「了解致しました。」
踵を返したサイラスが大使館内に急ぎ入ってから数分後、大使館建物の扉が開き、中から2人の男が出てきた。
「お久しぶりです、アレハンドロ侯爵。それに、父上。」
「元気そうで何よりだ。ジェノヴァの軍服で現れるとは、随分と面白い趣向じゃないか。」
シルヴィウスが言う中、アレハンドロが門扉を開けるように衛兵へ指示を出す。
開かれた門の合間を抜け、ハロルドは二人と対面する。
「ジェノヴァ共和国元首ラファエル=シア=ガルディオス様の代行として、実弟のエドワード=ノア=ガルディオス様を筆頭に、ユーリ=ベルサリオス少佐と、ガイ=シャーマン中尉が来ております。」
「要件は?」
燻んだ金髪を後ろに流したディエゴが問いた瞬間、ハロルドは遮音魔法を展開する。
「サルゴン帝国、前皇帝の忘れ形見であるイナンナ=ニンメシャル=サルゴン姫と、その従者が転移魔法陣を使用し、ジェノヴァ共和国に不法侵入しました。それの身柄引渡しにかかる立会を求めた親書も持参しております。」
「また……随分と奔放な姫がいたものだな。」
「かなりの魔力持ちと思われますが、今はユーリ少佐の魔法具で封じられています。」
そこで、遮音魔法を解除する。
「受け入れを願えますか、アレハンドロ侯爵。」
「勿論だとも。断る理由など無い。」
ハロルドが胸に握り拳を当てて礼をすれば、重く頷いたアレハンドロが部下達に素早く的確な指示を出していく。
一斉にバタバタと騒がしくなった大使館の様子を他所に、シルヴィウスはハロルドに歩み寄った。
ポンっと腕に手をやったシルヴィウスに、ハロルドも口元を緩める。
「ご心配をお掛けし、申し訳ありませんでした。」
「ハルとエルが無事ならいいさ。勿論、ノアも。今回の件に合わせて、ジーンも対処に当たらせるつもりだから、取り急ぎ軍服を一着追加しておくようにな。」
「用意済みです。」
ハロルドの答えに、シルヴィウスは微笑う。
「因みにですが…」
「ジェニファーなら、レスとレニーを連れてアステリ領に戻ったよ。社交シーズンも早々と切り上げてね。私は城勤めがあるから王都にいたが、ハル達が戻ってくることをシリウスから聞いて先回りしたんだ。あれはもう、エルの母親である義務を放棄しているとしか言えないな。」
「母は不要だと、エルならば言うでしょうね。」
「そうだろうな。ジェニファーの分以上に、ハルとジーンがエルを見てくれている。夫婦としての形は歪になってしまったが、間違いなくエルは私の子供だ。」
「父上がそう仰ってくれるから、俺は安心です。エルは、漸く自分らしさを取り戻せたようですから、大丈夫と思います。」
「そうか。」
シルヴィウスは安堵の表情を浮かべる。
そして、ハロルドはエリンが共和国で決意したことを伝える。
〝2年前に処罰を受けた人間の現在を確認したい〟
「やりたい事を見つけたら好きにしていいと言った手前、反対は出来ないな。」
「エルの旅に、俺も同行するつもりです。」
「そうだろうね。うん、一緒に行きなさい。エルがご飯を食べて、ちゃんと睡眠を取るように見てやるように。身体を壊しては意味がないのだから。もちろん、ハルも気をつけるようにな。」
「はい。」
「それでは、共和国と帝国からの来訪者を受け入れる算段を取ろうか。此方が主導出来るようになるのが最善だからね。」
ニヤリと笑みを浮かべるシルヴィウスの放つ威圧感に、ハロルドはしかと頷いたのだった。




