下
翌朝。
ぼけーっとベッドから起き上がると、トイレへと向かう。
トイレに入って用を足そう、いつものようにそう思うと――
ない。
どこにも。
男であった象徴が――
ああ、と頭が回転し始める。
そうであった。
一昨日までは普通に男として生活していたのに、なぜか昨日、森の中で女の子になってて追い剥ぎに会い、そして女の子のひらひらとした服を着て給仕をしていたのだ。
何を言っているか分からないだろうが、自分でも何が何だかさっぱりわからない。
だがこの見知らぬ土地でどうすれば良いのか、そもそも『円』と言う通貨単位ではない謎の世界で生きていくには例え元男であっても女の子の格好をせねばならぬ時があるのだ。
はぁ、とため息をついて立ちションの出来なくなった自分の体を見つめ、仕方なく座る。
心もとない音が途切れるとすっきりとし、そういえば女は拭かなければならないのか、と思い拭いてから立ち上がる。
よくよく考えれば今着ている寝間着も薄いワンピース型でそもそもズボンすらないものだ。
心もとないと思うがローリーに用意されたのがこれだけだったので仕方ない。
部屋へと戻り、着替えを済ます。
うむ、用意されている服は昨日とちょっと違うが、やはりフリフリヒラヒラの服で、昨日のクソジジイどもの事があったせいか、スカートの丈がだいぶ長い。
とことこ、と下の階に降りると既にローリーは居て、朝食を食べており、その対面には手つかずの食事が置かれていた。
「メイ、遅いよ」
「ご、ごめん」
「用意できてるから食べな」
「うん、ありがと」
そう言って朝食に手を伸ばす。
パンと、スクランブルエッグ、そしていくばかのサラダだけであったが、どうやらこの体にはそれだけで十分だったようでお腹がすぐに膨れる。
「そういえばローリーはなんで昨日の人たちの誘い断ったの?」
「ん? ああ、ロサーノ?」
「うん」
「冒険者なんてロクなもんじゃないからさ、私は冒険者になる気はないよ」
「あんなに強いのに?」
「強さは関係ないって」
ローリーは穏やかな口調だったものの、どこか遠くを見つめるような目をしていて、強い意志のようなものを感じる。
もしかしたら昔何かあったのかも知れない。
けれどもそんなことを聞くのは無粋だと思えて聞かないようにする。
「そっか」
「なに、メイ冒険者に興味あるの? やめといた方が良いよ。メイ弱いし」
「そういう訳じゃ……」
そもそもとして冒険者がなんたるかが分からないので、興味があるとか無いとか、それ以前の話だ。
しかしその答えにローリーは納得したようでうんうん、と頷いている。
「そうそう、その方が良い。別に世界なんか知らなくたって生きていけるの。バカみたい……」
そう言ってローリーはパン、と手をたたく。
「はい、じゃ、この話はおしまい! メイは今日の食材買ってきてくれる? 私は夜に向けて準備しないと」
「うん、分かった」
「これ買い物リスト。それからお金ね」
そういうと、メモとお金を渡してくる。
銀貨二十枚だ。
銀貨って一枚どれくらいの価値があるんだろう、そう思って昨日エロジジイどもから貰った自分の銀貨をスカートについているポケットの中で銀貨を弄ぶ。
ともあれまずはメモを見て買い物に出よう。
ローリーの酒場から出ると、ごった返している、と言うほど人が居るわけでもないが、それなりに多くの人が道を歩いている。
商人だろうか、大きなリュックを背負って歩いている人から、馬車に積み荷をたくさん積んでいる人。
はたまた剣や杖をこさえた人など、中世と言う昨日の感想から一変、異世界と言うイメージが湧き上がってきた。
そんな道をキョロキョロと右を左を見ながら歩いて、目的の八百屋へたどり着いて、いくばかの野菜を購入した。
男だったら軽く持てそうな量の野菜なのに、この体では力が入らなくて、持ち上げて運ぶだけでもなかなかに手間のかかる重さだ。
果たして次へ行けるのだろうか――
そう思った矢先だった。
突如視界が揺れ、建物と建物の隙間に引き寄せられる。
そしてそのまま羽交い絞めにされて口も押えられ、声すらあげることが出来ない。
暴れてみたものの細い腕で対抗できるような力ではなくて、動く事すらかなわない。
「昨日は世話になったな、ねーちゃん」
聞き覚えのある声。
背後から掴まれていて顔を見ることはできないが、間違いない。これは昨日の追い剥ぎだ。
「んーんー」
助けて、と叫ぼうにも耳に届く声はか弱い小さな声。
「無駄だ」
そういうと追い剥ぎは口に布を巻いてきて、手足を縛ってからひょい、と持ち上げて体を抱える。
そんなに軽いつもりはなかったのだが、どうやらそうでもないらしく、抱えられた先でどれだけ暴れてもウンともスンとも言わない。
