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心と絆本舗  作者: ゲーカー
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第二章

第二章 突然は必然?


そうして三カ月ほど時が流れたある日の休日に、庭でクロのブラッシングをしていると後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「元気そうだね。あんたもクロちゃんも」

その声に振り向くと、白のサンダルに細身のジーンズをはき、白い薄手のワンピースを着たネコが、タマを膝に乗せて縁側に座っていた。

太陽からの光が降り注ぎ、その白い服がやけに眩しい。

いや、たぶん眩しかったのはそれだけじゃない。横にいるクロは、尻尾をぶんぶん振り回している。タマは頭を撫でられて気持ちよさそうに目を細めていた。

「久しぶりだな、中学卒業してからだから五年振りか。おまえ確か大学行ったんだよな?」

「うん。東大法学部に現役で受かりました。エッヘン!」

ほっそりとした綺麗な腕を組み、ネコはそう言った。

――『エッヘン!』って言葉も、東大生が言うとバカっぽく聞こえないものだな。

「はい、はい。昔からネコ様は俺と違って、お勉強がお出来になられましたからね。そんなネコ様が、わたくしになんの御用で?」

「なんなの、その言い方! 何か用がないと来ちゃいけない訳?」

 ――やば……お怒りになられた。こいつは、昔から怒らせると怖いんだよ。何回体に傷を負わされた事か……。

「そ、そうじゃないけど、急に来たからさ。びっくりしたんだよ」

慌てた俺は、クロのブラッシングを再会した。クロは相変わらずシッポをぶんぶん振っている。

「夏休みに入ったから、こっちに戻って来たのよ。で、あんたどうしてるのかなぁって思って寄ってみた訳」

 あまりに久しぶり過ぎて、何を話してどう接すれば良いのか分からず困り果てた俺は、無言の重圧に耐えられなくなり、ネコを誘ってクロの散歩に出掛ける事にした。

 

俺達は、クロが好きな川沿いの散歩コースを二人と一匹で歩いていた。ネコは、夏の日差しでキラキラと輝く水面を、眩しそうに目を細めて見つめている。

「そう言えばおまえ、ゴンスケが死んでから犬飼わなかったんだな」

「うん。寂しかったけど、飼った動物が私より先に死んじゃうのは辛いから……たっちゃん、あの時は本当にありがとう。お陰でゴンスケは凄く安らかな顔で眠ったわ。本当に感謝してる」

三年の歳月で、ネコは見違えるほど綺麗になり、背も伸びて大人の女性に成長していた。そんなネコに見つめられて鼓動が早くなり、それを悟られまいとクロと急いで走り出した。

「ちょと、待ってよ。急に走り出さないでよ!」

ネコはすぐに後から追いかけてきたが、サンダルは走りづらいのか、なかなかその差は詰まらない。一緒に走っているクロは、ニヤリと俺を見た。

「ネコさん綺麗になったね」

「は? そ、それがなんだよ!」

そう言ってクロを睨んだが、俺の声が聞こえていないかのように、楽しそうに前を向いて走っているだけだった。


自動販売機で、缶コーヒー二本と水を買い、公園の木陰にあるベンチに俺とネコは腰を下ろした。一本をネコに渡して、足元にいるクロには持って来ていた器を袋から出して、水を入れてあげた。

「あんたさぁ、お父さんの会社で働いているんだってね。ちゃんと頑張ってるの?」

「まぁ、それなりに頑張ってはいるけど……」

「へぇ、そっか」

「ネコはどうなんだ? 大学楽しいのか?」

「大学? まぁ、可もなく不可もなくって感じかな」

「そうか。もう、友達は出来たか?」

「それなりにね」

「でも、なんで東大にしたんだ?」

「ただ、なんとなくかな」

「なんとなくで、東大って……」

「そんな、言うほど大した事じゃないわよ」

一応会話は成立しているのだが、なんだか心ここにあらずって感じがする。

そこで会話が途切れてしまい、沈黙と言う名のバーベルが、俺の両肩にのしかかった。

何か話さなくては、盛り上がるような会話を、軽快なリズムで繰り出さなくては……。……うぅぅ、浮かばねぇ!

