乙女心と対空砲火
「落ち着け、落ち着こう雪風さん。話せば分かる」
タナトス中佐がこっちを睨む大砲を見て後ずさりする。
すると、微かな機械音と共に船の中央部にある、大きなパイプが四つ繋がった様な機械が二つ、同時に旋回して、これもこっちを向いて停止する。
その機械と後ろの大砲との間、小さな小屋みたいなのの上で仁王立ちしている雪風ちゃんがいた。
「待て、さすがに魚雷は洒落にならん!」
更に後ずさりするタナトス中佐。
「通信もせずに突然至近距離に現れるとか、敵対行為以外にありません!」
あぁ、やっぱり海中から突如現れたのはこの潜水艦だったのか。
それはそうと、雪風ちゃん随分ご立腹の様子。
「さぁ、とっとと私の艦長さんを返すのです!」
・・・『私の艦長さん』って僕の事?
うわぁ、なんか凄く照れる、嬉しいんだけど恥ずかしい。
「私も早くこの方をお返しして、謝罪すべきだと判断します」
紫音さんは凄く冷静だ。
「中佐がどうなろうと知った事ではありませんが、撃沈判定されてドックでお留守番は嫌ですよ、私は」
訂正、紫音さんは冷静なんじゃない、冷徹なんだと思う。
「ちょっと過激に挨拶しようとしただけですよ、雪風さん!いたずらですよ、ドッキリですよ」
「挨拶で2000トン級の駆逐艦の至近距離に、水上で3500トン水中では6500トンの潜水艦を浮上させたのですか?」
冷徹な紫音さんの言葉がザクザクとタナトス中佐の背中やら頭に刺さっているように見えた・・・気がした。
「タナトス中佐?やって良いいたずらと悪いいたずらありますよ?」
雪風ちゃん、にこやかな微笑みを浮かべてるけど、コメカミで青筋がピクピクしてるんですけど。
「前々から薄々感じていたのですが、中佐はもしかしなくてもお馬鹿なのでは?」
紫音さん、一切フォローとかする気ないよねっ、むしろ追撃していますよねっ?
「ところで、僕を助けて下さったのは?」
泳げない、泳いだ事が無い僕を助けてくれたのって誰なんだろう?お礼だけはちゃんと言っておかなきゃね。
でも、僕だけはびしょ濡れなのにタナトス中佐も紫音さんも、雪風ちゃんも一切濡れた様子がない。
「あぁ、それならコレで・・・」
そう言う紫音さんの手には、先端に『r』状の金具がついた長い棒があった。
「これは鍵ざおと申しまして、海上で艦同士を連絡する際、ロープを受け渡すのに使ったり、ボートを艦に引き寄せたりする時に使います。なお海に落っこちた物を拾い上げる際にも重宝します」
気のせいかな?今『者』が『物』に聞こえたんだけど。
「急速浮上後にハッチから出ると、うつ伏せでぷかぷか浮いている貴方を見つけまして、コレで拾い上げました。まさか泳げない艦長がいるとは思いませんでしたから、大変貴重な経験ですね」
うわぁ、紫音さんの言葉って全方位に辛辣だ。
「ついでに申しますと、海水をかなり飲んでいらっしゃったのと、呼吸停止、意識不明、脈拍も無い状態・・・つまり死にかけていらっしゃいましたので、私が人工呼吸を施し蘇生しました」
え?なにそれ?僕、死にかけてたって事?
うっすら覚えてる、あの制服姿の老紳士ってひいおじいちゃん⁉︎
僕って、三途の川渡りかけてたってこと⁉︎
「人工呼吸ぅ⁉︎ちょ、ちょちょっと、どう言う事なんですかっ!」
雪風の船上で雪風ちゃんが叫ぶ。
「どうもこうもありませんよ?意識不明で呼吸停止、そうなれば人工呼吸は当然ではありませんか?」
紫音さんは涼しい顔だ、対照的に雪風ちゃんは顔が真っ赤。
あれ?でも、確か・・・
人工呼吸って・・・
その、マウス・トゥー・マウスと言うもので・・・
その、つまり・・・
「若い子のクチビルって、ぷるんぷるんしてて良いですね」
そっと自分の唇に指をあてて、なぞる仕草をしてる。
さようなら、僕のファーストキス。
こんにちは、大人の世界。
記憶にはないけど。
・・・おや?
南国の洋上なのに、オーロラでも見えそうな冷気が?
その寒気団の原因は雪風の艦上にあった。
「イ−よんまるにぃぃぃ、そこになおれぇぇぇ
海の藻屑にしてくれるぅぅぅ」
わぁ、初めて見る雪風ちゃんの姿。
えーっと、確か古典的表現で『ビースト・モード』って言ったっけ?
「ふふん、出来ますか?艦隊型駆逐艦の貴女に?
潜特型の私に敵うとでもっ?
あははは
やってみせろ、陽炎型っ」
紫音さんも煽らないで!
「タナトス中佐、止めて下さい!」
こうなったらタナトス中佐に止めて貰おう。
「俺の紫音さんの唇が、紫音さんの貞操が・・・ブツブツブツブツ」
座り込んで甲板に『の』の字を書いていじけてる。
ダメだ、この人じゃダメだ。
よし、ここは平賀所長だ!
