火と水の昔話を、祭りの夜に ~その男、操って乗って差し込める~
黒イ卵さまへ捧げるお題もの作品
『のる、あやつる、さしこむ』
です。
その館は、冬至の祭りで大にぎわい。
呼ばれてやってきた幻術士が、くるりくるりと景色を映してみせながら、集まる人に口上を述べだした。
―――昔々のお話です。広い広い世界の、どこかに……
『火』を操る人々がいました。
『土』を操る人々がいました。
『水』を操る人々がいました。
『風』を操る人々がいました。
『火』の民は火山の麓に暮らし、山からたくさんのお宝を授かって、武器や農具や飾り物を作っていました。
『土』の民は広い平野で地面を耕し、米や小麦や大麦、それに豆や野菜を作っていました。
『水』の民は大きな湖の上や周りで、魚を獲り水を売って暮らしていました。
『風』の民は風龍に乗って、3つの土地を巡ります。そして1つの土地のものをまた別の土地に届けるのです。生活に必要な品、水に食べ物、それから、たくさんのお話。
これからいたしますのも、そんなお話の1つなのですよ―――
◇◆◇◆◇
「『水』の第三王子、清坎よ。今日限り、そなたとの婚約は破棄する」 牢の中でその青年の穏やかな瞳を睨み付け、朱離は吐き捨てた。
「吾はこれから『水』を滅ぼさねばならぬ」
「わかっております」 青年はうなずいた。
「朱離どの」
「吾の名を呼ぶなっ」 吼えるように叫び、青年に詰め寄る。
『火』の第一王位継承者にして、『剣姫』とも呼ばれる少女。
その迫力は、激しい炎そのものである。
「なぜ『水』は『火』との約束を違えた? なぜ吾らに水を送らなくなった? なぜ、そなたを捕虜とし殺すと脅しても、返事1つこないのだっ!?」 握りしめた拳が青年の胸を容赦なく、叩く。
その拳が急に止まったと思えば、うつむいて肩を震わせる、少女。
「……なぜ、そなたの父は、そなたを見棄てた?」
「私の為に泣くことはない、姫よ」
困ったような、とも、悲しげな、ともつきかねる表情で、清坎は少女の頭を撫でる。
『火』『土』『水』『風』
それぞれの民は、長年、生きていくために互いに協力しあってきた。
王族どうしの婚姻も、また然り。
誰も、このような形で破られるとは思わなかっただろう。
約束されていた婚姻の日も近づいていた、今になって。
『水』が『火』に水を送らなくなった、その理由。
それは、『水』の王の実に手前勝手な、しかし真摯な願いから出たものであった―――
―――その野望を知らされた時、清坎は驚き、父を諌めたが、忠告が聞き入れられることはなかったのだ。
「『水』は三国の中でも最も貧しい。住める土地を持たず、水の上で暮らし、多くの者が湿気で早死にしてしまう」
「存じておりますが、しかし!」
「我は民を豊かにしてやりたい」 王の瞳は情熱を秘め、真っ直ぐに息子に向けられていた。
「揺れる床の上で、父母を失くした子が泣く……そのような国を変えたいとは思わぬか?」 そもそも『火』の姫とそなたとの婚約はそのための布石、そう明かされて、清坎は絶句する。
脳裏には、数度会ったことのある『火』の少女の面影が浮かんでいた。
意志の強い眼差し。しなやかな身ののこなし。よく通る声と、彼のことを信じきった、明るい笑顔。
もともとが政略だ。
恋ではなかったかもしれない。
だが、恋でないと断言できない程度には、親しみを感じていた。
恋でなければ何なのだ、と問わねばならぬほどに、裏切りは重く心臓を突き刺す。
言葉を失った息子を前に、父王は饒舌であった。
「水を操る我らなら、『火』の乾いた大地を潤し、実り豊かな地に変えられよう。すなわち我らの支配は『火』のためでもあるのだ」
「おやめください! 我々は互いに協力しあわねばならぬ間柄のはず!」