成すすべなく連れられた先はどこかの洞窟の中。
昨日の森の更に奥。
どさり、と下されると、そこに居たのは見たことのない大柄な男。
それに昨日のチビとデブもいた。
「ボス、この女です」
「ほー、良い女じゃないか。迷い子って言うのは本当なのか?」
「ええ、恐らく」
「なるほどな、じゃあ昨日言ってた邪魔なクソガキさえ始末しちまえばこいつはどこにでも売り飛ばせる、って訳だな?」
売り飛ばす、どういう意味だろう。
それにローリーも言っていた迷い子。
頭の中をくるくると回るが、今の状況が状況で思考が働かない。
「だがその前に……」
ヒヒヒ、と下品に笑う顔はそう、今から自分を剥こうとしているのだとすぐにわかる。
給仕をしていた時に出会ったエロジジイどもよりも、もっと下品で卑劣な表情は不快意外の何物でもなか
った。
不注意だったのだろうか。
ローリーに助けてもらい、給仕としてではあったが泊めても貰えた。
だと言うのに今、自分はこんなところで捕まっている。
ポロポロと水滴が頬を伝う。
オカシイな、こんなに泣くことなんてなかったのに、そう思うも感情のコントロールが出来ない。
迫ってくる手に目を瞑る。
一度目はローリーが助けてくれた。
けれども二度目はないだろう。
男どもの手が胸と太ももを這わせる。
気持ち悪くねっとりとした感覚がぞわぞわと体を震わせた。
ローリーのように魔法が使えれば――
思ってもそんな都合の良いわけなどなくひたすら現実を逃避する。
――その時だった。
突然、ねっとりとした感覚の男どもの手が消える。
「メイ! なんでそう何度も捕まるの?」
「う……ロ、ローリー……」
ごう、とローリーは火を華麗に操って追い剥ぎを追いつめる。
が、追い剥ぎもバカではない。俺の体を抱きかかえて洞窟の奥へと逃げる。
「おい嬢ちゃん、こいつの命が惜しくねえのか?」
ボス、そう呼ばれた大柄の男が剣を突き付けてきた。
ああ、やはりここで死ぬのかも知れない。
そう考えると妙に冷静で、もう少し親孝行しておけばよかったと思う。
もっとも親を思い出す事すら霞にかかったようで叶わないのだが。
「メイ……」
ローリーが喉を鳴らして呟く。
気にしないでほしい、ローリーは自分の人生があるのだ。
昨日今日あった人間の事など気にせず、生きていくべきで、もしかしたら本当に悪い夢で全部終わったら夢から覚めるのかも知れない。
だったら――
だがその思いは通じなかった。
「……どうすればいいの……」
なぜだろう。
どうしてだ。
昨日今日あった人間のことを、どうしてそこまで気にかけるのか。
「じゃあまずこっちに来な。お前のことは聞いてるぜ。魔法使いなんだろ? 変なことしたらクビを掻っ切るからな」
ローリーが頷いて歩いてくる。
「来ないで……」
「おっと、しゃべんじゃねえよ」
つーっと首から血が流れる。
それでも来てほしくはない。
「ローリー……来ないで……」
「一人の貴女を見捨てられないの……」
ローリーは無視して歩いて、近づいてくる。
「いいねぇ、死なない程度に斬りつけてやれ。だが手当しなければ出血死する程度にな。暴れたら困るが、弱らせときゃそいつも売れるかもしれねえ」
「分かりました、ボス」
その言葉で、ローリーは斬られる。
鮮血が飛び散り、痛みにローリーは泣きながら声を上げる。
「うう……痛いよぉ……」
「なんで……どうしてよ……」
ローリーが痛みにうごめく姿を見て涙が止まらない。
感情の表現が勝手に顔に出てコントロールが出来ない。
どうして昨日今日あった人間にこんな風にできるのだろうか。なんで。
「さて、じゃあ約束通り、命は奪わないでおいてやるよ。へっへっへ」
「げどう……しね……」
小さく言葉が漏れる。
クソだ、こいつらはクソ野郎だ。
外道、死ねばいい。
涙を流しながらボスと呼ばれた大柄の男を睨み付けるがそれで人が死ぬわけでは――
だが、突然だった。
ドスン、と何かがボスと呼ばれた大柄の男に刺さる。
「は?」
何が起きたのか分からない、そんな声がボスから上がった。
だが私は見えていた。
矢が、刺さっている。
そして矢の放った方向を見るとそこに居たのは、昨日酒場に居たロサーヌと呼ばれた冒険者の三人組だった。
矢は、栗色のボブカットの女が放ったようで、弓を持っている。
「ローリーが血を流して倒れてるってのは、どういうことだ?」
「助けにきたぜぇ、メイ、ローリー!」
「私のローリーを苛めたのはアンタかな?」
そうそれぞれが言うと、追い剥ぎ相手に切り結ぶ。
ボスと呼ばれた大柄の男は、現状を把握しきれないのと、矢が刺さったことで手いっぱいだったのか、抑えられていた手が緩み、その隙に逃げだした。
