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非戦闘員が戦うなんて!  作者: 黒川レン
第一部 失格鍛冶屋の教育法
2/2

第一章 教育の始まり(1)

 終わりはいつだって突然だ。

 僕がその結論に至ったのは、確か八歳の時だっただろうか。


 ――はるか昔。一人の予言者が人類の滅亡を告げた。いつ滅亡するのか、どのように滅亡するのか、その子細を記した書物は既に残ってはいないらしいが、滅亡の予言があったということだけはハッキリと残っている。

 そして事実。人類は絶滅の危機に瀕した。

 《魔獣》と呼ばれる存在が現れたのだ。

 既存の生物とは明かに違ったそれは、徐々に、だが確実に文明を崩壊させていった。当時の人々は《魔獣》に様々な手段を講じて抗っていたが、その甲斐はなく気がつけば人口は全盛期の十分の一にも満ていなかったという。

 人類の滅亡は、文明が崩壊してしまった時ではなく、はたまた《魔獣》が現れた時でもなく、おそらく予言者が終幕を告げた時にはもう決まっていたのかもしれない。


 その後、もう人類は終わりだと、生き残った者たち全員がその結末を察した頃。絶望に満ちた人々の下に、《フィヨルスヴィズ》と名乗る、ある一人の男が現れた。

 《賢なる者》の意味を冠する名を持ったその男はこう言った。


 ――誇りある戦士たちよ、立ち上がれ。お前たちはいずれは死ぬ運命にある。だが、同じように死ぬのであれば、戦い、抗い、最後まで誇りを抱き続けて果てろ。さあ、武器を持て。今こそ立ち上がる時だ。


 その言葉と共に彼は人々にある力と技術をもたらした。現在、それぞれ《開花術》、《ルーン術》と呼ばれる二つの術の存在は、そこからの戦況を大きく変えた。そしてそのまま、勢いに乗った人類は存在していた魔獣を殆どを討伐し、人類に久方ぶりの平穏が訪れることになったのだ。

 ちなみに、かの《賢なる者》はいつの間にか消えてしまったいたとかなんとか。


 これが多くの歴史書に記されている有名な話である。

 改めてこの話について考えてみると、予言者の言葉や当時の人類の抵抗の様子に対して、《賢なる者》を自称する男の言葉や行動が妙に確信じみてと書かれているように感じて違和感を覚えたのは、僕が卑屈になってしまったからだろうか――なんて、個人的な感想はさておき、この話を通じて何が言いたいのかというと、人類史においても終末というものは唐突に起こり得るのである。


 つまり、齢八歳の時にして辿り着いたあの結論は正しく、今の生活がこのまま続くと思っていた十四歳の僕は、六年前の僕よりも大馬鹿者であった、ということだ。


 ▽


 春の初め。

 雪で覆われていた草木が芽を出し、早い種類だと花を咲かせるものもある。

 この街、《ファウスト》でも、冬の間滞っていた様々な仕事が再開したり、外から大勢の人がやってきたりして、新しい風が吹き込んでくる。それは良いものかもしれないし、もしかしたら良くない影響を及ぼすものかもしれない。

 だけど、通りに人々の往来が増え、辺りが活気に満ち溢れるのは、特に何かがあるというわけでもないけど、とても胸が高鳴るものだ。


 このように、春は気温的にも気分的にも、素晴らしい季節であるはずなのだが――、


「はああああああああああ……かぁったりぃいいい…………」


 若干一名。僕の目の前で盛大にため息を吐く存在がいた。

 最も目を引くのは鮮やかな紅の長髪だろうか。後ろで一纏めにしたその髪は、薄暗い工房の中にあっても、煌々と燃える炎のようにその存在を誇示していた。

 それ以外にも、金と紅という非対称の三白眼(オッドアイ)や尖った耳、日光を避けているために青白くなった肌も目立った特徴かもしれない。


「師匠、さっきからどうしたんですか。そんな気怠げにして」


 僕が師匠と呼ぶこの人――レティア=ドヴェルグは多くの人が抱いているであろう、新しい季節への期待なんてものは全く持ち合わせていない様子であった。

 小一時間前から、工房内で陰気な雰囲気を漂わせながら机に突っ伏す彼女は、尚も恨み言を連ねていた。


「考えてもみろよ。春先っつったら虫は増えるわ、日差しは強くなっていくわ、そんでもって光精霊(エルフ)が妙に調子づくわで良いことなしじゃねぇか。そう思わないか、レイズ?」