「そ、そろそろ、帰るぞ」

「……そうね、帰りましょうか」

ネコは立ち上がりお尻をはたいた。帰り道も特に会話はなく、ネコを家まで送り届け後悔を胸に抱いた俺は、鉛で出来た靴でも履いているかのように、足を引きずりながら自宅に戻った。

その日の夜は棚の奥から、『モテる話術』と言う、本屋で買う時に異常に恥ずかしかった記憶が蘇る、そんな題名の本を引っ張り出し、蛍光ペンでマーカーを引きながら猛烈に勉強した。男の成長とは、女性の存在抜きには語る事が出来ないものなのだ。


次の日は、父さんに連れられて得意先廻りに行った。俺は頭を下げるだけで良かったが、父さんは相手の機嫌を伺うように、色々な話を振っては取引先の相手を喜ばせている。その横で俺は、なんとか愛想笑いに見えないように頑張って微笑んでいた。

しばらく歓談が続き、「これからも宜しくお願い致します」と二人頭を下げて車に戻った。

「達也、今はまだ父さんがこうしているが、そのうちお前が同じ事をする事になるんだぞ。しっかりと父さんを見て、学べるところは学びなさい。最初は真似でもいいんだ。努力を怠らなければ、そのうちに自然とお前の言葉になっていくから」

父さんは、そう言って次の得意先に向かうため車を発進した。

確かに父さんは頑張っている。

そんな父さんを、俺は少なからず尊敬している事も確かだ。

でも、俺がやりたい仕事は本当にこれなのかな、と自分の気持ちは不確かだった。

得意先廻りが終り、時刻は一八時を過ぎていたので、今日は帰っていいと言われ自宅に戻り庭に行くと。

「ど、どうしたんだよ、おまえなんでここにいるんだ?」

自宅が近所だとはいえ、まさか昨日の今日で、ネコに会えるとは思っていなかったから、驚いてやや声が上ずってしまった。

――神様ありがとう。あなたのお心遣い、この犬山達也決して無駄には致しません!

「クロちゃんと遊びたかったからよ。散歩行くんでしょ? 私も一緒に行くわ」 

そう言って、クロが既に咥えているリードをつけて、さっさと歩き出してしまった。俺は慌てて、ネコとクロの後を追い掛ける。

俺達は、昨日と同じコースを歩いていた。今日のネコは、ひざまでの白いパンツに淡いピンクのキャミソールを着ていて、肩まであるサラサラの髪が風になびいている。

性格には少々難があるが、今のこいつには、それを補うだけの美貌がある。

――昨日の勉強を思い出すんだ。これは、最高にして最大のチャンスなのだ。気の利いたウィットに飛んだ会話をするんだ!

「あんた、今の仕事にやりがい感じてるの?」

先に質問され、頭の中で組み立てていた展開が脆くも崩れ去った。

――ネコさん、流れ的なものがですね、ありましてですね……。

いや、そう言えば昨日の本の格言集に、

『恋とアクシデントは、切っても切れない夫婦ぜんざい』

と、やや難解な表現で書いてあったはずだ。

――えぇっと……確か対処方は、『質問に対し端的に答えて、切り返しで流れをこっちに移しましょう』と書いてあったな。

――まずは、楽しい事をイメージさせて、脳波をアルファ波にするんだ。

「うん、まぁね。そ、そう言えばさ、夏休みは何処かへ旅行とか、そうだ海水浴とか行かないのか?」

「はぁ? そんな事はどうでも良いわよ。ちゃんと答えなさいよ!」

何が気に障ったのか、ぶち切れていらっしゃる。

――これは確か……脳波がベーター波になっているから駄目だって書いてあった。

まずは、怒りを鎮めなくちゃな……。

「そ、そうだね。ネコが先に質問したんだよね。えっと……なんだっけ?」

「はぁあああぁ?」

「いや、いや、やりがい? やりがいだったよね!」

「ちょっと、真剣に答えて。どうなの? やりがい感じているの?」

急に立ち止り、両手を腰に当て仁王立ちで俺を睨んでいる。

――な、なんなんだこいつ! しかし、ちゃんと答えないと後が怖いからな……。

「まぁ、正直言って、やりがいを感じてない訳じゃないけど、本当に俺がやりたい仕事なのかなって感じる事はあるかな」

「そうなんだ。あんたさぁ、タマやクロちゃんと話しが出来るって凄い能力があるんだからさ、それを職業にしたらどうなの?」

「は? 職業にする? まぁ、仮にそうしたとしても誰も信じてくれないだろ。第一お客さんだって、簡単に見付からないし」

――こいつ何を言い出すかと思えば……。

「なに言ってるのよ。私とゴンスケの時の様に、飼い主にしか判らない出来事を話してあげれば信じるに決まってるじゃない。あんたが本気でやるのなら、私がホームページを作ってあげるし、悩んでいる人がそれを見たら何人かは連絡して来るわよ。タウンページに載せるとか、新聞の折込広告とかさ。チラシ配りもありじゃない?」

どうやら、ネコは本気で言っている。

しかし、それを俺に進めてなんになるんだ?

