ゴースト、人間だった事を話さないと決める。
8月15日現在、日間ランキング総合54位、セカンド5位、冒険2位となっていました。
とてもありがたい事なのですが、ここまでになるとは思いもよらず、がくぶる状態となっています。
「本当にごめんなさい。まさか人間を怖がってるとは知らなくて」
シーフェはトウカに抱き着いたままのセイルに頭を下げて謝る。
「いえ、私の方こそ、勝手な勘違いをして申し訳ありませんでした」
対するセイルもシーフェを見た目だけで凶悪な人間だと誤解してしまった事に対してきちんと体を向けて頭を下げる。
「僕も、セイルさんが人を怖がってるかもって事を失念してて、あとセイルさんにシーフェさんの事を話すの忘れててすみませんでした」
トウカは自分に一番の非があるとして、二人に真摯に謝る。
事の成り行きはこうだ。
トウカはシーフェに自分がいない時にセイルの話し相手になって欲しい、と頼んだ。シーフェはその時にセイルが人魚である事を訊き、ある条件を提示して了承した。
シーフェとしては、同性として一人寂しく待つ女性を放っておけなかったという心理も影響をしている。
一人の心細さと言うものを、ダンジョンで露店を出している彼女は誰よりも理解していたからこそ、セイルにも同じ思いをさせたくはないと思ったのだ。
精霊商会への商品の発注作業と買取物の納品を終えたシーフェは早速トウカに言われた通りに隠し部屋の扉を四回ノックし、一人でトウカの帰りを待っているであろうセイルと交流を深めようと入って行った。
最初は誰もいないと思ったが、相手が人魚であると思い出すとシーフェは池の方へと歩いた。池まで辿り着くとタイミングを計ったかのようにセイルがシーフェに後頭部を向けた状態で水面に顔を出した。
こちらの方へと振り向いたセイルにシーフェは最初が肝心と笑顔を浮かべて挨拶をしようとした瞬間に、セイルは笑みを消して即座に池の中へと引っ込んでしまったのだ。
自分が怪しい者だと認識されてしまったと感じたシーフェの心は少々傷ついてしまい、暫し瞳が揺れた。
揺れる瞳を難とか宥めたシーフェは怪しい者じゃないと口に出して弁解をしたが、セイルは一向に上がってくる気配を見せなかった。
シーフェはこのまま怪しい者認定を受けて会話出来ずにいれば、このままの状態を維持してしまうと焦った。
なので、シーフェは誤解を解く為に苦手としている水の中へと飛び込んだ。
風の精霊である彼女は水中で呼吸が出来ないので、商品の一つである水の精霊が作り出した水中の酸素を取り込む事が可能となるパイプを咥えていた。
池に入って辺りを見渡し、三叉を握ってうずくまっているセイルを見付けると得意ではない泳ぎで懸命に彼女の方へと進み、威圧しないようにと細心の注意を心がけながら声を掛けて肩に手を乗せる。
すると、セイルは大きく震え出してしまい、逆効果であったとシーフェは激しく後悔した。ここは手を肩に乗せるよりも、自分の名前や種族、所属組合を述べて害はないと真っ先に伝えるべきであったのだと嘆く。
遅ればせながらも、それを実行しようとシーフェが口を開きかけた時に頭上から四回のノック音とトウカの声が聞こえてきたのだ。
シーフェがそれに気を取られていると、セイルが弾丸の如く上へと泳ぎ出して弁明の機会を一つ失った。
それと同時に、あんなに急いで離れる程に恐ろしかったのか、とシーフェは更に心に傷を負う事となった。
別に、容姿は厳つくないし、メイクもしておらず、怖い表情もしていなかった。突然の来訪で怪しまれる事は仕方がないとしても、怖がられる要素はないと思っていたのでぐさりと意外と繊細な心に突き刺さったのだ。
暫く水中でも生き生きとしている木の枝で体育座りをして打ちひしがれていたが、このままではやはり駄目だと自身を奮起させて、めげずにセイルと打ち解ける事を目標にしたシーフェは水面へと目指して泳ぎ出した。
水面に顔を出すと、トウカがシーフェに向けてフライパンを構えていたので彼女は仰天したが、彼は現れたのがシーフェであると分かると、あっさりと警戒を解いてフライパンを下げる。
トウカは現状が呑み込めずにシーフェに確認を取ってきたが、シーフェこそ、セイルがここまで怯えているのが分からないので逆に問い返した。
ふと、トウカはきちんとセイルに自分に頼んできた事を伝えていたかどうかが怪しくなった。ここまで怯えるのは尋常ではないが、それでもきちんと伝わっていればまだマシな状況であっただろう。
セイルの話し相手になって欲しいと頼み込んできたゴーストに、シーフェはふと浮かんだ疑問をぶつけると、トウカはしまったと言う顔を作り、即座に謝ってた。つまりはそう言う事だ。
そして、更に重大な事を訊かされたのだ。セイルは人間に襲われて、それ故に人間を恐怖しているかもしれない、と。