「そんな同調を求められても……良いと思いますよ、春は。というか師匠、単に光精霊(エルフ)のことが嫌いなだけですよね?」


 手馴れた様子で師匠の同調圧力(ダル絡み)を受け流す僕ことレイズは、運搬を頼まれていた木箱を持ち、せっせと工房奥の炉がある方へと歩いて行く。


「否定はせんが、それにしてもだ。やっぱ闇精霊(ドワーフ)的にはあまり騒がしいのが好きになれないんだよ」

「それなら師匠はどうして故郷を出てきて、こんな喧騒まみれの場所にやって来たんですか」


 振り向きざまに放ったその言葉を受け、「それはアイツがだな……」などと師匠が呟くのを聴きながら、木箱の運搬を終えた僕はそのまま散らかり気味だった炉の前を片付け始めた。

 近くにあった金属の屑を拾いながら、何となく師匠の方にチラリと視線を送る。専用の座高が高い椅子に腰掛け、頬杖を突きながらブツブツと何か考え事をしている様子は、あまり言いたくない(というか言ったら絞められる)が完全に年端もいかない幼子にしか見えなかった。


 闇精霊(ドワーフ)と呼ばれる種族は、身長が他の種族と比べ小さい。どのくらいかというと、彼らの成人にあたる年齢の時に、人族の十歳くらいの身長となる。また、その人族と比べると寿命がとても長いので成長がかなり遅い。つまり容姿はああでも、年齢だけ見るならば師匠は僕よりも断然上なわけで。

 そんなこんなで、闇精霊の中には自身の容姿を気にするものも多い。師匠もその一人だ。

 確か初めて会った時は、失礼なことを言って怒られたっけ。


 師匠に弟子入りし、この店で勤め始めてからおよそ半年。街の通りで出会った日のことは、今でも鮮明に覚えている。そういえば、あの時の師匠は現在とは異なり、何というか威厳のようなものがあった。

 別に今の師匠に威厳やらがない訳ではないのだが、何というか随分と怠惰になった気がする。思えば、明らかな雑用を「お前にしか頼めない仕事だ」なんて仰々しく言い始めたあたりからその兆候はあったのだろう。

 まあ今の方が接しやすいには接しやすいので、なんら問題はないのだが――

 と、そこまで考えた所で改めて師匠の方を見やる。すると、ちょうど何かを思い出したかのように勢い良く顔を上げ、唐突に口を開いた。


「そういやレイズ、《公認職試験》を受ける気はないか?」

「《公認職試験》……ですか?」

「ああ、お前も鍛冶屋の端くれなら聞いたことがあるだろ。《組合》が開催してるアレだ」

「一応、聞いたことくらいは」


 師匠の言う通り、確かにその言葉には聞き覚えがあった。

 《公認職人》と呼ばれる《組合》直属の職人になるための試験で、一流の鍛冶職人になるための登竜門であるとされている。また、《組合》に所属している師匠の知り合いが言うには、採用するのは鍛冶屋だけでなく、商人や薬屋、はては料理人なんてのもあるらしい。


 ちなみに《組合》というのは《狩人組合》の略称で、《狩人》とは人類の敵である《魔獣》を狩ることを専門としている者たちのことだ。様々な職業の組合が存在するにも関わらず、《組合》という言葉が《狩人》のものを指すのは、この街において《狩人組合》の力がとても大きいからだそうな。

