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鬼見物


 行き交う人の声。馬のいななき。商い人たちの掛け声。

 どこかで食べ物を商っているのだろう。食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐる。

 それに交じって漂ってくる、起こした土の香り。真新しい木の匂い。



「これが、安土あづちの街」



 駕籠の覗きから見える街並みに目を見張りながら、景子はつぶやいた。


 天正五年、冬。安土は興りつつある街だった。



 

 

 第六話 「鬼見物」

 

 



 なぜ景子が安土に来ることになったかというと、理由は単純だ。



「安土に用ができたから、景子はお伴しなさい」



 と、ねねに引っ張って来られたからだ。

 むろんそれは建前で、長浜から出ることのほとんどない景子のためであることは、言うまでもない。景子は素直に感謝しながら、活気ある街並みを見て楽しんだ。


 安土の秀吉邸に着くと、景子は総出で迎えられた。

 士分の者から使用人までみな集まっている。一同に向かって、ねねが笑顔で娘を紹介した。

 景子にとってはなはだ不本意なことに、すでにこちらの屋敷でも、“羽柴の鬼姫”の名は知れ渡っている。



「あれが」「あの」「御歳十六のはずでは?」



 最後のささやきは、少女の心に刺さるものがあった。

 秀吉夫妻の娘になってからすでに三年が経とうとしているが、景子の外見はさっぱり変わらないのだ。



「じゃあ私は御屋形おやかた様のご機嫌伺いに行ってくるから、いい子にしてるんだよ」



 屋敷で一休みすると、ねねはそう言い置いて出かけていった。

 御屋形様、とは織田信長のことだ。言うまでもなく羽柴秀吉の主君である。


 比叡山ひえいざんの焼き打ち。伊勢長島の大虐殺。景子にとっては信長といえば、恐ろしい印象しかない。

 


 ――でも。母上の様子から察するに、実はそんなに怖い人ではないのでしょうか。



 そんなことを考えながら、景子は安土山の上に建つ城を見上げた。

 壮大な高層建築“天主”は、このころまだ完成していない。



 

 

 

 



 ねねを見送ると、景子はあてがわれた部屋で体を休めていた。

 持ってきた餅を焼かせておやつにつまみ、ごろごろしながら新しい木と畳の匂いを楽しんでいると、にわかに表が騒がしくなった。

 しばらくして景子の元に駆け込んできたのは、ねねとともに出かけた侍臣だった。やけにあわてていて、ほとんど動顛の様である。



「どうしたんですか?」


「姫様! 急ぎ、支度を! お、お、御屋形様が直々にお呼びです!」



 信長が、自ら景子を呼んでいる。

 彼がそう言っているのだと理解するのに、景子はしばらく時間がかかった。



「……本当ですか?」



 半ば信じられない気持ちで、それでもとりあえず出かけようとしたところを、景子はねねの侍女頭につかまった。



「万々一にも失礼の無いように」



 と、そのまま湯に浸けられて、体中徹底的に磨かれた揚句に香まで焚き込められ、景子は完璧に身だしなみを整えさせられた。



「お輿入れじゃあるまいし」



 あまりの徹底ぶりに、景子が冗談めかして言ったが、侍女頭は至極真剣に言った。



「ひょっとすると、姫様を側妾に望まれてのことかもしれませぬ」



 愕然として半ば夢の中に居るようなありさまで、景子は手を取り引かれていった。



 

 

 

 



