平賀造船へ
「次は〜、ドック前〜ドック前〜、お忘れ物無いようご注意下さい」
ぼんやりと流れ行く街並みを眺めていると、僕が降りる駅名を車掌さんが告げる。
ゴトゴトと振動しながら路面電車が停車した、僕は立ち上がると車掌さんに左手のウェアラブル端末を差し出した。
「ん?」
その端末を見てキョトンとする車掌さん。
「定刻通りに運行してますよ?」
僕の端末に表示されている時刻を確認してる車掌さん、いやそういう意味じゃなくてね。
「運賃です、清算して下さい」
もう一度端末に目を落とす車掌さん。
すると、いつまで待ってもドアも閉まらず発車合図もない事を不審に思った運転士さんが上半身を捻ってこちらに怒鳴った。
「千鶴ぅ、その人は地球からの客だ!あっちじゃ『端末決済』で現金持ち歩かねぇから、こういうことあるって研修で習ってねぇのかっ!」
しまった、『チップ』が使えないんじゃ『端末決済』が使えない可能性も充分あったんだ。
だから下船前に他の乗客が『両替カウンター』に並んでいたのか。
ちなみに地球もリアスも、統一通貨の『アス』を使っているから両替の必要なんて無いのに、おかしいと思ったんだ。
まさか紙幣・硬貨制度がメインだったとは・・・
これは明らかに僕の過失だ、このままじゃ無賃乗車になってしまう。
「す、すいません田中さん」
オタオタしながら車掌さんが運転士さんに謝っている。
「バカヤロウ、てめぇが謝んのはお客様にだろうが!俺に謝ってどーすんだ」
あぁ、なんでか車掌さんが怒鳴られてぼくが謝られる流れになってる。
悪いのは僕の方なのに。
「すいやせんお客さん、こっちから下車して貰えますかぃ?」
僕は運転士さんの横にある乗降口へ向かった。
「すいませんねぇ、ヤツは昨日から独り立ちした新米でして、こういうレアケースへの対応がまだまだでしてね」
田中さんと呼ばれた老運転士は手慣れた様子で、なにやら胸ポケットから出した用紙にペンを走らせる。
「これでよしっと、じゃあ後日この紙と運賃を乗務員に渡してくだせぇ」
切り離した半券を僕に渡す運転士さん。
半券には、今日の日付と乗車区間と運賃、それと運転士さんのハンコが押してあるだけだ。
「あの・ ・・これで良いんですか?こんなので良いんですか?」
完全に性善説のシステムだ、僕が払わなかったらどうするんだろう。
「この程度の運賃踏み倒して恥かきたがるヤツなんかおらんよ、誰も見て無い、誰にも分からないからって悪さする様な生き方、楽しく無いでしょうが。
それにダンナは戦海士でしょ?海軍紳士はそんな事しませんよ、ね?」
郷に入れば郷に従え、という事なのだろうか?
そして戦海士とはそこまで信用されている職業なんだ。
「それより、定刻から遅れてますんでお急ぎくだせぇ」
放り出される様に僕は電停に降り立つ、すると背後でバタンとドアの閉まる音がした。
車掌さんのいるドアも閉まりチンチンとベルの音が響く。
「ゲージ420、出発しんこー」
運転士さんの指差呼称に合わせて路面電車が動き出す、怒鳴られていた車掌さんは窓から顔を出してホーム上を確認してる、その表情にさっきのオロオロしていた様子は微塵も無い。キリッとしていてなんだかカッコイイ。
そうか、あれがプロ根性ってものなのかな?と一瞬考える。
ゴトゴト音を立てながら走り去って行く路面電車を見送ると、四車線道路の真ん中にある電停からとりあえず歩道へと小走りで移る。
「えーっと、平賀造船はっと・・・」
ハルゼー審査官は電停のすぐ近くって言ってたんだけど、とあたりを見回す。
ここは海と山が接近している場所で、平地部分は200メートル程だろうか?
そのかなり海寄りの場所に、今僕がいる路面電車が走る大通りがある、海側は全部造船関係の会社や設備が並んでいて、各会社の敷地をぐるりとフェンスが囲んでいる。
「ドックなんだから海沿いだよね?」
海沿いの方を見ると、見渡す限り大きなクレーンやタンク、そして灰色の船の一部が見え隠れしていた。それにしても、さっき路面電車から見ていたんだけど二つ手前あたりからずーっと造船関係の景色だった、この中から目当ての場所を探し出さなきゃいけない。
左手のウェアラブル端末は・・・アテにしちゃダメっぽいな。
でもまあ、すぐ近くって話だし大丈夫だろう。
・・・
・・・・・・
って思ってましたよ、正直なめてましたよ。
かれこれ一時間近くウロウロしてるんだけど見つからない。
にっちもさっちも行かなくなって、端末を立ち上げて調べようとしたんだけど・・・
リアスの情報少な過ぎ。なにこれ、なにココ、主要な官庁しか出てこない。それも住所と電話番号だけの最低限の情報だけ。
もちろん平賀造船で検索かけてもヒットしない。
なんで?まさか倒産しちゃったとか?