 試験に関する情報を頭の中で整理していると、師匠が焦ったいとばかりに先ほどの質問への回答を催促してきた。


「で、受けるのか?それとも受けさせられるのか?」

「そうですね……ってそれ受ける以外の選択肢ありませんよねっ⁉︎」

「そうだ、聞いてみただけだ。お前に受けないという選択肢はないぞ」

「えぇ……」


 割と重要そうな選択肢のはずなのだが、それを選ぶ権利すら与えてくれない。

 本当に理不尽だよなぁ……。


 しかし、いくら心の中で毒吐いても与えられた選択肢が変わる道理はないことは理解している。僕はため息を吐き、渋々ながら承諾することにした。


「……分かりました。受けさせていただきます」

「そうか、まあそう言ってくれると思ってたけどな」


 納得できねぇ……。

 半ば強制的な結論に僕が肩を落とす一方、師匠はそんなことに目もくれぬ様子で卓上に積んであった依頼書やらの山をごそごそと漁り、そこから一枚の紙を引き抜いた。


「おお、あったあった。レイズ、これ受けとれ」

「?何ですかこの紙」


 首を傾げながら受け取った紙は掌を少しはみ出すほどの大きさで、数行ほどの文と、赤い判のようなものが押されてあった。


「それに書いてる通りだ。とりあえず行ってこい」

「行ってこいって……ええっと、『推薦状。レイズ=ライアス殿。この者が試験を受けるのに十分な実力を持っていることを保証する。《鍛冶工房レーヴァンティン》レティア=ドヴェルグ』……これは?」

「試験のための推薦状だよ」

「推薦……うーむ……」


 少し考えて見れば答えは出た。

 師匠の台詞と推薦状。この二つから導き出せることはつまり……


「僕は今からこれを持って《組合》に試験の申し込みをしに行ってくれば良い、ってことですね!」


 そう結論づけ、掌を握り拳で叩いて笑顔で師匠の方を見る。しかしながら、返ってきたのは期待していた返答とは異なったものだった。


「喜んでるとこ悪いが、違うぞ」

「えっ、違うんですか⁉︎」


 自信満々の回答を否定され、驚愕と共にガクンと項垂れる。その様子をどこか愉しそうに眺める師匠は答えを言おうと口を開き、


「一応惜しいには惜しいんだがな。私が言いたかったのは――」


 核心の部分を言おうとした所で、不意に誰かの来店を告げる鐘の音が店内に鳴り響いた。


「あっ、僕が出ます」


 横槍が入ったことに対し不満げな表情を浮かべる彼女を横目に、僕は店の工房から売り場に急いで向かう。

 師匠が店主(オーナー)を務めるこの店、《レーヴァンティン》は他の多くの店と同じように工房と住居、売り場とが併設されている。売り場、工房、住居の順に連なっていて、先ほどまで僕らが会話をしていたのは工房の部分だ。


 従業員は僕と師匠の二人。少ないと思うかもしれないが、僕が弟子入りする前までは師匠一人で切り盛りしていたらしい。二人になってからは、僕が接客を担当をすることになったのだが、生まれてこのかた働いたことなんてなかったので街の店を回り、接客の技術を身につけた。

 完全に自己流とはいえ、特に苦情という苦情もないので大きな問題はないのだろう。

 もしくはいくつか問題はあるが、師匠の接客と比較するとマシなために苦情を言ってこないだけなのか。

 ともあれ、この店で僕にしかできない役割があることに越したことはない。

 売り場の扉の前まで来た所で、表情を接客用の気持ちの良い笑顔に切り替えると、定型の挨拶と共に勢い良く扉を開いた。


「いらっしゃいませ!《鍛冶工房レーヴァンティン》へようこそ!」


 こんな朝っぱらから一体誰だろう。

 開店したてで、あまり人も出歩いていないであろう時間帯に来店したお客さんに思いを巡らせながら売り場を見渡すと、翠がかった青の髪を持った偉丈夫が入り口付近に立っている姿が目に入った。


