ゴースト、一人で生活する。
「えっと、これをこうして……っと」
シーフェにセイルを家に送って貰うように頼んでから四日の時間が過ぎた。
トウカがゴーストとして生まれ変わり、ダンジョンでの生活をするようになって約二週間が経過した事になる。
この四日でトウカは隠し部屋のある空間へと辿り着く事に成功し、その間にも自分の力量で倒せる範囲のモンスターを倒している。また、倒したモンスターはきちんと捌き、調理をしてから食していたりする。生のまま食べたのはフリットサーディンのみだ。
モンスターを捌くのには、シーフェの露店に置かれていた短剣を拝借している。いや、拝借ではなく、対価を支払って購入……と言うよりは交換をして自分の物とした。
短刀は刃渡り十センチ程で、柄に鍔があるだけの至ってシンプルなデザインとなっている。鞘も存在するのだが鞘もただの黒塗りで装飾の類いは無い。トウカとしては別に飾っておく趣味も無く、実用出来ればよかったので一番安価なこれを選んだのだ。
交換の対価としてトウカはクラタケを三十本にホーンラビットを用意し、それで短剣を自分の物とした。
同等の対価とするには、従業員用に置かれている天秤型の大き目の測りを使用した。この測りは精霊が作り出した特別製であり、同等の価値があると左右の皿が水平に保たれる仕組みとなっており、また、皿よりも大きなもの、または入りきらない程の個数を乗せる場合は紙に特別なインクでその物の名前と個数を記せば代用となり、きっちりと測れる仕様となっている。
そして、現在トウカはセイルを送っていてこの場にいないシーフェに代わって物品の納入を行っていたりする。
シーフェがいなくなってしまうと露店が機能しなくなってしまう。いや、もとより既に人が一人もいないこのダンジョンでは商売が成り立たないので機能しなくてもさして変わりはないのだが、それでも経営をしている以上は商品の納入と買い取った物品の転送を行わなくてはいけない。
なので、トウカはシーフェの要求以外にもきちんとシーフェの事を考えて、露店のシステムをきちんと訊いておき、シーフェの仕事に支障がきたさないようにと代わりにやっている次第だ。
「この陣? に乗せたら、後は横に描かれてる三角形のマークに手を当てればいい……と」
シーフェの言葉を脳内で再生しながらトウカは買い取った商品――と言うよりはトウカが取ってきたクラタケや食すのに適さない毛皮や骨と言ったモンスターの部位を露店の商品を置いている布の裏側に描かれていた転移陣に乗せて転送をしようとしている。
この直径一メートルの円である転移陣は無差別にダンジョンへと送る転移陣とは違い、指定されたものしか転送しない機能を有している。正確に言えば、転移陣の円の中の幾何学模様の合間に刻まれている単語の羅列に存在する物しか転移は出来ない。転移陣の中に文字が何も書かれていなければどんなものでも転移出来る転移陣となる。
転移陣に刻まれている単語は軽く千を越えており、恐らく万単位となっているだろう。トウカの肉眼ではびっしりと書き込まれた単語を読み取る事が出来ないでいる。ただ、これだけ書いていれば大抵のものは転移出来るので気にする事も無く転移をしている。
転移陣の起動には円の横にある三重の三角形の紋様に手を置けばいいだけだとシーフェに伝えられている。全ての転移陣がこのような仕様ではなく、ただ陣を踏めば作動する物や、陣に接触している上で起動用の詠唱を唱えなければいけないものまである。前者に多いのがダンジョンの転移陣であり、後者は人間の貴族や王族が使う移動用の転移陣が多い。
トウカは三重の三角形に手を置く。すると、陣の上のかれていたクラタケやモンスターの毛皮などが黄金色の光に包まれ、光と共にパッと消える。これにて転移が終了した。
「えっと、次は商品の入荷だけど……何が必要なんだろう?」
トウカは露店の商品をずらりと確認する。客が全く来ないのではっきり言えば商品が余りまくっているのだ。薬にしろ食糧にしろ武器にしろ布の上で横たわっているに過ぎない。食料の中にはなまものがあるのでそれらは定期的に交換しなければいけないのだが、他は補充する必要が無いと言ってもいい。
