七章 彼は病気ですか?
七章 彼は病気ですか?
魔力障害、重度や軽度と色々な差はあれど、ヒーローが避けては通れない、職業病のようなものだ。
ヒーローはその性質上、高濃度の魔力地帯に向かうことになる。なによりヒーロー自身の魔力に、よって近い症状が起こることがあるとされている。
最もそんな状況になったら、竜か死体かの選択肢しかないのだろうが、大体後者で決着が付く。
そしてどちらでも、結局人間としては終わると、言うのもまた事実だ。
彼女はそう言った重度障害者の末路を知っている。だがあまりにも彼は健常者過ぎた、一瞬ではあるが何の冗談かと思い、二の句が告げられず呆然としてしまう。
だが考えても見れば、竜と言う名の魔力を二度も浴びた男が、まともな体でいるはずが無い。
ただの竜との闘いの後遺症で、再起不能になったと思っていた彼女だが、最高位のヒーローにさえ、伝えられずにいた情報はあまりにも、無残と言えば無残な代物だった。
竜の中でも最も警戒心の強いとされる尾や鱗が、そんな情報を仕入れれば、侵攻を開始しかねない。
言ってしまえば、そこに居る男は人類最後の砦なのだ。
誰一人として竜に勝てないと言うのに、その可能性を誇る彼がいるからこそ、最前線岐阜はかろうじて災害との均衡を保っていられる。
人類は一人のヒーローによって、生かされている事実があると、彼女は当たり前になっていた事実を再確認させられる。
だが、それのタイムリミットが近いのもまた事実だ。
いつも彼が言っていた、大いなる時間稼ぎの意味がようやく分かるときだろう。彼が死ぬまでの間、それが人類に残された猶予であり、絶望の秒読み。
「自分の価値が分かっていて、そんな言葉がよく」
「出すしかないだろう、希望と言う言葉はかなわない絶望だからこそ光るもんだ。誰も救わないと言う、ただそれだけの理由に対する光明だってな」
男は常に悲観的に言う、彼は反吐が出るほど希望が嫌いだ。
それは絶対に裏切られる言葉だと信じているから、なによりそうやって裏切られ続けたからこそ、希望なんぞと言う言葉に絶望が欲しいのだ。
まるで挑発でもしているかのような言葉ながら、彼女が答えられる言葉は実際は無い。
反論と言う反論が出来ないのだ。死んでしまえと思いながら、現実が見えればなんと言っていいか分からずに、ただ言葉の根を腐らせて静かに混乱するだけだ。
そんな戸惑う彼女の仕草に、英雄は何も言わない。何を言っても変えられることなど無いのだ、自分の体がどれほど破滅的かを彼は知っている。
魔力障害は本来なら体が崩壊していく代物だ。見た目には何の欠損も無いが、それは彼が障害をその高精度の演算で散らしているだけで、限界を迎えれば、そのまま体中が爛れる様にして骨と心臓以外全てを液体のように変えるだろう。
大体が、その前に戦死してしまうので知られていないが、どれだけの対魔力性能を体が誇ったとしても容易く、魔力障害は体を犯して殺していく。
本来であれば体がじわじわと、垢の粉を地面に溢すように朽ちていく事もある。汗と一緒に皮膚がはがれて落ちたり、症状自体は千差万別ながら、最終的に死ぬと言う重度障害の結末は変わらない。
体中が崩壊して命を奪い去る。
災害の魔力に晒された一般人などによく出る症状だが、その末路を何度となく見ている彼女には、そのヒーローの終わりが容易く幻視させられる。
「どういう末路ですか、あなたのそれは」
「生きていちゃいけないって事だろう、竜と言う反則を殺す事の結果だこれが」
ただ人間を陵辱するように殺す結果がこれなのだ。
災害と言う不可能を打倒した人間は人ではない。人の皮をかぶった何かで、それでも人であるというのならその代償を払っている。
代価は命、分かりやすい不可能に対する代償だ。
「延命にも限界がある、一応治療演算も考えてはいるが、早期発見ならともかく、末期になった俺には効果がないのでな」
「いまさらりと現代医学に対する暴挙をさらりと言ってのけましたが、それを竜に知られれば確かに終わりです」
