ゴースト、頭がこんがらがりそうになる。
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「ん?」
トウカの声に体をほぐしていた女性は振り返る。
体にぴったりと張り付くように灰色のフード付きで袖の無いローブを纏っており、体のラインが浮き彫りになっていて、袖が無い事によって白く細やかな皮膚を持つ腕が露出している。女性は所作から落ち着いた感じが醸し出されている。
瞳の色と髪の毛の色はエメラルドグリーンであり、歳はおよそ二十代半ばであろう事が窺える。
「ありゃ、珍しいね。ゴーストが意思疎通を図ってきたよ」
女性はトウカを見るなり、目を見開いて彼ににじり寄り、顎に手を当てながら感嘆の声を上げる。
「えっと、珍しいです……ね」
トウカは最初「珍しいですか?」と問い掛けようとしたが、それを即座に変更する。彼は自分が人間であった頃の彼が住んでいた村でゴーストを退治していた記憶を呼び覚ました。
ゴーストはまず人語は喋らなかったし、人間と意思疎通を図ろうとはしなかった。なので友好を結ぼうとはしなかっただろうと考えられるが、かと言って害意が無かったと言えばそれも有り得ず、村の農具を手にして片っ端にそこらの家の壁に打ち付けていたのだ。
なので、ゴーストが何の目的で村に訪れて来たのかが分からないでいる。
「うんうん珍しい珍しい。ところで、君ってただのゴーストだよね?」
興味津々と言った感じでトウカの全身を眺める女性にトウカは一瞬頷き掛けるが、自分は人間だったので、普通のゴーストとは違うのだろうと考えを改め、首を横に振る。
「いえ、違いますけど」
トウカの返答に女性は予想が外れた事に少々驚く。
「ありゃ、違うの? だったらジャックゴースト……な訳ないか。色違うし」
「ジャックゴースト?」
女性の口から訊き慣れない言葉が発せられたので、トウカは口に出して復唱する。
「ありゃ、知らない? ジャックゴーストはゴーストの上位種で、体の色が緑なんだよ」
「へぇ、上位種なんですか」
「そうそう。ゴーストがジャックゴーストになると簡単な意思疎通が出来るようになるらしいよ」
得意気に自分の知識をトウカに話す女性に、トウカは疑問を覚えた。
「え? 今ゴーストからジャックゴーストになるって言いました?」
「言った言った。って、その様子だとモンスターの進化については知らないみたいだね」
「進化?」
またもや聞き慣れない単語を口にする女性にトウカは目を点にしながら疑問符を空中に浮かべる。
「そうそう。モンスターはね、他の生物と違って進化しやすいんだよ」
「いや、そもそも進化の意味が分からないんですけど……」
トウカは話について行けずに頭がこんがらがるような感覚に陥る。農村で生まれたトウカにとっては知らない言葉である進化だが、都会の学校では普通に意味を教わる単語である。
「ありゃ、そうなの? んや、そもそも一介のゴーストは進化自体知らないのも無理ないね。普通は高度な知識があるのかさえ分からないモンスターなんだもん」
この女性から見ても、やはりただのゴーストは知性があるのかさえ疑わしいモンスターらしい事を窺えるが、それは今のトウカにとってはどうでもいい事であった。
「まぁ、簡単に説明すると、強くなったり、環境に適応したりする事だよ。強くなるって言っても、ただ鍛えて強くなるんじゃなくて、元々の基礎が変わるんだよ。極端な話で言えばね、生まれたての猫と大人の獅子との基礎の違いなんだよね。進化するとそれくらい変わるの」
「はぁ……」
長々と説明をする女性の話について行くように努力をするトウカだが、深くは理解出来ないでいる。ただ、進化すれば強くなると漠然な情報を頭の中に叩き込んではいるが。
「で、環境に適用ってのは、例えば狐を例にとってみるとね、雪が降り続ける寒い場所に住んでる狐は耳が小さくなって、逆に雨なんかほとんど降らない暑い場所に住んでる狐は耳が大きいくなるんだ。どうしてだか分かる?」
「えっ、さぁ?」
急に振られたトウカは一瞬肩をぴくっと震わせると、素直に分からないと告げる。それを予想していた女性は目を煌めかせると解答を口にする。