必死の諫言は効を奏さぬまま、清坎は『火』へと贈られたのである。
「わかっておると思うが……前以て『火』に知らせれば、怒り狂った『火』は間違いなく『水』の民を根絶やしにしようなぁ」
旅立つ息子に、最後に父王が贈った言葉であった。
『火』の姫の婚約者として、清坎は存分な歓待を受け、その悩みは歓迎される程に深まった。
『火』の者になる身でありながら、『水』の民を切り捨てられぬ。
しかし一方で、無邪気に協力関係を信じる『火』の民を見るにつけ、裏切りの罪悪感は深まる。
(己はどちらの者であろうか)
いっそ『風』であれば良かったものを。
風龍を自在に操り、大空を行き来する彼らを羨まなかった日は、ない。
しかし、全てを棄てられるほどの覚悟はなく、浅く暗い眠りの夜が続いた。
「どうしたのだ?」 婚約者の少女に気遣われる度に、心が壊れそうになる。
全てを打ち明けたい衝動に駈られつつも、『水』の民を思い出しては微笑み、頭を振る。
「なんでもありません」
ただ少し眠れなくて、と言えばすぐに、眠りを誘うように調合された香が届けられる。
棄てたいけれど棄てられぬ、そんなものが、また増える。
香に誘われた眠りで見る夢は、燃え盛る『水』の船であることもあれば、物言わぬ朱離の、血に塗れた肢体であることもあった。
(やっときたか)
『水』から『火』に水が送られなくなった時、清坎はむしろ、ほっとした。
恥じ入るべき心情だと考えたが、沸き上がる解放感からは、どうしても逃れられなかった。
ゆえに、捕虜の扱いとなり牢に入れられた時には、更にほっとした。
己を恥じ罰するよりは、他者から責められ罰される方が容易である―――
「なぜだ!?」
吼えるように叫び、己の胸にすがって泣く少女の冷たく滑らかな髪を片手で撫でる。
胸の奥からこみ上げるような、初めて覚える感情。
この少女を、大切にしたいのか、めちゃくちゃにしたいのか、それすらも分からなくなる、混沌とした想い。
(これを恋だというのならば、随分と寂しいものだな)
もはや到底『風』の民に混ざることはできぬな、などと考えつつ、自身の髪を飾る翠玉の簪を抜く。
『水』の王子の証である簪は、捕虜になった際、先端を火で焼かれ丸く潰された。凶器にならぬように、である。
それでも身につけることを許された唯一の装飾を、少女の髪の奥深くまで差し込んだ。
「交換しましょう」
清坎の提案に、朱離もまた、黙したまま『火』の姫の証を結われた髪の根元から抜き去る。
先が尖った紅玉の簪を手渡そうとされるのを遮り、清坎は頼んだ。
「あなたが差して下さい」
「…………」
少女はしばらく、婚約者であった青年と簪を交互に眺めていたが……
やおら、鋭い先端を青年の手に突き刺した。
「…………!」
痛みに耐える清坎の手の甲に、ぷくりと簪の紅そのままの色の血が盛り上がり、ツッと流れる。
身を屈め、それを舌で受けると、朱離は大きな手から顔を離した。
「吾が凱旋したなら、その時こそ髪に差してやろうぞ」
吾の武運を祈るんだな、と嘯いて牢を出る少女の背を見送りつつ、清坎は穴のあいた手の甲に、もう1度、紅玉の簪を突き立てた。
傷口がより痛み、痕がいつまでも残るように―――
※※※※※
場面は切り替わり、戦いの情景へと移る。
―――ヒュンヒュンと軽い唸りを上げ、湖の上を無数の火矢が飛ぶ。
攻める『火』の力が籠められた矢は、『水』の防壁を突き抜け、民の住居たる船に、真っ直ぐに届く。
「さらに燃えよ」
念じつつ矢を射続ける『火』の軍隊の前に、『水』の船は呆気なく炎に包まれる。
燃え盛る船に跳び移っては、立ちむかってくる住民を斬り、次の船に矢を射る『火』の軍勢。