因みに、食料の中にいた生きたハヤシガメはトウカがクラタケ二十五本で交換して既に彼の胃の中に納まっている。他の――特になまものに関しても、食べ物を食べずに捨てる事は食べ物となった命に対して失礼だとして、トウカはきっちりと自分で取ってきたもので交換して腐る前に食している。
なので、一先ずは食料の入荷は確定となっている。
「……けど、お客さんがいない状況で入荷させるのもなぁ。でも、何時来るか分からないし」
日持ちのするものや武器類ならばこうも考える必要はないのだが、なまものともなるとあまり入荷し過ぎるとトウカ一人で腐る前に食べきれなくなってしまう。なので、入荷を躊躇してしまうが、それでもしない事には商売は成り立たない。
と言うよりも一定のノルマが決まっていてそれを入荷しないといけないとシーフェが言っていたのだ。なので、無理にでも入荷をする必要があるのだ。
ここで人間が訪れれば商売が出来るのだが、生憎と現在の露店店員はゴーストのトウカである。まず間違いなく店員とは見られずに切り掛かれるのが目に見えてしまっている。ので、トウカとしてもやはり客は来ない方がいいと思っている。
一応の対処法として、露店にいる間のトウカは『精霊商会臨時店員』と書かれた帽子を被って出会い頭の斬撃を減らそうと画策していたりする。因みに、この帽子は商品の一つで、それを交換で手に入れて文字を書いた布を縫いつけたものとなっている。
ただ、これがきちんと効果を発揮してくれるのかトウカには分からないが、ないよりまマシと割り切っている。
「……仕方がない」
臨時店員となっているトウカは軽く溜息を吐くと、紙にペンを走らせる。
「昨日と同じようにブルーアップルとハニーオレンジ、ブラッドトマトとタイヨウレタス、パンとかにしよう」
因みに、これらはトウカの食事として胃の中へと消え去る運命となっている。頼んでも結局はトウカが採ってくるクラタケやモンスターとの物々交換が行われるだけなのだ。
「……よし、これでOKっと」
紙に入荷させる商品と個数を記入し終えたトウカは転移陣の上に紙を乗せ、精霊商会へと送る。頼んだ商品が送られてくるまで、トウカは商品の陳列を始める。とは言っても、微妙に位置を変えたりするだけで、それ程仰々しいものではない。
因みに、この精霊商会を利用してモンスターの肉を手に入れると言う事はほぼ不可能だ。あくまでも精霊商会の商品はダンジョンに潜った人間に需要のあるものと定義しているので、モンスターの肉は基本的に商品として販売しない。
どちらかと言えば商会側がモンスターの肉を買い取る立場となっている。買い取ったモンスターの肉は精霊自体の貴重な食料として直ぐに消費されたり、それを元に信頼出来る専属の人間と交渉して小麦や野菜を買ったりする。
例外としてモンスターの肉を数種類取り扱っているが、それらは基本的に食すのではなく対モンスター用の毒として売られている。ハヤシガメの肉にも毒があり、その毒によって食した者は筋肉が麻痺して一時的に身動きが取れなくなるのだ。
ハヤシガメの肉は火を通せば毒が分解されて無害になり、味もよくなるのだが、他の毒として用いられるモンスターの肉は熱を通すだけでは毒は分解されず、逆に毒性が強くなってしまうものもある。なので、商会を通してモンスターの肉を手に入れ、それを食して強くなると言う事が極端に出来なくなっている。
更に言えば、トウカはハヤシガメを入荷していない。理由は熱を通して食した際にきちんと全部の肉に熱が通っておらずに麻痺毒が残った状態だったので体が動かなくなってしまったのだ。それが若干のトラウマとなり、トウカはハヤシガメを入荷するのに抵抗を持ってしまい、紙にその名前を書かないでいる。
「あ、来た来た」
陳列をし終えると転移陣から黄金に光が溢れ出て、光が収まると紙に書いた商品がずらりと並んでいた。トウカはそれを丁寧に手に取ると布の上に並べ始める。
「……あとは、店番だけだけど」
じっと数時間、トウカは露店に居座り続ける。何せ、客が来ないと分かっていても、万が一と言う可能性もあるし、抜けるに抜けられなかったのだ。
また、それ以外にもずっと露店にいるのにもきちんとした理由がある。
二日前までは狩りをずっとしていたが、昨日からは閉店時間と定められている時刻まで露店から動かずにいる。