「えっとね。どうしてかって言うと、体熱の放射を効率的に行ったり、あまりしないようにする為なんだよ。寒い場所にいるとどうしても体温が下がっちゃうでしょ? だからなるべく自分の体温を外に逃がさないようにって体の面積を小さくして放射する熱の量を減らすの。逆に、暑い場所だと体に熱が籠っちゃうからその熱を逃がす為にも面積を大きくして放射する体熱の量を増やしてるんだ」
「へぇ……そうなんですか」
最早理解し切れずにいるトウカは半分棒読みになりながらも相槌を打つ。農家の息子であった彼にとっては難しい話であったようだ。
「そうそう。今し方説明した進化なんだけど、それはモンスターに顕著に表れるんだよね。けど、他の生物の進化と違って単に強くなったりだとか、環境に適応するだとかじゃないんだ。モンスターはモンスター自身が望むような進化を遂げる事が出来るんだよ。まぁ、その理由って言うのも、他のモンスターを食べる事が原因なんだけど」
「他のモンスターを?」
「うん。モンスターはね、他のモンスターを食べる事で、そのモンスターの情報を体内に蓄積させるの。そしてその蓄積された情報の中から今現在の自分に必要なものだけをピックアップして体を変異させる。って言われてるね、一般的に。けど、情報だけじゃなくって、食べたモンスターの能力も進化する前の自分に反映させるって説もあるらしいけど、そっちは今の所よく分かってないみたいだよ」
と、一息に新たな説明をした女性は若干上の空になりかけているトウカが小脇に抱えているホーンラビットを指差す。
「だから、君もそのホーンラビットの肉を食べれば足が速くなったりするんじゃないかな? あ、でもゴーストは足が無いから意味ないかな?」
「はぁ……そうですか。因みに、人間がモンスターを食べた場合ってどうなります? あと逆の場合も」
取り敢えず、モンスターはモンスターを食べれば強くなると大まかに理解したトウカは少し踏み込んだ質問をしてみる。
生前の人間であった頃のトウカは普通にホーンラビットを食べていたので、自分の身に変な事が起きていたのかどうか不安になって訊いてみた次第だ。後者に至っては単なる好奇心で訊いてみただけだが。
「あ、人間は別にモンスターの肉を食べてもなんともないよ。今言ったのはモンスター特有の事だからね。そのような事が起きればモンスターだって言う指標になってるくらいだし。逆に、モンスターが人間を食べる場合は進化すると知性が少し身につくようになるらしいけど」
女性はトウカの不安を晴らす答えを明示した。つまり、人間であった頃は特に変な事は起こらなかったと言う事であり、それを耳にしたトウカは安堵の息を吐く。
「で、意思疎通が出来てある程度の知識がある普通のゴーストである君はもしかして人間を食べまくったからそこまでの知性があるとか?」
「違います」
女性の興味深げな質問にトウカはしかめっ面をしながら即座に否定した。何がどうして自分が他人を食べなければならんのだ、と内心で憤慨している。
「ありゃ、違うの? だとしたら君は突然変異種なのかね?」
顎に手を当てて思案顔をする女性のもう訊き慣れてしまった訊き慣れない言葉が鼓膜を打ち、それをまたもや復唱するトウカ。
「突然変異種?」
それを耳聡く訊いた女性は待ってましたとばかりに表情を輝かせて説明をする為に口を開く。
「突然変異種っていうのはね、生まれた時から他の同じ種族の生物と異なっている部分がある生き物の事だよ。これはモンスターばかりじゃなくって、動物に鳥、魚、虫、それに植物にだって起きるんだ。もっとも、その頻度はか〜なり低いんだけどね。植物で例を上げるなら、他とかなり形が違くなっちゃったりとか、大きくなっちゃったりとかかな。あ、これ別に植物だけじゃないや。まぁ、その突然変異種の子孫にはそれが受け継がれる事はないってなってるね」
「あ、それが突然変異種なんですか。……もしかして、あの巨大蕪はそれだったのかも。病気じゃなかったんだ……」
と、軽く笑う女性にトウカはここで長年の疑問が氷解する。二年前にトウカが育てていた蕪の中で何故か一つだけ洒落にはならない程の大きさにまで成長したものがあった。
その蕪の大きさとは家一軒分くらいの大きさで、その大きさになるまでの日数はわずか一日だけであった。その巨大蕪が土地と栄養をほぼ独り占めした所為で他の蕪の大きさが例年よりも小さくなり、味も落ちてしまったので何時もより低い値段でしか売れなかった。