動揺はある、彼がここでさらりと彼女に事実を語ったのは、そろそろ潮時であることを彼が知っているからだ。
先ほど三年と言っていたが、実際は奇跡が起こった時の話。あえて時間をぼやかしたのは、それが機密であり、危機感を煽り最強のヒーローの心構えを変えようとしているだなんて想像が付くのだろうか。
かつての竜殺しは今もなお、その足かせを引き摺り歩かなくてはいけない。
「流石は竜殺しとでも言うべきなのですか。まともとは思えない行為ですよ」
「魔力障害を散らすことか、それとも崩壊する体の解れを常に治しながら生活していえることか」
周りから見れば彼はどこまで落ちても、竜殺しに過ぎない。
あの当時最弱のヒーローと呼ばれ、今もなお歴代最弱と呼ばれ続けるイップスワン、ランキングカウントストップ、様々な弱さの代名詞であり反則の象徴。
その嘲笑じみた周りの視線と言葉だが、それを飲み込んで有り余る過去の経歴。
「完全に末期ではないですか、なぜ生きていられるのです」
「ま、このままだと人類が滅ぶしな。俺が生きている間はそんなの御免だ。一応こんな体でもまだとりあえずは救えるだろう」
それを人がどう思うかが問題に過ぎない。彼にはその程度のことを理由に使って嘯く。
機密とされているが、それは彼が死んだ時におきる対策の一つ。命を使って今もなお彼は人類を守っている。
正気を失うような体の状況で、自分ではなく人類のことを考える。
そんな行為は、そんな発想は、
「人じゃ」
ない、彼女はそう言いたくなる。
その人類に対する献身的な態度はなんだと、人柱のように生きるその様はなんだと、どこをどう聞いても私は正気に狂っていますと、言ってる様にしか聞こえないその状態はなんなのか。
さも当然のように、人類の否定を行うヒーローの癖に、呼吸をするように人類を守護できる理由が彼女には理解できず。
同じく人類の価値を持たないヒーローは、そんな風に生きる彼の姿が気味が悪くてしょうがない。
「それでも人間なんだがな」
彼女の言葉を飲み込んで、かすれたように声を漏らした。
それが彼女の耳に届いたかは分からない。
気持ち悪い、気持ち悪すぎて、目の前の人間が彼女には人には見えない。エゴの塊であるはずの人間のどこに、そんな献身があるのか、利益のない献身など自己満足だけだ。
無償の愛や献身、慈悲とは、本人だけが持つ自己満足の極みを、最大限美麗字句で彩っただけ。
彼の行っているのは、何かの見返りもなく自分の命を弄ぶ様な拷問、どれほどの聖人でも耐えられるものではない。
彼の状態を簡単に言うなら、砂の山を思い出せばいいだろう。それに穴を開けてトンネルを作っていく、そしていつか自重に耐えられずに、砂山は崩れてしまう。
それが人体となれば、人は容易く狂ってくれるだろう。
彼がやっているのはそういうことだ、常に正気を破滅させる何かを用意させられて生きていく。
そこの献身などと言う言葉が見え隠れすること自体が、人としては正気じゃないのだ。
「ヒーローは人間なんですよ」
「ヒーローじゃなくて教師は人間じゃないのか」
「あなたが人じゃないといっているんです。竜に当てられて、姉さんに当てられて、壊れましたかイージス」
それは彼に最初に与えられたヒーローの字。
早々に変えられイップスワンとなったが、女の為だけにヒーローになった大魔法使いだ。
ずっとそういい続けて、最強の盾であると言い放ち続けた彼が最も好んだ名でもある。
同時に守るべき盾ではなく、剣に近いとその性質から言われ、盾としては役立たず、または思想が、あまりに他のヒーローとかけ離れていたからこその欠陥品。ゆえにイップスワンなどといわれるようになってしまう。
懐かしいと思いながらも、盾にもなれなかった男は自嘲する。
「そりゃ壊れてるだろう。俺は惚れた女を殺す為だけに、竜殺しになった狂人だぞ」
彼はとっくに壊れているという。
だが彼女が言ってるのは別のことだ。あまりにも正気だからこそ気付くものは少ないだろう。
