六章 彼女はヒーローなのですか?
六章 彼女はヒーローなのですか?
彼女の姉の死に様は無残だったと言ってもいいだろう、腕を噛み千切られ、心臓を抉り取られ、脊髄ごと首を引きちぎられて、下半身は熱により焼きとられ、無残な死体と成り果てていた。
だがそれだけじゃない毒で体は変色し、魔力障害の結果だろう体からは、虫が溢れ返り、腐敗していないからだから腐臭が漂う。
姉は死んでいた、殺されていた、人の価値を成さないほどの殺され方だ。
そんな無残な殺害を行ったのは、英雄と後に言われることになる恋人で、彼女の初恋の人でもあった。
まだ一般人だった頃の彼女は、その事実に彼を罵倒しようとしたが、彼女との戦いで衰弱し、もうすでに虫の息だった。
罵りたい感情も何もかも、彼に届くわけがなかったのだ。
それが彼女と彼の関係に溝を作ることになるが、それは彼が成し遂げた偉業の反作用に過ぎない。
行うたびに何かが大なり小なり起こる。
その結果の一つがこれなのだ、意識を取り戻した彼が、両親に謝罪をした時も罵声しか浴びせることは出来なかった。
なぜ竜になる前に守れなかったのかと、何一つ反論もすることなく、その感情を受け入れた竜殺しの胸中に何があったのかはわからないが、ただ守れず申し訳ありません。
ただそれだけを最後に告げて、姉の墓にすら参ることなく、彼と彼女はそこで断絶することになる。
それから少しの時間が過ぎて、姉と似た装甲をまとい時代人類最強となった、それが今世代最強のヒーロー白銀なのである。
そんな彼女がヒーローになった理由もまた、通常のヒーローとは異なっている。姉の死因を彼から聞きだすためだけにヒーローになった。
彼女もまた自分のエゴによってヒーローとなった欠陥品のひとつだ。
だがそんな欠陥品ばかりが、ヒーローの歴史に燦然とした記憶を残す存在となっている。
これは人類の為と言う思想よりも、エゴの方が願望としてはマシだと言う証明行為なのかもしれない。
自己に対して利益の無い思想などと言うものは、極論で語れば無駄な発想だ。
何より原動力としては希薄になる、ヒーロー達が人類の為のほざいている言葉も全ては、自己満足の英雄願望に過ぎないと、打って捨てればそれなりに納得できる程度の話だ。
そんなエゴの塊であるヒーローの代表格二人は、このまま口付けでもするのじゃないかと言うほど甘くドロドロとした感情を渦巻きながら、睦みあうほど激しい感情を向け合っていた。
「いつもの茶番はいいんですが先輩、早く竜殺しについて教えてもらえますか」
「無理だ、あれに勝てるのは人じゃない。ただ殺すには、装甲破壊しても心臓を抉り出しても足りない、体中にあらゆる呪詛を打ち込んで、魔力中和を行い」
「さらに人間状態に変えた後に体中をばらばらにして、竜ではなく人間として殺害するんですよね。そんなことはわかってるんですとっくに」
あなたがそうやって姉さんを殺したことぐらいとっくにと、心臓でも貫くように息さえ忘れそうになる言葉が吐き捨てられるように呟かれた。
事実ながら心が抉り出されるような言葉に、正気を失いそうになる程度には、彼女の存在は彼にとっては重い。
「ああ、それだけだ。相手が人間になったとしても、またすぐに竜に戻る。
だからこそ、その前に命を絶つ必要がある」
「つまり人間を殺すと言う発想が無ければそもそもどうにもならないと。さらにあの竜の魔力濃度を上回る中和能力が必要と」
なるほどと彼女は納得して見せるがそれは、ひどく優越に飛んだ笑みを作って彼に笑いかける。
「竜を食うほどの侵食演算ですか、馬鹿じゃないですかあなた、そんな事が出来るなら人間は人間のままでいられませんよ」
まるであなたが竜みたいと、鋭く彼をにらんでみせる。
そうだったら殺してくれるのかと、その甘美とも思える誘惑に乗りそうになるが、まだ育てている生徒の事考えて思いとどまる。
「だが困った事に人間だ、竜になるほどの魔力を俺は受け入れられる体をしていないんだ」
「誰よりも竜になるのが相応しいくせに、人間をまだ気取ってるんですか、いえ人間であることしか出来ないんですか」
その言葉になんとなくだが、彼女のことを思い出した。
人は何者にもなれるはずだと言っていた。そして君は君にしかなれないとも、笑いながらも言っていた。同じ表情から出される言葉に、過去の郷愁があふれてくる。
生きると言う刑罰は存外に辛い。死なせてくれるのなら、便乗したいところなのだが、生憎とそう簡単にはいかない。
