一章 彼は教師なのですか?
災害が始めて確認されたのは、紀元前の話らしい。
しかし現在のように、頻繁に現れていたわけでもないようで、神話などにその一端を残す程度だったと言う。
そもそも災害が現代にあふれ出したのは、人間の所為であった。
環境にダメージを与えないクリーンで、何度でも再利用可能なエネルギー。そう信じられていた魔力を人工的に生み出す魔力炉が開発され、その性能を上げて、量産にこぎつけてから二年ぐらいだろうか。
「なんか災害が無茶苦茶出るようになったんだよ」
比較的真面目に授業している光景だ。
偉大なる英雄はやる気なさそうに、ホワイトボードに災害の歴史を書き連ねていっている。
特殊な機能を持つ装甲を生み出す生徒のためだけに作られた特殊学級、変人ぞろいと評判のクラスであるが、授業は比較的真面目なようだ。
「ま、それが、なんだって話なんだけどな。ここで覚えるべきなのは魔力を過剰に浴びることによって自然現象や動物や虫、植物は災害へと変貌するとおぼえておけばいい」
ここ重要だからテストに出すかも知んないと、適当なことを彼は言っている。こんなの誰でも知っている常識だ、入学から三ヶ月いまさらこんなことを教えている彼だが、別にこれからの内容のための再確認に過ぎない。
それを言っているからだろう、生徒の中でも真面目な日野坂真弓が、何も言わずに真面目にノートをとっている。
「さてこれからが本題なわけだ。なら人間はどうかという話だな、よほどが起きなければ人は災害には変わらない、特に平穏な一般人じゃあそんなことはおきない。
何しろ人間は元々魔力を生み出す機関を持って生まれているんだ。本来ならありえない」
だが何にも例外はあると、このときばかりは真剣な顔をしている。
ヒーローなら誰もが知っていることだ。だが一般人は誰も知らない、そして知らされてはいけない。
「だが生成器官から無制限に魔力を増幅させる装甲を持つヒーローは例外だ、人間であろうとその耐性を上回る魔力を浴びれば災害に変わるらしい。そうやって現れた災害を竜と言うんだ」
噂としてはそれなりに言われてきたことだ。
だがその言葉はヒーローになるものにとっては重い。自分が倒すべき存在に成り下がると言われればそれは、仕方のない話だろう。
「ま、それはかつての装甲の話であって、今は違うんだけどな」
増幅限度を制御する事によって竜になる現象を抑制するように今の装甲は変化している。だからさして問題じゃないが、彼は生徒達に認識してほしいことがあった。
「竜はな、お前らの先輩なんだよな困った事に、まだ装備もまともに稼動していない装甲の黎明期に活躍した人々だ。困った事にな器が違いすぎるんだ」
あの当時の装甲は性能は高かったが、極端に適合者に依存した演算能力だったと、そういうマニュアル的な処理を平然と行いながら戦闘を可能とした存在たち。
本来であれば魔法省認定の大魔法使いに認定されていても、おかしくない人材たちばかりだった。
だが生徒達は違う、どこまで特殊な機能を誇った装甲であったとしても、かつて人類の奇跡と呼ばれた大魔法使いには、演算処理に関してどうあっても劣る。
「竜はいわば人をやめた人間だ。人間が叶うわけがない、だから逃げろ、わき目も振らずに逃げるんだ」
ヒーローを育成する学校で、平然とこんなことを言う人間も珍しいだろうが、それほどまでに竜は圧倒的なのだ。だが竜を殺した英雄が言うのだ、どうあっても間違いのない話なのだが、生徒達は納得いかないようで、表情が明らかに反抗的だ。
そして批判的な意見も出てきてしまう。
「先生それはいくらなんでも暴論では」
「八一接続回路を三二回路に接続中、六一甲演算を行え、さらに一八回路を八一回路に接続しながら十八種丙演算、その演算によって増幅された全接続回路を五甲種回路に集中」
生徒への反論を許さない無茶な魔力行使。簡単に言えば、右手でピアノを弾きながら左手で食事をしつつ、左足で電卓を叩き、右足でバレエを踊る事を成立させろと言っていると思えばわかりやすいだろうか。
無茶すぎるのだ。
生徒はいきなりの彼の発言に、一体何をほざいているこの乳房マニアとか思っているが、それぐらいには彼の発言は絵空事だ。
「今のが出来なければ、竜の毒に食われる。その演算が出来た八年前のヒーローの半数はそれでも死んだんだよ」
