グランヴィル家の日常
姿見を覗き込む。
そこには完璧にどこからどう見ても美少女と呼べる少女の姿が映し出されていた。
こうやって姿見を使う事で自分、という少女の容姿が良く見える。触るだけでは良く解らなかった後ろへと向かって流れる黒い角、そしてそれとコントラストするように真っ白な長髪。どうやら右横髪だけ左側よりも少し長い様だ……龍殺しに斬られた鱗の辺り、こういう感じで反映されたんだろうか? 右側の横髪だけ伸ばすのもちょっと面白そうなので考えておこう。それ以外に髪で特徴的なのは黒いハイライトが入っている事だろう。モノクロ色の髪色はその二色がまるで重要であると主張しているようなファンタジーな髪色だ。ただバランス自体は不自然ではない感じで、見た目は良い。毛ツヤも滅茶苦茶良い。こんなことを気にする日が来るとはまるで思いもしなかったが。
目の色は……赤みの強い琥珀色だろうか? 綺麗な色をしているがまだ、現実には存在しそうな色だ。やっぱり髪の毛の方が圧倒的にファンタスティックだ。とりあえず髪の毛を纏めようかと思ったが、良く考えたらヘアゴム無しで髪を纏める方法なんてまるで解らなかったからそのままにしておく。服装は依然、グローリアのブラウスとスカートを借りているがこれ以外の服はまだないのでしょうがないだろう。
だが鱗は首元の奴以外は隠せている。個人的にこの鱗、見えているといやらしい感じがするんだよなあ……青少年の性癖破壊しそうな感じがする。
だがこれで良し。目ヤニもなければ目の隈もない、綺麗で健康的な白い肌だ。
どこに出ても恥ずかしくない美少女! ……って言うと、やっぱり割とショックなのでそっと自分のアイデンティティを維持しておく。それでも見た目が可愛いのはそれはそれで楽しいんだよな。世の女性がなんで美容に気を遣うのかは解る。
とはいえ、それでも女性用下着を着用する瞬間は背徳感と興奮と後ろめたさが同時に襲ってくるので物凄い変な気分になるのはどうしたらいいんだろうか。この上で化粧も覚えなきゃ駄目なの? その前にブラジャーかも……。
ともあれ、これで準備は完了。部屋に置かれた姿見から視線を外して部屋の外を目指す。
―――今日からグランヴィル家でのお仕事だ。
「それじゃ、勉強、です、グロリア様」
自室の勉強机の前に座らされているグローリアは不服そうな表情を浮かべ、頬を膨らませている。
「リアで良いってば《《エデン》》」
エデン、そう俺をグローリアは呼んでくる。名前がなかったから俺が適当に思いついて名付けた。特に深い意味はない。ただ単純に音の響きの良さを選んだだけだ。とはいえ、こうやって別の名前で呼ばれるというのは未だに慣れず、ちょっとしたむず痒さがある。
「グロリア様」
「グローリア!」
「グローリア」
「そう! じゃ、はい、リア!」
「グロリア」
「なんでぇ!?」
目の間で狼狽えるお嬢様の姿にけらけらと笑うと胸をぽかぽかと叩かれる。そのまま座っていた椅子から立ち上がって此方に向かって来ようとするグローリアを両手で掴んで、持ち上げて、そして椅子まで運んで座らせる。これはお嬢様の相手をしていて解った事なのだが、このロリボディはどうやら成人並みの身体能力が備わっているらしい。いや、正確に言えば鍛えられた成人並みの身体能力だが。
幼龍としてのスペックがダウンサイズされているものの、この人の体には積み込まれているのだ。年下とはいえ既に少女であるグローリアを持ち上げる程度のパワーがこの肉体にはあった。俺は驚くが、どうやら異種族でも上位種族の間ではそう珍しい身体能力でもないそうだ。
「むー。むーむー」
「勉強、が、終わったらリアと、遊ぶ。オーケイ?」
「必ずよ? 必ずだからね?」
無言でサムズアップを見せるとぱあ、とグローリアが表情を輝かせる。それを後方から見守っていた白髪をオールバックで纏める老執事、スチュワートがほっほっほ、と笑って眺めていた。
「いやあ、エデン嬢はお嬢様の扱いが上手ですなあ」
「同じ、ジャンル、故」
「それが言える時点で同じジャンルかどうかは怪しいのですがなあ……ですが、お嬢様がやる気になったというのであれば爺も喜ばしい事です。もう、お嬢様を追いかけるのには少々辛い歳ですからな、ほっほっほ」
「爺! 早く早く! 今日の勉強を進めましょうよ、爺!」
「焦らず焦らず、勉強が終わっても遊ぶ時間はたっぷりとありますから」
「では、今日も、宜しくお願い、します」
「宜しくお願いします!」
「えぇ」
椅子を引っ張ってそれをグローリアの横に置き、座る。スチュワートの授業はこの世界に関する事が多い。つまり基本知識だ。俺に今最も欠けている事の一つであり、同時に知らなくてはならない事でもある。その為、グローリアの相手をしながらこうやって授業に参加させて貰っている。
