第三記 失われた日常《旧教》
この回を執筆中、熊本の地震を目にしました。
書いている内容がそれなだけに悲しさも大きいです。
どうか復興と安全が早く訪れますように。
そして・・・亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
*
自分たちは騙されていた。
神とあがめていたものによって。
……信頼していたのに。
貢ぎ物をだし、祭りを開き、マターの恵みを皆で分かち合っていたはずだった。
だが、もう誰も助けてくれる者はいない。
その事実に打ちのめされた国民を奮い立たせたのは、王ではなかった。
国王は、もはや立ち直れなかったのだ。
王としてのプライドが傷つけられたから、というのもある。
そして何より、心からたたえ続けてきたマテリアル教が邪教だといわれた今、自分が否定されたのも一緒だったのだ。
国民を立ち直らせたのは、やはりセラ・ネリア姉妹だ。
セラがついに壇上に上がり、声を張り上げた。
「マテリアル教、およびマターは地に落ちた! だが、考えていただきたい。
抽象的なものに頼り切り、自らは何もしなくなってしまったことは、我々の誤りでは無いだろうか!?」
民の間にざわめきが広がる。
精一杯生きているつもりだった。
でも、言われてみると確かにそうだ。
困った時は神殿の方角に祈り、恵みを待った。
自分達で解決したことを、何一つ思い出せない。
そういえば、この地で地震が起きなくなったのはいつからだろう。
マターが降りたった時からだとしたら……。
この地はもともと、地震が起こりやすい地域だったはず。
忘れていたのだ。
「マター様がお守りくださる、大丈夫だ」と謳う(うたう)、無責任な思想に踊らされて。
地震を正しく怖がり、身を守るすべも。
いざという時の対処法を子に伝えていく伝統も。
壇上にいるサラの後ろから、ネリアがそっと出てきて言葉を紡いだ。
「マターに頼るのは、やめましょう! 自分たちのチカラで生活すればいいと思います!」
サラはそんな妹をそっと撫で、再度息を大きく吸い込んだ。
「マターの力によって、奇しくもこの地は災害のない日々を送ってきた。だが、もはやマターには頼るまい! マターが本性を現したからには、今後地震は大いに増えるだろう。それを私たち人の手で! 少しでも被害を抑えるべきだ!」
姉の勇姿を見たネリアは、負けじと前に進み出た。
少しプルプルする足を、一生懸命踏み込んで。
「人の世を人の手で良くしていって、悪のゲンキョウ……で合ってるかな、お姉ちゃん。……えっと、悪の元凶である、マターを倒すんです!」
少し微笑ましいネリアの演説の後、サラが大きく手を広げ、群衆へと叫んだ。
「これが、私たちが考える新たな思想、『ノンマテリアル』だ!」
*
エルは、自分のカップを洗いながら話を聞いていたが、思わずその手を止めた。
親父さんの顔をじっと見つめ、何か答えを探すように目を泳がせる。
「……そのあと、どうなったの」
「いやー、国民は皆がっちり心を奪われちまったよ。たぶん、この国にマテリアル教徒は一人もいなくなったろうね。王様はすごすご居室に帰ってしまったし……おそらくこの国は、完全に新たな思想に切り替わった。ノンマテリアル教にね。」
少し間を開けて、二人とも長い息を吐いた。
そして親父さんはエルをじっと見ると、気遣わしげに口を開き、問う。
「エル、お前はこれから、一体どうする?」
「え……」
長い沈黙の後、エルの口が小さく震えた。
「僕は―--------」
「おい、おやじ! いるか!?」
突然の乱入者に、おやじとエルの肩がビクッと震えた。
玄関口から顔をのぞかせているのは、近所に住む骨董屋の若頭だ。
「おお、この老体をびっくりさせるなよ」
苦笑する親父さんに、彼は切羽詰まった表情で叫んだ。
「今、地震の影響で近くの川が決壊したんだ! しかも、人が流されてきていてみんな大混乱だ!」
親父さんは息をのみ、ものも言わず救急箱に突進していった。
エルもあわてて手伝いに行こうとしてハッとする。
「あの、どうして『大混乱』なんですか? 子供が落ちてるってことですか?
その人を助けられないぐらい水流が強いとか・・・。状況によっては準備するものが変わります!」
聡明な少年に真っ直ぐ言葉をぶつけられ、若頭は言葉を詰まらせた。
大混乱……確かに現場はそうだった。
だから思わず助けを求めに来てしまった。
それは正しかった……のだろうか。
だって、混乱の原因は
「混乱の原因は、弱者がおぼれてることではない。逆流防止の弁が功を奏して助けに行けないほどの水流でもない。ただ……その人が、神殿のほうから流されて来たってことなんだ。」