鬼武蔵
季節は移る。
春の香りが漂う長浜の街に、ひとりの少年が現れた。
年のころは数えで十七、八歳といったところか。大柄で眉目秀麗だが、ふとした時に見せる眼光は、狼のそれに似ている。
少年は従者ひとりのみ連れて、城の門兵に居丈高に開門を要求した。
怪訝な表情を見せた門兵だったが、その尊大な態度から、高い身分の者だろうと推察し、丁寧に名を伺った。
門兵は命拾いしたと言っていい。この少年は似たような状況で足止めした役人を斬り捨てている。
第四話 「鬼武蔵」
その日、景子は御殿の庭が見える一室で、朝日を捕まえて世間話を乞うた。
朝日は秀吉の妹だ。
なにが哀しいのか、ふと問いたくなるような憂い顔は、しかし彼女の地顔である。
この時も顰めたような眉をやさしく動かして、尾張の農村の風景を、静かに語ってくれた。
鬼だと知っても、城の人間はほとんど景子を避ける様子がない。
それどころか、景子はあるとき使用人同士のこんな会話を聞いてしまった。
「おい。うちんとこの姫さん、鬼らしいで。御殿に砕けた岩あるやろ? あれ姫さんが割ったらしいわ」
「そうけ。たのもしいこっちゃ。ほんなら殿さん居らんでも安心やな。姫さんが城守ってくれるやろ」
景子には理解しがたい感性だが、どうやら彼らが鬼を危忌していないことは分かった。
戦国の人は、鬼を恐れない。
彼らにとって死は、それだけ身近なものなのだろう。
そんなことを考えながら、景子は叔母の話を聞いていた。
すると、ふいに見覚えのある顔が中庭に姿を現した。虎之助だ。
一緒に居るのは、おなじ小姓仲間の市松だった。虎之助と同じく、ねねに扶育された少年だ。
どちらも手には槍。稽古に来たのだ。小姓勤めの合間を縫って、この少年たちは熱心に稽古をしている。
「虎之助」
「っ――おまえか」
声をかけると、虎之助がすこし顔を赤らめて返した。
相変わらずこの少年は、景子のことを名前で呼ばない。
ふたりの様子を見くらべて、市松少年が、ふいに手を合わせた。
「あ、ちと用を思い出したわ。虎、悪いがちょっと待っとってくれ」
「え、おい、市松!?」
気を利かせたつもりだろう。この大柄な少年はにやにや笑いを隠すようにそそくさと姿を消した。
その態度にぴんと来たのか、朝日もすっと奥に退がってしまう。
あっという間に景子と虎之助だけになってしまった。
妙な気遣いに、景子は苦笑しか出てこない。
「上がります?」
「上がらんわい」
声をかけると、少年はふてくされたように背を向けて、槍を振りまわし始めた。
その様子にほほえましいものを感じながら、目を細めてながめていると。
ふいに、胸が騒いだ。
異様な気配に、景子はあたりを見回す。
景色にとりたてて変化はない。虎之助も気づいた様子がない。
なにが癪に障るのか、やけっぱちのように、ただ槍をぶん回しているだけだ。
そこに。
「――よう」
気配の主が姿を現した。
景子たちが知るはずもないが、つい先ほど城門を押し通った少年だった。
鼻筋の通った美少年だが、景子は彼に、どこか剣呑なにおいを感じた。なにより、彼の後ろにぴたりとついた従者。この男が持っているのは、まぎれもなく槍である。
「貴方は」
景子の誰何に、美少年は答えた。
「森勝蔵」
あさってを向いて稽古を続けていた虎之助が、膝を地面に投げ出し礼をした。
虎之助には一瞥もくれず、美少年――勝蔵は景子に向かってまっすぐ視線を向け、問うた。
「おまえが羽柴の鬼姫か」
聞いたことのない呼び名である。
戸惑っていると、先に勝蔵が口を開いた。
「おれも鬼よ」
言って笑った。牙をむき出しにするような、剣呑な笑みだった。
◆
森勝蔵長可。
美濃国金山城主、森可成の子で、戦死した父や兄に代わって十三の若年で家督を継いだ少年である。“森蘭丸”の兄だと言われれば、景子もそうなのかと納得したかもしれない。
現在、十八歳。すでに戦場にも出ている。
天正二年春の伊勢長島一向一揆攻めでは、単身敵中に飛び込み、見る間に二十七の首をあげた。
「鬼武蔵」
と呼ばれ、畏れられるのは後年のことであるが、この時すでに勝蔵は鬼だった。
