7話
「そうですか」
だからといって「はいわかりました」などという気は毛頭無い。
この程度でこれからの生活を諦める?冗談じゃない。
ファルス様のあとに続き、宿を出る。
天井が無くなり、空が見える。
前方にはファルス様、後方には監視兼護衛の騎士。
拘束されているわけじゃない。
次の一歩を踏み出したとき。
その一歩の瞬間に「浮遊」「加速」「消音」「隠密」を同時発動。
一気にこの場を離脱。
…するはずだった。
「おっと」
しかし、発動の瞬間にいきなりファルス様がこちらに振り返り、私に抱き着いてきた。
「なっ!?」
集中していた魔法の発動は中断されてしまう。
何故魔法の発動を察知できた?
「忘れましたか?私の『眼』を」
「っ!」
そうだ。
魔力を視ることができる眼。
その眼で私の魔法の発動を視たということか。
「しかし驚きました。前にいるのにそれでもわかるくらいの魔力の波。セーラ、貴女の魔力はずいぶんと秀でているようですね」
そうか。私の魔力はそんななのか。
だけど、今はそんなことどうでもいい。
「……そろそろ離していただけませんか」
さっきからずっと抱きしめられている。
前からしっかり抱きしめられてるので、ファルス様の顔は本当に目の前。
吐息がかかりそうなくらいに。
元婚約者であったギルバート様の時でもこんなに近づいたことが無い。
「もう少しこうしていてもいいですか?」
「嫌です」
「2年も会えなくて寂しかったんです。もうちょっといいでしょう?」
「嫌です」
「あぁ、綺麗な瞳だ。今は私しかその瞳に映っていないんですね」
「……」
瞼を閉じる。
流石にうざい。
「……ん」
「っっっっ!!??」
突然唇に感じた感触に目を開く。
さっきよりもさらに近いファルス様の顔。
今度はファルス様の方が目を閉じ、その唇は私の唇に…
「っ!はっ!」
とっさに首をねじって無理やりに顔の距離を取る。
手を出したかったが、抱擁されたままで腕は動かせず、これしかなかった。
「…あぁ。至福の時が」
非常に残念そうにしながら目を開くファルス様。
その不届き者を、射殺してやるばかりに睨みつける私。
いや、ファルス様でなければ身に着けた防御・反撃用の魔法総動員で殺しているところだった。
「いけませんよ。抱きしめられて目を閉じるなんて、キスをせがんでいるようなものですよ」
「そんな常識は私にはありませんが!」
「初めてでした?」
「関係ありませんね!」
「…まさかもう兄上?いや、まさか他に男が?」
「…………」
そろそろ『反撃』していいだろうか?
私が魔法の準備をしているのがわかったのだろう。
それ以上は追及してこなかった。
が、今度は逃がすまいとファルス様の手と私の手は繋がれている。
…その上から布で雁字搦めにされて。
「これでもう逃げられませんね」
ファルス様はにっこりと笑みを浮かべて。
私は心底嫌そう…いや、はっきりと嫌だという表情で。
いっそ手首を切り落として逃げようか?
なんてことまで思ってしまう。
そのまま馬車に乗せられ、そのまま王都へ……
などというわけがなく。
その夜、無事私は逃走を果たした。
早馬なら1日の距離も、馬車では1日で着くわけもなく。
途中の宿で一泊する流れになった。
が、いくら宿の中とはいえ、トイレや風呂までそのまま…なわけにもいかず。
私にとって幸いだったのが、女性の同伴者がいなかったこと。
ファルス様をはじめ、護衛騎士も全て男性。
かといって、上記の場所にまで手を繋いだままなどできるわけもなく、さすがにファルス様も外した。
しかし、トイレはとてもではないが通れそうもない小窓だけ。
が、さすがに風呂はそこそこのサイズの窓がついてる。
それはファルス様も分かっているので、窓の外には見張りの騎士がついていた。
…しかし、それは全く問題にはならない。
脱衣場では脱いだように見せかけるため衣擦れの音をさせて服を着たまま風呂場に入り、掛け湯をしたかのように水音をさせた後、「消音」を使って窓を音もなく開け、「隠密」「消音」「浮遊」「加速」を使い、一気に脱出。
晴れて私は再び自由の身となれたのだ。
持ち物も靴も無く、身に着けた衣服しかないが、今日荷造りを済ませていたのがよかった。
衣服の中にもいくらかの路銀を忍ばせていたのだ。
森の中に入り込むと、大木の枝の上に落ち着く。
下手に魔法を使うとファルス様の眼に映ってしまう。
「ふぅ……」
ようやく人心地付けてほっとする。
これからどうしたものか。
逃げ出すことはできたが、あの様子ではこれからも私を探し続けるだろう。
やはり国外か。
しかしあの様子では国境の検閲で引っかかる可能性が高い。
なら、「浮遊」で空から外国に逃げる。
しかし今日は疲れた。
監視役の存在に王子の再訪。
そこから無理やりの連行に、抱きしめられて…
「………」
忘れよう。
あれは悪夢。犬に噛まれたものだと思おう。