妖怪
「ねえねえ知ってる? この辺りで妖怪が出るらしいよ」
「うそー、妖怪なんてありえないー」
「それがいるんだよ。ほんといるんだよ」
「えー、それガチ?」
「ガチガチ」
「ならー、どんな妖怪?」
「姿は人なんだけど、身体中が粘液でネバネバしてるらしい」
「え、なに、キモくない?」
「キモいよね」
「ほんとそれ」
「しかも、理由は分かんないけど、人間をその粘液で溶かすんだって!」
「ガチやばじゃん!」
「でしょ」
「その粘液がかかったら死ぬの?」
「そりゃ溶けるんだから、死ぬよ」
「うわー、最悪ー」
「つー噂があるんだけど、聞いたことある?」
クラスメイトの男子が俺に言ってきた。このクラスメイトとは挨拶程度はするけれども、特に会話はしない。なのに、どうして俺にそんな話をふったのだろうか?
「いや、ないけど」
「あ、そ」
クラスメイトはつれなく答えて、俺から離れていった。気まぐれだったんだろう。俺はそう結論づけた。
しかし、そういった妖怪は昔どこかで見たことあるような気がする。気のせいだと思う。でも、何か頭に引っかかる。
高校からの帰り道。俺は特に予定はないので、真っ直ぐ帰宅している。前から小学生っぽい二人組が楽しそうに俺の側を駆けていった。
そういえば、俺が小学生の時にずっと遊んでいた奴がいたな。名前は花方君だったっけな。中学になってからは1度も会っていないけれども、元気にしているのかな。
俺は懐かしい気持ちになった。
翌日。朝のホームルームが始まるけれども、担任の表情が険しい。どうしたのだろうか? 疑問はすぐ氷解した。
「うちの生徒が亡くなった」
担任の言葉に教室がざわつく。
「静かに。それでその生徒は何者かに身体中を溶かされていたんだ」
担任は悲痛な顔で告げた。また、教室がざわつく。
「頼むから静かにしろ。騒ぐ気持ちは分かるけどな。警察がその生徒を殺した犯人を追っている。そのうち見つかるだろうから、混乱するなよ」
担任が教室にいる生徒を見回す。
「登下校はできるだけ複数人ですること」
以上だ、と担任は話終えると、無言で教室を後にした。
「ねえ、例の妖怪に殺されたんじゃない?」
「粘液で溶かす妖怪?」
「そそ」
「絶対そうだと思う!」
「そだよねー」
教室内の生徒は妖怪の仕業と決めつけていた。妖怪なんているわけないだろうに、全く。内心であきれつつ、次の授業の準備をする。
昼休み。俺は外で食べている。一人で食べるご飯は格別だ。心の中で言い訳をしていると、横から声をかける人間が現れた。
「棚部君。元気?」
そちらの方に視線を向けたら、うちの制服を着た女生徒が微笑んでいる。
「桃原さんか。元気だ」
「そっかー」
桃原さんはストンと俺の横に腰をおろす。彼女はたまに俺のところにこうやって来る。友達はいないのか、と聞いたことがあるが、桃原さんはキッパリ否定していた。まあ、別のところで同性と話しているところを見たので、嘘と断言はできないが。後、棚部君に言われたくないよ、と言われたりもした。これに関してはノーコメントだ。
「そういえば、知ってる? ひとがた粘液妖怪のこと」
彼女は件の妖怪をそう呼んだ。まあ、間違っていないけれども。
「知ってる。関係あるかは分からんが、うちの生徒が何者かに溶かされたようだ」
「そうそう。あれ絶対妖怪の仕業だよ!」
桃原さんまでそんな非現実なことを言うのか。俺は周りの人間を見下したくなってしまう。まあ、少なくともそんなことを表に出すようなことはしないが。
「妖怪に殺された子が本当に可哀想」
悲しそうな表情で桃原さんがポツリと言った。
「桃原さん、そいつの知り合い?」
「違うよ。会ったこともない子」
それで同情できる彼女は良い子だなあ、と思った。いや、俺も同情はしているが、赤の他人に対して桃原さんのような同情はできない。
「それで、妖怪仕業だとしたらどうする?」
「決まってるよ。私達で退治するんだよ!」
