023 元首と黒鷲と金狼と
ノアは、憂鬱な表情を消して、元首の私室へ足を踏み入れる。
「背が伸びたんじゃないのか、エド!!久しぶりだなー、9年振りか?」
抱きつかれかけたノアは、ひょいと避ける。
両手を広げていたラファエルは「残念」と言いながら肩を竦めて両手を下げた。
ノアよりも幾分か体躯の良い体つきをしたラファエルは、ノアと同じ黒髪で、後ろで一括りにした束を背中に垂らしている。
「兄さん、急な受け入れの要望だったのに応えてくれて感謝する。」
「可愛い弟の頼みなら大歓迎さ。ましてや、イスキオスで世話になっている家の者達なんだろう?尚の事、しっかりともてなすさ。ガイが珍しく気を配ってきたから、余計かな。それに関してはユーリも不思議がってたよ。ひとまず座って話そうじゃないか。」
ソファを勧められてノアが座ると、向かい側にラファエルも腰を据える。
「それで?ユーリから魔法陣がどうとか聞いたが。此方では何もしていないぞ。」
「ジェノヴァが転移先だったんだ。なんでかくらい判明しないか?」
「さてなぁ。俺は魔法はからっきし駄目だからな。エドに会えたから「ノアだ」……うん?」
言葉を遮られたラファエルは、首を傾げる。
「俺はもう、エドワードじゃない。ジェノヴァを出てイスキオスで生きてきた9年間ずっと、ノアと呼ばれてる。ファミリーネームも放棄したんだ。魔法陣なんて訳わからないモンで転移させられたから、兄さんに会いにきた。我儘ってのは理解してる。兄さん、今の俺を弟して見てくれなくていい。不敬でしょっぴいてもらったって構わない。ただ……エルとハロルドにだけは、手を出さないでくれ。」
「私は、エドをどうするつもりもないよ。勿論、クロノス侯爵家の2人にも。侯爵家には親書を至急運ぶ手配をしてる。そうだな……ノア。代わりと言っては語弊だが、少し、我々に協力してもらえるか?」
「協力?」
丁度部屋の扉がノックされて、ユーリが入ってくる。
ユーリはラファエルとノアの真ん中に位置どり、直立して右手を胸の前で横にして礼をとると腕を下げて足幅を取った。
ラファエルの視線は、ユーリに向けられる。
「どうだった、帝国の姫は。」
「転移魔法陣を展開させたのを認めました。ついでに、複数に展開させた可能性があることもです。その対象がどう作用したかは不明ですが、詳細を突き止める事は困難でしょう。当人に自覚が無さすぎましたね。」
「複数ということは、ノア達以外にも被害を受けている者がいると?」
「はい。」
「我が国に飛んだ可能性は?」
「異常な干渉の数値があったのは二組だけです。他の可能性は無いかと思います。」
「ふむ。ならば捜査は終了していい。問題は帝国の2人をどうするかだが。流石にカルカロフを帝国までの道のりに使うわけにはいかない。」
そこで漸く、ラファエルの視線がノアに戻る。
「ノア、2人を帝国に移送する役目を頼みたい。ユーリに指揮は取らせるが。」
「俺に?」
「移送が完了するまで、クロノス侯爵家の2人は此方で保護しよう。」
ラファエルはゆったりと足を組み、手を膝の上で組んだ。
緩やかに上がる口角と感情のこもらない表情と放たれる圧に、ノアはゴクリと喉を鳴らす。
「入りますよー、入りましたー。」
軽い感じで入ってきたのは、ガイである。
「ノア。外に控えさせている奴の案内で、ハロルド卿とエリン嬢ちゃんを案内した部屋に急いでくれる?ちょい発作起こして、エリン嬢ちゃんはアンタがいない事が不安で、アンタを呼んでる。」
ガタっと大きな音を立てて、バタバタと走っていくノアに、ガイは息を吐いた。
「酷いのか?」
「酷いという言葉で済めばいいけど。今、エリン嬢ちゃんの心がバランス取れてるのはハロルド卿とノアが揃ってるからだ。あんな状態で勝手に飛ばされて、余計な負担が更にかかってる。ノアをハロルド卿とエリン嬢ちゃんから引き離すのは、ジェノヴァにとって得策じゃない。エリン嬢ちゃんに事が起きたら、二度と此処には顔を出してもらえない。」
「精神病院にでも入院させます?」
「それも失策になるぞ。」
ユーリはガイに速攻で否定され、思わず眉間に皺を寄せる。
「なら、殺すか?そうすれば、エドは自由だ。」
