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021 ノアの正体



 エリンがノアと出会ったのは、イスキオスの王都で外周にあたる下町。



 当時、エリンが自分の中にある〝前世の記憶〟をハッキリと認識できるようになった5歳の夏である。



 ジリジリとした暑さが地面を照らす中、市民街で賑わせていた盗賊を追い詰めるべくして、騎士達が追いかけていた。



 走り抜ける男は騎士達から逃げ切ろうとして、偶々下町を見に来ていたエリンを人質に取ろうとナイフを取り出し、まさしく抱き抱えようとした瞬間だった。



 ガンッー



 エリンが蹴り上げた足は、男の誰もが身悶えてしまうしかない急所。



 ぴょんぴょんとイチモツを押さえて飛び跳ねるしかない男に、重力の魔法で地面に突き伏せたのは、一緒に下町に遊びに来たユージーンだった。



「うっわー、お前ら容赦ねぇのな?」



 オレンジ色の髪をした兄妹に声をかけたのは、その頃、ジェノヴァ共和国を出奔してイスキオス王国の下町に来たばかりのノアだった。



 下町なら、出入国するのに正規のルートよりも抜け道がある為である。



 いわゆる抜け道。



 ノアみたいな者もいれば、逆も然りで王都を後にする者もまた、下町を利用する輩もいるわけだが。



「あーあ、再起不能だな。」



「ナイフを片手に来る奴に、遠慮する必要があるとでも?」



 低いトーンで放たれた言葉は、幼児の言葉には程遠いものだった。



 ぞわり、とした背筋にノアは興味を持つ。



「エル……そいつ、気配が無かった。不用意に近付いたらダメだよ。」



「気配が?ふーん……あ、騎士団が来た。」



「コイツを引き渡してくる。エルは少し待ってて。お前、僕が戻ってくるまでエリンに手を出すなよ。出したら潰す。だけど、変な連中がきたら逆に潰して構わないからな。」



 ユージーンの側に控えていたセシルが、ズルズルと悶える男を引き摺っていく。



 ノアはジーっとエリン眺めた。



「何?」



「自分が怪我するとか考えなかったの?」



「私が男を避けてしまった場合。その先に、貴方は何が見える?」



 そう言われたノアは、エリンが遠くに投げた視線の先を追う。



 乳母車に乗った赤ちゃんと、お母さんに手を引かれたエリンより少し小さい女の子が家に入っていくところだった。



 なるほど、とノアは理解する。



「私で対応出来ると思ったからしただけ。自分の犠牲だけで済むなら、別に構わない。」



「自己満足とかじゃないの?それとも、他人様に感謝されたいわけ?」



 ノアが投げかけた言葉に、エリンは一瞬だけ睨み据えた。



「ありがとうと言われて嬉しくなるのか、嬉しくならないかは分からないけど。別に、私の命がどうなろうと誰も悲しまない。どうせ、どこぞの馬鹿が勝手に敷いたレールを歩かされてるんだから。いちいちくだらない感情論に付き合ってる暇は無いよ。」



「おまっ……!?幾つだよ。」



「概ね40歳。」



「はぁ!?ふざけてんの???」



「別に、信じるか信じないかは貴方の自由。それよりもさ、さっきジーンが気配無いって話してた。貴方は何者?」



「根無草だよ。」



「ふーん……何か特技ある?」



「諜報活動。」



「そう。じゃあ、私の草になってくれない?」



「草?」



「ジーンの言葉、聞いてた?私に近づくのは許さないけど、変な奴が近付いたら潰していいって。貴方がいるのに私を独りにした。だから、貴方には()()()()()()()()()()()と判断できる。私の犬になって、私が欲しい情報を集めて。根無草なら、根付く鉢を見つけても構わない訳だよね?」



 ニィ、とエリンは悪戯っぽく微笑う。



 それだけで、ノアのドロドロに溶けていたセメントのような意思はカチリと固まった。



 色を失った筈が色づいたのだ。



「犬でも、下僕でも、隷属でも何にでもなるよ?呼び方はエルでいいのか?それとも、ご主人様?」



「私のことを名前で呼ぶのは、この世界に生きる家族だけで充分だから。それと、ご主人様は気持ち悪すぎるから却下。」



「それじゃあ〝お嬢〟でどう?」



「うん、それでいーよ。今の私の名前は、エリン=クロノス。貴方は?」






 そして、現在。



「ノア、の、昔話、なんて、聞いたこと、無かった、ね?」



 少しだけ不貞腐れた表情になっている。



「俺の元々の名前は、エドワード=ノア=ガルディオス。ジェノヴァ共和国の元首、ラファエル=シア=ガルディオスの弟。つっても、父親は一緒だけど母親は違うが。」



「ノア、王族なの?」



 ドラゴンが飛んで引っ張るゴンドラに乗ったエリンは、隣に座るハロルドと向かい合っているノアを見つめた。



「ジェノヴァ共和国は元首を頂いてはいるが、基本は国民の投票で決まる。王族って概念はないよ。あくまで、国の統率者って話。」



「イスキオスに来た理由は?」



 今度はハロルドが訊く。



「国にいるのが嫌になっただけさ。ユージーンとエルに会って、面白そうだって判断したから死なずに生きてきただけ。」



「おいおい。ラファエル様を前にして、同じこと言うなよ?後、ユーリの前でもな。アンタが消えてから、居場所を探らされたりした俺の身にもなってくれ。あんな面倒くせぇ命令は二度と御免だ。」



 ノアの隣に座るガイは、呆れながら言う。



「しかも、よりによってクロノス侯爵家の次期当主達と一緒て。」



「此方は魔法陣で勝手に飛ばされてきた被害者なんだけどね。ノアは今、エルに仕えてくれている。元の身分がなんであっても、ノアは俺達と共にイスキオスに帰らせてもらうよ?」



 にこりと微笑むが、ハロルドの目は全く笑っていない。



(俺じゃ荷が重いっての、あほユーリ。)



 口に出せない悪態をつく。



「その魔法陣に関しては多分、発動した理由はもう片方にあるんだと睨んでる。ユーリ曰く、波形が一緒らしいから。」



「「波形?」」



 ハロルドとエリンの声が重なる。



「陰謀論は薄いと思いたいね。帝国のお姫さんが出奔なんて、今頃大騒ぎしてんじゃねぇの?」



 ガイの言葉に、ハロルドは目を鋭くした。



「魔法陣の使用者が、イナンナ=ニンメシャル=サルゴンだと?」



「リューベックの市にいたのは見たよ。トマトをタダ食いして、店主と揉めてた。一緒にいた奴が代金は払ってたみたいだけどな。」



「帝国と共和国は冷戦状態だろう。そんな中、敵国に来る意味があるのか?」



「ガイ、聞いてるか?」



「知るかよ、そんなもん。昨夜、突然感じた異常な魔力干渉を調べる為に、俺らの部隊が派遣されたんだけど。ユーリの詰問次第だが、判明したら教えるよ……っと、エリン嬢ちゃん。気分悪い?」



「少し。」



 うつらうつらしているエリンは、瞼が重くなっていた。



 ハロルドは手を後ろから回し、身体を自分の方へ傾けさせる。



「おやすみ、エル。」



 その言葉に吸い込まれるようにして、エリンは意識を飛ばしたのだった。

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