十章 彼は人殺しですか?
十章 彼は人殺しですか?
もともと火種はあったのだ、彼が白金を殺したときから。
多分というか間違いなく、彼女は史上最強のヒーローだった。装甲を身にまといただ、災害をなぎ払いながら煌びやかに、その人生を歩んでいた。
その汚点ともいえるくらい闇は、彼女が竜になったということ。
そして自分の災害のアサルトレコードを上回る、殺戮記録を立ち上げるが、彼女はそれまで間違いなく英雄だった。
彼女は竜さえ倒せるはずの存在で、初代竜殺しとなるのは本来であれば彼女であった。
今でさえ彼女は、竜を殺せたと誰もが言うほどに、その強さは常軌を逸していた。実際問題として、それだけの実力はあったと竜殺しである彼さえも言い切ってしまう。
世界最強のヒーロー、その看板に偽りなどない。だがそれでも彼女は竜に変わってしまう、その原因は何だったのだろう。
はっきり言えば彼女が人殺しを拒絶したから、竜はどこまで変貌しても、ある一点以外は変質前の人間と何一つ変わらない。ただ人間を殺すようになる以外は何一つ変わらないのだ彼らは、理性を失うわけでもなく、当たり前の動作のように人類に対して敵対するだけ。
竜はあまりにも人間過ぎるのだ、人と同じ様に日常会話を行い、気安い言葉を掛け合い、姿かたちさえ人のまま、多少の変質はあるが、どう見ても竜とは人間にしか見えないのだ。
あまりにもヒーローとして完成しすぎていた彼女は、竜に攻撃が出来なかった。
人間を殺すことが出来なかったのだ。その心の間隙を突かれて彼女は敗北し、一つの絶望を生み出すことになった。
災害を殺し、人を殺し、あらゆる者を殺戮する最悪にして異端の竜 息吹 に、彼女は変わってしまう。
第一世代ヒーローの最後の戦いである、滋賀決戦において竜殺しによって殺されるまで、災害さえ殺す災害として人類の恐怖の代名詞となっていた。なにしろ上州に存在していた災害、そして竜を休眠させるまでに、叩きのめし、その上で人類を殺すべく動き始めた。
史上最悪最強の災害である竜の中でも、さらに最悪の竜、彼女はそういう竜だったのだ。
まるで人間を救うように竜と戦い最強を証明し、人類によって殺されるという結末を迎えたそれは、竜殺しが誰かを知る人の中で一つの派閥を作ることになる。
あの時彼女が竜になった原因についての言及とともに、世界最強は世界最弱の所為で竜になって、世界最弱にために殺されたと、そういう声が今もあるのは事実だ。それだけ彼女と言う名の白金のヒーローは、英雄と呼ばれるにふさわしい存在だったのだろう。
何しろ災害である竜を前にして攻撃が出来なくなるほど優しい人物だ。
生前どれだけの人が彼女に惹きつけられただろう。完全無欠のヒーローだった彼女だからこそ、その輝きが激しければ激しいほど、彼女のよって生まれた影は色濃く映ることになる。
たとえばその例を挙げるとするなら、本営でヒーロー達が反逆事件を起こしたなんてのがそれだろう。
白銀の吐いた言葉は、内外問わず影響を及ぼしていた。和歌山の次代のヒーローの過半数を台無しにするなんて言う部分を抜き出すだけでも最悪なのに、その事実に目をそらしていたヒーロー達にさえ多大な影響を与えていた。
ましてや白銀は白金の妹、その影響力がどれほどのものか、少しは考えるべきであったのかもしれない。
竜になっても人を守ろうとしたとさえ言われる彼女の妹が放った言葉は、人類に救う価値がある筈が無い、そして人類滅亡、現在最強と呼ばれる彼女が軽率に言っていい言葉ではなかっただろう。
それでもその代償がまさかここまでだとは誰も思いもしなかっただろう。
こんな内容を起き抜けに聞かされた竜殺しは、夢だと思って二度寝した。そしてそれが事実だと気づいたとき、流石に大笑いして己の失態に舌打ちすることになる。
忘れてた、彼は自分に迫る死期に、実はあせっていたことを、これはいいタイミングだと、白銀を追い詰めてみたが、ここまで大事になるとは思っていなかった。
流石人類と拍手したくなるほど、同族同士の殺し合いの理由には事欠かない。もしかするとどの人間でも三歩移動するだけで、殺人の理由を見つけてきそうだ。などとやけくそじみた罵倒を行ってみるが、起こってしまったものは仕方が無い。
これがどういう結末になるのか分からないが、ろくな事にはならないなんていうことだけは、誰にでも理解できる話ではあった。