単純に待っているのだ。
何を? と訊かれればトウカのリビングデッドを、だ。
闇雲にリビングデッドを捜すよりも、一ヶ所に留まって待ち構えた方が出会えるのではないか? と考えてトウカはずっとここにいる。
ただ、リビングデッドはまだ来ておらず、代わりにフリットサーディンやホーンラビットと言ったフライパンを持ったトウカの敵ではないモンスターばかりがこの空間に出現してトウカに襲い掛かってきた。それらをトウカはフライパンの一撃の下仕留めていった。
「……今日も来ない、か」
トウカは首に提げられた懐中時計で時刻を確認すると、二十一時と閉店時刻になってしまっていた。トウカは商品を一纏めにし、それを布で包んで店仕舞いをすると、隠し部屋へと戻って行った。
隠し部屋の扉をノックもしないで開ける。もう、四回のノックをしなくともよくなってしまった隠し部屋には未だに三人分の布団が折り畳まれて隅に置いてある。トウカは商品を包んだ布を優しく部屋の脇に置くと、コンロを取り出して床に置く。
トウカはコンロの上に新たに見付けた黒いフライパンを乗せると、火をかけて熱し、ホーンラビットとシェードバットの肉を焼いていく。肉を焼いている間にタイヨウレタスなどの野菜を洗っておき、適当に千切って木製の皿に盛り付ける。
焼き終えた肉を皿に移し終えると、最後に白パンよりも硬い黒パンをそえて食事の用意は済んだ。
それをテーブルのような岩の上へと持っていき、木製のフォークを取り出して手を合わせる。
「いただきます」
自分以外に誰もいない空間での食事には慣れたトウカだが、それでもやはり複数人で楽しく食べたいとも思ってしまう。フォークを突き刺して口内へと入れたホーンラビットの肉が何時もよりも味気ないと感じてしまうのもそれが原因だろう。
「ごちそうさまでした」
早々に食事を終えると、トウカは食器とフライパンを池の中に入れて洗う。この水は洗い物をしても汚れが下に生えている樹木の影響で直ぐに吸収されるので清潔さが保たれたままとなるのとシーフェに訊かされたので、遠慮なくトウカはここで洗っている。
この黒いフライパンもやはり、白いフライパンと同じように傾けただけで汚れが落ちる高性能なものであるが、気分的に一緒に洗っている。
洗い終えるとそれらを乾かす為にテーブルのような岩の上で壁に立て掛ける。コンロもその横に置くと、トウカは布団を敷き始める。
夜通しでリビングデッドを迎え撃つ事はしない。体力を消費して相対するよりも万全な状態を維持した方が無駄死にしないと考えたからだ。
布団を敷き終えたトウカは、その横に黒いフライパンを用意して布団へと潜り込む、頭を枕に乗せる。
「おやすみなさい」
返事をしてくれる者がいなくても、つい反射的に言ってしまうトウカは、少しだけ侘しい気持ちになるも、明日の事を考えて早く寝ようと目を閉じる。
トウカが一ヶ所に留まってリビングデッドを待っているのは、もう既に彼が進化を終えたからだ。
しかし、彼の進化はジャックゴーストではない。順当に行けばジャックゴーストにでもなったのだろうが、彼の場合は違ったのだ。
ジャックゴーストではない事はトウカの体色から明らかとなる。ジャックゴーストは半透明な緑色をしているのだが、トウカは元のゴーストのままの体色となっている。
いや、正確に言えば体色以外にも容姿そのものに全くと言っていい程に変化らしい変化は見受けられないのだ。浮遊しながら動く体は足が一本に纏まっているし、未だに黒いフライパン以外には体が映らない。
それでも、トウカは自分が進化したと分かる。それは進化する際に体の中が熱くなり、中身が別の物へと作り変わっていく感覚に襲われたからだ。意識が飛びそうな程の激痛にさいなまされたが、進化が終了すると嘘のように痛みが消え去っていた。
彼は、一体どのようなモンスターに進化したのかは知らずにいる。
だが、それはトウカにとってはどうでもよかった。
自分が死んだ事によって生まれてしまったゾンビが進化した存在――リビングデッドをどうにか出来るだけの力があればそれでいい。彼はそう思っている。
明日こそはリビングデッドに遭えるようにと願いながら、トウカは夢の世界へと意識を旅立たせた。