……見えません。しわの少ない俺の脳みそでは。

「どうなの? あんたがやる気があるなら、私が事務員兼助手として手伝ってあげてもいいし。給料は出世払いにしてあげるわ」

そう言って、にっこりと微笑むネコの笑顔は、なんとも魅力的だ。

しかし、この能力を仕事に生かすなんて考えた事もなかったけど、確かに俺にしか出来ない仕事だし興味はある。そして、なによりネコが一緒にやってくれると言っている。

――これがデカい。

オーストラリアのエアーズロックよりもデカい。

ネコの美貌と言う名の魔法で、強い風を受けたヨットの帆の様に、俺の気持ちが大きく揺らいだ。しかし現実的に考えると、大きな障害がある事に嫌でも気付く。

「母さんは頑張って説得すればもしかしたら納得してくれるかもしれないけれど……問題は父さんだ。九九・九%反対すると思うけど、今日ちょっと話して見るよ」

話した所で、確実に無理だろうと思っていたから、真剣な表情で視線を送るネコの目を見返す事が出来なかった。

「……わかったわ。頑張ってお父さん説得しなさいよ!」

ネコは、俺の背中をバシンと叩いた。クロは何も言わず、心配そうに俺を見上げていた。


ネコと別れて家に戻った俺は、部屋のベッドで横になって考えていた。

あいつ、なんであんなに真剣なんだろ。最初から考え直してみたら、あいつが家に来たのはこれを言う為だったようにも思えるし。

もしかして、もしかしてですよ、これは単なる口実で、実は俺の事を好きで一緒にいたいからとか? 

いやいや、だったら別に仕事である必要はないはずだし……でも、どうせ父さんが許さないし、話しても話さなくても同じなんだけど、あれだけ真剣に言われたら嘘言うのは心苦しいからな……仕方ない、駄目元で話してみるか。

そろそろ食事の時間なので、俺はベッドから起き上がり居間へと向かった。ドアを開けると、父さんはテーブルの椅子に腰掛けてテレビのニュース番組を見ている。

母さんは台所で食事の準備をしているみたいだ。父さんの前の椅子に腰かけて、食事の準備が終わるまでテレビを一緒に見ていたが、どうやって話を切り出そうかと、それで頭が一杯でテレビから聞こえてくる音声は全く耳に届いていなかった。

いつの間にか、テーブルには母さんが置いていったであろう、おかずが盛られた食器が並べられている。最後の器を手に持った母さんが台所から戻って来て、父さんの隣に腰を降ろした。

いつもにように、特に家族間での会話もなく、二人はテレビを見ながら食事をしている。俺も目はテレビにいっているものの、映し出されている映像は全く頭に入ってはこない。テレビから聞こえてくる声以外は沈黙の中で、家族は食事の半分を終えようとしていた。

「……ねぇ、父さん。ちょっと話があるんだけど」

「なんだ、改まって。金なら貸さんぞ。自分で稼いで貯めなさい」

一瞬だけ俺に顔を向け、そう言ってテレビに視線を戻した。

答えは分かっているし、なんだか話しづらいな……。

「ちょっと、あなた。達也の話をちゃんと聞いて上げなさいよ。今は社長と部下ではなくて父親と子供でしょ!」

「はい、はい。で、我が最愛なる息子よ、父に何の話しがあるのだね?」

「実はさ……今やっている仕事が嫌いとかじゃないんだけど、本当に俺のやりたい仕事なのかなって思う事があるんだ。それで真剣に考えて見たんだけど、俺さ動物のカウンセラーやりたいんだ。小さい頃に母さんには話したよね。クロとタマと話しが出来るって」