その言葉を訊いた瞬間にシーフェは自身の姿を確認する。種族は風の精霊であるが、見た目は人間そのものだ。何も分からない者が見れば、人間だと誤解しても仕方がないだろう。
シーフェは、どうしてセイルがここまで怯えているのかをきっちりと理解した。
セイルに自分が風の精霊であって人間ではないと実演を交えながら説明をして、漸くセイルから恐怖が消え去って現在に至る。
因みに、シーフェはセイルがこのダンジョンの外から来た事、トウカがダンジョンの出口を探しているとは知らないでいる。
あくまでセイルが人魚とまでしか聞いておらず、彼女を置いてトウカが出掛けているのは食料確保の為だと誤解をしている。
それは間違ってはいないのだが、もし出口を探しているとトウカが話していれば、マッピングをこれ以上行わずに出る事が出来たであろう。
三人が三人それぞれ謝って、次の流れへと移行した。
「所で、セイルさん」
「何でしょうか?」
目を赤く腫らしているセイルは体を戻してやや困惑した表情を見せているトウカに目を向ける。
「……そろそろ離れてくれませんか?」
池から飛び出してきてからセイルはずっとトウカに抱き着いたままの状態となっている。誤解が解けたからとは言え、未だ恐怖が内側でくすぶっており、それが完全に消失するまでトウカを肌で感じていたかったのだ。
「あ、申し訳ありません。重いですよね……」
セイルは足――もとい尾ひれが地面についていない状態で抱き着いているので、背負っての移動で体力が底を尽きかけていたトウカに多大な負担を掛けてしまっていると気付いて俯く。
「いえ、そう言う訳ではなくて」
トウカは慌てて首を振り、やや顔を赤らめて視線をセイルから逸らしてぽつりと呟く。
「その、む、胸が」
「胸、ですか?」
セイルは一瞬きょとんとした後、視線を下へと向ける。そこには双丘がトウカの胸に押し当てられてひしゃげている光景があった。
トウカは緊急事態が解除されてから胸を押し当てられている事を意識してしまい、胸の鼓動が高まるような錯覚に陥り、顔が熱くなっている。
早急に体を離さねば、そのまま熱さに負けて倒れる危険性があり、セイルもそれに巻き込んでしまう可能性があった。
なので、トウカはセイルに離れて欲しい為に胸と言う単語を必死で口にしたのだが。
「胸……」
そうとは分からずに、暫しセイルは自分の胸がどうしたのだろうか? と考え込む。人魚のセイルにとって異性に胸を押し付ける事は別に恥らう行為ではなかったのでトウカの意図が分からなかったのだ。
「…………あ、そう言う事ですか」
数秒熟考したセイルは答えに辿り着いた。セイルは、トウカに言われた通りに抱き着くのをやめ、地面に降り立つ。
ただ、その答えは方向性が違っていたが。
「トウカ様」
セイルは真っ直ぐとトウカを見つめる。
「またお願いします」
「また?」
何が? と疑問符を頭上に浮かべるトウカの右手に白い布の端が手渡される。
視線を下げて確認すると、それは包帯であった。
どうして包帯が? とトウカは視線を上げた。上げてしまった。
「ぶっ⁉」
トウカは一瞬で顔を余計に赤らめ、吹き出して直ぐに視線を首ごと別な方へと向けて、更にはセイルとの距離を一気に開けた。
理由は単純で、セイルの胸に巻かれていた包帯が景気よく解けてしまっていたからだ。故に、現在の彼女の胸を守るものは無く、外気に晒されてしまっている。
池から飛び出す際に急激な加速と、それを維持していたのできっちりと巻いていた包帯と言えども状態を維持する事は出来なかった。結果、池から飛び出た際には包帯の結び目は解けて、緩んでしまったのだ。
セイルは緩んだ包帯に気付いたので改めて巻いて貰おうと包帯の端を掴みんでトウカから離れたのだが、それが原因で包帯がすとんと地面に落ちてしまい、完全無防備状態となった。
包帯を巻いて貰おうとしている理由は、未だに自分の背中に痣があると思い込んでいるからであり、もし痣が無い事を知ってしまえばトウカに巻くよう頼んでいない。
「……トウカくん」
若干蚊帳の外になり気味であったシーフェが軽く息を吐きながら顔を赤らめてわなないているトウカへと近付いて行く。
「ななななな何ですかっ?」
トウカは平静を欠いた状態でシーフェが何を言いたいのかを問う。
「動揺し過ぎ」
「でっ!」
シーフェはそんなトウカの眉間を軽く指ではじく。彼女の一撃により、トウカは一瞬で赤らんだ顔は元に戻り、眉間の痛みで涙が滲んでくる。
「まったく、ゴーストなのに裸を見て恥ずかしがるなんて……本当、人間みたいだよ」
腰に手を当てて、さも珍しい物を見る目で涙目になっているトウカを睥睨する。
