5話
護衛騎士二人を背後に控えさせながら、私が宿泊している宿の受付の待合室にファルス様はいた。
「まさか本当にいるとは思いませんでしたよ」
「……そうですか」
ファルス様の対面になる形で席に着く。
出会いがしらの言葉。『見つけましたよ』から、たまたまここに来たというわけではない。
意図的にここに、私を探して来たということだ。
だが何故?
私とファルス様の関係は、特にこれといったものはない。
婚約者だったのは彼の兄であるギルバート様だし、別段親しかったというわけでもない。
茶会で会話する機会はあったけれど、それも特筆すべき点でもない。
……わからない。
彼が私を探しに来たという真意が。
「まずは…お久しぶりです。お元気そうで何より」
「ファルス様も、お変わりなく」
彼の視線が興味深そうに私のあちこちを彷徨う。
当然だろう、今の私は令嬢のときのようにドレスでもワンピースでもなく、庶民からすれば上質ではあるけれど貴族からすれば安物な素材でできたシャツと上着、ズボンにブーツ。
髪は森の中で引っかからないよう編み込んで前に垂らしている。
手入れは欠かしていないが、令嬢のときと同様の仕上げは無理なものがあり、そのときと比べればずいぶんくすんで見えることだろう。
腰には銀貨袋と護身用として一応の短剣。
「最初に話を聞いたときは驚きました。貴女がこの街にいると聞いた時は」
そうだろう。
その驚きのまま、信じないで来てくれなければなおよかったのだけれど。
「それも、魔法を使い凶暴な獣を次々と仕留めていると。私の知っているセーラ様は、魔法を使えないはずでしたので」
「…………」
私が魔法を使えない…というよりは魔力がほぼ無いということは以前に話したことがある。
私の評価を上げないためだったが、ここにきてそれがバレたとなると少し面倒かも。
「私の知るセーラ様とは到底同一人物とは思えませんでした。ですが、一方ではもしかしたら、という思いがありました。その思いに賭けてみたわけですが……見事に当たりましたね」
そう言ってこちらにニコリと微笑む。
その微笑みの裏に何を隠しているのか、警戒する表情が出てしまったのだろう、その微笑みが苦笑に変わる。
「突然の訪問になってしまったことは謝ります。どうしても会いたかったので」
「そう…ですか」
どうしても……そのどうしてもの中身は何なのか。
その中身次第で、私はどうなってしまうのか。
「ファルス様、今の私はただの平民です。敬称は不要です」
中身は言及せず、さっきから気になっていたことを言っておく。
同時に、今の自分に政略的価値は無いということも含めておく。
「ああ、それはすみませんでした。確かに、貴女の父君は貴女を…セーラ…を侯爵家より除籍しました。貴女の今の身分は平民です。ですが……」
ですが?
嫌な予感が膨れ上がる。
聞かずに今すぐこの場を立ち去りたい。
が、ファルス様と護衛騎士二人を前にして立ち去る自信は無い。
「率直に言いましょう。私とともに王宮に戻っていただきたい」
「……仰る意味がよく分かりません」
王宮に戻る?
そもそも王宮は私にとって戻る場所ではない。
生家でもないし、王妃であったわけでもない。
あくまでも第一王子の婚約者でしかなく、その時点ですら王宮は戻る場所とは言えない。
「私の婚約者になっていただきたいんです」
「…」
…………………
はて、何を言い出すのだろうか、この王子は。
2年の間に脳がいかれてしまったのだろうか。
ちらりと護衛騎士を見るも、職務に忠実な真面目な騎士なのだろう、表情に動きが無い。
「…どうやら今の私は幻聴が聞こえるようです。このような体調でファルス様との会話を続けるのは無礼にあたります。つきましてはこの場は一旦」
「幻聴ではありませんよ。是非私の婚約者になっていただきたい」
(チッ)
さっさと逃亡したいのに。
何故私を婚約者にしたいという結論に至ったのか問いただしたいが今はいい。
せっかく面倒な王妃の立場から逃げられたのにまた王子の婚約者になっては意味がない。
ファルス様は第二王子であり王妃になることはないだろうけど、何もなければいずれは公爵の位を賜り、そうなれば私は公爵夫人だ。
せっかくの自由気ままな平民生活を楽しんでいたのにそんなのはごめんだ。
堅苦しい貴族のしきたりから逃れたのに。
「…残念ながら、今の私は先ほど確認されたようにただの平民です。平民が王族の婚約者など…」
「ですが、生まれから平民ではありません。クルース侯爵に除籍の件を撤回させ、侯爵家の令嬢として復帰すれば何も問題ありません」
「あの父がそんなことを…」
「貴女を侯爵令嬢として復帰させ、私との婚姻。ならば躊躇いなく行うのが貴女の父君ではありませんか?」
…その通りだろう。
父にとって私は駒。
かつては第一王子の婚約者として、いずれは王妃として。
それが無くなったから用済みだったが、今度は第二王子の婚約者、いずれは公爵夫人。もちろんクルース侯爵家との繋がりができる。
間違いなくやる。
役に立つのであれば使う。
ただ公爵夫人になるかもしれない、というだけではない。
再びあの父の駒になる人生。
(冗談じゃない……!)
「確かに父ならやるでしょう。ですが、それは叶いません」
「…ほう、それは何故かな?」
「私が、婚約を拒否するからです」
「………」
はっきり言った。
あなたとの婚約は嫌だと。
「何故……拒否するのか、聞いてもいいかな?」
「あなたが王族だからです」
言った。言ってやった。
当人を置き去りにした、どうしようもない理由で。
最低なのは自覚している。
けれど、ここではっきり意思を示さなければ、確実に王宮に連れていかれる。
そのためなら、ファルス様の私への印象などもはやどうでもいい。
「…なるほど、だから貴女は兄上に興味を全く示さなかったんですね」
合点がいったとばかりにファルス様は目を細める。
そうして、考え込むように目を閉じた。
王族だからと婚約を拒否するような女を婚約者に迎えられるはずがない。
…仮に、政略としてクルース侯爵家との関係を望み、無理やりにでも婚約を結ぶのなら、こちらにも考えがある。
この2年、ただ狩りや採集をしていただけじゃない。
7年の歳月をかけて作り上げた魔法だけでは、身に危険が及ぶこともあった。
やはり野生の獣はこちらの想像を上回る行動をする。
それに対処するため、反撃や防御の魔法も作り出した。
この辺については前世の記憶様様だ。
さぁ、どう出る?
「………わかりました」
ゆっくりと目を開け、ファルス様はこちらを見る。
「不思議ではあったんです。貴女が兄上との婚約破棄を後、貴女はまるで風のように消えてしまった。あまりにもあっさりと。ずっと…準備をしていたんですね」
「…………」
「そんなセーラに、私と……いえ、王族との婚約を結べといっても無駄なのでしょう。私としても、無理に事を進めたくはありません」
ならさっさと帰ってほしい。
そう思っているとファルス様は立ち上がった。
「今日のところはこれで失礼します。いずれ、またお会いしましょう」
「……タノシミニシテオリマス」