俺は、母さんに視線を移しそう言った。すると、母さんの表情が曇っていく。

「あぁ、確かにそう言っていた事あったわよね。でもそれは、そう言う気がするだけでしょ? 母さんだって、クロやタマが言いたい事はある程度分かるわよ」

「それで話しは終りか? じゃあ結論を言おう。駄目だ」

 ――まぁ、予想通りの展開ではあるけどさ。

 視線を落とした俺に追い打ちをかけるように、

「ところで、タマとクロと話せるって真剣に言っているの?」と、母さん。

「そんな事出来る訳がないじゃないか。達也は怠けたくてそう言っているだけだよ」

父さんは俺に目を向けずに、怒気を含んだ口調でそう言った。

「そんな言い方しないでもいいでしょ。達也だってあなたの跡取りとして一生懸命働いて少し疲れているのよ。ねぇ、達也」

――やっぱり無理だ。そりゃ、この歳になってペットと話せるなんて言われたら、精神的に疲れているのかと思われて当然だ。

「変な事言ってごめんよ。母さんの言う通り少し疲れているのかも知れない。今日は早く寝るよ」

そう言って、食事を終えた俺は部屋に戻った。

ネコに電話して結果を伝えようと思い、散歩の帰り道に教えてもらった携帯電話の番号を押す。

すると、ワンコールもせずにネコの声。

「で、何て言われたの?」

ネコは、まるで俺が今から話す内容を分かっているかのように、抑揚の無い声でそう聞いてきた。

「ん、あ、あぁ。タマとクロと話せるって言ったら、母さんは俺がそんな気がするだけだろうって。父さんは怠けたくてそう言っているだけだって。最後は、父さんの跡取りとして頑張っているから疲れているんだろうってさ」

ベッドで仰向けに寝て話している俺は、ネコと話しながら特に何を考えるでもなく、天井のシミをじっと見つめていた。

「ちょっと、待ってて」

そう言って電話が切れた。直ぐに掛け直してくるのかと思って待っていたが、一向に掛かってこないので風呂にでも入ろうかと着替えを出していると、着信音が鳴った。

「もしもし、ちょっと掛け直すのが――」

「玄関開けて」

「は? 玄関開けてどうする……おまえ、もしかして家に着たのか?」

「そうよ。あんたの両親を説得する為に来たのよ。だから早く玄関を開けなさいよ」

一度言い出すと、一歩も引かない性格なのは昔から変わっていない。

「わかったよ。直ぐ開けるから。でも、取り敢えず俺の部屋に来いよ。いきなり話し出されても両親も驚くからさ」

「当たり前でしょ。私だってそんなに非常識じゃないわよ」

いや……行動自体が常識的ではないと思いますが。

両親に、ネコが遊びに来た事を告げて部屋に通した。どうやら、急いで来た様子で先程とは違い殆どノーメイクだったが、逆に素顔の方がネコの容姿の良さを引き立てていた。

取り敢えず、ネコを落ち着かせるためと、二人きりになって緊張している自分の気持ちを落ち着かせる為にも

「何か飲むか?」

「いらない。で、両親はあんたがタマとクロと話しが出来ないと思っているんでしょ。それを説得出来れば話しが先に進むのよね?」

「ま、まぁ、そうなるな」

仮に家の前に隕石が落ちてきても、彼女はそれに一瞥もくれずに両親に話しに行くだろう。天災だと諦めるしかなさそうだ……。

しかし、いくら賢いネコが話をした所で、結果は同じだと思うんだけどな。

そんな事を思いながら、立ち上がり部屋を出ようとしたら、ネコが俺の腕を掴み引きとめた。その行為に、俺はドキリとして、キュンときた。

これか? 青い春と書いて『青春』と言う奴は?

しかし、俺の邪な思いとは裏腹に、ネコの表情は真剣そのもの。

「あんた、本気でやる気あるんでしょうね。中途半端な気持ちなら、私があんたの両親を説得しに行く意味がないのよ。私はね、あんたとクロちゃんのお陰で、本当の意味でゴンスケを見送る事が出来たの。ゴンスケだってそう、自分の気持ちを私に伝える事が出来て、思い残す事なく眠りにつけたと思う。言葉が通じなくて、辛い思いをしている人達が沢山いるはずだわ。だから、あんたが本気でやるのなら、私は学校を辞めて手伝う」

