第五章
第五章 勘違い
次の日もいつもの様に、午前中にチラシ配りをして事務所に戻った。タマはマタタビを貰って上機嫌で棚の上で丸くなっている。クロは俺の机の傍らで横になり暇そうにしている。ネコはパソコンに向かいホームページの更新をしている。
帰って来るであろう返事は予測出来たが、意を決してネコに聞いてみた。
「なぁ、何かやる事ないかな?」
「それ位、自分で考えなさいよ」
やっぱりね、俺に振り向く事さえない。
しばらく自分に出来る事を考えて見たが、何も思いつかず窓の外を眺めていた。
「そんなに暇なら、買い物行くから付き合いなさい」
更新が終わったのか、ネコは俺にそう言った。
暇過ぎる俺には断る理由もないので了承し、クロとタマに留守番を頼んで、川沿いの土手を二人で歩いていた。
「おまえ、いつまで夏休みなんだ?」
「まだ、一ヶ月以上あるわよ。出来る事なら夏休みが終わるまでに、一日に一件は依頼が来る様にしたいのよね」
そう語るネコの表情は、すごく真剣で強い意思を感じる。
ネコは俺の何倍も仕事の事を考えているのだろう。確かに、現場では俺がメインでやってはいるが、問題が起こるとネコに頼ってしまう。ホームページやチラシにしても、全部ネコにまかせっきりだ。ネコがいなかったら、俺は何も出来ないのだ。
なんだか、自分が情けなくなってしまい、俺は俯き呟いた。
「なんか、ごめんな……ネコにばかり苦労させて。自分がやるべき事も解らないなんて頼りないよな……」
「そりゃあ、あんたは確かに頭も悪いし、行動力もないし、優柔不断だし、美人には弱いし、私がいないとなーんにも出来ないけど。でもさ、あんたにしか出来ない事があるじゃない。トムの飼い主さんだって、あんたの能力のお陰で、気持ちが少しは安らいだはずだし、私とゴンスケだってそう。だから元気出しなさいよ!」
そう言って、俺の背中をバシンと叩いた。
――こいつ、意外に優しい事も言うんだな。
いつも酷い言われ方をしているから、この優しい台詞がやけに心に染みた。
駅前のスーパーに着き、ネコは買い物カゴを手に持ち野菜コーナーに向かう。母親の買い物に付いて来ている子供の様に、俺はネコの後を追いかけながら聞く。
「なぁ、何の買い物なんだ? 家の買い物頼まれたのか?」
「今日は、あんた達に御馳走作ってあげようかと思ってね」
「おまえ、ちゃんとした料理作れるのか?」
特に悪意も無く聞いたつもりだった。
「はぁ? ちょっと、それどう言う意味? あんた、あたしが勉強しか出来ない女だとでも思ってる訳?」
「違う、違う、誰もそんな事言ってないだろ。嫌味とかで言った訳じゃないって、純粋に質問しただけだよ」
やっぱり、こいつの起爆スイッチの場所は分からない。
なんとか噴火は免れたが、まだマグマは煮えたぎっているようだ。
「あれ、犬山と杉浦だよな?」
急に、背後から声をかけられた。振り返ると、中学校時代の同級生である、中山正志だった。その顔には歪んだ笑顔を張り付けている。
不味い場面で出会ってしまった。これは、誰がどう見ても勘違いする状況だ。俺はネコと噂になっても一向に構わないが、ネコが何処かでその噂を耳にしたら激怒するに違いない。そして、そのぶつけ所の無い怒りは全て俺に向けられるに決まっている。その凄惨な状況を思い浮かべただけで冷や汗が出る。
何と言っても、正志の中学時代のあだ名は、『フライデー』なのだ。
噂話しが大好きで、それに尾ひれを付けて吹聴してまわる。それで、何人のカップルを破局に陥れた事か。それでいて、本人には全く罪の意識が無いのだから始末に終えない。
「あれ? もしかして、おまえら付き合ってんの?」
写メでも取るつもりなのか、すでにポケットから携帯電話を取り出している。
しかし、どう言い訳しようが彼の手に掛かってしまえば、事実は超能力者が指先に持つスプーンの様に捻じ曲げられ、人から人へ伝染し変異して行くウイルスの様に噂に尾ひれが付いて、俺たちの耳に入る頃には、ネコは一児の母になっている可能性だってある。