「あ、シグリードさん!おはようございます!」

「おはようレイズ。今日も元気が良いな、お前は」


 シグリード=アレンディア。目の前の筋肉隆々とした美男の名前だ。キリッと整った眉に髪と同じ青緑の眼、引き締まった腕に刻まれた無数の傷は、数々の修羅場を潜り抜けてきたであろうことを感じさせる。服装は革製の長ズボンに黒地の袖なしシャツと、この季節にしてはやや薄着な気もするが、この人にとっては少々の温度変化ならば全く気にならないのだろう。


 シグリードさんはウチの店における、所謂“常連”である。一般的に常連と聞けばどこの店でもありきたりなな感じはするが、この店だと少々意味合いが異なる。

 師匠の種族や性格、また立地や価格のような要因から、この店は知名度の割にあまり客が寄り付かない。(師匠が寄り付かせないってのが大きいのだが。)また、事情を詳しく知らないで入って来る客もいるが、彼らが常連になるには厳しい条件をいくつか満たさなければならない。


 そういった理由もあり、この店での常連はかなり数が少なく、貴重な存在なのだ。

 そんな彼といくつか言葉を交わしていると――ガチャリと、背後の扉の開く音を聞いた。


「誰かと思えばシグリードか」

「ようレティア。相変わらず不健康そうな皮膚の色してんな。ちゃんと飯食ってるか?」

「うっせ、種族柄だよ。年下に保護者面される覚えはねぇよ」


 出会って早々に軽口を叩き合う二人。この人が来店した時はいつもこんな感じだ。いつものことだが、売り台を挟んで会話するシグリードさんと師匠は、身長差も相まってとても微笑ましく見えた。

 まあこんなこと、師匠には口が裂けても言えないんだけど……。

 そう思いながら、僕がその光景を見て思わず頬を緩ませていると、太腿の裏に鋭い痛みが走った。


「痛っ⁉︎」

「ニヤニヤしてんじゃねぇ」


 見ると、師匠が見た目からは想像もできない恐ろしい力で皮膚を抓っていた。


「ちょ、痛たたたたたた!ちょっとぐらい、笑ったって良いじゃないですか⁉︎」

「今のお前の視線に奴と似たもんを感じてな。何となく腹が立った」

「奴って誰ですか……。完全に当て付けですよね、それ……」


 これ絶対跡が残るヤツだ。

 師匠の手が離れても、痛みが後を引く太腿を摩る僕の姿に笑っていたシグリードさんだったが、来店の理由を思い出したのか師匠に声をかけた。


「そういや、頼んだモン出来てるか」

「ああ、ちょっと待ってな」


 その言葉と共に工房への扉を開く師匠。それを見送った僕は開けっ放しになった扉を閉める。いつも通りのやり取りなのだが、シグリードさんにとっては、何気なしに扉を閉める僕がツボだったらしい。

 再び笑い始める彼に苦笑いしながら、ふと彼が《組合》に所属していたことを思い出した。

 《公認職人》や試験のことを聞く良い機会かもしれない。


「そういえば、シグリードさんは《組合》に所属しているんですよね?」

「おう、それがどうかした」

「《公認職人》と《公認試験》について、聞きたいことがありまして。ご存知ですか?」

「ああ、ある程度はな。まさかお前、あれ目指してるのか?」


 僕はコクリとうなずき返す。まあ、半分強制的なものなんですけどね。


「そうか、レティアの弟子がねぇ。期待の新人だな、楽しみだ」

「き、期待の新人んん⁉︎」


 予想外の言葉に頓狂な声が出てしまう。

 そういえば、師匠はあまり世間体を気にしない性格であるため、これまで具体的な評判をあまり聞いたことがなかった。しかしながら、あの人の腕が良いのは確かだ。それはこの半年でしっかり身に染みている。

 ということは、あの人の弟子という肩書きは割とすごいものなのだろうか。


 弟子入りしてからすぐの頃、師匠同伴で買い出しに向かう際に、「私の弟子を名乗るとロクなことにならないから止めておけ」と言っていたことを思い出したが、あれはそういう意味だった……?


