第三章
第一章 歌わなくなったカナリア
まだ三時を過ぎたばかりで日差しが強く、もろに日光を浴びればタマが言う様に丸焼きになりそうだったので、日陰を探し駅前で準備をした。チラシを配り始めた俺達は、結構な注目を浴びていた。
ネコの美貌に引かれる男性も多かったが、人間二人に犬と猫が横一列に並んでチラシを配っている訳で、そのチラシには、『ペットからのメッセージ伝えます』と書いてある訳で、チラシを見た人は一様に、二人と二匹をまじまじと見つめて首を傾げて行く。
中にはチラシを見て大笑いする人もいた。百枚程のチラシを配り終え帰る準備を始めていると、インテリちっくな眼鏡をかけた、ふくよかな体系の女性がチラシを片手に近寄ってきた。
「ちょっと、宜しいかしら。このチラシに書いてある様に初回は無料なのかしら?」
「はい! 初回は無料ですから、物は試しでどうですか!」
すぐさまネコが女性に近寄り、ペットの情報を聞き出している。
どうやら、女性が飼っている一匹のカナリアが最近全く鳴かなくなったらしい。病気ではないかと心配して、獣医に見てもらったが病気ではないらしく、原因が分からない為に心配しているみたいだ。
彼女は近所に住んでいるようで、じゃあ今から伺います、と言う事になり、俺達一行は記念すべき一人目のお客様のお宅へ向かった。
依頼者宅に到着した俺たち一行は、リビングに通されテーブルに腰掛けた。クロは俺の足元に座っていて、タマは膝の上に乗せている。ネコは、いつの間にやら作っていたカルテ用紙を取り出し、女性に確認しながら記入している。
そのカルテを覗いてみると、その女性は未婚の三五歳。この家には両親と三人で暮らしていて、人の出入りは殆どなく、ペットはカナリア一匹で飼い出してから三年が経過している、と書いてある。
他にも色々書いてあるのだが、正直な所これが何に必要なのか分からない。
ま、ネコの事だから、なにか考えがあるんだろうけど。
しばらくして、カルテの記入が終り、いきなり大勢で行ってカナリアを驚かしてはいけないので、まずは俺とネコだけがカナリアがいる部屋に案内された。
「先生、これがカルテです」
と、大袈裟に渡し、俺に体を近づけてお客さんに聞こえない様に小声で言った。
「はっきり言ってこんな物必要ないんだけどさ、それらしくやった方が重みが出るでしょ。だから、あんたもさっさと終わらせるんじゃなくて、それらしくやんなさいよ」
そう言う事か、なるほどね。
ネコの指示通り、時間をかけてカルテに目を通し、もっともらしく一つ咳払いをした。
「なるほど……確かに少し毛色の艶がありませんね。えっと、お名前がピーちゃん。鳴かなくなってから一ヶ月が経過した訳ですね。何か、思い当たる節は御座いませんか?」
――それらしくやったつもりだけど大丈夫かな……。
ちらっとネコに視線を送ると、ネコは小さく頷いた。
「それが、全く思い当たる事がありませんの……このままピーちゃんが死んじゃったらと思うと食べ物が喉を通らなくて……」
――の割には……それは置いといて。
「なるほど。それは精神的にも良くないですね。分かりました。早速ピーちゃんの気持ちを確かめて見ましょう。それでは杉浦君、クロ君を連れてきたまえ」
「はい先生、かしこまりました。直ぐに連れてまいります」
――な、なんだこれ! めちゃくちゃ気持ちが良いぞ。何か自分が偉くなった気がするし、俺がネコに命令しているって言うのが、たまらない。
「先生、クロ君を連れてまいりました」
クロは、俺とネコのやり取りを見て、必死に笑いを堪えている。
俺は、クロの背中をポンと叩き、
「では、クロ君宜しく頼むよ」と言った。
「こんにちは、君はピーちゃんって名前なんだね。僕はクロって言うんだ。いきなり知らない僕らが来て驚いているだろうけど、飼い主さんが君が鳴かなくなった理由が分からなくて凄く悩んでいるみたいなんだ。良かったら僕にその理由を教えてくれないかな? その理由によっては、僕らが出来る限りの改善をさせてみせるからさ」
クロは愛くるしい表情で、優しくそう言った。しかし、ピーちゃんは完全にそっぽを向いている。
「怖がらなくても大丈夫だよ。僕らは君の味方だから。だから話してごらんよ」
その言葉に、急に振り向いたピーちゃんは、何事かをクロに告げた、と思う。
――はい、問題解決です。いやぁ、楽な仕事だな。ネコにも命令できるし気分は良いし!
