008 次兄と次女
クロノス侯爵家の次男であるユージーン=クロノスは、長男に何かがあった際にスペアになるべくしての貴族としての勉強も勿論。
何もことが起きなかった場合には、自らの生計を維持する為の手段を得ていなくてはならない。
王都での教育機関での勉学を続けるか、学術都市のあるパランクス領に行くか、はたまた国を出て学びにいくかなど幾つもの選択肢を要する才覚を持つ。
長男のハロルドが卒なくこなす社交性は少しばかり欠けるが、それでも最低限の繋がりを保持することは出来ているため、同世代の中でも地位は確立できていた。
クロノス侯爵家が継ぐオレンジ色の髪は少しばかり母の色素薄い遺伝子を受けて、淡い色合いをしている。
「エル?」
学院から遅めの帰宅をしたユージーンは、中庭にあるベンチに座っているエリンの姿を見つける。
ボンヤリと空を眺めるエリンの周りには、侍女や侍従の姿も、執事の姿もない。
傍らに人がいるのを嫌うエリンが側に控えさせるのは、幼少の頃にユージーンとエリンが共に街へ繰り出した時に出会ったノアだけだ。
さすがに世話役を全くつけないわけにはいかないからと、一人だけ専属侍女をつけている。
『エリンに何人も世話付きなんて必要ないでしょう?それよりも、弟妹達の方に人数を割きましょう。あの子達は可愛らしいから、専属の護衛騎士もつけなくては。』
ユージーンは、とある日の母親が発した言葉を思い出して舌打ちした。
側付きの執事に鞄を任せた代わりに薄めの膝掛けを受け取ったユージーンは、中庭に出てドサッとエリンの隣に座る。
「まだ夜は少し冷える。」
「ジーン兄様。」
パサりと適当に膝上へ放り出された膝掛けと、隣に突然座った兄をエリンは見比べる。
「何を調べさせてる。」
「学院における破廉恥な花畑について。」
ハッキリとした物言いに、ユージーンは「あぁ」と得心してエリンの頭を撫でた。
エリンは膝掛けを掛け直す。
その横で、ユージーンは軽く遮音の魔法を使う。
「サリーがクリス姉上の周辺に控えていた。あの様子じゃ姉上の知るところじゃないだろ。」
サリーは子女教育を受けていない平民の出自で、クロノス侯爵家の陰に配属する者のひとりであるため、諜報活動も行う指導を受けている。
エリンが身の回りを全て自分でしがちなため、ほぼ侍女としての仕事はしておらず、それはまたエリンが父親であるシルヴィウスに話を通して承諾を得ていることでもあった。
「知るつもりもないだろうね。」
この世界では情報収集能力も武器の一つであり、得たものの真偽を見抜く能力は、前世に於いても今世に於いても必要不可欠なものだが、クリスティは原作ありきの世界観ままに動いているためか、読んだ結末と同じようにならない為だけの行動しかしていない。
「あの人は…」
ユージーンは息を吐いた。
次期の陰を担う身であるユージーンは、自分の手駒をそれなりに揃え、自身も収集能力の研鑽に余念がないため、眉間に皺を寄せた。
「ジーン兄様は、異性と外で性行為したい?」
「キスくらいなら人様から見られても許容範囲内なんじゃないか?僕はしたいと思わないが。」
「愛するのに場所を選ばないってのは?」
「僕には理解できない。エル、無理に理解しようとするな。キャパが超えれば、何処かしら無理が生じてきてしまう。」
エリンの身体が傾かせ、ユージーンの左腕に頭をもたせる。
ユージーンは己が左手をエリンの右手に重ね、指を絡めるようにして握りしめた。
ひんやりとした指先を温めるように、優しく指を摩る。
「だから冷えると言ったんだ。」
「頭を冷やしたかったから丁度いいかな。あの人、自分でこういう調査物系やらないから。自分の身に降りかかる事なはずなのに。まあ、時間が足りないんだろうけど。」