俺の疑問に色々突っ込みたい答えを返す彼女。
「どうやって妖怪を退治するんだ?」
「分かんないけど、なんかあると思うよ。というか、悪は相応な報いを受けなきゃ!」
気持ちは分かるが、無策なのか。
「あ、棚部君は私と一緒にやるの嫌?」
不安そうな顔で桃原さんは尋ねてきた。ああ、そこは自分で気づいてくれたのか。まあ、俺もその妖怪のことは気になっているからな。妖怪の存在の有無は良いも悪いもないけれども、俺の違和感を無くしてくれそうだし。
「いや、俺も一緒にやりたいんだよ」
「そっかー、良かった」
ホッと胸をなでおろす彼女に、俺は提案してみる。
「うちの学校の図書室で調べてみるか?」
「それいいね! さっそくやろ!」
意気揚々と図書室に向かおうとする桃原さんを俺は止める。
「今昼休みだぞ。調べんのは放課後でいいと思う」
「あ、そうだね。はやまっちゃった」
申し訳なさそうな声色で彼女は言う。
そういうわけで、俺達は放課後図書室に行くことになった。
俺と桃原さんは図書室で妖怪等に関する本を片っぱしから調べている。とは言っても全部を熟読することは時間的に不可能なので、パラパラと見るだけである。まあ、粘液妖怪がそんな簡単に分かるとは思えないので、成果は期待していない。
俺が見た本ではメジャーな妖怪はよく見かけるが、やはり粘液妖怪に関するものはない。
どうやら、桃原さんも調べ終わったようだ。
「粘液妖怪のものはあったか?」
「全然ないよー!」
彼女は悔しそうに顔を歪める。
「俺もなかった。あんま期待してなかったけど」
「それって、私の活躍のこと?」
「そうじゃない」
それもあっていたけれども、言えば彼女は怒るので、否定しておいた。
「どうする?」
桃原さんが小首を傾げて尋ねる。
「明日はちょうど学校休みだから、俺が適当に聞き込みをしとく」
「私も一緒にやるよ」
いや、男女二人で休日に動いていたら、勘違いされそうなんだが。その旨を彼女に伝えると、そんなの気にしないから、と答えた。
「噂になっても、すぐにみんな忘れるよ」
桃原さんが断言。すぐに忘れはしないが、そのうち忘れることは確かだ。
こうして、俺達は休日に聞き込みをすることになった。
翌日に俺達は駅前で落ち合う。桃原さんの方が早かった。
「とりあえず、別々に探してみるか?」
「せっかく二人いるのに。一緒にしようよ」
「うんまあ、俺も一緒にやりたいのはやまやまだけど、効率的な問題で仕方ない」
「り」
桃原さんが若干不服そうに了承した。女心が分からないと批判されそうではあるけれども、俺達は遊びに来たわけじゃないからな。
昼前にここに集合することを約束して、俺達は別れた。
聞き込みを開始したが、うまくいっていない。知らない、と言われるのが大半だし、たまに無視されることもある。仕方ないとはいえ、やっぱ辛いな。今更だけれども、学校内の生徒に聞き込みをした方が良かったかもしれない。まあ、やってしまったものは仕様がないから、続けよう。
一人の中年女性に話を聞くことができた。
「あなたの学校の近くに川があるでしょ」
「ええ、ありますね」
実際はそんなに近くにはないけれども、遠くもなかったので、肯定する。
「数年くらい前だったかな。中学生の男の子がその川で飛び込み自殺をしたらしいよ」
「死因はなんだったんですか? その男の子はなんか辛いことがあったんですか?」
「分かんないけど、溺死じゃない? その子の状況は聞いてないけど」
可哀想よね、と女性はため息を吐いた。学校、川、溺死、粘液。繋がっていると言えなくもないが、ちょっと強引かな? まあ、一応参考にしておくか。
「ありがとうございます」
「いいのよ。あなたは若いんだから、こんなおばさんの相手しなくていいよ」
俺は女性と別れた。気づいたら11時半くらいになっていた。集合場所に戻ろう。
12時前になって、駅前に来ると、桃原さんはすでに待っていた。
「また、待たせてすまない」