とかなんとか思いながら、クロに視線を送ると何故だか表情が曇っている。
「クロ君? ピーちゃんの理由は分かったんだろ?」
「たっちゃん、これは思わぬ展開だよ……ピーちゃんは、『アホずらぶら下げたお前らなんか信用出来るか。一昨日来やがれ、このクソ犬が!』だってさ……」
クロは、しょんぼりと項垂れた。
――これは、想定外の出来事だ。あんなに小さくて可愛らしいカナリアが、よもやそんな過激発言をするとは……俺は動揺を依頼者に悟られないよう注意した。
「ゴホン……なるほど、これは少し時間が掛かりそうですね。ピーちゃんの心の闇がかなり進行しています」
「こ、心の闇……ピーちゃんはそんなに傷ついているんですか。可愛そうなピーちゃん……あなたの小さな心はブルブルと震えているのね。私が、私が必ずピーちゃんを守ってあげるから……」
依頼者の女性は、ハンカチを目にあてて、すすり泣いている。
助手と対策に付いて話し合いますのでリビングで待って欲しい、と依頼者に告げると、それを了承し部屋を出て行った。
「ちょっと、どうしたのよ。ピーちゃんの心の闇ってなんなのよ、クロちゃんが理由を聞いてくれたんじゃないの?」
「それがさ……ピーちゃん、体は小さいけど態度はデカイみたいでさ。暴言吐くだけで、理由をクロに話さないんだよ」
「まぁ、確かに犬と鳥じゃ、仲間意識は皆無でしょうしね。しかし困ったわね……」
「クロ、悪いけどもう一度、ピーちゃんに話しを聞いて見てくれるか?」
俺は、他に方法が見つからずそう言った。クロは仕方なく重い腰を上げて、鳥籠の前に立つ。
「……駄目だとは思うけど、やってみるよ。ピーちゃん、もしも理由を教えてくれたら、ピーちゃんが欲しい物を何でもあげるから教えてくれないかな?」
物で釣る作戦が、カナリア相手に通じるのかどうかは別にして、クロはこれでもかと言わんばかりの笑顔だ。
ピーちゃんは、羽を大きく広げて何かを捲くし立てている。
「たっちゃん、やはり僕には無理だよ……」
そう言うと、クロはぐったりと床に腰を降ろしてうなだれた。どうやら結果は見えているので、あまり聞きたくはないが仕方ない。
「クロ……何て言われたの?」
「物を与えて口を割らせようなんか、薄汚え人間のする事だ。てめえの心は、毛色と同じで真っ黒だって……」
俺は頭を抱えた。目の前にいる小さくて可愛いカナリアと、クロから聞いた言葉が全く重ならない。
しかし、これは紛れもない現実。それをネコに伝えるとネコも頭を抱えた。
その時、ドアの隙間を頭でこじ開けて、タマがあくびをしながら入って来た。
「クロの旦那には、ちぃとばかし荷が重そうだねぇ。こう言う輩にはそれなりの対応をしねぇといけねんだ。まぁ、見てな」
タマはひょいと飛び上がり、カナリアのカゴの前に座った。カナリアはいきなりの天敵の出現にパニックになり羽をばたつかせている。
「おい、ピー公。てめぇ、さっきから黙って聞いてりゃ舐めた事ばかり抜かしやがって。飼い主さんは、極道で例えるならば組長だ。おめぇは組長に食わせてもらってる訳だろ、それも三年目って言えばまだ駆け出しの組員だ。いわゆる準構成員って奴だ。それが自分の身勝手で組長を悲しませる様な事はしちゃあいけねぇ、それが任侠ってもんじゃねぇか。これだけ言っても、わからねぇってんなら体で理解してもらうしかねぇんだがな……」
そう言って、右手を上げると鋭い爪がキラリと光った。
父さんはヤクザ映画が大好きで、暇さえあればレンタルショップで借りて来た映画を見ているので、それを箪笥の上から覗いていたタマも影響を受けているみたいだ。
しかし、そんな話をカナリアにしても、意味が理解出来るのか?