こうやって一緒に授業に出す事で連帯感を生み出して、アンは最終的に俺をグローリアの専属従者にしたい、みたいな感じはあった。
まあ、それはともあれ、
「本日は我らがエスデル王国の話をしましょうか」
スチュワートが勉強机に地図を広げる。
「王国」
「私達の国よ、エデン。私達グランヴィル家はこのエスデル王国の端の方にいるの」
「えぇ、そうですな。そのエスデル王国はアデルバード大陸西部に属する国家群の一つです。このアデルバード大陸の中でも有数の大国の一つであるエスデルは北方にデルフィオ王国を、東方にセルダール王国と二国に隣接している形になります」
とはいえ、とスチュワートは説明を続ける。
「国力はエスデルが大きく上回っております故、此方から仕掛けない限りは何かある、という事はないでしょう。現状の大陸情勢も落ち着いておりますからなあ」
そこで仕掛ける、という話が出てくる辺り発想が既に20世紀とは違うよな……。近代史における戦争はどれだけ相手の領土を焼き尽くすか、という話になってくる。核兵器が出現してからはどれだけ戦争を起こさないか、という方向へ思考がシフトしている。まあ、当然だろう。戦争開始で焦土化待ったなしの戦争なんてどの国だってやりたくない。戦争ってのは手段じゃなくて結果じゃなきゃならないんだから。
だけどこの時代、この環境、戦争は手段になるのだ。
こわー。
「王国、ばかり、ですね」
「あ、それは私も思いました。爺、何故王国ばかりなのですか?」
「国家形態としてそれが一番基本的ですからね。中央国家を挟んだ反対側になれば皇帝が治める帝国がありますし、海を挟めば教皇猊下が治める聖国が存在しますが……この大陸では君主制が一番メジャーでありますなあ」
まあ、民主主義とか共和国制とかねぇ……? ぶっちゃけああいうのって国民全体の学力が高くないとまるで意味がないんだよなぁ。つまり有能なトップを選出する為の民衆が愚かだと愚かなトップしか生まれてこない、という訳だ。だからサラブレッド化で血筋を濃くしつつ有能な遺伝子を継承する王国制度はまあ、トップが有能である限りは割とありな手段ではある。いや、まあ、でも封建社会や君主社会ってトップが吹っ飛ぶと簡単に吹っ飛ぶからな……。
そこら辺マジで一長一短といった所だろう。現状国がまともに機能しているなら民主主義って発想はいらないんだよなあ。時代のフロー的に考えると次は封建社会が成立する頃だと思うんだけどファンタジー世界だしちょっと先が読めないなあ、ってのはある。
「エデン嬢は博識ですなあ」
「俺、天才、故。きらりーん」
「えっへん」
「そこでお嬢様まで胸を張る必要はないかと思われますが……まあ、それでは授業の方に戻りましょうか」
「はーい」
グローリアと声を合わせてはーい、と答える。授業は大事だし、この世界の事を学ぶ機会を失ってはならない。知っている事はなるべく多い方が良いのだ。そうやって語られるのはこの国の特色に関する事だ。このアデルバード大陸の中でもエスデルという国家は特に変わった気風を持っておりそれが、
「知を集積する事に最大の意味と意義を見出している事でしょう」
「知識を集める事! 過去を絶やさない事! 振り返り反省する事! エスデルの教え」
「えぇ、お嬢様その通りです。人は振り返り、そして己の身を見直す事で間違いを知ります。故に国父エスデル様は己の国にあらゆる知を集積し、管理する為の世界最大規模の図書館の建造と維持を命じました。それ以来エスデルでは常に過去の発掘と記録、それと同時にあらゆる学問の研究を続けています。“勉学と賢人の国”とさえ呼ばれる程にエスデルは魔導と学問に秀でております」
「ほほー」
知識の集積所か、それは中々面白いなぁ、と思う。現代で言えばパソコンとWIKIさえあれば大体なんでも解ってしまうが、この時代だと当然そんなものは存在しない。そうなると図書館とかでデータベースを作成しないと知識の記録と保存が行えないのだ。それを国家の業務として管理している、というのは中々面白い設定だと思う。
設定って言っちゃった。
まあ、異世界って設定って感じするしな……。
「学術に秀でている為、無論教育にも力を入れています。中央学院や魔導学園、冒険者の養成校や普通の学園まで結構ありますね。お嬢様も大きくなれば他の貴族との繋がりを作る為に中央の学園に通う事になるでしょう。無論、その時はエデン嬢も一緒でしょうが」
「任せる」
サムズアップで任せろ、とアピールすると楽しみにしているのが解る笑みをグローリアが浮かべる。しかし解っているのだろうか? この辺境から学校に通うって事は100%住み込みになるのだから、寮生活になるのだ。つまり親元を離れた生活になるのだが……この甘えん坊が素直に親離れできるのか?