俺が返答に困っていると、ネコが喋りだした。
「そうよ。私と達也は、両親の了解を得て結婚前提に付き合っているの。同棲はしてないけど、私が大学を卒業したら結婚式を挙げるから正志も来てね。あ、ちなみに子供はまだ出来てないわよ」
「マジで? おめでとう達也! やったなぁ、杉浦みたいに美人の嫁さんゲットして。しかし、杉浦がお前を選ぶとは……人生何が起きるか分からんな。みんなにもそう伝えとくよ。じゃあな」
そう言って、正志は俺達に背を向け歩き去って行った。
――え、え、なに、どう言う事? いつの間にそんな事になってたの? それも俺の同意もなしに。ま、断る理由はないけどさ、一言くらいあっても良いでしょ。
「ちょっとあんた、いつまでそこに突っ立ってんのよ。重いからカゴ持ちなさいよ。ほんっとに、あんたは気が利かないわね」
「そんな事より、いつの間に俺の両親と結婚の話したんだよ。一言、俺に言ってくれてもいいんじゃないか? そんな大事な話さぁ」
「はぁ? あんたバカじゃないの? ていうか、最強のバカね。あそこで、何を言おうが正志は有る事、無い事付け加えて話して廻るに決まってるじゃない。だったら、結婚って言葉を言えば変な尾ひれは付きにくいでしょ。それを誰かから言われた時に、『正志にドッキリ仕掛けたの!』って言えば、『だよね!』ってなるでしょ。現実離れした話しなんだから。御理解頂けまして?」
物事をすぐに理解出来ない、不憫な生き物を見るような目で俺を蔑んだ。
ほんの一瞬でも、実話だと思った自分が不甲斐ない。そして、その現実離れした話しを受け入れ様とした自分が情けない。
「はい、はい、どーせ俺は最強のバカですよ。ネコ様みたいに機転が利きませんよ。そんな最強バカと結婚しようと思う女なんかいる訳がないですよね」
「そうね……もし、あんたの貰い手が見つからなかったら、私が貰ってあげるわよ」
視線さえも向ける事なく言ったその言葉は、まるで売れ残りの野菜をタダ同然で引き取り家畜にでも与えようか、と考えているように聞こえた。
――なにが、貰ってあげるだよ、ふざけんな!くそ、ちょっと可愛いからって調子に乗りやがって。誰がお前なんかと結婚するか! 究極の選択を迫られたら、俺は迷う事なく死を選ぶ。
そんなこんなで、俺達は買い物を終え事務所に戻った。当然の事のように、荷物は全て俺が持たされ、ネコは何一つ持ってくれなかった。
こいつは、レッサーパンダの皮を被ったタスマニアデビルだ!
分かりづらいか……天使の着ぐるみを着た悪魔だ!
少しは捻っているが、ベタな表現だな。
テロリスト相手に、いつも笑顔で武器を売る、死の商人だ!
この例えはちょっと違うか。
椅子に座った俺が、そんな事を考えていると、さっそく料理に取り掛かったネコは、鼻歌を歌いながら玉ねぎを切っている。カレーのルーも買っていたし、どうやら晩御飯はカレーライスの様だ。
あいつ、俺が三度の飯よりカレーが好きな事を知ってたのかな?
ま、カレーも飯だけど。
クロには、そこそこの値段の厚切り肉を買って、タマにはマタタビと紅鮭の切り身を買っていた。クロもタマもその匂いだけでヨダレを垂らしている。
俺は、料理が出来るのを待っている間に、ネコが作ったホームページを見ていた。上手いのか下手なのかは、経験が無いので良く分からないが、凄く見やすいし親しみがわく様なデザインだ。
これを作るのに、どれ程の時間が掛かるのだろう、そう思い画面を見ていると、メールが届いたマークが浮かび上がった。
やり方が良く分からなかったが、メールのマークをクリックして見るとメールが開いた。
「これは……ネコ、ネコ、依頼のメールだ! ちょっと来てよ!」
「え、依頼メール! どれどれ?」
台所から飛んできたネコの顔と俺の顔が、触れるほど近寄り肩と肩はくっついている。俺の鼓動が聞こえてしまうのではないかと心配した。息を吸い込むと、ほのかに甘い香
りがして鼻腔をくすぐる。
――いかん、いかん、タスマニアデビルに何ドキドキしているんだ、俺は!
