五章 彼は先輩ですか?
五章 彼は先輩ですか?
「緩衝地域の災害の発生頻度が少しばかり上がっていていますが、私達に実習の機会は無いのでしょうか」
授業中ふと生徒が手を上げて彼に質問した。
緩衝地帯とは北陸・甲信越地方および東海地方のことである。上州より溢れ出た災害達との睨みあいをしている所でもある。
竜が現れて魔力を撒き散らしたことにより、災害が大量に発生してしまったのが原因で、いま少しばかり忙しくなっている場所だ。
「竜が現れて眷属たちも出てきていますし、低位の現象なら私達でもどうにかなるんじゃないですか」
最近低位の災害が現れていない所為で、生徒達は実戦経験を積むことが、出来ずに不満なのだろう。
何よりここ最近彼らはレベルアップを果たしていて、力を試したいのかもしれないが、教師は認めることはない。
「ああ、無理だな今は、お前の言うとおり竜が出ただろう。その残滓でよりにもよって山が一つ災害になった、久しぶりの現象系災害だ。流石に学生を派遣するわけにはいかないな」
ヒーローになる前に死なれるのは、こっちとしては、かなりの痛手になるから、嫌だと思うが我慢してくれと頭を下げてみる。
流石に現象系といわれれば、普通の生徒なら黙るしかないだろう。
本来の災害とはまた別の異常種で、その八割が全て実像を持たない、魔力によって災害と化した自然現象なのである。
竜が生まれる前における最悪の災害の代名詞であり、合衆国や連合国を滅ぼした直接の原因である。そしてヒーローでさえも敵わないとされるほどの最悪の災害の一つなのだ。
そんな存在に学生を派遣するなどと言うのは、自殺してきていいよといっているようなものだ。
そりゃ生徒も押し黙ると言うもの、多少不服な感情が空気に表れているが、そこまで馬鹿なら早々に殺してやるのが、優しさに変わるだけの話だ。
「ま、それに上州あたりからもかなり南下してきているからな。鬼灯とか桜花火とかが行って対処してるだろうな。白銀は流石に治療と休養が居るだろうし」
「そう言えば岐阜あたりに用意されてた魔力炉が災害の攻撃で暴走を始めているっていうのもありましたよね」
「ああ、その所為で災害がまた活発化しそうだ。京都と滋賀あたりの管轄だ、和歌山のこっちには一切関係ない。
あっちは前線だからなそっちに仙人がいるしどうでもなるだろう」
竜が居なければ、あいつらも現象如きには負けるような存在じゃない。
だから心配せずに授業を進めると言うが、生徒達はどうにも落ち着きが無い。
なにかこれからイベントがあるかと言えば特に無い、しかし空気がどうにもいかがわしいと言うか、何かがある事だけは間違いないと断言できた。
この変人クラスの生徒の発案する行為など、彼にとっては始末書何枚か書かされる事態と言うことなのだが。
真面目だったはずの日野坂までもが、これに賛同しているところを見ると、結構なイベントなんじゃないか、そんな夢想してみるがあり得ない。むしろ厄介事のレベルが一つ上がった。
最も教師になって始末書なんぞ、書けといわれても書いたことが無い人間なので、さして問題ないと、言う事実に気づく程度の話にしかならないのだ。
しかしかつての戦士の間が警報を鳴らしているような気がしないことも無い。
「どうでもいいけどな」
その言葉と同時に授業は終わり、チャイムが鳴り響いていた。
彼は別に終わりなどということもなく、鐘がなると同時に生徒達は席からたって思い思いに動き出す。
その一人が彼に話しかけてきた。
「いつもどおり先生はやさぐれていますが、そんな事やっててもなんも変わりませんよ」
「やさぐれなくても必死になっても結構変わんないもんさ、それで今回の騒動はどのレベルだ」
入学してからかれこれ四ヶ月が過ぎたと言うのに、彼らの起こした騒動は前年度をはるかに超す。
その首謀者とされるのが、彼に話しかけてきた生徒である。
