ゴースト、包帯を巻き直す。
ダンジョンには隠し部屋が存在する場合がある。
一階層に全く無い場合もあれば、一階層だけに数十ヶ所も存在する場合がある。隠し部屋へと続く扉は壁と同化しており、何かしらの仕掛けを作動させなければ開く事はない。
仕掛けと言うのも隠し部屋毎に異なっており、例えば天井の突起を押し込む事によって開かれる扉もあれば、壁と同化している扉を三回ノックする必要があるものがある。
隠し部屋の特徴として、絶対に宝箱が設置してあると言う事だ。ただ、その宝箱は一度開けれて中身を取れば他の宝箱と同様に消失する。
そして、最初に置かれていた宝箱以外の宝箱は隠し部屋には出現する事はない。
どうして出現しないのかと言う疑問は現在でも解決されていない。
しかし、この隠し部屋にある宝箱はダンジョンの通路や広い空間に置かれている宝箱よりもランクが上のものが入っている傾向が強い。
隠し部屋の宝箱は隠し部屋のある階層から五階層下で手に入りやすいランクの財宝、武器が出る確率が高いのだ。
なので、ダンジョンへと潜る者はただ宝箱を捜すのではなく、隠し部屋も捜すようにしている。その方が強いモンスターと遭遇するリスクを抑える事が出来るからだ。
トウカとセイルが現在いるダンジョンの地下一階には隠し部屋が三つ存在しており、そのうちの一つへと足を踏み入れている。いや、正確には飛び込んだが正しいが。
二人が隠し部屋へと辿り着けたのは偶然にも扉の開錠条件を満たしたからに他ならない。彼等が現在踏み入れている隠し部屋の扉を開ける仕掛けとは、恐らく一番容易なものである。
単に壁と同化している扉を押す。ただそれだけの動作で仕掛けは解け、隠し部屋へと赴く事が出来る。
今回は運がいいのか悪いのかトウカはセイルの歌で力が湧き上がり、移動速度が上がって制御を失い、空中を縦回転しながら疾駆していた。そして止まる事も出来ずに壁にぶつかった。
その壁がただ押すだけで開く隠し部屋の扉であったのでそのまま扉は開かれた、と言う次第である。
「……よかった、傷口から血はあまり滲んでませんね」
隠し部屋の奥の壁際で、トウカは壁に背を預けているセイルの頭部に巻かれている包帯から血が滴っていないかどうかを確認し、あまり滲んでいない事にほっとする。
この部屋まで来るのに拘束縦回転の空中移動をしてしまい、その度に頭の位置がめくるめく変わってしまったので頭に血が上り、圧迫をしているとは言え出血が酷くなてしまったのではないかと危惧していたが、そのような事にはなっていなかった。
「滲んでいないんですけど、その……」
ただ、トウカはセイルの傷の状態を包帯越しで確認し終えた後も堪えず傷口に視線を向けていた。
しかし、それは傷口の出血度合いを心配しているのではなく、ここから目を離したくないと言う衝動が体を駆け巡り、そうしているだけだ。
「どうしました?」
セイルは訳も分からずに小首を傾げる。長い髪がはらりと頬に掛かるが、それも気にせずにトウカの眼を覗く。
「…………あの」
トウカは生唾を呑み込み、意を決して指摘をする事にした。
「包帯、直してくれませんか?」
「包帯、ですか? あぁ、この頭に巻かれている海藻のようにひらひらしているものの事ですね」
セイルは得心が付いたと言った感じに手をぽんと叩き、そして両の手で包帯の位置を直そうと上げる。
海に住んでいるが故に、セイルは布を見た事が無く、包帯も今日初めて目にした。セイルにしてみれば、この薄くてひらひらしている包帯は一体どのような素材で出来ているのだろうか? と言う興味が湧いてくる一品だ。
傷口に障るから触れないようにと言われた際には言いつけを守っていたが、本当は神経の集中する指で触れて感触を確かめたかったのだ。なので、トウカの言葉はセイルにとっての僥倖であった。