「まあ、頑張れよ」

「大丈夫かなぁ……」


 激励の言葉と共にバシバシ背中を叩かれる。期待してくれるのは嬉しいのだが、それに応えられるかは何とも言えない。ぶっちゃけかなり不安である。

 ……というかホント力強いなこの人⁉︎一発一発に鈍器で殴られたくらいの重みがあるんですが。


「それで、そのことで俺に聞きたいことって?」

「えっと、正直全部って言いたい所なんですけど……。それじゃあ、とりあえず大まかな試験内容と日時を……」

「……何?」


 それを聞いた彼は先ほどとは打って変わって、深刻そうな表情を顔に浮かべた。何か不味いことでも聞いてしまったのだろうか。


「お前……レティアなから試験について何も聞いてないのか?」

「いえ。師匠からは『行ってこい』とだけ」


 彼は「あいつ……」と呟き手を額に当てると、何というか哀れむような表情になった。その後おもむろに、ガシッと太い腕で僕の肩を掴んだ。

 突然の接近に肩が強張る。こんな悲しげな表情をして、何を言おうとしてるのだろう。


「落ち着いて聞いてくれ。あいつが何を考えてるのかは俺には分からんがな」

「え、はい……」

「お前が受けようとしてる《公認試験》は――――」


 そこまで言いかけた所で、背後の扉が勢いよく開かれ、シグリードさんの言葉が遮られる。

 この状況にどこか既視感を感じながら、彼の方に視線を戻すと、扉から入ってきた師匠に攻撃的な視線を送っていた。

 何やってんだこの人。


 一方でそれを受ける師匠の方を見ると、意味も分からずシグリードさんに睨まれていることに少し困惑する様子を見せるが、すぐに彼を睨み返した。

 彼が師匠のことを睨みつける理由は分からないが、それは師匠も同じはずだ。理由くらい聞けば良いのに、反射的に睨み返す辺りは師匠らしい。

 ともあれ、このままでは一触即発であることに変わりないので、とりあえずシグリードさんに理由を聞いてみることにした。


「師匠もシグリードさんも止めてください!というかどうしたんですか、そんな師匠に敵意なんか向けて」

「敵意か。そうだな、間違いじゃないんだが……ただあいつが何考えてんだって呆れて果ててた」

「あ、呆れてた……?」


 ますます訳が分からない。先ほどの会話の中に、師匠が呆れられてしまうような部分なんてなかったはずだ。チラリと師匠を見ると、シグリードさんに向いていた怒りの矛先が明かに僕の方に向いていた。

 え、僕何もしてないですって。

 ふつふつと湧き上がっている師匠の僕に対する殺意を感じ取ったのだろう、すぐに彼は助け舟を出してくれた。


「レティア、別にレイズがお前のことを悪く言ったわけじゃないんだよ」

「じゃあ一体何に呆れたってんだよ」

「そうですよ、師匠が何したっていうんですか」


 助けに入ってくれたシグリードさんには悪いが、一応師匠の側で反応しておく。これ以上機嫌を崩されてはたまらない。

 僕らの疑問を受け、向き先は分からなかったが、彼は「はぁ……」と短くため息を吐くと、師匠ではなく僕の方に顔を向けた。

そして告げる。現実を。


「さっきお前は《公認試験》がいつあるか、と聞いたな」

「はい、聞きました」


 そこまで聞いた師匠が「なんだそのことかよ」と、横で呟く。どうやらそこまで大したことじゃないらしい。

彼女の反応を見て、僕はホッと安心した――いや、安心してしまった。

 この時はまだ、師匠に常識が通じると、そう思っていたのだ。

最悪の事態をどこかで考えながらも、目を背けていたのだ。

 そうして彼が口にした言葉は、想像していた安心からは程遠いもので、


「実はそれ、今日なんだよ」


 僕は心の底から、師匠に呆れ果てたのだった。

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