 織田信長。

 おそらくは戦国史上、最も有名な人物の一人だろう。

 今川。斉藤。北畠。六角。浅井。朝倉。叡山。本願寺。武田。その他多くの勢力と戦い、滅ぼしあるいは従え、天下に武を布き、なおいまだ戦い続ける乱世の天下人。


 そんな偉人が、景子に用があるという。



 ――まさか、本当に側妾に望まれるとは思えませんけど。



 思いながらも、やはり不安は拭えない。

 主が家臣の娘を見たいなどと望む理由を、ほかに思いつけなかったこともある。


 しかし、やはりそれは杞憂だった。

 案内役の小姓が、景子が呼ばれた理由をそっと耳打ちしてくれた。



「羽柴殿の好色ぶりに関する奥方様の長い愚痴に、御屋形様は困りあげられて、ちょうど話に出た貴女に助け船を求められたのです」



 ――母上なにやってんですか。



 予想の斜め上である。冷や汗の出る思いだった。

 どう返したものか迷いながら、景子はとりあえず頭を下げた。



「それは、母が御迷惑を」


「いえ。こちらこそ、過日は兄が御迷惑をおかけしました」



 唐突な謝罪に、景子は目を丸くする。

 少女の様子を見て、前髪の小姓は苦笑を浮かべた。



森乱丸もりらんまると申します。勝蔵長可しょうぞうながよしはそれがしの兄です」


「あの」



 と景子が言ったのは、あの無法が服を着て、挙句に刃物を持って歩いているような森勝蔵の弟が、こんなに礼儀正しいことに驚いてのことである。


 その反応に、少年は苦笑しつつ先導する。

 ほどなくして広間に着いた。乱丸に促され、景子は緊張しながら中へ入った。


 ちらと眼に映った姿に、景子は息をのんだ。

 年頃は四十前か。実年齢を考えれば五、六歳は若く見える。

 眉目秀麗で、刻まれた皺すら、まるで几帳面に計算されたかのように整っている。身に纏う南蛮服は、こちらの生活に慣れた景子にとっては目新しく映った。


 一見、洒落た紳士。

 だが、存在の重さが違う。

 まるで広間全体が信長に向かって傾いているような、そんな異様な感覚を、景子は味わった。



「待ちかねたぞ」



 よく通る、柔らかい声だ。

 いっそやさしげですらあったが、幾多の戦場で号令をかけ続けたためだろう。すこし枯れている。



「羽柴筑前が娘、景子――」


「デアルカ」



 口上の途中で口を挟まれ、景子は継ぎ句を失った。

 あわてて目を泳がせる景子の様子に、信長の口の端が、わずかに笑みの形に持ちあがる。



「藤吉郎の娘にしてはチト美しすぎるが、妻女どのの娘としては相応であるな」


「まあまあ御屋形様。お上手な」



 ――母上スゲエ。



 景子は心の中で漏らした。

 信長相手に気後れせず、図々しいほどに馴れ馴れしい態度だ。

 この調子で愚痴り倒して信長を困らせていたかと思うと、景子は土下座して謝りたくなる。

 とはいえ信長自身、そんなねねの態度を気に入っているから、長々と愚痴につきあっていたのだろうが。



「シテ」



 信長が、今度は景子に顔を向けた。



「その方、鬼であるそうな」



 その言葉には、どこか親しげな響きがある。

 景子の隣で、ねねが不安そうに眉根を寄せた。

 素直に答えていいものか迷ったが、いずれにせよ、嘘をつくわけにはいかない。



「はい。その通りにございます」


「その通り、と答えるか。だが、娘よ。ヌシはいまだ己の、鬼のことを分かっておるまい」



 はっと顔をあげ、景子は見てしまった。信長の目を。

 ぞっとした。鬼を語る信長の瞳には、深淵を思わせる深みがあった。



「――なれば、ヌシは知らねばならん。ヌシが何者であるかを」


「……どうすれば、できますか?」



 ねねが、景子の袖をそっと引いた。だが、景子は言葉を止めない。

 信長の瞳の深淵に誘われるように、景子は尋ねる。



「――私は知りたいです。自分が、何者であるかを」


「なれば見よ。本物の鬼を」


「本物の、鬼?」


「御屋形さま」



 たまらずねねが声をあげる。

 それを信長は、視線で制した。



「妻女どの、落ちつかれい。この娘のためである」



 言ってから、信長は語調を変えて、ねねに語りかけた。



「娘御は鬼――力持つ者よ。その力が遠き先に己を滅ぼすとしても、知って、選ばせるべきなのだ。他ならぬ娘の手で。そのためにこそ、娘は知るべきである。己が何者であるかを」



 信長の言葉を聞いて、ねねが視線を景子に向けた。

 景子の目に迷いはない。とうに決めていたのだ。




「母上。わたしは乱世の、武家の娘です。そう生きていくと決めました」



 羽柴の娘になると決めた、そのときから。

 鬼だと告げられた、そのときから。



「だから私は知りたいのです。鬼のことを。自分の在るべき姿を」


「景子」



 ねねが、力なくため息をついた。



「いつまでも小さいままだと思ったら……知らないうちに立派になっちゃって」



 声が震えている。

 涙ぐむ母に感謝の視線を送り、景子は信長に向き直る。

 感傷を振り払った瞳には、覚悟の色がある。



「それで、何処へ行けば真の鬼に会うこと叶いましょうや」



 景子は問うた。

 信長の答えは短かった。



七尾ななお城」

 

 



 

 