「あ、いえ、そうではなくてですねっ」
しかし、トウカはセイルが頭部の包帯へと伸ばそうとした両手を掴み、包帯に触れるのを阻止する。トウカはそのままセイルの腕を下に下ろすと少々おろおろとしながらも次の言葉を発する。
「頭の包帯には触れないで下さい。……………………包帯と言うのはですね」
トウカはセイルの頭部の包帯を凝視したまま、右の人差し指の先をそれよりも下の位置へと向ける。
そして一言。
「胸に巻いていた今ちょっと危うい状態になっている包帯を直して下さいと言うですね」
トウカはやや顔を赤らめながらセイルの胸元を指差し、少々早口で直すように懇願する。
ここまで来る時に発生してしまった高速空中縦回転移動は頭の傷の出血を酷くする事は無かったが、胸を隠す為に巻いた包帯の結び目を解き、胸の膨らみに引っ掛かっているだけの状態になってしまっているのだ。
トウカがセイルの傷の具合を確認する為に俯せから仰向けにした時に、彼女が何もつけていない事を知ってしまい、その時に顔を赤らめた。
生後間もないゴースト、ただ人間であった時の記憶を有しているので精神年齢的に十五歳で農村でずっと畑仕事をしていたトウカにとって女性の上半身の裸体と言うのは刺激が強いものであり、もし人間であったならば鼻血を流していたかもしれない程の攻撃力を有していた。
幸いゴーストに血は通っていないのでそのような痴態は晒さずに済んでいる。
が、その時は自分がゴーストになってしまっているとは知らないでいたので鼻血が出なかった事は単に鼻血を出す事ではないとだけ思っていたが、それでなくとも目のやり場には困ったのでトウカは額の傷を圧迫するように包帯を巻き終えた後は、胸を隠す為に手早く包帯をぐるぐると巻き付けたのだった。
その際に彼の手には柔らかく感触のよい手ごたえを感じてしまい、どぎまぎしながらでの作業であった。
また、そのような平静でいられない精神状態であったからこそ、包帯の巻き付け方に甘さが出て、結び目も解けて現在の状況に至ってしまっている。
「え? あ、胸に巻いていた包帯ですか。……けれども質問があるのですが?」
セイルは納得したが、その後あまり間も置かずにトウカに問い掛ける。
「何ですか?」
「私は胸も怪我をしているのでしょうか? もしくは、背中を怪我しているのですか?」
「いえ、額以外の外傷はない……ですよ」
質問の意図を図り損ねがながらもトウカは自分の記憶を引き出し、外傷は額以外にはなかったと告げる。
「そうですか」
セイルは一呼吸おいて、トウカの思考を一時的に停止させる言葉を発した。
「でしたら、何故私は包帯を胸に巻かなければいけないのですか?」
トウカの頭の中は真っ白になるが、あまり時間も置かずに通常運転を再開させ、眉間に左の人差し指を当ててセイルの言葉の意味を把握しようと集中する。
が、意味を理解出来なかったので聞き返す事にする。もしかしたら単に聞き間違えをしてしまっただけなのかもしれないと言う淡い期待もこれには含んでいる。
「あの、セイルさん。もう一度言ってもらえますか?」
「はい。ですから、何故私は包帯を胸に巻かなければいけないのですか、と」
しかし、淡い期待は脆くも崩れ去り、先程と一言一句違えずに言ってのけたセイルにトウカは訳が分からなくなった。
「いや、あの。包帯ないと胸が隠せないじゃないですか」
トウカは懇切丁寧に説明するが、当のセイルは首を傾げながら更にトウカにとっての爆弾発言をする。
「どうして胸を隠す必要があるんですか?」
セイルはどうしてトウカがそのように言うのかが本当に分からずに問うたのだが、そのセイルの発言にトウカもより訳が分からなくなってしまった。
普通、女性は胸を見られるのに恥じらいを覚えるものではないだろうか?