水野静というのだが、なぜか暴走の気質があるのか、こいつと日野坂が組んだ時、大抵誰かが悲鳴を上げる。
主に教頭あたりとその辺の教師が。
「レベルですか、周りの平均レベルはどれぐらいでしょうか」
「大体十五ってところか」
「あー最低でもあと六十はあげないと、どうにかなっちゃうかもしれません」
どういう難易度だよと、思うだけは思ってみるが、どうなってもたいしたことは無いような気もする。
彼は結構非常識な場所に身を置き過ぎた所為で、若干だが一般常識に欠けるところがある。
こういう時に人死が発生しなければ、問題なしと判断できるところが、その証明になるのかもしれない。
そもそも多感な時期を思いっきり災害と女に当ててるような男だ。
変な耐性でも付いているのだろう。
なにより考えても見れば、片腕だけのヒーローと言う時点で、前代未聞な馬鹿をやり遂げたような奴がまともなはずも無い。
経歴なんかは、それを超えると言うふざけた代物である。断定しておいた方がいい、こいつがまともなら人類は聖人だ。
何重の否定を重ねた上で、確定できるのはこいつが、所詮変人と言うことだけだが、そんな風に自分達のしでかす事に対して、平然と返す教師を今まで見たことなかった彼女は驚く。
「先生はいつも思いますけど突き抜けて変ですよね」
と言うか呆れる。
「別に人殺しするわけでもないんだろう。なら大抵の事はどうにかなるようになってるんだよ」
「そうですか、白銀がここで特別講義してくれると言う内容受け入れてもらえるんですね」
首をかしげながらも納得する。
現役最強と名高い白銀の講義ともなれば、実戦から離れた彼よりも生の声が聞けると言うものだ。
「いいんじゃないか、ただ俺はあいつに嫌われてるんだよな。演算関係で結構厳しく指摘したりとか、色々な」
「あんまり思い出したくないんですけど、先生って実は魔法省からも大魔法使いと呼ばれている挙句に、その大魔法使いの中でも最高の演算能力を保有する人類の中でも最高の演算奏者ですよね」
どんな嫌味ですかそれはと、彼女らしからぬ責めるような視線に少々困ったように視線をそらす。
だがそれでも彼に視線を向け続ける彼女に、言い訳のような言葉をぶつぶつとのたまう。
「いや、あんなのは努力に努力を重ねた結果だからな。それぐらいにならないと、片腕じゃ戦場にすら出してもらえなかったからな当時は」
「そもそも出ようという発想がおかしいんですけどね」
いまなら竹やり一本でも、戦いに行けといわれかねないほど逼迫しているが、彼が現役の頃は人権やなんやかんやと面倒事が多かったのだ。
まだ竜がいなかったこともあるだろうが、死の恐怖が肌身に感じられるほどではなかった。
ただそれだけの話である。当時はまだ余裕があったと。
教師の言い訳を聞くが、彼女がそれで情状酌量の余地なしと下すのはさほど時間がかからない。
「あのですね、白銀様は」
「様とな、って言うかお前もヒーローオタクかよ。あいつ性格ゴミみたいなもんだぞ」
「それでも先生よりはましだと考えています」
そんなことは無いだろうと言っては見る物の彼女がそれに対して皇帝を返してくれる事は無かった。
不服を告げて見せるが特に変わることは無い。
あの人が先生を嫌うのは、きっと色々な理由の結果に過ぎませんと、言い切られる始末だ。
「事実なんだけどな、演算の指摘以外にも結構トンでもない事やったからその所為だろう」
昔は先輩先輩と犬のように付いて回ったはずなんだがと、悲しそうにため息をはいて見せる。
そんな彼の妄言にどうにも彼女には納得いかないようでいぶかしんでいる視線をじっと向けるだけだ。
戸惑ってもどうしようもないこと理解すると、話題を変えるようにわざとらしく声を上げる。
「それで、あいつを呼び込むなんて無茶どうやって滋賀の重鎮がゆるしたんだ」
「あ、なんか先生の名前出したら一発でしたよ」
あーなんかあっち側じゃ、俺神聖視されてるからなと呟いてみるが、何であいつらはこう馬鹿なんだと、頭をかきむしりたくなる衝動に駆られる。