「本営がのっとられたか、先輩大丈夫か」
だが、あの人もまた第一世代のヒーローの一人だ。容易く拘束されることは無い、しかしこれを行った馬鹿は、いったい何を求めているのか。
困惑する思考を、無理やり押さえつけて、彼が持たないヒーローの常識で考える。弱いものの気持ちなら十二分に分かるのがこの男だ。本来であれば最底辺の男は、その心が少々分かってしまう。
「また自殺への歩みが激しくなる。いや、絶望を踏破する為の何かか」
思い浮かぶ内容はあるにはあるのだが、それは今のヒーローにはあわない。
だが可能性をとるならそれしかないのだ。
彼らはただ自殺することに対する危機感を覚え始めたのだ。白銀がいった事すべて事実で、きっと二世代目のヒーロー達はそのことにも苦悩していただろう。
彼らは竜に届かないという事実を、どれほど努力を重ねても、あの人類史上に残る災害とまともに戦うことすら出来ない。
根底にある感情は、たとえ疑問に思っていたとしても、人を救うということだ。だというのにどうしようもない、竜にすら手が届かない。
漠然と無力を突きつけられる彼らは、白銀の言葉を引き金に暴走したのだろう。だがその最初の引き金をはじいたのはそこにいる男だ。
「俺の所為なんだろうなこれ」
それは一体どこが始まりなのだろうと益体も無く考えるが、きっとそれは高潔な精神を後に続けてしまった春風の所為、いや彼女を殺してその精神をゆがめてしまった彼の所為、どちらにせよ身から出た錆としか言いようが無いのだろう。
もっとも勝手に彼女を勘違いした大馬鹿者達にまで、責任を取ってやる義理は無いわけだが、過去が少々重くて苦い顔をしてしまう。
老いが始まったように老け込んだため息が、これからの予想をはじき出してしまい、それがきっと自分にとってよくないことになるのは理解していた。
本営を占領して、それからの事を考えても、これからの戦いの為の戦力増強などを行うのだろう。一種の軍事独裁のようなものを行うつもりであるのは、その過激な行動振りから理解がしやすい。
「リミッターの解除は確定だろうな。だがそれだけじゃないだろう、竜ではなく災害を止めるつもりなら、魔力炉の停止、原始回帰でもしろって言うんだろうかね」
魔力を持たない頃の人類に戻るつもりなのかと、それもありかもしれないが、竜に対して何の抵抗も出来なくなる。
だがもう一つ浮かべるとするのなら、自分に対する扱いだ。
「春風側の人間だろうから、きっと俺を嫌ってるんだろうな。そうなると第一世代のヒーロー達も関わっていそうだ、完全に今回の事は裏目だな全部」
畜生とささやいて何が変わるものかと、彼は立ち上がる。
こうやって起きた本営に対する反乱行為に、きっと多くのヒーローは賛同してしまう。どういうお題目かは彼もわかっていないが、それでも分かることがあるのだ。
どうしようもない現状を変えたくて彼らはしかたが無い。
その一縷の望みがあるとするなら、何より絶望から抗う為には、目隠ししてでもそれに縋ったほうが楽なのだ。
人は多かれ少なかれ、楽なほうに逃げてしまう。
折り合いさえつけることが、難しい命題にもがき苦しんでいた彼らは、体のいい逃げ口を見つけて動いてしまった。
こんな事をして何が変わるわけでもないのにと、斜に構えてみてやってもいいが、悪いとは彼は思わない。そうやって足掻き続ける彼らを否定することは、誰にも出来ない、そして誰も理解はしないだろうが。
今のままではだめだと漠然と思ってきたヒーロー達に、一つの方向性を与えたという点では、それは優れているとさえいえる。むしろ賞賛に値する行動力だ、その結果が2・26と同じ結果になるのかは、別問題であろうが。
そして今回ばかりは自分も巻き込まれることを理解していた。
逃げてきた過去がようやく彼に手をかけた、竜殺しその異名と経歴が開封されて、日の本に晒される時がようやく訪れた。
だがいまさらもう逃げること等、出来ないと観念する。
「後もう一つは俺か」
心臓の剣に手を当てて、大きく深呼吸をして覚悟を決めると、どこか心にすとんと何かが座った。仕方ないことだと、多分彼らは自分を欲するだろう、最弱のはずのヒーローが竜を殺すという奇跡を成し遂げる一発逆転の技術。
そんなものは一切無いのだが、最強が成し遂げられなかったことを成し遂げるには、彼と彼女で違うところを調べ優れているところをあさり、唯一つの差にきっと着目してしまう。