ネコの真剣な眼差しが、俺の心を矢の様に射抜いた。

――こいつ本気なんだ……。

この気持ちに答えなくては男がすたるってものだ。

「分かったよ。おまえがそこまで言うのなら俺も腹を括る。そのかわり学校は辞めるな。

休みの時や時間が空いている時に手伝ってくれればいいから」

そう言って、俺は決心して両親がいる居間へ向かった。居間のドアを開けると、ソファーに並んで座っている二人が同時に振り向いた。

「おう、達也。もう時間も遅いから、ネコちゃん早めに帰した方がいいぞ」

二人は、よもやさっきの話しを蒸し返されるとは考えてもいないだろう。それもネコと一緒に……俺は大きく息を吸い込み、居間の入り口に立ったまま、先程とは違う強い口調で言った。

「ちょっと話しを聞いて欲しいんだ。俺が小学生の時にクロとタマと話せる様になってから少し経って、ネコが飼っていたゴンスケが、死を迎えようとしていたんだ。俺は、ゴンスケが伝えたがっている事を教えて欲しいと、ネコに頼まれた。クロがゴンスケから聞いた内容を、俺がネコに話してあげて、ゴンスケは思い残す事なく――」

「もういい! また、その話しか。そんな事がある訳がないだろう」

父さんは、そう言ってテレビに目を戻した。隣に座っている母さんはため息をついている。

急に、ドアの前に立っていた俺を押し退けて、本日の主役であるネコが登場した。

「あら、ネコちゃん。ほら、達也送ってあげなさい。もう帰るみたいよ」

「いえ、私はまだ帰りません。と言うよりも、御両親が達也君の事を信用なさるまでは帰れません」

そう言うと、ネコは畳の上に正座をした。それに驚いた両親は、何故かソファーから降りてネコの前に同じく正座した。その状況に乗り遅れた感のある俺も、急いでネコの横に正座する。

「まずは、先ほどの達也君のお話しですがこれは間違いなく事実です。その場で、私とゴンスケしか知らない事を達也君の口から聞きました」

ネコの真っ直ぐな瞳で見つめられ、理解不能の状況も加味されて父さんは慌てている。そんな父さんを横眼で見て、ここは私がと母さんが話し出した。

「でもね、ネコちゃん。そのお話しはまだ小学校の頃の事でしょ、達也と違ってあなたが自分の意思をしっかりと持って、立派な大学に行かれているのは存知あげているわ。でも少し信憑性に欠けるのじゃないかしら……」

「確かに小学校の頃の話ですし、お母さんがそう言われるのは予想していました。ですから、信用して頂く為に用意している物があります」

そう言って、ネコは立ち上がり居間を出て行った。

――あいつ何を用意しているんだ? 俺には何も言わなかったのに。

すると、ネコはタマを抱いて帰ってきた。何だか、タマは少し酔っ払っている様な顔をしている。

「達也君、タマに御両親が秘密にしている事を聞いて、それを話して差し上げて」

「なるほど! タマ、まずはおまえが知っている母さんの秘密を教えてくれるか?」

「いやぁ、たっちゃんが二人に見えるよ。初めてマタタビって奴を食べたけど、こいつはいけるねぇ」

ネコはマタタビを使って、気まぐれなタマを証言台に立たせたのだ。

「まずはお袋さんだね。そうだなぁ、沢山あるから何から話そうかな……じゃあ、まずはへそくりの隠してある場所だ。そこに、書道で貰った賞状が掛けてあるだろう。その裏に、封筒に入れてテープで貼り付けてあるよ」

そう言って、タマは大きなあくびをした。それを聞いた俺は、ニヤリとして母さんを見つめると、母さんの表情は心なしか硬くなる。

「母さん、タマにへそくりの隠し場所を聞いたよ」

「お、おまえ、へそくりなんかしているのか! いったい何に使うつもりなんだ!」

「いや、それは、何かあった時の為ですよ。別に私が勝手に使う為にしているのではなくて……達也、あなたこの為に母さんの秘密を探そうとして家捜ししたのね!」

秘密を明かされた母さんは、乱れてもいない髪を何度も撫でつけながら俺を強く睨らんだ。

「達也君、お母さんはまだ信じてはいないみたいだから、もう一つタマに聞いて、話して差し上げたら?」

「タマ、母さんはまだ信じていないみたいだ。もう一つ教えてくれるか?」

「面倒くせぇなぁ、じゃあ、取っておきたい取っておきだぜ。一ヶ月前からお袋さんは、みんなには内緒で駅前のエステサロンに通っている。その理由は、家に米を届けてくれる配達の人が、おじさんから若くて男前な奴に変わったからだ。いつもその人が来る前に入念にお化粧しているぜ。その人を出来るだけ引き止めて、散々親父さんの悪口言って、何回断られても懲りずにデートに誘っているぜ。これでどうだい?」

