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まつと豪



 闇に包まれた部屋。

 朱の光に照らされ、少女の瞳は炯々(けいけい)と輝いている。



「ふふふ」



 笑う姿は妖しくも美しい。

 肌は雪よりも白く、髪は艶づやとして黒く長い。

 武家らしく、身に纏う小袖こそで打掛うちかけは、華美ではない。しかしそれは彼女の美貌を損なうものではない。



「ふふふ、ついに、ついにやってしまいました」



 少女――羽柴の娘、景子は、手に持つものを火にかざし見ながら、笑う。

 背徳の表情が、明滅する朱の光に照らされ艶々(えんえん)とうねる。


 羽柴の娘になってから、少女は極力未来の知識を利用することを避けてきた。

 養父、羽柴秀吉――のちの豊臣秀吉が天下を取ることを知っているが故の、歴史革変への恐怖。それが景子を怯ませていた。


 しかし、ある耐えがたい誘惑が、ためらう少女の背を、そっと押した。

 多忙な鉄砲鍛冶、国友藤太郎くにともとうたろうに無理を言って紹介してもらった職人に、かねてより依頼していた品は、いま景子の手にある。



「この、特製餅焼き網が!!」



 火鉢の炭が、程よくいこっている。

 そのうえに、細かく波打った針がねで十字に編まれた金網を置くと、景子は餅を焼きだした。



「――おそろしい。ひょっとして、私は歴史を変えてしまったかもしれません」



 焼き上がった餅を一口食べると、景子は戦慄を隠せない様子でつぶやいた。


 時に天正三年、四月。長篠の合戦を目前に控えた、秀吉多忙の時であった。



 

 

 第五話 「まつと豪」

 

 



 鬼姫、という名が、長浜城中で定着してきた。

 すべては森勝蔵もりしょうぞうのせいだ。と、景子は思っている。

 あの鬼武者が押しかけて来た時、あんまり鬼姫鬼姫言うものだから、それを聞きつけた城の人間から、ぱっとひろまってしまったのだ。


 現代人である景子の感覚とは違い、鬼、という言葉自体、悪い意味ではないらしい。城詰めの侍も使用人も平気で鬼姫鬼姫言う。

 最初は嫌がっていた景子も、ついに根負けして諦めてしまった。いまでは祖母なかや叔母朝日まで鬼姫呼ばわりである。名前で呼んでくれる者といえば。



「景子、喜んでおくれよ!」



 と、その希少なひとりが、景子の部屋に駆け込んできた。

 景子の母、ねねだ。文束片手に、小躍りせんばかりの様子。

 政務中のはずである。うっちゃらかして来るなど、めったにないことだ。



「どうしたんです? 母上」



 景子は首を傾け、尋ねた。

 するとねねは満面の笑みでこう答えた。



「もう一人娘ができるんだよ!」


「……お目出度ですか?」


「うん! まつさんがだけどね! ちょっと前に生まれたんだって!」



 目を丸くして尋ねる少女に、母は笑顔のまま答えた。



「まつさん?」


「わたしの親友さ! 子だくさんでね、つぎに生まれた子をうちに貰うって約束してたんだよ! ああ、はやく会いたいねえ、ごうちゃん……景子もお姉さんになるんだから、ちゃんと豪ちゃんの面倒みるんだよ」


「は、はい。もちろんです」



 あっけにとられたまま、景子は返事した。

 常にない喜びように、複雑な気持ちも無いではないが、ねねの様子を見れば、それ以上に、わけもなくうれしくなってきた。



「妹」



 つぶやいてみて、景子は密かにほほ笑んだ。



 

 

 

 



