第二記 信じていたものの終わり
「おお、エル!ぶじだったか!」
いきなりガシッと抱擁され、エルは思わずよろめいた。
宿屋のおやじがほっとした顔で駆け寄ってきたのだ。
「心配かけて……ごめんなさい」
親父さんはうなずきながらエルの頭を繰り返しなでてくれた。
そっと体を離し、優しく微笑んだ。
「さあ、とりあえず部屋へ。あの後、分かったこともいくつかあるからな」
肩を組み、二人は宿屋へと向かった。
えも言われもない安心感で、エルの心は本当に少しずつだが修復されていった。
コーヒーの芳しい香りが漂う宿屋で二人は椅子に腰を下ろした。
親父さんはブラックを口に含むと、少し砂糖を入れたものをエルに渡した。
「さてっと……まずはお前が出て行ったあとのことからだな」
エルが城下町『トネーメル』を飛び出していった後のこと。
城に避難した民たちは、驚くべき真実を聞かされたという。
親父さんは、城の大広間で負傷者の手当てをしていたらしい。
その時、トネーメル王が奥から現れてお言葉を述べたそうである。
「あ~、トネーメルの民よ。案ずることはないぞ。兵士から、死者はおらんと報告が来ておる。それに、我らは信心深いマテリアル教徒ではないか。我がマター
であるアグリス様が、必ずや我らをお助け下さる!」
「あ、あのー……」
王のお言葉を頂戴している時、幼子の声がしたらしい。
国民は一斉に、とがめる様にその声のほうを見たという。
しかし、そこにいた幼子のあまりにも堂々とした態度と凛とした声に、思わず見とれてしまった。
「死者はいないと仰いましたが、震源地の、ルリエン村は、数に入らないのですか?」
「む、むぐう!?」
国民は、初めて王のうなり声を聞いたという。
どう見ても年齢は二桁までは行っていないその子に、みんなが耳を向けていた。
「ルリエン村は、立派なトネーメル王国の、領地のはずです。震源地なのに、死者がいないのは、おかしいですっ」
そこで、王が追いつめられているのに気付いた兵士が声を荒げた。
こんな年端もいかない小娘に王が負けてはいけないのだ。
「おい!無礼者、黙れ!王がお話し中であろう」
「でも、嘘をついています!王様が、嘘をつくのは、いけないと思いますっ」
もう宿屋のおやじは限界だったらしい。
我慢できずに吹き出してしまった。
「あはははっはあ~。お嬢ちゃん、あんたは確かに間違ってはいないなあ。」
*
「そんなことして、大丈夫だったの!?」
エルは思わず叫んでしまった。
気づけば身を乗り出して話を聞いていた。
「あっはっは、まあ、この通り大丈夫だよ」
体をおどけた様子で揺らす親父さんを見て、エルも笑顔になった。
親父さんは悪戯っぽい顔をして続けた。
「それに、驚くのはまだ早い。この後、もっと面白くなるんだよ」
*
「す、すみません……ネリア、さすがにそれは痛いところをつき過ぎだ」
今までの少女とは別の子供の声がして、国民はギョッとした。
先ほどまでしゃべっていた少女の奥にもう一人の女の子がいたのだ。
ネリアと呼ばれた少女より、背も高く顔も少し大人びた女の子。
「でも、セラお姉ちゃんも言ってたじゃない?すべてを神頼みにしている王は信用し過ぎるな、いつでも疑い、自分を流されるなって……」
会話から、二人は姉妹らしいことが分かった。
最初に王に意見した子が妹のネリア。
たしなめている割には、王にとげを突き刺した子が姉のセラ。
「確かにそういったが、アレでも一国の王なんだ。国民はアイツや神にしかすがれないんだよ。あんなに追い詰めたら民も戸惑ってしまう」
再度、王は小さくうなったらしい。
兵士も、正論返しはできないようだ。
「でも、そもそも、マターがいないと生きていけないのは、おかしいよ~。マターが降りてくるまでは、人は自分のチカラで、生き抜いていたんでしょう」
「む……たしかに、な。ネリア、私も実は、思うところがある。代わりに言わせてもらうぞ」
内緒話にしては大きすぎる声で会話していた姉妹。
国民は、おかしいやら皮肉やらで王の言葉より真剣に姉妹の話を聞いていた。
そして、さっきよりさらに大きな声で、姉・セラが王に対峙した。
「失礼する。貴公への妹の態度をぜひお許しいただきたい。なにぶんまだ8歳なもので。しかし、貴殿のようなお優しい殿方が、こんな小さな子を罰したりはなさるまい。それとも……自分の恥を埋めるため、妹を罰して取り繕いますでしょうか?」
驚いた。
大広間にいた全員が同じことを思った。
なんなんだ、あの姉妹は。
王に物怖じしない態度と、的を得過ぎた発言。
そして、あまりにも早熟だ。
「ですが、王よ。私も貴殿のはつげんに、思うところがあるのだ。一言申し上げたい。……ルニエン村は、この国で一番慎ましく、信心深い人々の住まう地であったはず。そこが震源地になったということは、何を意味するかお分かりか」
みな息をのんだ。
そうだ。
確かにそうなのだ
この地震が起こること自体、異常すぎるのだ。
マターの守護地であるこの地で。
その震源地がルリエン村であってはならない。
『あってはならなかった』のだ。
「きっと、もう皆分かっておいでのはずだ。これはつまり……マターが神と呼ぶにふさわしくないことを意味する。もっと分かりやすくいえば、『マター』は神ではなかったということだ。」
*
「それ……どういうこと……?」
飲み干されたコーヒーカップが、エルの手から落ちそうになっている。
親父さんは難しい顔で考え。
「今まで信じていたマテリアル教を根底から覆す言葉だよね。私も驚いたもんだよ。でも、あまりにも……今の状況を説明できている」
「……その話、まだ続きがありそうだね」
エルは神妙な面持ちで話の続きを促した。