「鬼、ですか。ひょっとして、ここへは父上に頼まれて? わざわざお運びいただき、ありがとうございます」
景子の知識に“モリショウゾウ”などという武将の名はない。
年のころを見ても、まさか美濃金山の領主とは思いもしなかった。
彼が鬼だと言うので、秀吉が自分のために連れてきてくれたのだろうと、景子は考えた。
「違う」
だが、若武者は首を横に振った。
「――勝手に来ただけさ。羽柴に鬼姫が居るという話を小耳にはさんでな」
「どうして?」
景子は尋ねた。
愚問だと言うように、勝蔵は鼻を鳴らした。
「おれの他に鬼がいる。そいつがどんな地獄を背負っているか、見てみたくなるのも無理はあるまい。女となれば、なおのことだ」
美しき若武者はそう言って笑った。
不遜な態度だが、それが恐ろしいほど板についている。
生まれついての支配階級とは、こんな人なのだろうか、と、景子は思う。
秀吉の周りには少ないタイプだ。だが、横柄な態度も作った不自然さが無いせいで、嫌味にならない。
「――いや、それにしても別嬪だ」
笑いをおさめた勝蔵が、ふいにそんな言葉を吐いた。
景子は言葉の意味を、とっさに理解できなかった。
まぎれもなく、景子は美貌の主だ。だが、身内以外の人間に、これほど無遠慮に褒められたことはなかった。
「え?」
「なにより鬼というのがいい。おい、鬼姫よ。おれの嫁になれ」
「え?」
景子は阿呆のようにおなじ言葉を繰り返してしまう。
それが求婚の言葉だと気づくのに、数瞬を要してしまった。
男に告白されたのは、景子にとって初めての体験だ。しかもあまりにも急で、心の準備もできていない。完全に放心してしまっている。
「父御にはおれから後で話を通してやる。どうだ? 鬼の伴侶には鬼がふさわしい。そう思わんか?」
勝蔵の腕が景子の細い腰に伸び、景子はあっという間に抱き寄せられた。
「ちょ、無体な!」
はっと我に返り、景子は悲鳴をあげる。
抱えられた体を外そうと必死にもがくものの、勝蔵の腕はびくともしない。少女の細腕であることを割引いても、すさまじい膂力だ。
「虎之助! だれか人をっ――」
とっさに声をあげたが、素早く顎の根元を捕まれ、声を封じられた。
「ま、声をあげるなら後にしてくれよ」
そう言って若武者は笑う。
このまま連れ攫って、言葉通り嫁にするつもりなのだろう。
悪気もない。悪意もない。天性の無法は、しかし景子にとっては災厄でしかない。
成す術もなかった。
あまりにも無力で、情けなくなって、悔し涙が出てきた。
だから。
だから景子は、助けを求めた。
身も背もなく、心から、すがる思いで声なき声を発した。
――誰か、助けて。
その、心の声に。
応える者は――ここにいた。
「待っていただきたい!」
虎之助だ。
声に怯えがある。瞳に宿る光には迷いの色がある。
それでも。膝を屈していた少年は立ち上がり、自らの足で勝蔵に追いすがった。
「誰だ?」
塵芥でも見るように、勝蔵が言葉を投げおろす。
その声に気圧されながらも、虎之助は震える声で名乗った。
「は、羽柴藤吉郎さま小姓、加藤虎之助!」
虎之助の視線が、まっすぐ勝蔵の瞳を射抜いた。
それにより、初めて存在を認めたように、鬼武者はにやりと笑った。
「ほう?そのトラノスケがなんの用だ」
「この長浜城中で、これ以上の狼藉は見過ごせぬ!」
「ほう、それで? トラノスケには何ができる? しがみついて足止めするか? その手の槍で突いてみるか?」
勝蔵の、至極楽しげだった語調が、急変する。
「――鬼相手に、それができると思うのか?」
笑顔の後ろから、鬼が顔をのぞかせた。
「……できる!」
少年は一歩も引かない。
肩を怒らせ瞳を見開き、まっすぐに鬼を見据える。
「景子は渡さんっ!」
「はっ! よう言うたわ――槍ィ!!」
言うや勝蔵は、従者から十文字槍をひったくり、繰り出した。
穂先に迷いなどない。秀吉の小姓を殺すことに、なんの遠慮もない。
とっさに身を転がして避けねば、虎之助は田楽刺しにされていただろう。
「っやめて――」
景子が叫ぶ。
同時に十文字槍が繰り出される。
虎之助が避ける、その間際で。
「――開けやァ“鬼門”!!」