あの人なら止めてくれる、なんとかしてくれるはずだ!
周囲を見渡すけどいない、こんな時にどこ行った?
雪風の後部甲板、いない。
イ−402の甲板、いない。
イ−402の艦橋、いない。
雪風の艦橋・・・いたっ!
いたって言うか、居るって言うか・・・
雪風の艦橋後部にぶら下がっていた。
って言うか、吊るされていた。
うん、グッタリと力なく吊るされております。
ダメだ、この人もダメだ。
「この距離では、魚雷を命中させても信管は作動しませんよ」
余裕の笑みを浮かべる紫音さん。
へぇ、そうなんだ・・・って言うか煽らないで下さい。
「信管が作動しなくても、そのペラッペラの外板に穴は開きますよ?でも、貴女の魚雷は前にしか撃てませんもんね」
へぇ、潜水艦って前にしか撃てないんだ。
ってそうじゃなくて、雪風ちゃんも煽らないのっ。
「それにこの至近距離じゃ、ご自慢の航空兵装・特殊攻撃機の晴嵐も発進出来ませんよね〜、あれってこっそり隠れて発進して、騙し撃ちする専用機ですもんね〜」
へぇ、紫音さんって飛行機積めるんだ、凄いなぁ。
でも、どんな飛行機をどうやって発進させるんだろ?
あと、雪風ちゃんって意外と毒吐くんだ。
「そうですね、まぁ貴女に晴嵐は勿体無いですね。晴嵐の800キロ爆弾じゃ木っ端微塵ですもんね、250キロ爆弾四発にしましょうか?それでも跡形も残らないですよね」
だんだん毒の応酬になってきてますね。
雪風ちゃんも紫音さんも一歩も引かない。
「貴女の艦体なら14センチ砲だと貫通判定かしら?」
紫音さんの背後で、イ−402の後部甲板に一門だけ乗っかってる大砲が雪風ちゃんの方を向く。
「単装砲一基で12、7センチ連装砲三基と殴り合いですか?ご自分の艦長の事言えないくらいお馬鹿なのでは?
うふふ」
右手を口に当てて小馬鹿にした態度をとる雪風ちゃん。
「なんですって?」
あ、地雷踏んだっぽい。
それまであった、まだどこかのんびりしていた紫音さんの雰囲気が一変した。
「中佐の事を馬鹿にして良いのは私だけです」
さらっと酷い事言うのね。
「・・・小娘がっ!調子にのるなよ」
紫音さんの背後、甲板の一段上にある二つの物々しい機関銃が雪風ちゃんを狙う。
「水中じゃ6ノットも出ないドン亀が偉そうにっ」
雪風ちゃんも負けじと甲板上の大きな機関銃を紫音さんに向ける。
僕はと言うと、止められそうにもないし、巻き込まれても無事じゃ済まないだろうし、とりあえず面白そうだしイ−402潜水艦の艦橋にお邪魔させて貰う事にした。
「お邪魔しま〜す」
甲板の上にドーンと乗っかってる筒状のモノの横についたハシゴを登って、さっき紫音さんが雪風ちゃんに向けた機関銃の鎮座しているところに出た。
ここで既に雪風の甲板と同じくらいの高さかな?
艦橋も独特の形なんだね、雪風のとは全然形が違うや。
それに中心線より左側に寄ってるんだ、バランスとかどうなんだろう。
更にお邪魔して艦橋の最上階まで登らせて貰う。
お〜、雪風の艦橋最上部よりは低いんだね。
でも、ほぼ全周が見渡せてこれはこれで良いね。
イ−402って大きいとは思っていたけど、全長で雪風より大きくない?
この質量が海中から飛び出てきたら、そりゃ大波にもなるわな。
なんて見学してたら、なんだか騒がしくなってきた。
いよいよヤバくなってきたのかと思って、雪風ちゃん達の方を覗き込んだけど、そう言う騒がしさじゃなかった。
雪風側じゃない、反対側から聞こえてきてる?
怒声じゃない、爆音?
艦橋の右側に移動して、音のする方を見る。
「ん?なんだアレ?」
海面スレスレの超低空を、二機の飛行機が前後に並んで飛んでいる。
「ねぇ、雪風ちゃん。飛行機が二機変な飛び方してるよ?」
「今忙しいから後にして下さいっ、うるさいっこの泥棒ネコっ」
取り合ってもらえなかった、ちなみに後半は紫音さんに向けられたものっぽい。
でもなぁ、その二機はどう見ても仲良く飛んでいるようには見えなかった。
空戦の事はよくわからないけど (海戦の事もサッパリだけど) 、後ろの飛行機が前の飛行機を追い回してるような・・・
そして、その二機の進路はバッチリこの二隻に向かっている。
爆音を轟かせながら接近してくる二機の飛行機、あれは多分《戦空》の参加機なんだろうなぁ。
それにしても、凄いスピードで近付いてくるなぁ。
超低空だからかエンジン音も凄い、もう音というより振動に近いよ。
でも、そんな爆音より大きな声が全てをかき消した。
「「うるさ〜〜い」」
お互いを向いていた機関銃と、雪風の大砲が二機の飛行機に向かって猛烈に火を吹いたからだ・・・
あ〜ぁ。やっちゃった・・・