今の状況で切り札の一枚が消えれば、鱗辺りが攻撃を仕掛けるかもしれないというのに、たかが一般の人間の言葉に無茶なことをしでかす上に呆れてしまう。
「確かにあっちは将軍の命令さえあればどんなことでも対応できるけど、あいつら本当に馬鹿だろう。何よりあいつの回復が優先だろうに」
「魔力以外はもう回復したそうですよ。なによりイップスワンに合えると聞くと二つ返事で了承が出たと聞いていますよ」
先生って生徒以外には人気者ですよねとか、無礼千万なことを言っている生徒が居るが聞かない振りだ。
確かにあちら側には彼の経歴を知っている人間が多い。
特に竜殺しについての事実を知るものが多いのだ。竜が現れて以来前線となった滋賀は彼が彼女を殺した場所でもある。
「本営側の指示だなそりゃ、俺にあいつが会いに来る理由は一つしかないし」
竜殺しだろうという言葉は伏せているが、それ以外ないのだろう。
彼は表情を変えていないが、腹が煮え繰り返りそうなほどの罵倒を繰り返していた。
あれは、あの行為は、そういう事じゃないのだ。
「ま、いいかわかった。じゃあご苦労さん水野、精々教師の寿命を縮めて来い、あと日野坂こいつの暴走止めとけよ」
「え、いきなりなんです。先生が止めてくださいよ」
「あのな、俺は次の授業の準備をしなくちゃいけないんだよ。あんまりほかのことに構ってる時間はありません」
異議を申し立てようとする彼女の言葉に耳をふさぎさっさと部屋から逃げ出す。
後ろから彼を呼び止めるような声が聞こえないでもないが、構っているだけ無駄に疲れる。
彼女に捕まるのも嫌なので、小走り気味に扉を開けてさっさと姿を教室から消した。
「あーやばいなありゃ、あの事か教えたってどうにもならないってのに」
将軍だって知ってるだろうに、本営側も藁を掴んでどうするのかと。
今はまだそんな状況でもないだろうにと思うが、顎が原因なのだろうと考えると、あらゆる意味で俺の人生に汚点を残す奴だと皮肉をいいたくもなる。
「日並先輩め後輩にドンだけ迷惑かけるつもりだ。引退してる人間に無駄な苦労かけさせるなよ」
竜の山梨侵攻は相当のショックだったのだろう。
白銀も相当絞られたと聞かされているが、自分が知っている頃の彼女なら不快に思うことはあっても、反省するような性格じゃない事を思い出して嘆息する。
生徒達に講義をしてくれるのはありがたいが、仮にも滋賀の守護者をここで使うほど生徒が優秀というわけでもない。
勘の鈍ったロートルよりはましな講義をしてくれるだろうと、プラス方向の利点を頭に浮かべて自分を納得させる。
無用な思考を続けながら、自分のために用意された部屋にはいる。そこで彼は止まった。
ゾッとした、そのまま装甲を展開しかねないほどに、そこには、
「あ、先輩、教えを請い来ましたよ。ヒーローただ一人の殺人経験についての講義をお願いしますね」
春風と瓜二つの女が居た。
彼女は攻めるように笑いながら、過去を引き連れて蹂躙を開始しているようだった。
ヒーローを苦しめる為だけに存在するような悪意の感情が正面に突き刺さっている。
「ああ、教えてやるよ。お前の姉の首を切り落として、細切れにした、あの話なら何度でもな」
だが現在を見るそれは過去を振り返らなかった。
つれてくるその全てを受け止めようと感情が必死に止めているのだろう。
誰もがしょうがないという竜殺しの一つの側面、彼は竜であり、同時に人間でもあった存在を殺している。それにより起きた悲劇もあるのだ、春風を崇拝していた人々からの無用な悪意。
そして娘さんです細切れにした死体を差し出した自分という存在への負の感情がどれほどのものか。
姉を守るといっても守れないどころか殺した失敗作に対する悪意は何一つ変わることは無かった。
そんな当たり前の肉親からの悪意を受けながら、彼は頑張って生きている。