017 飛ばされた先で
「何が起こった?」
光が強くなった瞬間、エリンの身体を抱きしめたハロルドの腕の中にはエリンがいて。
「転移したらしいな。」
同じく庇うようにしていたエリンの頭から手を離したノアは、立ち上がって辺りを見渡す。
ラベンダーが咲き誇り、空には満月が浮かぶ。
雲ひとつ無い空は星が広がり、辺りは照らされ、どこかの丘のように見える。
「この感じだと、ヴォクリューズドの丘かな。ハロルド、多分ジェノヴァ共和国だ。」
「随分と遠いな、イスキオスから。海を越えて大陸を渡ってしまっている。」
「不法侵入もいいとこだ……ってな。あぁ、アンタはギルドのタグ持ってんだっけ?」
ガシガシと頭をかいたノアは、ハロルドを見やる。
「フィリップと学生の頃に取りに行ったよ。まあ、何処のギルドにも所属してないけどね。俺は国を捨ててまでして、ギルドの為だけに生きる道は選べなかったからな。ギルドのマスターなら何人か顔繋ぎ出来てるが、流石にジェノヴァ共和国までは知り合いが作れてはいないよ。」
チャリ、と左手で首にしてあるネックレスのタグを見せた。
「変に髪色を変えるのも好ましく無いな。うん、仕方がない。首都インペリアーレに行こう。インペリアーレにさえ行けば、伝手がある。」
「分かった。」
ノアは収納鞄から靴を取り出すと、エリンに履かせていく。
「ほんと、ジーンといい、ノアといい、ハイスペックだよな。」
「勘弁してくれ。ハロルドには敵わないよ、俺は。仕事しながら、お嬢のことに時間を作って沢山調べて動いてるんだからさ。」
「エルの症状をジーンに伝えたら、封筒開けた瞬間に怒りの炎が燃えたんだぞ?昼間はノアがエルの側にいてくれるんだから、自然と時間は出来るんだし。それで手を抜いたら俺の命はジーンに消されてるよ。」
「あー……」
ハロルドの言葉に、黒い笑みを携えたユージーンの姿が目に浮かぶ。
「否定出来ない、悪い。」
「いいさ、事実だから。まあ、簡単に消されないだけの力は持ってるつもりだけど、ジーンは我が家随一の魔導師だから。」
二人の話し声と、ラベンダーの香り、吹き抜ける丘の風にエリンはふるりと身体をふるりと震わせ、瞼を薄らと開ける。
「……?」
はくはくと口を動かし、視線を動かしたエリンは辺りを見渡す。
(なんで外にいるの?!?)
置かれた状況が分からない事と、邸の外に出た恐怖に、頭の中にピンク頭が外で情事している姿が脳内を侵していく。
そのうち、ピンク頭がエリン自身にすげ変わり、エリンが情事を行い、悲鳴を上げる姿に変わる。
(いやっ……、違っ……!やめて……っ!!)
ヒュッと息を引き込み、心拍数がドクドクと波打って早打ちして焦点が合わなくなった瞳は揺れて呼吸が荒くなる。
苦しくて、ハロルドの服に手を伸ばし、ぎゅうと握りしめてボロボロと涙を流す。
面倒をかけたくないのに、頼りたくて、縋りたくて仕方がなくて。
脳内が侵されるのを止めて欲しくて、でも、内容を言えないもどかしさに矛盾を覚えてガチガチと歯を鳴らして震える。
身体を抱きしめていたハロルドは、ゆっくりと背中を摩った。
「大丈夫だ、エル。俺はエルの側にいるし、今日はノアも一緒だ。」
とん、とん、と一定のリズムを取る。
「王都の邸からジェノヴァ共和国にあるヴォクリューズドの丘に飛ばされたみたいなんだ。ゆーっくりで良いから、周りを見て、空を見てごらん。ラベンダーも良い香りするし、星も綺麗だよ?国を越えても、大陸を渡っても、月は変わらない光でエルを照らしてくれてる。」
ハロルドの声が、優しく響く。
ヒュー、ひゅーと荒かった息が少しずつ治り、ハロルドが指の腹で涙を拭えば、グラグラに揺れていた瞳が定まっていく。
ノアが「ハロルドには敵わない」という理由が此処にある。
「綺麗だろ、エル。この景色を、エルやノアと一緒に見れて、俺は嬉しいよ。」
ガチガチに震えていた歯が落ち着き、力を込めて震えながら服を握りしめていた手は、ゆるゆると弱められていく。
ずる、と手が落ち、ボンヤリと、それでも確かに空を仰いだエリンの顔色は赤味を取り戻す。
(ほんっと敵わねぇ。)
左手を腰に当て、右手を首筋に添わせたノアは悔しい気持ちを抑えながら、安堵の息を吐く。
「さあ、エルは自分で歩けるかい?ノアの伝手を頼る為にも此処から移動しなきゃならない。頑張ろうね、エル。でも、疲れたら何時でも頼るんだよ。エルが俺に甘えてくれるのは嬉しいからね。」
「……に、い……さ、ま……?」
掠れた僅かな声が聞こえてくる。
「うん、エルといるよ。俺も一緒に頑張るから、エルも頑張ろう?頑張りたくない時は、いっぱい甘えておいで。今はもう、侯爵家の事は忘れてていいから。俺の事は名前で呼んで。」
止まりかけていた涙が、ツゥとエリンの頬を伝っていく。
「小さい頃みたいに、名前で呼んで?」
「ハ……ロ、ル……ド…」
「うん。一緒にいるよ。ほら、エル。此処にノアも一緒にいるの、分かる?」
ハロルドは視線をノアに投げ、顔を少し振って自分の正面に回るように指示を出す。
ノアは回り込んで屈み、エリンの頭に触れた。
触れられた方向を見やれば、赤茶色の瞳が黒色の瞳を捉える。
「ノ……ア。」
「なに、お嬢。」
落ちていたエリンの左手が、首に巻かれた金属の輪に触れ、カチリと音を立てて外れた。
「ハロ……ルドと、わ…たし……と、いっ…しょ、に……いて、く………れ…る?」
「当たり前だろ。」
「あ…りが……とう。」
ふわりと笑ったエリンは、そのままゆっくり瞼を閉じると、穏やかな眠りに沈んでいった。
「ノア。ここから一番近い街は?」
「街には程遠いけど、リューベックっていう村ならある。歩いたら半日くらいかな。街道に出れば、辻馬車が通ってる。上手く乗り合わすことが出来れば数時間で着くぞ。」
「じゃあ、そこに行ってエルを休ませて物資の補給をしようか。」
「念のため、先行して街道の方まで降りてみる。安全性が確認出来たら移動するので構わないか?」
「勿論だ。頼りにしてるよ、ノア。」