止まり木の上で小刻みに震えながら、ピーちゃんは何事かをタマに話している。
「……なるほどな。そいつはピー公の気持ちもわからねぇでもねぇな。たっちゃん、どうやら原因は飼い主さんにあるようだな。ピー公が言うには、飼い主さんはオペラを習ってるみてぇなんだが、ピー公が鳴くと一緒になって歌いだすらしんだ。その歌声がそりゃぁ、ひでぇらしい。それが苦痛で、家に誰もいなくなった時にしか歌わなくなったみてぇだな」
タマは満足そうにそう言って、床に飛び降りしゃがみ込んでいるクロの鼻先をペロリと舐めた。
その内容を隣にいるネコに話すと、パッと表情が明るくなった。
「タマ、やるじゃない! 今日はマタタビ奮発するからね!」
ネコは床にいるタマを抱きかかえ、何度も顔に頬擦りをしている。それを上目ずかいで見ていたクロは、つまらなさそうに目を閉じて床に顔をつけた。
「しかし、それを依頼者にどう伝えるかが問題だよ……」
塞ぎ込んでいるクロの頭を撫でながら考えていると、「それは私に任せて」と、ネコは自信有り気に言った。
ネコは彼女をリビングから連れて来て、自分はタマを抱いたまま窓辺に立ち、外からの日光を背に浴びながらこう言った。
「お客様、問題は解決致しました。お客様はオペラを習っておられますね?」
「は、はい。でも何故それをご存知なのですか……」
「それは、ピーちゃんから伺いました。そして、それがピーちゃんが歌わなくなくなった原因なのです!」
すっと、右手を水平に持ち上げて依頼者を指差した。どうやらネコは、名探偵にでもなったつもりでいるみたいだ。
ちょうど外からの日差しを背に受けているネコは、まるで後光が差しているように見える。多分それも計算に入れているに違いない。あいつはそう言う奴だ。
「な、なんですって! あなたは、私が悪いのだとおしゃっているの! ふざけないで下さい! 不愉快だわ!」
依頼人は、理解不能の理由に激怒して、手に持っているハンカチを握りしめワナワナと体を震わせている。
「あなたは、ピーちゃんが歌いだすと一緒になって歌われていましたよね?」
「それが、どう関係があるのよ!」
――おいおい、かなり怒っているぞ。大丈夫なのか?
「ピーちゃんは……あなたのあまりにも透き通った美声に、カナリアとしてのプライドがズタズタに引き裂かれてしまったのです!」
――なるほど、そう来るか。
「な…………!」
依頼者の手から、ハンカチがひらひらと花びらのように落ちて行った。まるで、雷にでも撃たれたように、目を見開いて硬直している。
「それ以来……ピーちゃんはあなたがいない時に、頑張って練習しているのです。いつかあなたの美声に追い着き、二人で素敵なハーモニーを奏でる為に……ですから、暫くはそっとしてあげてください。ピーちゃんのカナリアとしてのプライドが戻るまでは……」
そう言って、ネコは窓の外に顔を向けて、左手を額のあたりにかざし眩しそうに目を細めた。
そんなネコに抱かれているタマは、あくびをしていた。
少し脚色はしているものの、まんざら嘘と言う訳ではない。
しかし、この内容を信じるのか? カナリア相手じゃ確かめる事も出来ない訳だし。
が、依頼者を見る限り、その心配は杞憂に終わりそうだ。瞳を潤ませながら、鳥籠に近寄っていった依頼者は、
「……ピーちゃんごめんなさい。わたしの歌声が……この美声が、あなたのプライドを深く傷つけていたなんて……。待つわ……えぇ、待ちますとも。あなたが私に追い着くその日まで。いつかその日が訪れた時、大空に向かって二人のハーモニーを奏でましょう!」
そう言って、鳥籠を抱き締め泣いていた。
ま、これで依頼者の心配が無くなった訳だし、ピーちゃんも嫌な思いをする事はないし、終わり良ければ全て良しって言うしな。
満面の笑顔を浮かべた依頼者に見送られて、俺達一行は事務所に向かって歩き出した。
「初仕事、上手く行ったわね。初回だから無料だって言ったのに、感謝の気持ちだって料金頂いちゃった。なんと三万円も!」
帰り道に、ネコはタマを抱いて上機嫌だ。タマも帰ったらマタタビ三昧を確約されて浮かれている。クロは、全く活躍できなかった事がショックらしく、顔を項垂れながらトボトボと歩いている。
……解決したかと言えば、した訳だけど。これで良いのかな?
「あんた何しけた面してんのよ。今のお客さんが、友人に悩んでいる人がいるって、紹介してくれたから明日も仕事よ!」
上機嫌のネコとタマ。対照的な俺とクロ。二人と二匹は黄昏色の夕日を背に明日へ向かって歩き始めた。