――こ、これは、ちょっと父さんに聞かせるのはまずいな……。

「母さん、ちょっと耳を貸して」

そう言って、父さんに聞こえない様に耳元で囁いた。すると、見る見るうちに母さんの顔が青ざめていく。

「何を話していたんだ、父さんにも聞かせなさい!」

「も、もう、私の事は良いから、お父さんの事をタマに聞いてみなさい」

青い顔の母さんは、そう言って隣の台所に行き、蛇口を捻りグラスに水を注ぎ一気に飲み干した。

「タマ、これで最後だ。父さんの取っておきを聞かせてくれるか? そうしたら、マタタビを沢山あげるからね」

「これで最後だぜ。そしたらちゃんとマタタビを沢山くれるんだね。よし、親父さんの取って置きを話すぜ。親父さんは最近ちょくちょく遅く帰って来るだろう? その理由は、駅前にオープンしたキャバクラに行っているからだ。確か昨日の夜は、『あけみちゃんの事が頭から離れないんだ。今度二人で、一泊二日で温泉に行こう』ってメールを送っていたぜ。箪笥の上から覗いていたから間違いないよ」

――こ、これは、母さんに聞かせる訳にはいかないな……。

「父さん、ちょっと耳をかしてくれるかい」

そう言って母さんに聞こえない様に耳元で囁いた。すると、見る見るうちに父さんの顔が熟れ過ぎたトマトの様に真っ赤に染っていった。

「お、俺は携帯電話はロックをかけている。したがって……おまえに見られる事はない。それなのに、昨日のメールの内容を知っているって事は……」

小声でそう呟いた後、父さんは台所にいる母さんを手招きして呼んだ。

「あなた、なんて言われたの?」

なんとか平静を取り戻して、父さんの秘密に関心を示した母さんはそう聞いた。すると、大きな咳払いを一つして、父さんは話しだした。

「ん、まぁ、それは良いとしてだ。どうやら、達也の言っている事は本当の様だ。母さんもそう思うのだろ?」

「そ、そうね、今でも信じ難いけども、どうやら信じるしかなさそうね……」

「やっと信じて頂けましたか。達也君はこの能力を、言葉が通じ合わないが為に困っている人達に、人間と動物の架け橋として役に立てたいと言っているんです。私が大学を辞めて達也君の助手をしたいと申したのですが、達也君は私の事を案じてくれて、休みの間や学校が終わってからで良いと言ってくれました。私の空いている時間の全てを捧げるつもりでいます。もしも、事業として起動に乗らなければ私は学校を辞めて全力で取り組みます。ですから、なんとか達也君と私にチャンスを頂けないでしょうか」

「確かに信じはしたが……しかし、それとこれは別問題なんだよネコちゃん。こいつは一人息子だし、俺の後を継いで会社をもっとでっかくしてもらいたいしさ」

「そうよ、ネコちゃん。私達には達也しかいないのよ。あなたの御家庭もそうでしょう?

一人娘のあなたが達也の為に、せっかく入学した大学を辞めるなんて言い出したら、とて

も御両親は悲しまれるはずよ」

二人は、口調こそ柔らかだが、何とかネコを説得しようと試みている。

が、しかし。

ここで引き下がる女ではないのは、俺が良く知っている。

「では、こうしましょう。半年間、私は大学の合間や休みを利用して達也君と仕事をします。それで、御両親が納得できる状況にならなければ、私は大学を辞めてもう半年、二人で頑張って見ます。それでも納得できる状況になっていなければ、達也君は一年後、お父さんの事業を改めて継ぎます。私は、大学をもう一度受けて合格し両親を納得させます。交換条件としては悪くはないと思いますが、どうですか?」