この男が稀代の演算奏者であるということを、そこから割り出される妄想なんてものはある程度絞られる。
対竜演算
「そんなもんないけどな」
だがそんな事を考える者達が多いことを彼は知っていた。
史上最強の真逆を貫いた史上最弱は、その名がゆえに侮られていたのだ。何よりそんな都合のいい演算はない、一発逆転の必殺技なんていうのは、その男が持ちうる演算の中でもたった一つだけ。
それをもってしても竜は殺せない。
そんなことはとっくに実証済みで、本営やその当時の彼の研究成果などすべてを搾り出したとしても、存在しない。
何度もいうようだが竜を殺す方法はあったとしても、竜に有効な演算はいくつかあったとしても、竜を殺害するほどに効果的な演算は今現在も存在していない。
そもそもそんな代物があるのならとっくにその男なら公表している。もっともそれがわかっていなかったとしても、竜殺しという名は都合のいい道具にしやすいだろう。
何しろ、竜に対抗できる兵器だ。自分達の言葉に正当性を持たせる為にも、周りの理解というものを得る為にも、都合のいい道具には十二分になれるだろう。
ましては全力戦闘すらままならない欠陥ヒーローとくれば、どれほど扱いやすいか。
旗頭としてはまったくもって都合のいい道具だろう。
「ふっへっへっへっへっへ」
これからを考えると、どうにもこうにも、生きてという言葉が重く感じてしまう。
彼をそう調教した過去の女は、中指を立てて笑っていたが、久しぶりに思い出した笑顔に、少しだけ活力が沸いてきたのか、重かった体を無理やり動かす。
いつもをはじめようと、自分はその程度が手一杯の人間だ、何にもなれないからこそ彼は動くしかなかった。
とりあえず生徒の動揺だけでも、どうにかするかと、そんな事ばかり考えていただけだ。
当然のように遅刻をしてそれでもいこうとするが、何がおきてるが学校ですら分からない状況だというのに、埒を空けようと彼は自分から行動を始める。
「少しばかり勘違いしている先輩や後輩達に目を覚まさせてやる必要があるか」
誰が竜殺しで、誰が人殺しかを、
「仕方ないとはいえ、また寿命が縮む。ま、太いか細いかの差か。どっちが一生懸命生きているんだろうか、答えてくれる奴はいないんだけどどうなんだか」
答えてくれる奴は一体どこにいるんだか、生きている限り払われる時間という名の給料の不払いが始まるまで、まだ必死に足掻いて見せようと、出勤を開始した。
さも当然のように彼の家の周りを、見張っていた数名のヒーロー達を当たり前のように行動不能に追いやり、一瞬で彼がどういう存在かを見せ付ける。有無など言わせるわけも無い、装甲もまとわぬヒーローなど彼からすればただの一般人と大差ない。
装甲が存在しないのであれば、そこの男は間違いなく最強の一角だ。
歴史に名を残すほどの大魔法使いの一人は、装甲を纏わぬ人類という分類では、規格外であり反則。
史上最弱のヒーローと呼ばれた、その言葉を隠すかのような非常識な演算は、彼らの意図も考えさせることも無く意識を略奪した。
かつての最強の名前である大魔法使い、装甲を纏わぬヒーロー如きが相手に出来る存在ではない。装甲を纏っていれば立場は逆転したのであろうが、彼を彼らは甘く見すぎていた。
「出勤だ、半日は再起不能になってろ」
第一世代最弱にして竜殺し、侮るには少しばかりアンバランスな経歴だ。
何より彼の生存能力は馬鹿にできたものではなかったはず、しかしもう何もかもが遅いだろう。侮るのなら徹底的に侮ってもらったほうが楽である。
だからこの千載一遇の好機を彼は逃すことは無いだろう。弱者が強者と戦う時手段を問うようでは、何一つ成し遂げられない。
「とりあえず授業だ、きっとそれ所じゃないんだろうけどな」
なんて彼は適当に言葉を吐き散らかしてみるが、白目をむいて何度も痙攣をしている彼らの前では、何を言っても教師の不祥事のようにしか思えない。
こんなのを教育委員かに見られたら、いやそんな事をしなくても後者に入ればもっとひどいことになるのは間違いない。
「容易く竜殺しを使えると思わせられれば十分か」
そんな風に後の算段を立てながら彼は、重いはずの足取りを軽くして歩き出す。
それを余裕と見る人のほうが多いだろうが、彼は彼なりに必死に頑張って生きているだけなのだ。