 七尾城は能登のと国守護、畠山はたけやま氏の居城である。

 現在の当主、春王丸はるおうまるは若干六歳。代替わり激しく、家臣たちは相争い、戦国大名としての力は衰えきっている。

 そこを、越後の上杉に突かれた。七尾城は上杉兵に取り囲まれ、織田信長に救援を乞うことになった。


 信長は雷光のごとく令を発した。

 越前北ノ庄きたのしょう柴田勝家しばたかついえ率いる北陸方面軍に、羽柴秀吉、丹羽長秀にわながひで滝川一益たきがわかずますも加わり、七尾城救援に向かったのだ。


 鬼柴田、鬼五郎左ごろうざ。織田家を代表する鬼たちが向かった地。

 七尾城に行けば、本物の鬼に会える。信長がそう言ったのは、このような事情からだった。


 そして。



「はっはっは! 駆けよ百段ひゃくだん、旋風のごとく!!」


「ぎゃあああっ! 止めてください下ろしてください今すぐ即座に速やかにぃっ!!」



 笑声と悲鳴の尾を引いて、漆黒の巨馬が街道を吹き抜けてゆく。

 笑っているのは森勝蔵。悲鳴を上げながら必死になって勝蔵にしがみついているのは景子である。



「だいたい、なんで案内役が貴方なんですか!?」


「鬼見物に行くのだろう!? だったら案内は鬼にさせるのが順当というものだ!!」


「なんですかその理屈!? というかなんで馬に鎧とか槍とか火縄銃とかつけてるんですか!? どさくさまぎれで戦に参加する気満々じゃないですかっ!!」


「当たり前だろうっ!!」


「なんで悪びれもせず!? というかこの馬、さっきから人を何人も引っ掻けてるんですけどぉ!?」


「気にするな! 百段はおれに敵意を向けるやつしか攻撃せん!!」


「わざと!? というか敵意だけで!? その条件に触れる人、味方にも沢山居そうなんですけど――って、なんで槍まで振りまわすの!?」


「賊だっ!! おれの前を横切ろうとしたからっ!!」


「もういや、なんでこの人息をするように人を殺すの!? 助けてちちうえーっ!!」



 と、そんな風にして、ふたりは驚くほどの速さで加賀の国に入った。

 肉体ではなく心の疲れから、馬の上に座布団干しされた少女の目に入ったのは、大きな川の姿だった。


 手取川てどりがわという。

 源平の時代。増水し、濁流と化したこの川を渡るとき、兵士たちがたがいに手を取り合って流されないようにして渡ったことからこう名付けられた川は、日本有数の急流河川であり、古来幾度も氾濫を繰り返してきた。



「川」



 言って景子は顔をしかめた。

 景子はもともと川が好きではない。

 それは耳を傾ければ聞こえてくる、あの川の音。ひいては己の鬼としての異能に対する恐れから来る感情なのかもしれない。


 だが、いまは。

 鬼を知り、己の鬼と向かい合うと決めた景子にとっては、目の前の川と同じく、あの川の音は、避けて通れないものになっている。



「向こうに居るのは、織田の兵だな」


「追いついてしまったんですね。父上もあちらに居るんでしょうか」



 川向こうに見える兵の影を見ながら、景子はつぶやいた。


 しかし、事態は彼女の想像を超えている。

 なんとこの時すでに秀吉は前線を離れ、長浜への帰路にあった。

 越後の上杉謙信うえすぎけんしんとの戦の方針を巡って、総大将である柴田勝家と対立し、秀吉は兵をまとめて勝手に引き上げてしまっていたのだ。


 すでに七尾城は落ちており、柴田勝家たちもまた、帰国の途中であるという。


 手取川を渡り、織田の雑兵をとらえて羽柴軍の所在を尋ね、景子は初めて事情を知った。



「……森殿、教えてください」


「なんだ?」


「父上は、拙いことになりますか?」



 景子は硬い声で尋ねた。

 彼女にも、秀吉のやった行為が拙いものだとは分かる。

 だが、どれくらい危ないのか。景子にはその見当がつけられない。



「御屋形はまあ、怒るわな。常なら立場どころか命も危ない。

 が、まあ命で購わせるには、羽柴筑前という男はチト惜しい。

 死を賜る事は無いと思うが、仮にその命令が下ったとしても、だれも驚かんだろうよ」


「父上は何故、そんなことを……」



 青ざめた顔で、景子は来た道を振り返った。

 街道を隔てるように、手取川が滔々と流れている。

 行きはきちんと渡れたその川が、なぜか景子には――怖いものに思えた。



 

 

 

 