少なくとも、トウカは自分の一個下である妹と三つ下の妹は幼い頃は普通に上半身裸でも恥ずかしがる事は無かったが、ある年を境に恥らうようになり、胸を隠すようになった。
なので、女性とはそう言うものであると言う認識がトウカの中にはある。なので、セイルのどうして胸を隠す必要があるのか? と言う疑問が本心から分からないでいる。
セイルのこの発言は致し方が無い事でもある。人魚とは衣服を着ないのだ。
布が無いと言うのもあるのだろうが、それ以前にも海の中で生活をしているのでもし布があったとしても遊泳時には変にへばり付く邪魔な存在としか認識されないだろう。
なので、常に隠す事も無くさらけ出している人魚であるセイルにとって、胸を隠す必要性と言うものが分からなかったのだ。
ここにおいて、種族の違いによる性差の常識が通じない事態に陥ってしまっている。
「あの、恥ずかしくないんですか?」
「何がですか?」
「…………」
胸を隠さない状態で恥ずかしくないらしい、と今までにない事態にトウカは混乱を覚えてしまう。そう言うトウカ自身もゴーストに生まれ変わった時点で真っ裸なのだが、自分の事は棚に上げている。
まぁ、トウカは男であるので上半身の露出くらいではそもそも恥ずかしがることも無いのだが。
ただ、このままだと現在胸元に引っ掛かっている包帯を指先で摘まんで少し引っ張っているセイルは胸に包帯を巻く事はないだろう。
何かきちんとした理由が無い限り、納得しない。そう思ったトウカは必死でセイルが胸に包帯を巻くように仕向ける理由を見付け出そうと思考を回転させる。
そして、一つ思いつく。嘘だが、こう言えば巻いてくれるだろうと思いながらもトウカは口を開く。
「あのですね」
「はい」
「今思い出したんですけど、背中の方に痣が出来ていたんで、それを隠す為にも巻く必要があるんです」
先程は額以外に怪我はしていないと言っておきながらの手のひらを返したかのような発言だが、これで包帯を巻いてくれるよう祈るしかなかった。
「……そうでしたか。そう言った理由なら、仕方ありませんね」
しかし、セイルはトウカの言葉を疑いもせずに信じる。これはトウカがセイルに対して心身になって傷口に包帯を巻いて出血を抑えたり、水を分け与えてくれたと言う行動が猜疑心を抑えつけた結果である。
「しかし、それならばトウカ様が巻いて下さいませんか?」
セイルが胸元に掛かった包帯を巻き取り、それを胸から背中に向けて巻こうとするが、ふと手を止め、トウカに包帯を手渡しながら頼み込む。
「え?」
頭に巻かれた包帯を凝視していたトウカだが、目の前に包帯を出された事によって視線を下げてしまい、視界にセイルの胸が入ってしまったので慌てて今度は差し出された包帯だけを見る。
「私がやりますと上手く巻けないので、お願いします」
確かに、セイルの言葉には一理あった。彼女一人でやろうとすればまずその長い金髪を巻き込む事になるだろうし、包帯なぞ見た事も無かった人魚なので適切に巻けるかと言われればそれも怪しいものだった。なので、セイルはトウカに頼んだのだった。
「わ、分かった」
トウカはセイルから包帯を受け取ると彼女を背を壁から離して背中をトウカの方へと向けるように促す。
そして彼女に長く綺麗な金の髪を持っているように指示し、その間にセイルの背後から手を回して包帯を回していく。
今回は胸を見ないで行っているので、またセイルの上半身は地面にも壁にも接していないので包帯が通るようにわざわざ体を浮かせる必要も無かったので無駄に取り乱す事も無くスムーズに包帯を巻き終える事が出来た。
「終わったので、もう髪を降ろしても大丈夫ですよ」
もう不意の出来事では解けないようにとセイルの背中できっちりと包帯を結び、トウカは少し距離を開ける。
「はい。わざわざありがとうございます」
セイルは髪を降ろし、トウカに向き直って礼を述べる。トウカにしては背中に痣があると言う発言は嘘であったので礼を言われるのはお門違いだと思ったが、それは口にしないでおいた。
「……さて、包帯も巻き終えたので」
トウカは安堵から一息吐き、セイルの隣にある物体に目を向ける。
「この箱でも開けてみますか?」
「宝箱って言われている箱ですよね。中にきらきらとした綺麗な物が入っていると言う」
セイルは自分の隣にある宝箱に興味の視線を向ける。人魚であるセイルはトウカと違い、宝箱の知識が多少入っている。これは難破した海賊船に積まれている宝箱の存在が人魚の間で広まっているからである。
「へぇ、これって宝箱って言うんですか」
トウカはこの箱の正体もとい名前を知り、その名前を知っていたセイルに尊敬の眼差しを向ける。
彼は基本的に自分の知らない知識を有している者、自分に出来ない芸当をしてのける者を敬う傾向にある。
「開けて見ましょうよ」
そんな眼差しを向けられているセイルの興味は現在宝箱に向いているので気付いていない。
「そうしますか」
気付いて貰えなくとも気にしていないトウカはセイルに促されて宝箱の蓋に手を掛け、開ける。
「ん?」
「あら」
トウカとセイルは二人揃って宝箱の中を覗き込む。
中に入っていたものは――――。