一見、我先にと功を争っているようでありながら、よく統率がとれている。
「次!」
剣を振り上げ、よく通る声で将たる『火』の姫がかける号令に従い、次々と『水』の船を陥としていく。
目指すは湖中央の小島、裏切り者の王が住む砦。
『水』の民はもともと戦闘に向かない。
最後の船を炎で包み、砦を守る形ばかりの兵に襲いかかり、もはや止まらぬ勢いの『火』の軍。
勝利を確信しつつ砦になだれ込む。
その時。
膨大な―――余りにも膨大な量の水が滝となって砦の周囲を包み込み、『火』の者たちの退路を絶った―――
※※※※※
場面は再び、『火』の城の牢へと移る。
―――「弱き者は策を立てるのよ」
粗末な碗に入った水がゆらりと揺らめき、父王の得意気な言葉を伝えた。
牢の中、清坎は『水』の技により、いち早く『火』の軍勢の敗北を知ったのだ。
彼らはまんまと『水』の策に乗って湖の砦に誘われ、閉じ込められた。
状況を悟った『火』の姫は自身の命と引き換えに、兵を無事に解放することを条件に降伏を申し出たが……
『水』の王は逆に、姫の目の前で『火』の兵たちを溺死させた。
人質として価値のある姫とは違い、忠誠心の厚い兵たちなど、生かしておいても危険な刃にしかならぬからだ。
姫は錯乱し、口が利けなくなって幽閉されているという。
「『火』の連中は苛烈な性格、勇猛さで並ぶものなく……だがそれだけでは勝てぬよなぁ」
勝利に酔っているのか、父王はいつにも増して饒舌である。
「そなたの働きも大きいぞ」 言われて清坎は悲しく眉をひそめた。
戦を早く終わらせ、民の被害を最小限に食い止めるためには、父王に命じられるまま、水鏡を通して『火』の情報を渡すしかなく……
(私が悪いのだ)
ともすれば身を貫こうとする憎悪を抑え、自身に言い聞かせる。
ただ1つ大切なものを決めきれなかった。何もかもを、棄てきれなかったことが罪なのだ。
「後程、褒美をとらせよう。王位以外は、好きなものを与えるぞ」
父王の上機嫌の台詞が続く中、清坎はふわりと微笑んだ。
「ならばお願いがございます」
「なんなりと、申してみよ」
「善き統治をなされますよう」
懐から取り出したのは、姫との別れの日以来、肌身離さず持っていた紅玉の簪。
鋭い先端を、力いっぱい、喉元に突きつける。
やがて、ひゅう、と苦しげな息がその口から漏れた。
ぽたぽたと、簪を伝って垂れる血が、杯に落ち、水を揺らし、濁らせる。
「そなた、何を……っ!? 何を、して」
驚き戸惑う父王の声も途切れ。
静寂の中、清坎はゆっくりと膝を折り、冷たい石の床に崩れて、目を閉じたのだった―――
※※※※※
場面は、戦いの終わった後、焼け焦げた船の残る湖の中央へと変わる。
―――明かり取りの窓の向こう、深い紺碧の空に舞う、白い姿。
「…………」
風の民が操る龍を、朱離は無言で見送った。
龍の姿が消えると、その虚ろな眼差しはゆっくりと戻され、冷たい石の壁を巡る。
塔の上階、高貴な囚人のための牢。
「大切な人質だ。丁重に扱ってやろう」 優位に立つ者の発する、舌なめずりをするような気持ちの悪い声で『水』の王は言った。
「ゆめ自殺など考えるなよ」
その言葉に、はっとして舌を噛もうとするが、口に無理やり指を差し込んで止められ、猿ぐつわを噛まされる。
怒りに吾を忘れ、暴れ、牢の扉に何度も身体をぶつけたのは過去のこと。
今ではもう、何も考えられない。何も、感じない。
唯一何か感じるとすれば眠る間。
夢の中で、幾多の人々が血と炎の中で倒れ、配下の兵が水の中でもがき、目を見開いたまま沈んでいく。
己の叫び声で目を覚まし、また眠るまでの時を過ごす。
朱離はのろのろと寝台から身を起こし、頭をひと振りした。
かんっ