「生憎だが別にそんなつもりは無い、だがお前と違って俺には俺にやることがあるんでな。それを終わらせることも無く、人間をやめてやるわけにはいかないだろう」
簡単には死なないと告げて見せるが、この世界で最も竜に近い存在は、人以外の存在なることはないと悠然と言い切った。
歯噛みするようなぶつけどころの無い怒りを彼女は抱えながら、変わらないヒーローを睨むことしか出来ない。
彼女の知っている彼は、そのまま変わらず続いている。
姉を殺したときも、ヒーローになったときも、そして今でさえも、時間さえ止まったように何一つ変わらない性根のままだ。
「ど腐れ野郎、根腐れでも起せばまだましな性格になると思いますよ」
「無理だな、なにしろそれが変わったとたんに、アスファルトと激しい抱擁を交わすことになる。変わる前に終わってしまう」
「そのまま死ねば私は楽なんですが、何よりヒーローをやめられる」
こんな言葉を聞けば、きっと彼女に憧れる生徒達は驚くだろうが、エゴを重ねてヒーローになった存在だ。
そんなものに愛着があるわけも無い。だが同時に彼女はヒーローをやめることも出来ず、人類に食いつぶされる未来しかないのだが、彼はそれを口に開いてまでご高説交じりに教えてやることも無い。
例え愛した人と同じ顔をしていようと何をしていようが、フィルター越しに見た現実などに興味はなかった。
嫌われてもいい、好かれなくてもいい、恨まれて殺されてやるわけにはいかないだけ。
「何しろ教師なもんで、生徒達には責任は持つべきだからな」
その言葉が彼は地雷であることは知っている。
だがそれでもその言葉を使って、困ったように笑って見せた。
その彼の言葉の意味がわからないほど彼女は馬鹿ではない。同時にそれがどれほどの罵倒よりも激しい感情の上にあるかなどわからないだろう。
そして彼もまた彼女の事がわからない。
分かっていてもきっと分かり合う事は無い。
「守れなかった奴が言う言葉ですか、それが殺すことしか出来なかった、あなたの言う台詞なんですか」
罵声が返される。当然だ彼は約束を守ることが出来なかった失敗作だ。
そんな奴が出していい言葉ではない。
「守ることが出来ない奴だからこそ、いうことの出来る台詞だと思うんだが」
だがそれがさも自然なことのように言い切ってしまう。
ばちんと叩かれる頬の痛みは、少しの痺れと甘いぬめりを彼に与えて、衝撃が裏側の粘膜にまで突き刺さる。
こうなるのは分かっていたが、さすがヒーローだと感服するぐらいの攻撃に嫌でも涙が出てくる。
「もう少し手加減しろ、こっちは魔力障害でボロボロなんだ。お前までこっち側に来るのか」
それは殺人を居了する側に来るのかという脅しなのだろうか。
だが彼女はそれを勘違いしたように、目じりに涙を浮かべながら嘆くよう感情を吐き出していた。
「誰もそちら側にいけないことを知っていて、随分な物言いです竜殺し」
彼に最も相応しい呼び名であり、彼が言われる中で最も屈辱的な罵倒。
お前は何一つ守れなかった欠陥品だと、そんな言われ慣れた罵声を飲み込んで困った様子で頭をかいて諭す。
「誰も来る必要なないんだけどな。はっきり言えば、竜殺しなんか無理だ、心を壊さない程度に生贄になればそれで時間稼ぎが出来る。
それ以上望む必要があるのか、時間を稼げ、徹底的に確実に、竜を殺せる時間を作り上げろ、そのときが来るまで一人として竜殺しを成し遂げる必要は無い」
俺に言えることはそれぐらいだと、それが最も確実な竜殺しの術であると。
お前じゃ無理だと、俺も無理だといっているのだろう。
彼が成し遂げた竜殺しの奇跡は、所詮奇跡だ、それ以上の価値を求めてはいけない。
希望を崇拝するものは絶望によって殺され、絶望を崇拝するものは希望に打ちのめされている。
彼の口癖である希望は絶望とワンセットでくくるべきだと言うのはきっとこういうことなのだろう。運がよかったからどうにかなっただけ、本当にそれだけなのだ。
「それに俺に死んで欲しいのなら朗報だ。あと三年もすれば間違いなく俺は死んでるんでな」
その戦いの結果起きた事は全て絶望だった。
運で成し遂げた奇跡の代償は、愛した人だけではなく、彼の人生さえも根こそぎ奪い去っていた。
「え、な、なんですか」
動揺さえも消し去り何を言ったか理解さえ出来ない言葉が響く。
奇跡を成し遂げたものが救われるなんていう世界は存在しない。その奇跡さえも埋めて、ねじ伏せて積み上げられるのが歴史であり未来。
「それは」
そして現実なのだ。
そんな代物に飲み込まれながら、彼は頑張って生きている。