「だからといって、お前が陰を背負う必要は無い。陰を担わなければならないのは僕だけでいい。」
「それは……嫌。」
エリンの声が小さく震える。
「僕は姉上と学年も違えば、性別も違う。奏上や意見具申を姉上もしないのは如何なものかと思うが、それは向こうの側近も同じだ。近衛騎士もだ。誰も言わないで、学院での淫らな行為を許している。」
「ジーン兄様は?」
「僕は諌めうる立場に居ない。側近でもなければ、友人でもない。年齢だって下だし、共通する趣味や嗜好も持ち得ていない。」
「……ユースフル伯爵家は?」
ぽやぁ、としたエリンの瞼が重たそうになっていることに気付きながらも、ユージーンは口を開く。
「無難に領地経営してる家だよ。唯一の令嬢がパランクス公爵家の三男を婿に迎える予定になっているが、今は目下お花畑に夢中になってる。ユースフル領は養蚕業も有名だけど、確か養蜂も始めたんじゃなかったかな。」
すぅ、と寝息が聞こえ始める。
遮音魔法を解き、ユージーンは立ち上がるとエリンの膝下にも手を差し入れて抱き抱える。
少しばかり顔色が悪いように見え、溜め息を零したあと、部屋に運び入れた。
「ユージーン様。」
ベッドに寝かせたエリンの呼吸が落ち着いたのを見たあと、すぐ隣に控えとして用意されている自陣の待機部屋へとユージーンは移動する。
栗色の顎下までの長さの髪に、茶色の瞳をした次女が気配なく現れたユージーンに驚く。
「サリー。学院における任務は全て僕に任せて、君はエリンの側付きとして、エルが倒れないように身の回りの世話に集中してくれないか。」
「し、しかし!それはエリン様からの指示です。」
「五月蝿いなぁ。」
エリンに話しかけていたトーンよりも、何段も低い声が響く。
サリーの立つ周りの空間だけが切り離され、気温が一気に氷点下まで下がり、吐く息が白くなる。
ガチガチと音を立て、サリーの歯が震え出した。
「僕がエリンの側に居ろと言ってるんだ。」
コツ、と音を立ててユージーンが近づく程に、サリーの身体はピクリとも動かなくなる。
息が上がり、苦しくなる。
ハッ、ハッと出る息は白く、脳にまで十分な酸素が回らなくなり、意識が飛びそうになるギリギリのラインを攻めたユージーンは、右手をサリーの首に伸ばして親指の爪を皮に食い込ませる。
異常なまでの汗が流れ、サリーの眼球が震え、股からはツゥと失禁した液体が流れ落ちていく。
「お前の存在価値は、エルが生きていなければマイナスにしかならない。ジェニファーが拾ったお前を誰が末端に置いてやってる?」
「ユー…、ジーン……さ…ま……」
食い込んだ親指の爪から流れた血が、バラの棘の蔦のようにシュルシュルと伸び始めて一気に足の先まで纏わりつく。
「お前は、エルの側にいて侍女としての仕事をしろ。食事の準備、片付け。服の着替えに湯浴み。僕が好まない行動をすれば仕置きが発動する。お前自らが己の身体を傷つけ、命を絶つことは決して許さない。」
「うぁっ…」
「理解したなら、這いつくばってお前が汚した床を舐めろ。」
ユージーンの手が離れ、サリーの周りを圧縮していた空気と氷点下にまで落ちていた気温が戻る。
身体が動くようにぬったサリーは、自分が立っていた床に這いつくばり、失禁して汚れた床をベロを這わせて舐めとっていく。
その様子を、冷めた目でユージーンは見下ろしていた。
「決してエルを泣かせるな。」
「畏まりました。」
ユージーンは一瞥したあと、部屋を後にする。
(やれやれ。ノアの管理外だから仕方ないけど、あんなのをエルにつけるより、エルが離せてる侍女をつけた方が余程有益なのに。)
ふぅ、と嘆息したユージーンは足を止めて振り返るとエリンの部屋があった方向を眺めた。