ネコは一度も噛む事なく、まるでこうなる事を予測していたかのように、すらすらとそう話した。

そこで、父さんの息を飲む音が聞こえた。

「……なるほど。私達がそれに応じなければ、ここで秘密をばらすと言う事だね?」

「そう受け取られたのならば、敢えて否定は致しません」

父さんとネコの目の間に、火花が飛び散っているのが見えた。少なくとも俺には。

母さんと父さんは席を外し、台所で何事かを話し合っている。ネコは一切表情を変える事なく、膝の上で眠りこけているタマの頭を撫でていた。

しばらくすると、両親が居間に戻り俺達の前に座った。

「ネコちゃん。不束物ですがどうか達也を宜しくお願い致します」

その、なんだか使う場所を間違っているのではないか、と思われる言葉にさえ、ネコは戸惑う事も驚く事もなく、最初から最後まで、まるで勝つ事を当たり前だと思っている弁護士のように悠然としていた。

「こちらこそ、お役に立てるかどうか分かりませんが、しばらくの間達也君をお預かり致します。遅くまでお邪魔してしまって申し訳ありませんでした。これで、失礼させて頂きます。達也君に送って頂いても宜しいですか?」

「こんなバカ息子でも、いないよりは安全だからね。ほら、達也、ネコちゃんを送ってあげなさい!」

――バ、バカ息子って……。

ネコは、ほんの少し笑みを浮かべ頭を下げて、膝に乗せていたタマを二人に渡すのは危険だと思ったのか、箪笥の上に乗せて寝かせた。良い気分になったのか、タマは素直に丸くなって眠り込んでいる。

玄関のドアを開けると、外は真っ暗でしんと静まり返っていた。街灯の明かりに小さな虫達が群がっている。玄関のドアを閉めて、夜道を二人で歩き始めた途端、ネコは大きく手を広げて背伸びをした。

「はぁ――緊張した!」

「え? お前緊張してたの?」

あんなに終始ポーカーフェイスだったネコが、緊張していたなんて信じられない。

「当たり前でしょうが! あんたの両親二人を相手にして、この話しを納得させるなんて、想像以上に大変な事なのよ。あんたは、バカ息子だから何にも分からないでしょうけどね」

 ――また、バカ息子って……それも他人に。こいつ、街灯の淡い光が当たってめちゃくちゃ可愛く見えるけど、可愛いからって何でも許されると思ったら大間違いだぞ!

「誰がバカ息子だよ! ふざけんな!」

「だって、あんたのお父さんが言ってたじゃない。バカ息子だって。もしかして、本気で傷付いた?」

ネコは、急に立ち止まり俺に顔を近づけた。ほんの少し顎を出せば、ネコの柔らかそうな唇にキスが出来る距離だ。

 許すとか、許さないとかの問題ではない。もう、怒りなんて何処かへ飛んで行ってしまっていた。

 だって、青春真っ只中の健全なる男子なのだから。

そんな俺の心の中を、まるで覗いているかのように、ネコは意地悪な表情を見せた。

「あんた、今なに考えてるの?」

「な、何がだよ! なんも考えてねぇよ! 俺は早く帰って寝たいんだから、さっさと帰るぞ!」

俺は、恥ずかしくなって、ネコを置いて歩き出した。

――夜道で良かった……間違いなく俺の顔は真っ赤になっているはずだ。


当然の事だが、本格的な事務所を借りるお金なんかないので、祖父ちゃんの持ち物である誰も住んでいない、近所の古い一軒家を使わせてもらう事にした。

孫の俺には非常に甘い祖父ちゃんは、優しい笑顔を浮かべ、家賃は出世払いで良いぞ、と言ってくれた。

午前中に、事務所に必要な物を買い揃えて、かなりの時間を費やしたが一五時頃には掃除も終わり、俺とネコとクロとタマは新たな門出を向かえた。

窓際で、真夏の太陽から降り注ぐ日差しを浴びながら、俺は考えていた。

本当に大丈夫なのかと不安もあるが、両親を納得させ一緒に手伝ってくれるネコの期待を裏切りたくはない。

まぁ、期待されているのかどうかは分からないが、俺がいないとこの事業が成立しないのは確かなのだから。

ネコは自分のノートパソコンを事務所用に持って来てくれた。既にホームページの作成は終わっていて、後は会社名を打ち込むだけになっているらしい。

何か言われたような気がしたが、俺は窓際に設置した真新しい自分の机と椅子を眺め、これから始まる二人と二匹の、未知なる未来に少しの不安と大きな希望を、貧困な頭脳で想像し物思いにふけっていた。