彼女がトウカが人間みたいだと思ったのは他にも要因があり、知性があり、会話が成り立ち、調理を行い、珍しい道具に興味を持ち、他人に対する思いやりが見て取れたからだ。
普通のゴーストではまず有り得ない行動――それも人間とほとんど同じだったのだ。なので、シーフェはトウカと接している間はどうしても彼がゴーストである事を忘れてしまう。
シーフェは彼を突然変異種と見ているが、それは間違いであるがいい線を行っている。トウカは人間であった頃の記憶を有しているゴーストである。突然変異種は細胞の変質が見られるが、トウカにはそれが見られない。なので突然変異種ではない。
しかし、単なるゴーストとも違う彼は特異な存在でもある。彼の行動は生前の記憶によるところが大きく、もし同じくゴーストに生まれ変わった際に記憶を引き継がなかった場合は、ゴースト本来の行動を間違いなくとる。
どうして生前の記憶を有しているのかはトウカ自身も分からない事であり、一度死んだ事に気付いておらず、人間からゴーストに直接変異したと思っている彼はそれを考えようともしていない。
「トウカ様は人間ではありませんっ!」
シーフェの言葉に、セイルが突然血相を変え、大きな声を発して彼女を睨みつけ、地面を這って移動してまるでトウカを庇うかのように彼とシーフェの間に来る。
「トウカ様をあんなに恐ろしい人間と一緒にしないで下さいっ!」
先程まで勘違いであったとは言え、恐怖を感じていた相手に憤るセイルに、トウカはどうしてそこまでして否定するのか分からず、そして、胸にずきりと何かが突き刺さる。
「トウカくんが人間じゃないって分かってるよ。だから、そう睨まないで欲しいな」
あくまで自分の感想を口にしただけであり、シーフェも本心からトウカが人間だとは思っていない。シーフェは苦笑混じりにセイルにその旨を伝える。
「だったら、トウカ様に謝って下さい」
セイルは怒りを抑えるが、それでも口調には未だ刺々しさが残っている。それ程までに、自分の恩人であるトウカを恐ろしい人間と同列に捉えて欲しくない、とトウカとシーフェにはきっちりと伝わった。
「トウカくん、ごめんなさい」
トウカの事を特別にしているらしいセイルの気持ちも考えずの発言であったので、シーフェは素直に頭を下げて彼に謝る。
「あ、いえ……」
シーフェの謝罪に、トウカはただ曖昧に頷くしか出来なかった。何せ、彼は人間であったので、セイルの言う所の恐ろしい存在なのだから。
トウカは、自分が人間であった事を何があってもセイルには説明しないと心に固く誓う。もし、人間であった事が知られれば、彼女は間違いなく自分を恐怖対象として見てしまう。それだけは、どうしても避けたかったのだ。
「セイルちゃん」
「何でしょう?」
頭を上げたシーフェはやや刺々しさを残しているセイルに声を掛ける。
「そろそろ包帯を巻かないかい? ほら、このままだとトウカくんも困るだろうし」
セイルの横を抜けたシーフェはトウカが掴んでいた包帯を奪うと、それを即座に巻きとって手の中に収める。
「……そうですね」
セイルは素直に頷く。彼女はトウカが困るような事をしたくはないのだ。なので、シーフェの言葉をそのまま受け取った。
ただ、彼がどう困っているかを勘違いしている。
シーフェはそのままだとトウカは恥ずかしさのあまり直視出来ないから困ると言った意味で言ったのだが、セイルは痣をそのまま放置するとトウカにあらぬ心配を掛けさせて困らせてしまうと誤解をしている。
「じゃあ、あたしが巻くけどいい?」
「構いません。お願いします」
巻き取った包帯の端を引き、シーフェはセイルの胸を隠すように包帯を巻いていく。
「所でさ、トウカくん?」
「何ですか?」
心の中で固く決意している所に突然声を掛けられたので、トウカはやや下げ気味であった顔をばっと上げてシーフェを見る。
「思ってたよりも早く帰ってきたね」
聞いた話では、あと一時間くらいは帰ってこないだろうと踏んでいたシーフェだが、予想よりも早い帰還にやや疑問を抱く。だが、その御蔭で誤解によるセイルの恐怖を早く取り除く事が出来なので僥倖ではあったのだが。
「あぁ、それはですね。宝箱の中身を運んだままは無理と思ったので今日の所はもう終えました」
「宝箱? 何が入っていたの?」
「それが、僕には分からなくて。それに大きくて部屋に運べませんでした」
シーフェの疑問に、トウカは扉の方を指す。
「大きいのね~」
シーフェはセイルの胸に包帯を巻き終えると、扉の方へと視線を向ける。
「どんなのか見てもいい? もしトウカくんが必要ないって言うなら買い取るし」
「お願いします」
トウカの許しも得たので、シーフェは彼がどのようなものを引き当てたのか少々わくわくしながら扉を開けて外へと出る。
「は?」
部屋を出て直ぐにシーフェは目を見開いた。