「そんな素ぶり見せようもんなら、俺たち全員、一気に殺される。クロノスの陰が出てきちまうからな。つうか、ハロルド卿とノアだけで大打撃受けるぜ?一国の転覆なんざ、簡単にやってのける連中を態々呼ぶ必要性を感じない。ただでさえ帝国相手にピリついてんのに、更に敵を増やすつもりかよ。」
「なら、帝国の2人は?」
「送り届けんの?違法侵入した奴を?人として?物として?首刎ねて?生身のまま?犯してから?身綺麗なまま?」
訝しがるガイに笑いながら、ラファエルは立ち上がり、中庭を望む窓際に歩いていく。
「エドに会えたのは僥倖だが、いかんせんタイミングが悪すぎるか。」
「私は、クロノス家のお二人を保護する事には賛成です。ガイに診させる合間に、執務改善等の協力を仰いでは如何でしょうか?少なくとも、今すぐ帝国からの招かれざる客の処分は決められません。議会の承認が要ります。」
「此方で勝手にしたら駄目か?」
「駄目です。」
「やれやれ……羨ましいな、エドが。」
「貴方様が貴方様で悩みがありますように、あの方も悩みをお持ちです。国同士の争いは致し方ありませんが、ご身内での争いは反対しますよ。」
「ユーリ、お前はクロノスをどう見る?」
「ガイの言葉通りです。陰を怒らせるのは得策ではありません。イスキオス王国の四大公爵が二つの力を削いだのも未だ記憶に新しいですし。まして、1つは完全に潰されたでしょう。一族郎党、関わりのあった家も高位低位関係なく全てです。恩を売る事は良くても、恨みを買う事は薦めませんね。」
「エドを怒らせるのも、クロノスを怒らせるのも失策か。ガイ、丁重にもてなせ。落ち着いたら、ユーリの案を出そう。」
「「御意。」」
ジェノヴァとしての方針が固まりつつあった中。
広い客間は大きめのベットが3つあり、庭に続く掃き出し窓もありながら、部屋続きでテーブルセットとソファも備え付けられ、執務が出来る机も置かれていた。
過呼吸を起こしたエリンは、うつらうつらしながらハロルドの左肩にもたれ、左手はノアの右手を握りしめていた。
(前世の時は、引きこもりは3ヶ月だった。メニエールは10日ほどで済んだ。でも、今世は違う。生きてきた年数は長い筈なのに、ついていけない……エリンとしての精神が若いから?)
纏まらない考えが、闇に堕とそうとしてくる。
その度に。
左右に居てくれる人達が分けてくれる体温に、引き上げられている。
(依存症になったら危ない、なぁ。)
それでも、悪魔のような夢から離れられたのはハロルドとノアに依存したからだと理解している。
「ベッドで眠るかい、エル?」
「……う、ん……」
拒めないというより、拒む事を拒んでいる。
ハロルドに抱き上げられ、ふわりとベッドに寝かされたエリンは、そのまま意識を手放した。
「ノア。」
「ん?」
「エリンが苦しんでる原因。一連の騒ぎが終わってから、クリスの言葉によるんじゃないかと。」
目を見開き瞬いたノアは、眉根を寄せた。
「まさか、エルの声が出るようになった理由。イスキオスから離れたからだとでも?」
「可能性があるのは否定出来ない。」
「!!」
「クリスは、エルの技術を使って得た人生を悉く俺に話してきていた。それを、ノアも知らないところでエルに話していたとすれば。」
「本来エルが使用したい方法とは違う使い道をした事を悔やんで、エルが縛られた?」
「おそらく、ね。物理的な距離の離れが快方に向かうのなら、エルにとって今回の転移に巻き込まれたのは良かったのかもしれない。こんな事を思うのは駄目なんだろうけどさ。ノアにしてみれば、不本意な里帰りなんだろう?」
「……いーよ、別に。気にしちゃいない。」
ノアは少し距離を空けて、エリンの足元の方に座る。
「アンタが俺に気を回す必要は無いよ。俺も、エルが元気になる方がいい。」
「タダで置いてくれとは言えない。承諾出来そうな条件を提示されたら応えよう。但し、エルに負担をかけない範囲にはなるんだろうが。」
「いいんじゃないか、それで。」
「ん、決まりだね。暫く、ジェノヴァに滞在させてもらおう。仕事も父上が何とかしてくれているだろうし……エルの心と身体を優先しよう、ノア。」
「ああ。」