穂先が赤く爆ぜた。
景子の眼にはそう映った。
巻き込まれた虎之助の頭が、一瞬にして朱に染まる。
視界の中で、ひどくゆっくりと。糸の切れた人形のようにくずおれる虎之助。
「……とら、のすけ」
悪夢の中にあるような表情で、景子はつぶやいた。
虎之助の顔面は血まみれだ。
おびただしい鮮血が、周りの地面を赤く彩っている。
ついさっきまで、くるくるとよく動いていた少年の瞳が、たちまち霞を帯びていく。
弟のようだった少年が、死んでいく。
「ウウウ」
音がした。獣の唸り声だ。
それが少女自身の声だと、ようやく気づいて――景子は切れた。
憎悪が身を焦がす。殺意が猛る。憤怒が口から獣声となって絶えまなく吐き出される。
「――ウウウッ!」
瞬転。
身を捩じり打掛を脱ぎ捨て勝蔵の腕から逃れた。
そのまま身を転がし、虎之助の槍を掴みに行くまで一瞬。
柄を掴むや、てこにした体ごと、渾身の一撃を勝蔵に叩き込む。
景子の、全精力を傾けた一撃は、肉を潰し骨を折るに十分な威力。
だが、刃は止められた。
勝蔵の十文字槍の柄によって。
槍はびくとも動かない。景子が受けたのは、岩を打ったに等しい感触。すさまじい豪力。
「なかなかの気性よ……だが、まだまだひよっこだな」
勝蔵が笑って一歩引く。
追う景子の眼前に、測ったように十文字槍が落ちた。
景子の喉元一寸のところで、穂先はぴたりと止まった。
“無骨”と刻まれた十文字の刃は、血で濡れている。虎之助の血だ。景子はぎりと歯を食いしばる。
「貴方は、私の家族を殺した」
肩を震わせながら、景子は絞り出すように言う。
「――絶対に、許さない」
「もし本当に許さないと思うのなら、言葉より先に槍を叩き込むものだ――未熟だぞ、鬼姫よ」
戯れるように言い、勝蔵は笑みを浮かべた。鬼の笑みだ。
これを挑発と受け取った景子は、覚悟を決めた。鬼門を使う覚悟を。
恐れ危ぶみ、いままで避けてきた力だ。
だが、そんなことは、どうでもよかった。
目の前に居る、この男さえ消えてくれれば、景子自身、どうなろうとかまわない。
使い方は、とうの昔に知っている。
景子が引き出す、“水”。その源は、川の音は、耳を澄ませば常に聞こえてくるのだ。
景子は耳を澄ました。
だが、聞こえたのは川の音ではなかった。
背後から聞こえてきたその声に、景子は我が耳を疑った。
「そうだ……おまえは退がっとれ」
たった今、血の海に沈んだ少年の声だった。
「虎之助!?」
「森殿。何があろうと、景子は渡さんぞ」
目を丸くした景子から槍を奪いながら、虎之助が言った。
顔面血まみれだが、足取りはしっかりしている。口調も常と変らない。よく見れば傷跡すら見当たらない。十文字槍の穂先からは、いまだ血が滴り落ちているというのに。
――ひょっとして、“鬼門”。私の“水”と似た力?
思い至ると、景子は急に脱力した。
思考の大半を占めていた憎悪と憤怒は、思わぬ不意打ちでどこかへ失せてしまった。
ともあれ、虎之助は無事だった。
それ以上、求めることは何もない。
「無礼は、忘れます」
かぶりをふって、景子は勝蔵に告げる。
勝蔵の、意思の読めぬ獣の瞳は、静かに景子たちを映している。
「――ですので、これ以上の推参はご遠慮願います」
「っははっ! 鬼の婿は鬼と思っていたが、なんと、先約がいたか!」
と、唐突に。勝蔵が笑いだした。
心底おかしいような、それでいて皮肉の交じった笑いだった。
「まあいい。こちらも羽柴に他意はない。今日のところは帰るさ」
口角に喜悦をにじませ、勝蔵は来た時と同様、唐突に去っていった。
「……嵐のような」
景子が思わずつぶやく天衣無縫の武者ぶりだった。
「そう言えば」
景子はふと虎之助のほうを見て、笑った。
いまさらながらに恐怖を思い出したのか、少年の膝はがくがく震えている。
「――初めて、名前で呼んでくれましたね」
「うるさいわい」
少年はそっぽを向いた。
耳が真っ赤になっているのは、血のせいばかりではなかった。
◆
「先が楽しみな鬼よ」
帰路、森勝蔵は従者にそうつぶやいている。
「おんなだてらに、ですか」
従者の問いかけに、勝蔵は応えず笑った。