当時のヒーローの非常識ぶりがわかる一端だ。
そうやって演算と回路設定を行わなければ、竜が持つ毒にも似た魔力によって、体を侵食され軽度災害と言われる、魔力支配を受けて竜の眷族となってしまうものがいる。
そして竜がどういう存在か、嫌でも理解させられる。
あれは理不尽の塊であると。
「と言うわけで逃げること、竜とまともに現在やりあえるのは、白銀の装甲の持ち主ぐらいだ。次点で仙人か、まーそんな感じだ、俺も竜を見たのは三体ほどだけど、ヒーローとしては二回目で終わったからな」
「質問ですが逃げることが出来なかったらどうするんですか」
「自爆するか、無為に挑むかだ、生き残りたければ竜を殺すしかない」
この教師は常に竜の危険性を教えるときだけは本気だった。
優秀な教師ではないのだろうが、元ヒーローで竜との戦闘の経験者、現在生きているヒーローの中でも最も古参の存在なのだ。
だからこそ彼の言葉を聞いていれば、竜という恐ろしさを否応なしに、痛感することになる。
最もイップスワンと呼ばれたヒーローだと、知られていることもあるが、あまり生徒から戦闘能力のほうでの信頼を得たことはない。
世界最弱のヒーローと呼ばれていたのだから仕方がないのかもしれない。しかし彼は戦場で生き延びてきた古強者でもある。災害との戦闘の経験などによるアドバイスは異常なほど役にたつ。
自然現象系の災害などの対策は、ほとんど教本以上の役割を果たしていると言えるだろう。実際に他のクラスからもそういった情報を聞くべく生徒が彼に日参していたりする。
「じゃあ、あの対竜演算はどんな感じなんですか。別に他の引退したヒーロー達からも難しくないとの事でしたが」
「覚える必要はない、血気にはやっても困る。それで竜が倒せると言うのすら眉唾だろう、ここで生徒諸君が覚えるべきなのは、災害への対処法であって、竜殺しじゃない」
だが同時に竜に怯えた臆病者とも呼ばれいた。
彼は必要以上に竜に対して関わるなと教える。他の教師なら教えているであろう対竜演算、さして難しくない演算だが、希望を彼は与えるつもりはない。
そんな希望を与えるぐらいなら逃げ出すための実力を与えた方が倍はましなのだ。
「いつも、何でそんなに竜に対してシビアなんですか。竜殺しを成し遂げたと言うヒーローだっているんですよ」
「あのな、あれを甘く見すぎだ。奇跡と言う奇跡を累乗しても、なお余るほどの奇跡なんだよ。そんなのは絶望となんら変わりない、なら見る必要ない希望は見ずに現実だけを見据えてたほうがましだ」
「人を守るためにヒーローになったんですから、竜に怯えるのは許されないですよどう考えても」
典型的なヒロイズム、災害が起きて被害でもあったのか。
それを悪と捕らえる風潮はこの世界に蔓延している。だが人間の身から出た錆に、それほど構ってやれるほど、現実がぬるい訳もない。
同時に竜に怯えてしまうようなヒーローは、この世界に必要なはずもない。だが本当にその意味をわかっているのかと生徒は睨み付ける。
「はいはい、まず竜と戦える土俵に上がることから考えましょうね。死ななきゃヒーローはまた戦えるんだからね」
怯える以前の問題だと生徒の話を跳ね除ける。
彼にとってさほど重要ではない内容なのだろう。怯えるとか怯えないとか、ヒーローであるのなら石にかじりついてでも生き延びて、次に備える必要がある。
そうでなければ誰かがまた死ぬからだ。
「正論ですが、先生に言われるとなんて腹が立つ」
ある意味では、最も近い場所で災害と戦い続けた、最初期のヒーローの言葉だ。たとえ竜に勝てなくても、他の災害に勝てるのなら誰かを救える、そう当たり前に彼は判断しているだけだ。
「なんでだよ」
「時速八十キロで走行しているときの風圧が女性の乳房と同じ感覚か否か」
びくりと体を震わせた。
少し前に彼が堂々とヒーロー関係の論文中に潜ませた論文、こんなあほな内容を書くのは一人しかいないと、理事長あたりにまで怒られた言う。
「そんな事ばっかりやっている人の言葉が、正論だって言うのが腹が立つんですよ」
「真剣だったんだが、というかいつもそういう事に対しては本気だぞ」
「あんたは二十六年間女の胸のことしか考えてないんですか」