どうしよう、せっかくここまで来たのに・・・
道行く人に聞こうと思ったけど、人影なし。
どうする事も出来なくて、降りた『ドツク前』電停に戻って来てしまった。
ベンチも無い電停に突っ立って、途方に暮れていた時だった。
「あのぉ、もしかして御剣様でしょうか?」
僕の左側に奇妙な格好をした少女が立っていた。
「あ、はい。御剣ですが・・・どちら様で?」
僕にリアスの知り合いはいない、地球にだってこんな少女の知り合いはいなかった。
「よかった〜、お出迎えに行こうと思ってたんだけど、ドック出るのが遅くなってしまって・・・申し訳ありませんでしたっ」
慌てて背筋を伸ばし敬礼する少女、その敬礼はピシッと決まっていて凛々しくもあった。
「平賀造船はこちらです、ご案内します」
言うだけ言うと、どこから見ても初等部の女の子(推定10〜12歳程度)はさっさと歩き出してしまった。
いや、だから君は誰なんだ?何者なの?
道路を渡ってさっき散々行き来した所を歩く。
「御剣様、どうぞこちらです」
彼女はフェンスとフェンスの間の幅2メートル程の路地へと誘う。
「え?ここ?」
さっき見てまわってた時に見かけたけど、他の造船所は間口の広いゲートがあって、その横に[富士川造船所]とか[常陸造船]って看板が掛かっていたから、てっきり平賀造船もそんな感じだと思って探してたんだよね。
これは見落とすよ、路地の入り口にもなにも書いてないし、両側をトタン板で囲まれた背の高い建物に挟まれてるから薄暗いし。
「足元、ご注意下さいね」
少女は慣れた様子でずんずん進んで行く、一本道だし迷う事もないんだけど、ここで独りぼっちは嫌だ。
僕も早足でついて行く。
200メートル以上進んで、やっと両側の建物が途切れて視界が開けた。
「平賀造船へようこそです」
そこで少女はくるりと振り返り満面の笑みを浮かべそう言った。
「あ、はい・・・どうも」
我ながら情け無い返事だけど、これ以上の返事があるなら教えて欲しい。
僕の目の前には、薄っぺらい板で作られた粗末な小屋と、所々継当てられ、そこかしこのトタン板が剥がれたドックと思しき建物が一棟あるだけだった。
「え?ここが平賀造船?」
目が点になってるだろうね、自分でも分かる。
「おぉ、やっと帰って来たか」
白髪頭を短く刈った初老の男性が小屋から現れた、そのドアの横には確かに[平賀造船]と書かれた一枚板の看板が掛かっていた・・・かなり小さいけど。
「はい、平賀所長。御剣様をお連れしました」
「ご苦労」
少女に優しく声をかけ、僕の顔をじーっと見ている。
なんだろ、この『平賀所長』からもハルゼー審査官と同じ雰囲気がする。もしかしてリアスの、リラバウルの中高年って皆こんな感じなのかな?
「おぉ、確かにヤツの面影があるわい」
うんうんと頷きながら、僕の真正面まで来た。
背は僕より少し高い、メガネを掛けている顔は精悍な引き締まった顔をしていた。
「はじめまして、御剣三笠の曽孫で御剣大和と申します」
軽くお辞儀をして平賀所長に挨拶をする、何事も初めが肝心です。
「そんなかしこまらんでも良い良い、儂がこの平賀造船の所長、平賀弓弦だ」
「別名、譲らずの弓弦さんです」
横合いからさっきの少女がちゃちゃを入れる、けど平賀さんは可愛い孫でも見るように少女に返す。
「男ならな、譲れん事もあるんだよ」
俗に言う『頑固オヤジ』というタイプかな、現物は初めて見たけど。
「三笠の艦は全艦儂が預かっとる、整備も完璧に済ませてあるからな。貴様の階級ではまだ駆逐艦しか乗れんが、ヤツの血筋でヤツが認めた貴様ならすぐに昇格していくだろう」
平賀所長は物凄く上機嫌でどんどん勝手に話を進めようとしてる。
「今は駆け出しの少尉だから駆逐艦一隻しか使えんなぁ。そうすると、最初の乗艦は・・・」
と、そこまで言った時だった。僕は意を決して平賀所長に打ち明ける。
「僕は艦には乗りません、全部売り払う為に来ました。ですから売却の手続きを」
と言ったところで、僕の意識は途切れた。
あとで思い出したんだけど、僕が気を失う直前に見たのは修羅の様な物凄い形相の平賀所長と、僕に急速に接近する彼の右拳と、慌てて止めようとして全く間に合っていない少女の姿だった。