「今日はもうご飯作ちゃてるし無理だから、明日の午前中に電話しましょ! もうすぐ、カレー出来るから待っててね!」
依頼が来たからなのか、抜群に可愛い笑顔を浮かべて台所に戻って行った。
しかし、この依頼でもう三件目か。この仕事をやり始めてから毎日のように依頼があるな。考えてみれば、ネコと一緒にいられるって言う、邪な理由で始めて見た物の、依頼者にはすごく感謝されるし、自分だけにしか出来ない仕事なんだと思えば、なんだか誇りのような物も感じられる。
クロもタマも進んで(タマはマタタビだけど)協力してくれるし、ネコも頑張ってくれているし。なんか良い感じだな。
「皆さん、お待たせしました。晩御飯出来たよ!」
ネコと俺は台所の四人掛けテーブルに座り、目の前には美味しそうなカレーライスと、サラダに唐揚げまでもが並べられている。
クロとタマは俺とネコの間の床で、皿に盛られた御馳走を一時も目を離す事なく凝視して、号令を待っている。
「では皆さん、いただきます!」
「……いただきます」
見た目は非常に美味そうだが、見た目と味は必ずしも比例する訳ではない。俺は、スプーンですくったカレーライスをゆっくりと口に運んだ。
――こ、これは……う、美味い。
今まで食べたどのカレーよりも美味い。こいつ、こんな可愛い顔してて頭も良いし、さらに料理までもイケるとは……天は何物をこいつに与えるつもりなんだ。
クロとタマは既に食べ終わっていて、満足そうに横になっている。
「どう、おいしい?」
「ま、まぁ……美味い方なんじゃないの」
自信ありげなネコの顔を見ると、素直に美味しいと言うのが悔しい。
と言うか、ムカツク。
「あれ、お口に合わなかったかしら。じゃあ別に無理して食べる事ないわよ」
さっと手を出して、俺のカレー皿を取り上げようとした。
くそ、こいつの行動は計算づくだ。
「いやいや、食べるから、て言うか、めちゃくちゃ美味いです……はい」
「人間は素直が一番だって習わなかった?」
「そ、そうですね。ネコさんのおっしゃる通りです……なぁ、これって何か特別な作り方してるのか?」
「特別って訳じゃないけど、こくを出す為にチョコレートを入れて、三種類のルーをブレンドしたの。このセレクトがポイントなのよ。あとは愛情を入れるだけ!」
「……愛情」
その言葉に、俺は動揺してスプーンを口に運ぶ手前で固まってしまった。
「なに、勘違いしてんのよ。料理に対する愛情に決まってるでしょ。バカじゃないの?」
ネコは見下すように俺を見て、笑いながら料理を口にした。
こいつ……今のやり取り。
『愛情』と言う単語を、巧妙に会話に組み込み、それを勘違いするように仕向け、俺をバカにするために計算された会話だったんだ。
やっぱりこいつは、タスマニアデビルだ。
可愛い姿して、肉食でえげつない食べ方をするってだけで、そんな名前をつけられたタ
スマニアデビルには申し訳ないが、敢えてここでは使わせて頂こう。
そんな事を考えてムカつきながらも、あまりの美味しさに不本意ながら二回おかわりをして、お腹一杯になった俺は、椅子に座ったままくつろいでいた。
クロは足元で完全に眠りこけていて、タマは本棚の上で丸くなってお休みだ。俺も段々眠くなってきた。
「もう御馳走さま?」
「うん、お腹一杯だ。本当に美味しかったよ」
「そう、じゃあ後片づけよろしく、また明日ね」
そう言い残して、さっさと事務所を出て行った、ネコ。
マジかよ。これで後片づけまでしてくれたら完璧なのに……。
さすがにクロとタマに手伝わせる事は無理なので、ぶつくさ言いながらも食器を片づけ流しに持って行き、洗い流す俺であった。