「いいよ、別に。それよりどっかで食べよう」
少し元気がなさそうだった。原因は分からないが、昼食を食べることが優先だ。俺達は適当なファミレスに入った。
ファミレス。大人の男女のデート場所には不適切かもしれないけれども、俺達は高校生だし、付き合っていないし、問題ないはず。
「とりあえず、俺はマグロ丼にする。桃原さんは?」
「私ナポリタン」
「OK」
俺は呼び出しボタンを押す。すぐに店員が来てくれた。
「ご注文は?」
「俺はマグロ丼、彼女はナポリタンで」
「かしこまりました」
店員は復唱して確認した後に去っていく。桃原さんに視線を向けると、変わらず元気がなさそうにしている。
「さっきから元気がないぞ」
「え、そうかな?」
「うん」
「そうでもないかも」
そう言いながらも表情は晴れない。
「まあいい。それより良い情報手にいれたぞ」
「え、どんな、どんな?」
桃原さんが前のめりで顔を近づけて聞いてくる。こいつ男を相手なの分かってるのか? だが、俺はこれに関しては口に出さず、例の話を彼女に聞かせる。
「その溺れた男の子と粘液妖怪はどう関係あるの?」
真剣な顔で尋ねてきた。予想していたことだ。俺は強引とも言えるかもしれない男の子と粘液妖怪との繋がりを説明する。桃原さんは一瞬にして表情が綻んだ。
「さっすが、棚部君! ものすごく関係あるよ! もう溺れた男の子が粘液妖怪になったんだよ! もう決まりだね!」
「いや、確定はしてないけど」
「そんなことないよ、確定! はげる!」
本当に嬉しそうに言う。もういいや。
「まあ、元気なかったから、桃原さんが喜んでくれて何よりだ」
さりげなく再度聞いてみると、彼女は苦笑した。
「嘘ついてごめん。私ね、何の情報も手に入れられなかったの。収穫がなくて、申し訳ないと思っちゃった」
「まあ、一応俺が朗報らしきものを得たから、気にすんな」
ありがと、と桃原さんが言った。
翌日。俺は教室で次の授業の準備をする。
「棚部の奴、別クラスの桃原とデートしてたぜ」
「マジで? 付き合ってんの?」
クラスメイトの会話が俺の耳に入ってきた。色々訂正したいが、こいつらとは別に仲良くないから、わざわざ誤解を解く必要もない。俺は気にしないことにした。
昼休み。いつもの場所で食べていると、いつものように桃原さんが声をかけてきた。
「桃原さん、俺との噂を聞いた?」
「ん? 付き合ってるってやつ?」
いつもの調子で彼女が言う。
「そうだよ」
「それがなあに?」
「どう思う?」
桃原さんが上を向いて、考える。
「別にどうも思わないけど」
「そか」
前言った通り彼女は気にしていない。まあ、俺も気にしないことにしたから、この話は終わりだな。
「早く粘液妖怪を退治したいよ」
桃原さんは粘液妖怪のことを話し出した。
翌日。どうやら、件の粘液妖怪に襲われた生徒がいるとかいないとか、そんな話を耳にした。同じ学年のようだが、そこまでしか分からない。
休み時間に廊下を歩いていると、桃原さんとバッタリ会った。
「知ってる? 2組の人が粘液妖怪に襲われたんだって!」
「2組ってのは初耳だな」
「そんでね、昼休みにその子と会ってみない?」
「昼はどうすんだ?」
「もちろん2組でその子と3人で食べるつもり」
俺、他の人と食べたり、別の教室で食べたりするのは嫌だなあ。
「いいよね?」
俺の心情に気づかずに桃原さんは許可を求めてくる。
「例の生徒を勝手に一人ぼっちにするなよ」
「だから、つもりだって」
少し酷いけれども、押し問答をしても建設的ではない。
「分かった。俺もやるよ」
俺の同意に彼女は嬉しそうな顔をした。
「んじゃ、昼休みに2組の前でね!」
「り」
俺は返事をして、桃原さんと別れた。
昼休み。俺は昼ごはんを持って、2組の教室前で待っている。今回は俺の方が早かったみたいだ。覚悟はしているとはいえ、やっぱ気が進まないなあ。
「お待たせ、棚部君」