 それからしばらくして、ひとりの婦人が長浜城を訪れた。

 来客の名を耳にしたねねは飛び上がるようにして婦人を迎え入れ、奥へといざなった。



「――母上、景子が参りました」


「あら、かわいい」



 ねねの私室に呼びだされた景子は、客人のそんな言葉で迎えられた。

 年のころはねねと同年配の、上品な夫人である。美人だが子供めいたところのあるねねと違い、所作しょさに湿りを帯びた、しとやかな美女だ。



「景子。赤母衣衆あかほろしゅう前田又左衛門まえだまたざえもん様の奥方で、まつ殿だよ」



 ねねが紹介した。

 まつの名は、景子も知っている。後に加賀百万石の大大名となる前田又左衛門利家の、糟糠の妻だ。



「で、こっちがわたしの娘。豪ちゃんの姉になる景子よ」


「よろしくね、景子ちゃん。いくつになるの?」


「え、と、十四になります」



 景子は答えた。

 年齢不詳の身ではあるが、実年齢はねねと相談して決めてあった。

 すこしでも長く少女を手元に置いておきたいのだろう。ねねは、もう二つ三つ下ということにしてもいいのでは、と主張したが、景子が強硬に反対した。

 それでは十三の虎之助より年下になってしまう。彼を弟分と思っている景子にとっては大問題だった。


 母親の気遣いをまったく察していない景子に、ねねは苦笑を浮かべたものだが、ともかく。

 景子の受け答えになにか察するものがあったのだろう。まつがねねに物問いたげな視線を送った。



「わたしの所へ来る以前のことは、ほとんど覚えてないんだよ、この娘」


「そうなの……にしてもこの容色、半端な家の子じゃないんじゃない?」



 後半はねねに顔を寄せて、ささやくように言っている。

 聞こえていない景子は、仲のいいふたりだなあ、などとのんびり考えていた。



「かもね。と言って、その辺りがわかる見込み、ほとんどないんだけど」



 まつのすぐそばで、ねねがため息をついた。

 賊に殺された一行が、景子と縁のある人間だということは、悪霊の一件からも確定的だ。

 だが、彼女の身分を証明する一切の物は、賊の手で奪われている。景子がいったい何者なのか、調べることは困難だった。


 いや、たとえ景子の素性がわかったとしても、その事実をねねは胸中に仕舞っておくに違いない。

 ねねはすでに景子を、娘として深く、愛してしまっている。いまさら他家に戻す気は、さらさらなかった。



「でも十四かあ。婚家とか考えてる?」


「まだだよ。前にも言ったけど、どうも世間ずれしてないし、しかも鬼でしょ? 下手なとこ嫁がされたら、あっちの都合で戦場に出されるかもしれないし。うちも旦那も、そういうのはいやなんだよ」


「でも、言ってるうちに婚期逃さない? わたしがあの子の年ごろには、子供生んでたよ?」


「ああ。あんたんとこの旦那は、ちょっと、その、アレなところがあるから基準にはならないけど、そうだね、どこかいい所があるといいんだけど」



 ちなみに、まつは満年齢で十二歳のときに嫡男利長としながを出産している。

 当時としても非常に若年の出産である。だからといって夫である利家が幼女趣味というわけでもないのだが、何かにつけて性急な御仁であるのは、間違いない。



「そうだ。金山の森さまの後継――」


「おふたりとも、私を除け者にしないでください」



 会話が不穏な方向に伸びていっているのを気配で察したのか、景子は強引に会話に割って入ってきた。

 事態は好転せず、ふたりの婦人の、話のつまみにされただけだったが。


 この後、豪はねねの養子となる。

 秀吉自ら懐に入れて、というのは大げさにしても、非常な丁重さではあった。

 

 



 

 