狂い果てて正気に戻ったのかと思うほど、そいつは壊れている。
「姉さんを殺して、本当に終わったようですね。生きているですか、それが生きてると、それで生きてると、そうやって生きていると」
なんども言い放つ、彼は気付いていない。気付いていても変えないだろうが、彼女は不快な感情を隠さず睨みつけては、激情を溜める。
お前はどこまで姉を侮辱するつもりだと、声なき怒りが彼の視線に毒をまく。
「姉さんが、お前狂えなんて言う物か。姉さんがお前に人類を頼むなんていわない、ただ行ってもごめんって言葉か惚気だ」
私の知る姉は他人に自分の重荷を背負わせる外道ではないという。
何を当たり前のことをと、彼はあきれた様に彼女を見ている。そんな女に惚れるような性格をしているのかとでも言っているようで、彼女はじゃあお前の姿はなんだと睨みかえす。
「内緒だ」
しかし彼は教えない、子供に言い聞かせるように、人差し指を唇の前に立てて内緒だと笑う。
子供をたしなめる様な口調に、目を丸くしてしまう彼女を見ながら。
「誰が教えてやるか、これは俺だけの物で俺以外にやるつもりは無い。生きるって約束をした、それともう一つ俺が決めたことがあるだけだ」
それで十分だしそれ以上も止めちゃいない。
狂人といわれようが、それはそれだと。
「それにこっちは必死で生きてるんだ。ただ生きてるお前みたいな奴らと一緒にするな、俺はこれからも生きる為に頑張ってるんだよ」
死に行く生者か生きる死人か、どちらも死に行くことには変わりない。
変わってたまるかそれの場所は、そんな言葉を口すればそう返答されるだろう。
「死んでいる人が何を言っているんです」
「内緒だ内緒」
だがそれをせずに彼は、彼女の追及を煙に巻くだけ。
何かがあるのかもしれない、もしかすると何一つないのかもしれないが、この英雄はその全身全霊全てが終わっているということだけ。
朽ち果てるのを待っているわけでもないだろう、成し遂げたい何かがあるのもまた、ただそれが全て手に入るわけもなく。
終わった男が最後に手にするそれに何の価値があるのか。
その一端が見えるのはこの先だろう、彼が死ぬ前に残す何かだ。
「私だって必死です、あなたの様な人生失敗フラグのような男と一緒にしないでください」
「否定できないからやめろ、本当に人生がうまくいかないんだよ」
自分が本当に欲しかったものだけ、的確に手から溢した人間だ。
狙ってやってないかと、きっといつか誰かに指摘されるほどに、大切なものだけ手から溢した。
それを指摘されると本当に彼は困ってしまう。
事実であり彼にとってはウィークポイントだ。
「そういうことを言うと人を傷つけるからやめとけよ」
「あなたにだけは言われたくない」
そんな風に彼と彼女は罵りあいながら歩き出した。
これから彼女の講義があるのだ、生徒達はきっと喜ぶだろう。他の教師は顔を蒼くさせるだろう、そして他の生徒達もきてしまうのは間違いない。
「じゃあな、俺は講堂の準備があるんで」
ならいっそ大きな場所を用意するべきだろう、。
最初から彼女もそのつもりなのか、頷いて見せるだけ。
「人前は好きじゃないんですがね」
「憧れだ、すこしはその通り振舞ってやれ、俺じゃないんだからな」
「そうですね、彼らも大いなる時間稼ぎのあなたの捨て駒ですから、キチンと使い物になるようにしてあげますよ」
彼女の言葉に彼は反応しない。
ただ踵を返して歩き出すだけ、捨て駒のはずないのに彼は否定しない。なぜなら彼は彼女こそが捨て駒だとしか思っていない。
その皮肉を返されたところで、彼が口に出せるわけもなかった。
「惚れた女と同じ顔を捨て駒か、また手からこぼれてなくなりそうだ俺の願いも」
ただ自分を罵倒するように、呟くことが彼の精神安定剤になるだけ。
死にそうな男は、死んでしまえばいいと思われている男は、いっそ死にたい男は、そのほつれて崩れて果てる体を繕いながら必死に頑張って生きている。