巨大蕪もあまりにも大きすぎるので誰も彼もが気味悪がって収穫をしなかったのでそのまま放置され、そのまま花をつけて種が出来た。
その種は念の為にと摘まれて他の蕪の種と隔離して保管していたが、誰かが間違えてそれを蒔いてしまった事が発覚したのだが、それは種を蒔いてから一ヶ月は経っていて芽が順調に育っており、また何処の畑に蒔いたのかを忘れてしまったので対処の仕様が無かったのだ。
全ての畑の蕪の芽を抜く事は経済的に打撃を受けてしまうのでやらずにいた。巨大蕪がまた育つのか、と誰もが畏怖していたが、どの蕪も一日で巨大にならず、例年通りの大きさで収穫され、味も変わらなかった。
どうして巨大蕪が現れたのか? そしてその種を蒔いても巨大にならなかったのか? と言う疑問に当初は未知の病気だったのではないか? と憶測が飛び交っていたが、実際はそうでなかったと今この瞬間に理解したトウカである。
「あとね、突然変異種を意図的に生み出そうと人間は研究しているらしいよ?」
思い出した、と言うように手をぽんと叩いた女性は独りでに納得しているトウカの耳に入るように声を調整する。
「そんな事って出来るんですか? って、これ以上は頭が破裂するからもう訊かない事にしよう」
しかし、いくら色々な情報を得ようと話し掛けたからと言っても、ここまでの専門的知識ではなくあなたは誰ですか? 刃物持ってますか? くらいの情報が必要であって、これ以上の専門知識はトウカの頭をパンクさせてショート状態に陥らせてしまう。
なのでトウカは頭を振って最初に乗らせようとしていた軌道へと自ら向かう事にした。
「えぇ〜、訊かないの〜」
が、女性はあからさまに不満げな表情を作り、もっと訊いて欲しいと言うオーラを醸し出すが、トウカはそれを綺麗に無視する。
「初めまして、僕はトウカって言います。種族はゴースト、ですね。お姉さんは?」
トウカは視線を正してお辞儀をし、自己紹介をする。こうする事によって女性自身も自己紹介をするように促しているのだ。
「これはこれはご親切にどうも。あたしはシーフェって言うの。君――トウカくんも種族をわざわざ言ったからあたしも言わなきゃね。あたしは風の精霊なの」
丁寧な挨拶をしてきたので、不満なぞ一瞬で消し飛ばす程の切り替えの早さを見せた女性――シーフェもそれに倣って礼をして自己紹介を行う。
「えっ? 精霊なんですか?」
トウカはシーフェの発言に驚く。精霊とはモンスターとは違う存在であり、自然物の中に宿り、雨を降らしたり、火を燃やしたりするのを手助けすると言われている。トウカはシーフェがその精霊だとは思えなかったので驚いたのだ。話に訊いた精霊は実態が無いと言われているので、見た目が人間そのもののシーフェはどうしたって精霊とは思えなかった。
「ありゃ、その様子だと信じてない? だったら、こうすれば信じてくれるかな?」
そう言うとシーフェは指をぱちんと鳴らす。すると彼女を中心に風が渦を巻き、空気に溶けるように跡形もなく消え去った。
「へっ!?」
トウカは目の前で起きたとんでも現象に目を見張り、そして次の瞬間にもまた驚く事と鳴る。
「ほら、こうやって実態を空気と同化出来るんだ〜。これ出来るのって風の精霊だけなんだよね」
耳元でシーフェの声が聞こえたかと思うと、そこから一陣の風が舞い上がり、それが渦を作る。その中央にシーフェの輪郭が徐々に色を取り戻していった。
「あ、因みに、火の精霊だったら火に、土の精霊だったら土に、水の精霊だったら水に同化する事が出来るから」
と、豆知識を披露するシーフェは得意気な顔で元いた立ち位置へと戻っていく。
「はぁ……凄いですね」
トウカは自分には出来ない事を平然とやってのけるシーフェに尊敬の念を込めた視線を送るが、数秒後に頭を振って質問を再開させる。
「えっと、シーフェさんはここで何しようとしてるんですか?」
これに関して言えばある程度の予想は付いているのだが、本人の言葉を訊かなければ断定は出来ないので素直に訊く事にしたのだ。シーフェはトウカの問いに胸を張って答える。
「あたしはね、ここで商売をする為に来たんだ」
それはトウカの予想通りの答えであった。