笑顔の食卓
「それでは、アサヒの来訪を祝って乾杯」
「「「「かんぱ〜い」」」」
ここは平賀造船の休憩室、大きめのテーブルですき焼きを囲みながらボクの歓迎会となっていた。
平賀所長、明石さん、間宮さんはビールをボクと雪風ちゃんはブドウジュースで乾杯となった。
雪風ちゃんは最後まで自分もビールが良いと駄々を捏ねたけどあえなく却下されて、仕方なくワインの気分が味わえるとブドウジュースを飲んでいた。
「は〜い、まずは所長、どうぞ〜」
中央の鉄鍋で手早く肉を焼き、味付けして所長の小鉢によそう間宮さん。
「おぉ、すまんな。儂は良いからアサヒやらに食わせてやってくれ。間宮よ、おまえもしっかり食えよ」
「はい〜、いただきます〜」
みんな器用に玉子を割ってかき混ぜてる。
・・・どうしよう、ボク。
実は“ナマのタマゴ”って初めて見たんだけど。
映像とかでは見てるよ?けど現物見るのは初めてなんだよね。
もちろん割った事なんて無い。
地球では『料理人』っていう趣味人くらいしか食材に触れる人なんていないんだもの。
もちろんボクは趣味人じゃないから食材を見るのは初めてです。
「ん?アサヒ?どうした?」
固まっていたボクを不思議そうに見る明石さん。
「どうしたの〜アサヒちゃん、生卵は〜苦手ですか〜?」
間宮さんは心配そうな表情、でもすき焼きを作る手は止めない。
さすがはプロフェッショナルだ。
「ち、違うんです」
「アサヒは地球生まれの地球育ちだから、玉子を割った事がないんじゃよ」
「「「えーっ」」」
いや、そんなに驚く事ですか?玉子を割った事がない事くらいで。
「それじゃ、玉子食べた事ないのか?」
「食べた事はありますよ、割った事がないだけで」
「割った事がないのに、食べた事がある?」
わぁ、凄い不思議な顔をされてる。
「地球の〜、玉子って〜殻がないとか〜?」
間宮さん、いくら地球でもそんな不思議な玉子ありませんってば。
「地球では食料合成機で調理済みの料理が提供されるので、食材そのものって見ないんですよ」
「ふ〜ん、なんだか味気ないですね〜」
「貸してみなよ、私が割ってあげる」
明石さんに小鉢に入った玉子を手渡すと、更に器用な事に片手で玉子を割っちゃった。
「ささ、ちゃっちゃとかき混ぜちゃって」
慌てて玉子をかき混ぜる、混ぜ終わったところに熱々のお肉を間宮さんが入れてくれた。
「熱々のお肉に〜、玉子を絡めて〜召し上がれ〜」
言われるままに玉子を絡めていただきます。
「はふはふ・・・んふ〜〜っ」
柔らかいお肉に甘辛い味、そしてちょっと濃い目の味をまろやかにする生卵。
思わず頬が緩む。
「ん〜、さいこ〜っ」
「おいひ〜っ」
明石さんと雪風ちゃんも幸せそうな笑顔。
その光景を嬉しそうに見守る間宮さん。
「間宮も食え食え」
そう言って平賀所長はまだ一切れも食べていない間宮さんの小鉢にお肉を入れる。
「は〜い、いただきます〜」
間宮さんもお肉を頬張って一層幸せそうな笑顔になる。
「そう言えば、所長って何か嬉しい事があるとすき焼きだね」
「そう言えばそうです。この前っていつでしたっけ?」
「うるさいっ、早く食わんとなくなるぞ」
平賀所長は大人気なく一番大きいお肉を取っちゃう。
「あ〜、それあたしの〜⁉︎」
「わたしのです〜」
明石さんと雪風ちゃんが騒ぐ騒ぐ。
「まだまだ〜、お肉はあるから大丈夫ですよ〜。それより〜、お野菜もバランス良く食べましょうね〜」
二人の小鉢にお野菜とか色々なものをよそう。
「あ、所長コップがカラじゃんか」
「すまんな、明石・・・お〜とっと」
平賀所長は満面の笑みで明石さんから瓶ビールを注いで貰ってる。グラスのビールを飲むと口の周りに泡でヒゲが出来た。
「ほれ、明石も間宮も早く開けんか、ビールが温くなるぞ」
明石さんと間宮さんもビールを飲む。
「ふ〜っ、うんめぇ〜」
明石さんが親父化した。
「美味しいですわ〜」
間宮さんはいつも通りだ、ちょっと頬がピンク色になってるっぽいけど。
「所長〜、わたしも〜」
「一杯だけじゃぞ」
結局雪風ちゃんもビールを飲み始めた。
「うま〜」
雪風ちゃん、完全に顔が蕩けています。
ここには幸せな笑顔だけが存在していた。
二時間後、全ての食材を食べ尽くしてビールも二ケース飲み尽くした面々は、間宮さんの片付けを手伝って寮に引き上げる事になった。
「そうだ忘れるとこじゃった、ほれアサヒ」
平賀所長は白い大きな紙袋をボクに差し出した。
「これは?」
「着替えとか色々じゃい、着たきり雀という訳にもいくまい」
「あ、ありがとう・・・おじいちゃん」
なんだろう、凄く恥ずかしいけど・・・凄く嬉しい。
紙袋を両手でぎゅっと抱えてると少し酔っ払った雪風ちゃんが、またもやどこからか取り出した写真機で激写していた。
その後、事務所に鍵をかけ、みんなで平賀造船の寮に帰った。寮はドックから歩いて十分程の距離にあって、二階建て木造のアパートだった。