そう声を大にして叫んでみるが、首を傾げてみる。
別にそういうこともないのだがと呟くが、今までの経歴が彼の言葉を信用に値しないと断じる。入学してから数日で彼に対する彼女の不信感は尋常じゃなくなっていた。
「あのさ、先生流石に否定できないでしょう」
「あ、水野か別に生徒の胸を触ったわけでもないしな。正直触れたいとも思わんし」
「水野さんこの人は、本当あのイップスワンなんですか、災害に唯一つの腕で立ち向かって勝利し続けたあのイップスワンなんですか」
そうだけどと言ってみるが、彼女はどうにも彼に憧れていたらしい。絶望と言う状況を塗り替える片腕だけのヒーロー、確かにカタルシスを感じずにはいられないだろう。
その所為で聞きたくないと叫んでいた日野坂、今まさに学級崩壊の現場がここにある。
「人を守るために今の私達と同じ年でヒーローの装甲を手に入れた、最年少ヒーロー、きっと高潔な人物だと思っていたのに」
「それは買いかぶりすぎだろう日野坂、俺は別にそんなつもりでヒーローになったわけじゃないし、なんていうか成り行きなんだよな」
「何でそう私の憧れを破壊しつくすんですか。二度も竜との戦いから生き残った奇跡のヒーローだったのに、ただのエロ爺ですよ。どんないじめなんですか、責任とって死んでください」
さらに竜を殺したヒーローであると言われたら彼女は憤死しそうだ。
イップスワンと呼ばれるヒーローはあらゆる意味で有名だ。その戦い方よりも、装甲の姿も経歴さえも。
十四歳よりヒーローの訓練をはじめ十六になる頃には、片腕ながら一線級のヒーローの一人として数えられ、四度目の災害討伐および救出作戦の際に竜と出会い交戦する。
その際に一人のヒーローが竜となるが、それでも生存していた。
そして滋賀決戦とされる息吹の竜との戦いにおいて、二度の交戦をはたしそれでも生存した。
これはどこの化け物だと言う批評を受けても仕方ない。
他のヒーロー達は一度の交戦で殺されつくしたとされているのに、この生存率は尋常ではない。
本来なら死んでいるはずの彼が生きているのだ、誰よりも脆弱なはずのヒーローが、今なお存在している。
「うう、神様はひどい。私の憧れが、憧れが」
だからこうやって彼を神格化している人もいるのだ。
実際あの戦いで生き残ったヒーロー三十名の中でも、最も竜殺しの可能性があるとされる人物はやはり彼であった。
その程度には彼の世間での知名度は高い。
「俺としては勝手な妄想を事実にされて、肖像権の違反としか思わないんだけどな。どう思うよ水野」
「ははは、先生はなんとなく、日曜日には出ちゃいけないタイプのヒーローだとは思うよ」
実は少しへこんだのだが、表情には出さずそうかとか細く呟いてしまう。
そこまで自分と世間の間に差があるとは思っていなかった。
それもこれも、今までの人生が生き急いでいた結果と、いっても過言ではないからだろう。
「ま、世界最強を守るとか、言い張ってヒーローやってたから、周りを見ることもなかったしな」
守れなかったわけだがと、思って自分の無様な感情に笑いが出そうになった。
しかし年頃の嗅覚なのか、日野坂と呼ばれた生徒は、嘆いていた態度を一瞬で改めて。
「え、先生のロマンスですか、ちょっと詳しく教えてくださいよ」
「いや悲恋だからね、すごい悲恋だったから誰にも言わないよ」
しかしそんな彼の言葉を聴くわけもないこのクラスの生徒。
とくに彼に文句を言ってくる日野坂は、なんやかんやでイップスワンのファンである人物だ。
現実とどれだけゆがんでいても、彼女の憧れは変わっていないから困った話で。
「おっしゃー野郎共、ヒーロの恋愛話の回やってきやがったぞー」
何よりこのクラスには基本変人しかいないわけで。しかも火をつけたのは当然彼女で、テンションが上がった所為か、何時もとでは想像し得ない、すごい言葉遣いをしている。
まるで爆薬の様に他のクラスの授業妨害確定の怒号が響き渡り、教師の一人が逃げ出した。
勝てない勝負はするものじゃない、時には逃げることすら価値がある。
そう教えてきた彼は、生徒の前で自分の言葉を実践してみせる。本当ならいい言葉のはずなのに、あらゆる意味で台無しであるが、そういう日々を彼は続けていた。
竜を殺した日から、彼は頑張って生きている。