内心で若干マイナスなことを考えていると、桃原さんが来た。彼女の手にはお弁当らしきものがある。
「じゃあ、さっそく」
彼女がガラッと教室の扉を開ける。
「すいませーん! ○△□君いませんかー!」
教室内にいた人達が一斉にこちらを見る。うわあ、嫌だ。俺のそんな気持ちが分からないだろう桃原さんはキョロキョロと教室内を見渡す。教室内の人達がある人物に視線を向ける。そちらを辿ってみれば、おとなしそうな男子がいた。
「○△□君だよね? 一緒にお昼どう?」
桃原さんが彼の近くへ行って、そう言った。
「え、うん、いいけど」
○△□君は戸惑って、何か言いたそうだ。
「えっと、ここじゃなんだし、人がいないところが良いな」
おずおずと俺達に提案してくる。俺としてはありがたいけれども、彼女はどうなんだろうか? 彼女の顔を見る。
「うーん、まあ、いっか。じゃあ、ついてきてくれる?」
桃原さんは考え込んで、彼の提案を受け入れて、表情を崩した。
「う、うん」
○△□君が慌てて、パンと牛乳を持った。彼女が教室を出始めたので、俺と○△□君は彼女を追いかける。
結局。
「いつも俺が食べてる場所か」
俺はぼそりと呟いた。まあ、ほぼ人が来ないから、うってつけではあるが。
「いいじゃん。それよりさ」
桃原さんが○△□君に顔を向ける。
「君、粘液妖怪に襲われたんだよね?」
「おいおい」
オブラートに包めよ。
「粘液妖怪?」
○△□君は疑問を浮かべた表情をしたけれども、すぐに気づいたようだ。そして、沈んだ顔で下を見た。
「そうだよ」
「どこか怪我とかない?」
「服を溶かされただけだから、怪我とか特にないかな」
不幸中の幸いってとこだな。というか、噂では死ぬらしいが、こいつは大丈夫だったみたいだ。
「どんな姿してた?」
桃原さんが質問する。
「ネバネバした人間みたいな姿だった」
「うんうん、噂通りだね」
「あ、そういえば、中学生っぽい年齢だったかも」
なんか前におばさんに聞いた中学生の話を思い出した。
「どこで会った?」
桃原さんが尋ねる。
「A町」
この学校の近くだな。
「そっか。教えてくれてありがと」
「うん」
彼女の礼に○△□君は頷いた。
そういうわけで、放課後に俺達はA町にいる。ここにも川はある。件の中学生が自殺した川より全体的に小さいけれども。
「調査って言っても、手がかりは川くらいしかないけど」
桃原さんが調査しようと誘ってきたので、俺は彼女とともに来た。しかし、普通の川で特に怪しそうなところはない。
「もっとよく探してみよ」
桃原さんの提案に黙って頷いて、探し続けた。
結局何もなく、解散となった。
翌日。昨日とは別の生徒が粘液妖怪に襲われたようだ。
同じように、桃原さんと件の生徒に話を聞きに行く。今回は年下の女生徒つまり後輩女子だ。彼女も制服を溶かされて、今は呼びの制服を着ているらしい。
「それで、どこで襲われたの?」
桃原さんの質問に女生徒は憂うつそうな声色で話してくれた。
「A町の○○区です」
「○○区だね?」
「はい」
○○区か。同じA町とはいえ、昨日とは反対方向じゃないか。
件の後輩と別れた後、また放課後に捜索をするか話し合う。
「行こうよ」
「また、無駄足になるかもな」
「それでもいいじゃん。なんもしないよりは良いと思うよ」
桃原さんの正論により、また捜索することになった。
放課後。○○区。ここにも川がある。色々な場所を探したが、結局見つからない。
「帰るか?」
「うん」
何も収穫がないまま帰ることになった。
しかし、突然川から何かが飛び出してきた。俺はすぐにそちらに顔を向けようとした。
「きゃぁ!」
「うわ!」
桃原さんと俺は何かをかけられた。服が溶かされたような感覚だ。
「いやああぁ、服が溶けてるよよよょょ!」
服が溶かされ、腕を露出した彼女が恐怖で全力でその場を去る。何かが体のあらゆるところから、大量の粘液を桃原さんに浴びせかける。こいつ、噂の粘液妖怪か!