「101が儂の部屋、二階の201が間宮、202が明石で203が雪風じゃ。アサヒは儂の隣102で良いな」
ほれ、と言って平賀所長は金属製の鍵を手渡してくれた。
「さっき片付けて一通りのモンは揃えておいたから、普通に使えるはずじゃ」
実は面倒見が良すぎる平賀所長、ありがたく頂戴します。
「それじゃ、おやすみ」
「「「「おやすみなさ〜い」」」」
平賀所長は101号室に、他の三人は横の階段を登って各部屋に引き上げていった。
ボクは貰った鍵を差し込みガチャリと鍵を開けると、小さな電球が灯る部屋に入った。
「あ・・・感知式照明じゃ無いんだ」
部屋に入ると照明が灯るという地球の常識は捨てなきゃいけないね、逆に地球へ戻った時に照明が勝手に灯ってビックリしちゃいそうでもあるけど・・・
ボク、帰るのかな?地球へ・・・
ブンブンと頭を振る。
とりあえず、今は一週間を過ごそう。
靴を脱いで一段高くなっている部屋にあがる。
小さな電球が灯る電灯の下へ行き、ぶら下がって入りひもを引っ張る。
「これで良いのかな?」
少しチラついた後、照明が灯って部屋全体が明るくなる。
そこは右側が簡易キッチンで、ツードアの小さな冷蔵庫と二口のガスコンロがあった。
左側にはスライドドアがあって、そこを開けると正面に洗面台、向かって左側がお風呂で右側がお手洗いだった。
なるほど、ここが水周りだね。
簡易キッチンの奥の部屋は小さなテーブル以外何も無い、休憩室と同じ畳敷きの部屋だった。畳の数を数えると六畳間というタイプだった。
その奥にもう一部屋あって、そこは八畳間というタイプ。右の壁際には五段のタンスがあって、上三つは空っぽで下から二段目にはタオルが一番下の段にはバスタオルが入っていた。
左側には襖と呼ばれる紙と木で出来たスライドドアがあって中には寝具が揃っていた。
とりあえず、シャワーを浴びよう。
今日は平賀所長に海へ放り込まれて、着替えたけど身体がベタベタして気持ち悪かったんだよね。
平賀所長から貰った紙袋を開けると、パジャマと替えの水兵服が二着、靴下5足と下着が五枚入っていた。
「ありがとうございます、平賀所長・・・でも、なんで全部女性用なんですか?」
徹頭徹尾、上から下まで全部女性用だった。
がっかりした反面、これを買いに行った平賀所長を想像すると可笑しいやら恥ずかしいやらで怒る気も失せた。
「ぷっ」
思わず吹き出しちゃう。
あの堅物そうな平賀所長がどんな顔でこれを買いに行ったのかな?
憮然としてたのか顔を赤らめて照れまくってたのかな?
「ありがとうございます、平賀所長」
ボクは平賀所長がいる隣の部屋に向かって頭を下げてお礼を言った。
そしてシャワーを浴びて髪も身体も全身泡まみれになってよく洗い、スッキリして新品の下着とパジャマに着替えてお布団を敷き終えたトコだった。
コンコン
とドアをノックする音。誰かな?こんな時間に。
ドアを開けると、そこにはパジャマ姿の雪風ちゃんと寝間着姿の間宮さんがいた。
「アサヒちゃ〜ん、ちょっと良いかしら〜?」
「はい?」
それから十分後、ボクはフカフカの布団に横たわっていた。
「今日は色々あったな〜、明日からも頑張らなきゃ・・・」
色々ありすぎて疲れていたボクはそのまま深い眠りに落ちた。
そして、午前二時過ぎ。
102号室の天井板の一部が音も無く外される。
「お、寝てる寝てる」
ロープが垂らされて、それを伝ってスルスルと降りてきたのは202号室の明石だった。
気合いが入っているのか、元々の明石の趣味なのか真っ黒な衣装に身を包んでいる。
「ふふふ、さぁアサヒちゃん。お姉様がめくるめく禁断の花園へ連れて行ってあげるよ〜」
真っ黒な部屋の中でも明石の視界は確保されているようだった。そして横たわっているアサヒのタオルケットに手を掛けたその時だった。
「アサヒちゃんを〜、どこに連れて行っちゃうのかしら〜?」
隣の部屋から聞き慣れた声。
「え゛・・・間宮さん⁉︎」
そちらを向いた瞬間だった、間宮の右手に握られていたモノが強い光を発した。
「みぎゃぁぁぁ、目が、目がぁぁぁ」
両手で顔を押さえる明石。
「こんな事だろうと思ったのです」
布団から起き上がったのは雪風だった。
間宮も雪風も濃いサングラスをかけて目を保護していたが、明石は暗視装置で増幅された強烈な光を見てしまい、部屋の中でのたうち回っていた。
「いけないわ〜、明石ちゃん?」
ダメージを受けて転げ回る明石を冷ややかな目で見つめる間宮。
「しっかり〜、反省しなきゃね〜」
「そ、それじゃ雪風はお部屋に帰るのです」
危ない雰囲気を感じ取った雪風はそそくさと102号室を後にする。
この後、何があったのか?
気になった雪風は後日聞いてみたが、間宮は「うふふ」としか言わず、明石は青くなったり赤くなったりで頑として口を割らなかった。
そして、この一件は間宮・明石・雪風の三人だけが知る事件となった。