「ねえたま」



 と、舌ったらずな声で、景子を呼ぶ声がある。

 赤母衣衆、尾張荒子の前田又左衛門利家とその正妻まつの娘、豪である。

 羽柴家の養子になり、数え三歳を迎えた幼児にこう言ってまとわりつかれては、景子としても悪い気持ちにならない。



「おお。豪はかわいいのう」



 と、秀吉もやにさがっている。

 よほどかわいいのか、城に居る時はほとんど手元に置いている。

 いまもわざわざ景子の部屋まで追いかけてきて、文をしたためている景子を尻目に、豪を膝の上に置いてかわいがっているのだ。


 目に入れても痛くないかわいがりように、景子も「どうせ私はもらわれた時からクソ落ち着いたババむさい娘でしたよ」と若干拗ね気味である。



「とうたま、や。ねえたまのとこいく」



 構いすぎるのを鬱陶しがったのだろう。豪姫が秀吉の手元から逃れ、とてとてと駆け寄ってくると、景子の膝の上に座り込んでしまった。

 ねねや秀吉が政務や遠征に手を取られている間、豪の世話は景子の役目だった。そのためか、豪はどちらかというと親よりも景子の方によくなついている。



「おーい、豪。とうたまのところに来んか?」


「や」



 寂しそうに呼びかける秀吉だが、幼い豪は頑として景子の膝から離れない。

 坂本城の文通相手に手紙を書いている途中である。すごく邪魔なのだが、かわいい妹ゆえ邪険にもできない。



「景子ぉ。なんとか言ってやってくれんか」


「と言いながら私ごと抱きかかえないでください。というか胸とか触らないでください」



 景子は泣きつきついでに体を触ってくる秀吉に、静かな声で応えた。

 体をなでまわしたり、顔を舐めまわしたり、どうもこの父親はスキンシップ過剰なきらいがある。

 愛情表現である。うれしくはあるが、欧米人ではない景子にはちょっと抵抗のある行為だった。



「冷たいのう。というかお前、ちっともでかくならんのう。肉付きとか、その年ならもうちょっとこう……」


「お父様」


「なんじゃ景子」


「いますぐ後ろを振り返ることをお勧めします」



 自分の胸元で、手振りで“ぼいんぼいん”とやっている秀吉に、景子は至極冷たい声で言った。

 振り返った秀吉が見たのは、背後のふすまの隙間から、怒気を揺らめかせ、鬼の顔になったねねが覗きこんでいる姿だった。




「ね、ねね……」



 ねねは一言もしゃべらない。ただ拳を鳴らすのみである。



「豪ちゃん。とうさまとかあさまは忙しいですから、他の所へ行って遊びましょう」


「あい」



 しばらくして、秀吉の叫び声が城中に響いたという。



 

 

 

 



 遊び疲れた豪を寝かしつけながら、景子は自分の体をしげしげと見た。

 そろそろ十五になるはずの景子だが、いまだ見かけはそれより二つほど下である。



「まさか鬼だから、これ以上成長しないとかないですよね」



 ぺたぺたと胸を触りながら、少女はつぶやいた。

 いまだ鬼というものについてよくわかっていない彼女にとって、それはあり得る話に思えた。



「もう。虎之助とかのんきにすくすく育っちゃって。生意気です虎之助のくせに」



 景子はまったく罪のない少年に怒りをぶつけ始めた。

 景子よりひとつ年下の虎之助は、すでに並みの武将と肩を並べるほどの身長になっている。景子とは大人と子供ほどの身長差だ。



「でも、考えようによっては悪くないんですかね。大きくなったら他家へ嫁ぐことになるんでしょうし、すこしでも長く父上や母上のもとに居られるのなら……でも、この時代、私くらいの年じゃあすでに適齢期なんですよね、生理とかももう来てますし」



 景子は眉をひそめてつぶやく。

 瀕死の状態になり、一時止まっていたのか、それとも始まっていなかったのか。ともかく春ごろになって初めて、景子は生理というものを体験した。

 知識としては知っており、その始末もねねに教わっていたので、動顛どうてんすることはなかったが、景子は妙な喪失感にさいなまれた。初めて風呂に入り、自分の裸を見た時以上の喪失感だった。



「生理が来てるってことは、子供が産めるってことですよね。あれ? すでに嫁入りに何の問題もない?」



 自分で口にして、景子は動揺し始めた。



「で、でもまだ心の準備が――というかなんで母上に習ったベッドマナーのあれこれが頭に浮かんでくるんですか!? きえろー、きえろー」



 少女はごろごろと畳の上を転がり、妄想を打ち消す。

 その妹は、ふとんの上で、寝息を立てて起きる様子はない。

 しばらくのち、肩を並べて様子を見に来た秀吉とねねが見たのは、肩を並べてすやすやと寝息を立てる姉妹の姿だった。




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