そしてすぐにローリーの元へと駆け寄って手を握る。
ローリーの手は冷たくて、死に近づいているようにすら感じる。
血を止めないと。
服をちぎって斬られたところを巻いてみるが、傷口が深い。
本当に殺さない程度だったのか疑問さえ湧き上がる。
「ローリー……どうして……」
「泣か……ないでよ……メイを見捨てられなかったの……だって私と一緒……」
ローリーがポツリポツリと語り出す。
「……あのね、私のお父さん……今の酒場を経営してたんだけど、誘われて冒険者になって……
もうずっと帰ってきてないの……お母さんはお父さんが居なくなってから酒場の切り盛りで無理して死んじゃった……
私一人なの……メイもそうでしょ?」
「私も……?」
ローリーがゆっくりと頷く。
「迷い子ってね、この世界に居るのに記憶が無くて、誰の記憶にも残ってなくて、突然現れる人の事を言うの……
どこから来たのか、誰も分からないの……誰の記憶にもなくて一人なの……私と一緒……だから……」
ローリーの手の力が抜けて行くのがわかる。
イヤだ。
「やだよ、ローリー……私、どうすればいいの?」
「……じゃあ……一つお願い……私の酒場、お父さんが帰ってくるまで守ってよ……お願い」
「イヤ、死なないで……」
ローリーがニコリと笑う。
「お願い……聞いてくれる?」
「イヤ! 聞けないよ! 生きてよ!」
ぽろぽろと涙がローリーに落ちる、と同時に、ローリーの手が力なく横たわった。
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「メイ、良いのか?」
「はい。不束者の私ですが、ロサーヌさん、ルペルトさん、サラさん、これからよろしくお願いします」
私は三人を目の前にして頭を下げる。
今日は私が冒険者として旅立つ日。
あれから三日立っていた。
ローリーから言われた迷い子について、私はもう少し探そうと思っていた。
もしかしたら現代の日本と言う場所に戻る手立てがあるかも知れない、世界を見て回れば。
そう思ってロサーヌのパーティーに入れてもらうことにしたのだ。
「そうじゃない」
細身のイケメン、ロサーヌが否定する。
それに続いて栗色のボブカットの女性、サラが質問を投げかけてきた。
「そうよ、挨拶しなくていいの?」
「良いんです」
首を横に振る。
「ずっとここに居たいって思ってしまうので」
ふぅ、と嘆息をするロサーヌ。
「じゃあさっさと行こうぜ! メイの気が迷わないうちにな」
ルペルト、恰幅の良い大男だ。
今はその潔さがありがたい。
本当に気が迷ってしまって、ずっと残りたくなってしまうかもしれない。
今でも本当は行っていいのだろうか、って迷っているほどだ。
「そうだな、じゃあ行くか」
三人がこの街の門を出て、多くの人々によって踏み固められた地面を歩いて行く。
一歩、二歩、と踏み出す。
門から出て、町の外に出て振り返る。
「ローリー、ありがとう」
それだけ呟いて三人の後へとついて行く。
もう振り返ることも無いだろう。
「メイ!! 絶対戻って来て! 私待ってるから!!」
なんで、と思う。
前を見ると三人が振り返ってニヤニヤと笑っている。
ああ、騙されたんだ。
「おう! ローリー! 任せな! 必ず戻ってくるからよ!」
「メイはしばらく預かるわ!」
ルペルトとサラがローリーに向かって叫ぶ。
そしてロサーヌは――
「挨拶はやっぱしといた方が良い」
抑えていた感情が止まらなくて、涙が止まらなくて、コクリと頷く。
「ローリー! 私は必ず帰ってくるから! 待ってて!」
ローリーは街の門の前で大きく頷いている。
戻らなければ。
待っている人が居る。
死ねない。
冒険者は危険だけど――強く、強く、一歩を踏み出した。
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のちに、どんな傷も癒すと言われ、死者をも甦らせると言われる『聖女メイ』としてこの世界に広く知れ渡るようになるのは、また別の話――
追記で申し訳ありません。
補足と言う形で申し訳ございませんが、一読頂ければと思います。
最後の一文「死者をも蘇らせる」と言う点に関しまして。
あくまでも噂で出回った話を書き綴っており、実際に「死者をも蘇らせる」と言う設定ではありません……。
何か良い表現は無いかと探したのですが、思い付かず語彙力の無さが露呈しております。
お恥ずかしい限りです。
それでは本編はこの辺りで、もし他作品を開いて頂けた際は、何卒温かい目で見守ってくださればと思います。
宜しくお願い致します。