「いぎゃあああぁぁ!」
桃原さんの全身が溶けて、彼女の体が倒れる頃には、すでに原型を留めていない惨たらしい死体となっていた。
お、俺も殺される!
「う、う、た、助けてくれ!」
俺の体が動かない。恐怖で動かない。死ぬ!
だが、粘液妖怪はこちらをじっと見つめている。
「ん? なんだ?」
俺は攻撃してこない粘液妖怪に疑問を持った。何故こいつは攻撃してこない?
「ど、どういうつもりだ?」
粘液妖怪は答えない。警戒してそいつを見ていると、俺の思考が合致する感覚になる。
粘液。川。中学生。自殺。小学生。会っていない。これらが合わさる答えは1つである。
「き、君。ひ、ひょっとして、花方君?」
俺は恐る恐る尋ねてみる。粘液妖怪は答えない。どうしよう、確証が得られない。
そんな俺の考えを察したかのように、いきなり視界が真っ白になる。
「おい、花方! なんだこれはよ」
不良Aが僕を怒鳴り付けるように呼ぶと、手に持ったパンを見せてくる。それは僕の自腹で買ってきた蒸しパンだった。
「おまえよ、俺様はメロンパンを買って来いっつったんだ! これのどこがメロンパンだ!」
そう言って、僕の腹を蹴りつけてくる。うぐっ、戻しそうになる。
「花方君、おまえはまともに命令に従えない能無しなんだな、おい」
不良Bは僕の髪をひっつかんで、僕の頭を壁に叩きつける。少し加減をしているとはいえ、痛いことには変わらない。痛いよ。
「次俺らを舐めやがったら殺すぞ!」
不良Aが吐き捨てるように言って、不良Bとともに僕から離れていった。
他の人達はいじめられている僕を見てみぬふりをする。悲しい。彼らの気持ちも分かる。僕がそちらの立場だったら、同じことをしていたかもしれないからだ。でも、やっぱり止めて欲しいと思うことは贅沢なのだろうか? せめて、先生言ってくれてもいいのに、と思うことも贅沢なのだろうか?
不良達からいじめられるのは今日だけではない。1学期からずっとだ。今日みたいにパシリをやらされて、言いがかりで殴られるのは当たり前。水をかけられたり、机に落書きされたりもした。僕のこの状況に嫌気を差している。いや、もうそういうレベルじゃない。死にたいと思うことが頻繁にあり、僕の存在理由も分からなくなっている。
僕は川を眺めている。僕をこの苦しい現状を解放してくれる川は救世主のように感じる。救世主様、僕を助けてください。
「叶えよう」
どこからか声がした。僕はキョロキョロを回りを見る。誰もいない。幻聴?
