世話焼き吸盤娘と海底学園の眠れる王子
お遊び短編。
水族館に行った時に、ジンベエザメにくっついているコバンザメを見た時に、エモいと思ったので。
海底世界では、陽の光が屈折して降り注いでいる。
そんな、海の奥底にある『私立アクアリウム学園』。
鮮やかなサンゴで彩られた校舎の片隅では、今日も平穏な昼休みが過ぎていた。
「ジン君、起きて。もうすぐ午後の海洋史の授業が始まっちゃうよ」
とある教室の窓際のあたり。
ちょこんと背伸びをして声をかけたのは、コバンザメのコバネだ。
頭に吸盤を模した可愛らしいベレー帽をかぶった、小柄な少女である。
彼女の視線の先には、教室の机を三つも繋げて仰向けで眠っている、巨躯の青年がいた。
彼はジンベエザメのジンである。
まるで夜空に星を散りばめたような美しい斑点模様の髪を持ち、身長はこの学園の誰よりも大きい。
性格はとにかく温厚でマイペースだ。
ジンはゆっくり目を開けてコバネを視界に収めると、まだ夢心地な顔でふにゃりと笑った。
「ん……コバネ……? もうちょっと……あと五分、漂わせて……」
「ダメだよ! 五分もしないうちに授業始まっちゃうんだから」
「じゃあ、僕の体にぎゅってくっついて? そうしたら……そのうちに、目が、覚めると思うから……」
「もう、仕方ないなぁ」
コバネはため息をつきながらも、ジンの大きな体に身を寄せる。
コバネにとって、ジンベエザメの彼にくっつくことは、もはや当たり前のことになっていた。
――ジンとの出会いは学園に入学してすぐのことだった。
「わわっ、また海流が……!」
学園の渡り廊下は、時折強い海流が吹き抜ける。
小柄で体重の軽いコバネは、気を抜くとすぐに吹き飛ばされそうになっていた。
けれどその日、ひときわ強い風が吹き抜け、
「きゃあっ!」
海流に足を取られてしまい、体がふわりと宙に浮いたのだ。
どうしよう、サンゴの柱にぶつかる! と目を瞑ったコバネだったが、その時コバネの体は何かにぐいっと引っ張られ、開いていた扉からどこかの教室へと引っ張り込まれる。
そしてそのまま、ぽすんと温かい場所に着地する。
「激しい海流だよねぇ。大丈夫だった?」
「へ!?」
頭上から、海よりも深く穏やかな声が降ってきた。
恐る恐る見上げると、そこには見上げるほどの長身――ニメートルは優に超えるであろう、屈強な体格の男子生徒がいた。
それは同じクラスで、学園でも一、二を争うほどに大柄なのに、温厚すぎる性格で有名なジンベエザメのジンだった。
「あ、あのっ、 ごめんなさい! 私、海流に流されちゃって……!」
コバネは慌てて彼から離れて教室から飛び出そうとしたが、廊下の海流に巻き込まれて再び体が浮きそうになる。
そうなる前にジンはコバネの体を掴み、もう一度自身の膝の上に座らせる。
ジンの体温を背中越しに感じ、途端にコバネは顔を真っ赤にした。
「ふふっ、気にしなくていいよ。それより君、同じクラスのコバネちゃん、だよね? やっぱり小さくて可愛いなぁ」
「ふぁっ!?」
ジンはそう言いながら、コバネの頭を大きな手で優しく撫でた。
その手はとても温かく、ゆっくりとした彼の鼓動がコバネの耳に直接伝わってくる。
「僕はさ、海流が収まるまでここにいようかなって思ってるんだ。だから君も、それまでここでくっついていたらいいよ。……あ、そうだ、オキアミクッキー食べる?」
どこまでもマイペースな彼は、制服のポケットから小さなクッキーを取り出し、コバネの口元に運んでくれた。
モグモグと食べさせられながらも、コバネは彼のマイペースすぎる優しさに、不覚にもドキッとしてしまった。
それ以来、コバネは何かとジンのそばにいるようになった。
ずっと一緒にいて離れないことから、いつしか二人は、学園でもセットとして認識されるようになっていた。
しかし、コバネの心の中には、最近ある悩みが渦巻いていた。
『コバネちゃんってさ、いっつもジンベエの旦那にくっついてるけど、それってただの習性? それとも、本気で恋してるわけ?』
昨日、シャチのオルカにからかい半分でそう言われた言葉が、胸に刺さって抜けないのだ。
だってコバネは、ジンが好きだから。
でも……ジンにとってコバネはどういう存在なのか。
確かに、コバンザメとジンベエザメは片利共生があると言われていて、コバネはジンと過ごすことで海流に巻き込まれることはなくなったし、ジンはことあるごとに美味しいおやつをくれる。
だけどコバネがジンに対してできることは少なく、せいぜい便利な目覚まし時計役くらいのものだ。
だからコバネは、朝教室へ向かう廊下を歩いている時に、ジンにこう言ってみた。
「……ねえ、ジン君。私、たまにはジン君から離れて、別の人とお昼食べてみようかな、なんて」
けれどその瞬間、ゆっくりとジンの瞳が開く。
いつもは眠たげなその目が、珍しく驚いているかのように見開かれていた。
そんな顔もできるんだとそう思いながらも、コバネは続ける。
「それに……私がいたら、可愛い彼女なんてできないじゃない?」
本当は自分が彼女になりたいのに、素直に気持ちを伝えることができないコバネは、強がって笑う。
けれどそんなコバネに対し、ジンは穏やかな表情を消して彼女を見下ろした。
あまりにも真剣なジンの瞳に、コバネの心臓がドキリと鳴る。
ジンは視線をそらさないまま、ゆっくりとした口調で言った。
「彼女なら、ずっと前から、一番近くにいると思ってたんだけどなぁ」
「えっ……それって、どういう……」
「本当に、分からない? この学園で、僕の側にずっといたのは、一体誰?」
「っ、それって……」
その言葉に、今度はコバネが驚く番だった。
思わずその場で飛び上がり、目を白黒させていたら、ジンが柔らかい微笑みを浮かべた。
「僕、動きも鈍いし、頭の回転もゆっくりだから。コバネがいないと、海の底に沈んだまま動けなくなっちゃうよ。それに……」
ジンは少しだけ頬に朱を差して、照れくさそうに視線を泳がせた。
「僕のほうこそ、コバネにくっついててほしいんだ。本能とか習性とかじゃなくて、僕の心の一番柔らかいところが、コバネを求めてる。だから、離れないで?」
普段は口数も少なく、感情を大きく表に出さないジンの真剣みを帯びた真っ直ぐな告白に、コバネは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
心臓が、耳の奥でさらに速くドクドクと音を立てている。
この気持ちは叶わないんだろうと、そう思っていた。
だけど。
「……しょうがないなぁ。ジン君は私がいないとダメだもんね」
「うん、ダメなんだ」
「だから……これからも、ずっと隣にくっついててあげるね」
照れ隠しにベレー帽を深く被り直したコバネを、ジンは嬉しそうにふわりと抱き寄せた。
窓の外を色鮮やかな熱帯魚たちが泳ぎ去っていく。
きらきらと輝く海底の学び舎では、巨大で温厚な男の子と、小さなお世話焼きの女の子が、今日も幸せそうに寄り添い続けている。
相利共生なので少し違いますが、クマノミとイソギンチャクにも似たようなエモさを抱きました。