硬く澄んだ音をたてて、何かが落ちた。
ぼんやりとそちらに目をやった朱離の心に、1つの声が生まれる。
(ああ)
翠玉の簪。
これまで気付かれなかったのは、髪に深く差し込まれていたせいか。
それとも、『水』の王子の証ゆえ、見逃されていたのだろうか。
これを貰った時には全て始まっており、決して良い思い出とはいえないはずなのだが。
それでも、深い水のように淀んだ色を見れば、心臓がことりと音をたてる。
手を伸ばして拾いあげると、ぽう、と白い光が簪から放たれた。
(そこにいるのか) 息を吐き、久しく呼ばなかった名を呼ぶ。
(清坎)
ぽう、ぽう、と白い光が答えるように揺れた。
(朱離どの) 頭の中に響く、懐かしい声に、涙がにじむ。
(私の最後の力で、あなたを自由にしにきました)
(ならば殺してくれ。吾が生きていては、国のためにならぬ)
『水』の王は『火』の人質を使い、有利に戦を進めるに違いなかった。
民のため、死んでいった兵をのために、それだけは避けたい。
ぽう、とまた白い光が揺れる。
(力を合わせましょう)
(……力を)
(『水』も『火』も、もとは浄めの力。2つの力で浄めれば、人は望むままの姿になれるといいます)
朱離は静かにうなだれた。
(望みなど……)
もはや、覚えてはいない。
そもそも、『火』の姫として生まれ、次の王として望まれる以外に、何の希望を持って生きてきたというのだろうか。
しばらく考え、そうだ、とうなずき白い光にそっと触れる。
(望みなどではなかったが、昔、そなたとずっと連れ添うものだと思い込んでいたよ、清坎)
ぽう、と白い光はわずかに輝きを強めた。
(では、それで参りましょう)
目を閉じて、と言われるままに、朱離は目を閉じ、『火』の力を身の裡に呼び込む。
浄化の炎は、目映いばかりの白。
翠玉の簪がその姿を解き、清らかな水となる。
炎と水は合わさり、爆発するような音を立てて塔を揺らし、狭い天井を吹き飛ばした。
異変に気づいた『水』の兵、そして王がやってきた時には。
そこに『火』の姫の姿はなく、代わりにあるのは虹色に輝く光の卵。
「なんだ、どうしたというのだ……」
王と兵が見守る中、それはやがて、二羽の水鳥へと変化した。
そして、虹色に輝く羽を持つ鳥たちは、仲睦まじく空の彼方へ去っていった―――
◇◆◇◆◇
―――さて、かくして『水』の王子と『火』の姫は鳥に姿を変え、今でもどこかで、仲睦まじく暮らしているといいますよ―――
ここまで語った幻術士、『光』の技で場面を鮮やかに切り替える。
優しい光が雪のように降注ぐ、現代の田畑、山並、湖の景色に。
―――しかしそれもまた、遠い遠い昔。今では、『土』も『火』も『水』もすでになく、ただ私ども『風』の語りつぐお話の中でのみ、生きているのでございます―――
口上とともに幻は消え、にぎにぎしい祭りの喧騒が遠くから聞こえ出す。
それに合わせて、現実に立ち返った客人たちも、ざわざわとおしゃべりを始め、思い思いに動き出した。
(大成功だったな) そんなホクホク顔で後片付けを始める幻術士の袖を、幼い少年が引っ張った。
「ねぇねぇ、さっきのお話って」
「なんでしょうか、坊っちゃん」
「僕たち『光』の国旗の2羽の鴛鴦でしょう?」
僕わかっちゃった、と聞こえそうな得意気な表情である。
「さぁてね。なにぶん、遠い遠い昔の話でございますれば」
にこりと柔和に笑い、少年の頭をなでて、館を出る。
外で待っていた風龍に軽やかに飛び乗ると、幻術士は声を掛けた。
「さぁ、行こうか、朱離」
鱗に覆われた脇腹に足を差し込み、巧みに操り、風に乗る。
手綱を持つその手の甲には、鮮やかな血の色の痣、ひとつ。
(了)
黒イ卵さま、ありがとうございます!