「叶えよう」
僕は再度辺りを見てみるが、やっぱり誰もいない。
「川に飛び込め。そうすれば、叶えよう」
幻聴かもしれない。でも、どっちみち川で死ぬつもりだったから、幻聴でも何でもいい。
「じゃあ、叶えて!」
僕は叫んで、川に飛び込んだ。鼻。口。耳。あらゆる穴からおびただしい水が入り込んでくる。苦しい。息ができない。苦しい。苦しい。苦しい。
僕の意識が途切れた。
俺の意識が戻った。目の前には粘液妖怪改め花方君が俺を見ている。そっか。俺と別れてから、彼はこんなことを経験したのか。
「辛い一生で残念だったな」
俺は同情した。彼は相変わらず何も応えない。1度でも花方君に連絡を取っていれば、こうならなかったかもしれない。まあ、俺が連絡をしたからと言って、この状況を絶対に防げたとは断言できないが。しかし、花方君が自殺する可能性は減らせたのは間違いない。どうして、彼と連絡をとらなかったのか。ものすごい後悔している。
「ごめんな、花方君。俺が連絡をしなかったばかりに」
俺は精一杯花方君に頭を下げて、謝った。こんなことをしても、花方君が許してくれるわけではない。だが、自己満足だとしても俺は頭を下げるしかない。
「キミのせいジャナイ」
花方君?
「アタマをあげて」
花方君が喋った。
「失礼だけど、花方君が話してるのか?」
「ウん」
彼が頷く。嬉しい。申し訳ない気持ちで一杯だけれども、花方君が口を利いてくれて嬉しい。生前と違って片言だが、それでも嬉しいことには変わらない。
「花方君、俺は君を助けられなかった。そんな簡単に頭をあげられない」
俺の言葉を花方君は否定する。
「ウうん、ボクをこんなフウにオモってくれたノハキミだけたヨ。それでジュウブんすぎル」
「花方君」
「ダカら、おねがイだから、カオをあげテ」
そこまで言われたら、顔を上げざるをえない。花方君が笑顔で俺を見てくれている。
「キミとさいかイできてホントにヨカッた」
花方君の姿が薄れていく。
「ボクはじょうブツするかラ」
「え、花方君は今幽霊なのか?」
「チガウ。ようかイ」
それは成仏というのか? 成仏は幽霊に使うイメージなのだが。まあ、どっちでも良いや。
「元気でな、花方君」
「アリガと、たなべクン」
それは、こっちの台詞だよ。何の役にも立たなかった俺を許してくれたんだから。花方君が薄くなっていっている。彼の言う通り成仏するのだろう。どんどん消えていく中でも、花方君は笑顔だった。俺も泣きたくなるのを堪えて、笑顔になった。
そして、花方君は跡形もなく消えていった。これで粘液妖怪の噂はなくなっていくだろう。問題は解決した。だが、俺は悲しくて、目から涙が流れてきた。花方君、本当にごめんな。
翌日。学校は桃原さんの話題で持ちきりだった。
「桃原さん死んだか。いい子だったのに」
「そうだよな。ところで、AV女優がセクシー女優という呼称になっているな。ならば、アダルトゲームはセクシーゲームになるのだろうかね?」
「学校の生徒が死んでんのに、何わけわかんねえこと言ってんだ」
「悪い」
2人の生徒の会話が耳に入る。
いつか花方君の墓参りに行こう。俺は固くそう決めた。
俺はそれから警察の事情聴取を受けた。桃原さんが誰に殺されたか、何故俺も一緒に現場にいたのか等を尋ねられた。嘘を吐くことは犯罪になるので、当然全て正直に話した。予想はしていたが、警察は信じなかった。良い意味で俺を哀れんだ警察は割と早く俺を家に帰してくれた。
後で聞いたけれども、俺は極度のストレスで幻覚を見ていたと片付けられたみたいだ。
自宅から結構遠い所に、花方君の墓がある。墓は綺麗に掃除されている。家族の人が定期的に来ているのだろう。
俺は手を合わせる。
「花方君、向こうで元気にやってるか?」
手を合わせ続ける。
「向こうでは幸せでいてくれよ。それが俺の唯一の願いだからな」
そうして、その日の切望していた墓参りは終わった。