 日が沈み、辺りはすでに暗い。

 景子たちは闇の中、本陣を探すことになった。

 景子が困っていると、ふいに勝蔵が一騎の騎馬武者を見つけて声をかけた。



「おお、前田殿」



 手をあげた勝蔵に、騎馬武者は馬を寄せてきて、挨拶を返した。

 知り合いだろうか、と、景子が首を傾けていると、勝蔵が振り返って紹介した。



「前田又左衛門殿だ。前田殿、こちらは羽柴の鬼姫よ」



 簡潔でありながら余計な紹介である。

 景子は眉を顰めながら、それでも失礼のないように頭を下げた。

 前田又左衛門といえば前田利家まえだとしいえ、すなわちごう姫の実父である。



「おお。奥から話は聞いとるよ」



 利家が目を細めた。

 ただ、それは感情表現には必ずしも役立っていない。

 並はずれた長身に乗っている顔は能面のようで、表情の動きが、感情を表しているようには、とても見えないのだ。


 そんな顔で、表情ひとつ動かさず、彼は言った。



「で、式の日取りはどうするね?」


「は?」


「うちの嫡男とのはなしだよ。嫁に来てくれるんだろう?」



 思わず聞き返した景子に、返ってきた答えはそれだった。

 あまりに唐突な話に、景子は呆然としてしまう。



「え、え? 父上や母上と、そんな話をされてたんですか?」



 あわてて尋ねた景子に、利家の眉が人形のようにはね上がった。



「……いや、いかん。まだ藤吉どのには話しておらんかった。というか奥と、そうなればよいな、と話していただけであった」


「飛躍しすぎです。そこからどうやって式の日取りを尋ねる段階まで飛ぶのですか」


「いや、あい済まぬ。昔からどうも気ぜわしい性質でな」



 そんな段階をすっとばしている気がしたが、景子は黙っておいた。



「前田殿は昔っからそうですな。それから鬼姫の嫁入りに関しては、先約があるのをご承知置きあれ」


「だれが先約ですか、だれが」



 横から口を挟んだ勝蔵に目を眇め、景子は冷たい視線を送る。

 すると唐突に又左衛門が軽く首を振った。



「ほう、そうか。いや、残念だ」


「いやいや。まったく決まってないですからね、私の嫁ぎ先」



 弁明したが、利家の中ではこの話はもう終わっているようで、「親父様|(勝家)のもとへ案内いたそう」と馬首を返してしまった。



「……すっ飛ばすお人ですね」


「戦場ではまた違うんだがな。あの通り、それ以外ではせっかち過ぎてずれた人でしかないさ」



 どう考えても勝蔵のほうが、戦場以外での欠陥は多い。

 彼にだけは言われたくないだろうと思いながら、景子は先を行く利家を追いかけた。

 

 



 

 



 顔の大きい人だ。

 というのが、景子の第一印象だった。

 ぼうぼうに伸びた髭が、余計に顔を大きく見せている。

 目が大きくぎょろりとしていて、眉も太く濃い。刻まれた皺はいかにも厳つく、まさに容貌魁偉ようぼうかいいと言うべきだろう。

 古つわもの。柴田修理亮勝家しばたしゅうりのすけかついえとは、この言葉を具現化した男だった。



「おぬしが藤吉郎の娘か」



 陣幕の中、両側からかがり火に照らされ、勝家の肌は赤黒く見える。

 赤鬼のごとき武人は、顎ひげをしごきながら、不快を隠そうともしない。

 その内の小さくない部分が、勝手に帰陣した秀吉に対する怒りから来ているであろうことは、景子にも想像がついた。



「鬼だよ、権六のじいさん。御屋形が本物の鬼の姿を見せてやれとさ」



 不快を払うように勝蔵がからりと言う。



「じいさんはよせ」



 顔をしかめてから、勝家は気を取り直すように咳払いして、厳つい顔を景子に向けた。



「戦場に女は不祥」



 勝家の口調は斬りつけるようだった。



「とはいえ、御屋形の命令である。この鬼柴田の戦、とくと見るがよい」



 勝家が槍を手に取り、立った。

 不意の出来事だ。何事か、と景子が視線を巡らせていると、ふいに一陣の風が陣幕を波打たせた。

 ただの風ではない。景子はそこに明確な鬼気を感じた。


 一瞬遅れて喧騒が起こる。



「上杉方、夜襲!」


「渡河を狙い撃たれたか」



 報告に驚きも動揺も見せず、勝家は陣幕を払わせると隊伍を整えさせた。憎らしいほどの落ち着きようである。



「――勝蔵よ。面倒を寄こしてくれたつけ・・だ。娘はぬしが守ってやれ」



 この言葉に不満を漏らす勝蔵を尻目に、勝家は馬に飛び乗る。

 渡河半ばの夜襲だ。二万を超える軍の大半は鵜合の衆と化している。

 混乱の中、集まり指揮下に収まった手勢はせいぜい千。その先頭に、勝家は馳せ出でた。



「落ちつけぃ! わしが先に立つ! 各々儂に従えぃ!」



 夜天が震える大音声である。

 混乱していた部隊が、にわかに秩序を取り戻し始めた。


 だが、軍が集まるよりも早く、敵軍が陣を縦に切り裂きながらまっすぐ勝家に向かってくる。

 それを真正面に見据えながら、勝家はひときわ大きな号令をかけた。



「――掛れぃっ!!」






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