「ちょっと、聞いてるの?」

その怒気を含んだ声に驚き、俺は何を聞いたのか聞き直そうとしたが、ネコの形相はとてもそれを許してはくれそうになかったので、足元で横になっているクロに目配せをした。

「たっちゃん、しっかりしないとネコさんに愛想尽かされちゃうよ。たぶんだけど、社名どうするのかって言ったと思うよ」

クロは呆れた様な表情で俺を見上げ、そう教えてくれた。

社名か……はっきり言って全く考えていない。

しかし、クロの言う通りここでそう言ってしまうと、何て言われるか容易に想像がつく。蔑む様な目で俺を見て、悪態をつかれるのが落ちだ。 

何か、何でも良いから、何か言わなくては……。

まずは、『あ行』からだ。

あ、あ、愛とペットの……駄目だ、安易すぎる。

い、い、命とペットの……駄目だ、うさんくさい。

う、う、上を向いて歩こう……なんだそりゃ。

え、え、お、お、か、か……やばいぞ、ネコの顔が歪んできた!

「こ、こ、心と絆本舗ってのはどうだ?」

犬山選手の打った打球は大きく舞い上がった。内野フライか、それとも外野フライか、それともまだ伸びるのか?

「……良いじゃん。クロちゃんとタマにもそれでいいか聞いて見てよ」

ネコは笑顔だ。やりました犬山選手劇的な逆転満塁サヨナラホームランです!

「クロ、タマ、どうだい? 悪くないだろ?」

「まさに奇跡だね! いいと思うよ」

クロは、立ち上がって俺にしっぽを振り、笑いながらそう言った。タマは、買って来たばかりの書籍入れの上で、手を丸めて顔を洗っている。

「まぁ、悪くはねぇな。でも、あっしなら会社名はマタタビにするね」

 タマの発言は却下。

「クロもタマも悪くないって言ってるよ」

「オッケ。じゃあ、心と絆本舗で決まりね!」

そう言って、ネコはパソコンに入力し始めた。ものの一分ほどで入力が終わったネコは、すぐにプリンターの電源を入れなにやら操作をしている。

「直ぐにチラシが出来上がるから、みんなで駅前に行って配るわよ!」

ネコはホームページだけでなくチラシ迄作っていたのか……しっかりしないと、クロの言う様に本当に愛想尽かされちゃうな。

刷り上がった一枚のチラシを手に取り見てみると、『初回に限り無料』と書いてある。

「タダでやるのか?」

「あんたさぁ、ほんっとバカじゃないの。当たり前でしょ! 誰がいきなり、『動物と話せます』って言われて、『じゃあお願いします』ってお金払うの。まずは信用付けて、クチコミで広げてもらうしかないでしょ!」

「そ、そんな事くらい、分かってるよ。ちょっと、聞いて見ただけだろ……」

――こりゃ、下手な事は口に出せないな。しかし、こいつの口の悪さはなんとかならんのか。

「準備出来たら行くわよ。たっちゃん、クロちゃんとタマにもそう言って」

ネコは、チラシを紙袋に入れ大きな日よけの帽子を被った。クロは既にリードを咥えてしっぽを振り嬉しそうに待っていたが、タマは棚の上で丸くなっている。

「タマ、いつまで寝てんだよ。ほら、行くぞ」

タマを棚の上から下ろし抱きかかえた。すると、タマはするりと身を翻し見事に着地。

「こんな炎天下で外に出たら、猫の丸焼きが出来あがっちまうよ。あっしは遠慮させてもらうよ」

ひょいと飛び上がり、また棚の上に戻って丸くなった。それを見ていたネコが、鞄の中から何かを取り出している。

すると、タマの鼻がヒクヒクと動き出す。

「ん? この匂いは……もしや、あっしの大好物のマタタビじゃあ御座いやせんか!」

あっと言う間に、棚の上から飛び降りてきて、ネコの足元に体を擦り付ける、タマ。

「たっちゃん、タマに手伝ってくれたら後でマタタビあげるって言って」

「タマ、手伝ってくれたら後でマタタビあげるってさ」

「しかたねぇな。そう言う事なら少し付き合ってあげるよ。その前に、少しだけ食べさせちゃ頂けませんか?」

タマはゴロゴロと喉を鳴らせて、ネコに擦り寄っていた。


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