いや、まあ、その頃にはもう思春期か。子供の成長って割と早いし案外親離れは早いかもしれない。
「ほっほっほ、頼もしい事です。それではエスデルの国家業務である知識の集積ですがこれはあまり快く思われていない場合もありまして―――」
それからつらつらとスチュワートがエスデルの国家としての話をする。なるべく退屈にならないように政治や商業の話を抜きにして、国家としての命題や活動に関してを話してくれている。とはいえ、やっぱりグローリアには退屈な話なのだろう。途中から瞳がとろん、として眠りそうになっているのが見える。なのでスチュワートが喋っている横で、こっそりとグローリアに耳打ちする。
「寝たら、なし、だぜ」
「!!!」
囁いた瞬間、一瞬でグローリアの背筋がぴっしりと伸びた。それを見ていたスチュワートがくすり、と小さく見えなかったかのように笑う。
「そうですね……ではお嬢様、エスデル王族家が国家運営を行う事で常に気を付けている事は何か、言えますかな?」
「え? え、あー、あ、う、うー」
ちらちらとグローリアが此方へと視線を向けてくるが、ここは心を鬼にして見知らぬふりをして見捨てる。雨の中で捨てられているチワワみたいな視線が向けられている気もするが、それを無視してスチュワートの方へと視線を向けている。
「え、エデンの裏切り者!」
「俺、寝てない。グロリア、寝てた。雑魚」
「わ、私が雑魚……!」
「どうしてお嬢様に煽りを今入れました?」
本能的なもんなんです。
でもそれで首を傾げたグローリアは必死に考える様な表情を見せ、しばらくするとスチュワートの方を見ながら答えを口にしてみる。
「えっと……確か、失われないようにする……事?」
「えぇ、正解です。知識を、人を、想いを失わせない事。それが王族としての導のようです。とはいえ、政治とは清濁併せ呑むもの。常に最善を選べる訳ではなく、そして綺麗に進められるものでもありません。失わない、失わせないとはどういう選択なのか。これは王族の方々だけではなく我々も考えながら生きていかねばならないものでしょう」
「うーん……?」
「中々、哲学的」
「ですねぇ、明確な答えのある問いでもありません。永遠に悩まされる事でしょう」
恐らく時代や場所、状況や環境で答えの変わる問いだ。1つの答えに意味なんてないのだろう。寧ろ意味があるとすればそれを考え付くまでに至った思考、ロジックの構築能力。何故そう思えたのか、という部分。
難しい話だ。
グローリアがうんうん唸りながら頭を捻っている姿が中々可愛い。とはいえ、俺でさえ答えの出ないような問題だ。一生かけて考えてく事だ。答えが簡単に出る筈もなく、
「では次の部分へと話を進めましょうか」
一旦そこでエスデルの思想の話を切り上げ、再び授業の再開に入った。
こうやって俺はグローリアお嬢様と一緒に毎日、少しずつ世界の事を学び、少しずつこの世界の事を知っていく。
少しずつ、大人へと近づいて行くように。
俺達は学び始めた。