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面影リグレット 【お題:面影】

作者: らきむぼん(raki)

 どうもrakiです。

 今回はお題小説に挑戦させてもらいました。

 今回のお題は「面影」ということで、面影にまつわる短編を執筆させてもらいました。ジャンルは色んな見方がありそうなのでよく分からないのですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。


 七月二十一日



 その日の朝は日照り雨だった。

 空は眩しいほどに明るく、薄くかかった雲のベールは遥か彼方の太陽の光を受けて白く輝く。しかしそんな中、細かな雨粒が斜めに降りる。

 《彼女》は視界の端で、その存在を僕に訴える。雨なのに傘はない。腰の辺りまである長い黒髪。顔は――そう、顔は見えない。その長い髪の毛が顔の前にかかり、表情すら全く伺えない。真っ白なワンピースは風もないのにゆらゆらとなびき、そのせいか《彼女》は体を左右に揺らしているようにも見える。肌は青白く、生者のそれでは――ない。

 それだけのことが判る。今日《彼女》がいるのは道路を挟んで五十メートル以上も離れた所。アパートとアパートの間の僅かな隙間でこちらを向いている。高校への通学路の何でもない歩道で、僕は《彼女》に関して、それだけの情報を感受出来る。服装も、生気のない肌の蒼白も。それが不思議であり不気味だ。

 ――否、不気味だが不思議ではない。僕は《彼女》がどんな姿なのか知っているんだ。それも当然、僕は《彼女》をもう数百回も見ているのだから。

 しかし、僕は《彼女》が誰なのか知らない。なぜ僕の前に現れる? 何者だ? なぜ、僕にしか見えない? 僕に何がしたい!? 僕に何をさせたい!?

 ――お前は、誰だ!?

 まさか――!!

「危ない!!」

 背後から声がした。

 目の前にトラックが迫っていた。通りがかりのおばさんが、凄い剣幕で何かを叫んでいる。

 トラックはこちらに向かって突っ込んでくる。十五メートル、十メートル……。

 そこで我に返った! 

 ――死ぬ!!

 僕は右手の方向に向かって思い切り飛んだ!

 凄まじい轟音と共に、目の前でトラックが電柱に衝突し、大破した。



 危機一髪だった。トラックの運転手は突然の心臓麻痺でアクセルを踏んだまま気を失ったらしいことが後から分かった。

 だが、そんなことはもはやどうでもいい。

 《彼女》がこれ以上僕の前に現れたら、頭がどうにかなりそうだった。《彼女》を見る度に考えてしまう。《彼女》が何者なのか、いったい誰なのか、なぜ僕にしか見えないのか。暴走したトラックが目の前まで接近していることに気付かないほどに考え込んでしまう。

 言い知れぬ恐怖心があった。

 誰だか判らないはずの《彼女》が、誰だか判ってしまいそうで――それが、怖かった。



 行きの通学路で死にかけたことも忘れ、僕は学校で無心に授業を受けた。何もなかったかのように、一歩も動かずに自分の席に座っていた。いや、その姿は周りからすれば何かあったように見えたかもしれない。

 友人に話し掛けられても、「疲れてるから」と追い返した。幸い、僕に友人は少ない。入学から四カ月が経とうとしているが、入学前から僕は奇妙な幻覚に悩まされ、友人など作れるはずもなかった。数人追い返せばそれで済んでしまう。追い返した数人の名前ですら、覚えているか怪しい。

 僕の視点はほとんど変わらなかった。むやみに動かずに、じっとしていれば、《彼女》を見ずに済む。

 ここ数ヶ月はずっとこんな感じだ。最近の僕はどうかしてる。ただの幻覚に、何を悩まされているんだ――――。

 帰りのショートホームルームを終え、僕は机に顔を伏せた。そのまま微睡みに溶け込むのを、ただじっと待った。

 ――――放課後。

 目を覚ますと、かなりの時間が経っていた。激しい頭痛が僕を襲う。まるで目を覚ますことを体が拒絶しているようだ。あまりの痛みに唸りを上げる。

 教室の時計に目をやると、七時四十五分を差している。思い返すと夏至を過ぎてもう数週間だ。この時間帯になって、ようやく窓の外が暗みがかる。窓際の前から二番目の席。外の様子は自然と目に映る。

 ――何度、この見晴らしの良い席に困らされたか……。

 開いた窓から暖かい風が吹き込む。背後で小さな金属音がした。

「やっと起きたかい? 真田夏樹さなだ なつきクン」

「……!?」

 誰もいないと思っていた背後から声が響いた。真田夏樹……僕の名前だ……。

 僕はゆっくりと声のする方向へ振り返った。

 僕の眼前に佇んでいたのはクラスメートの男子だった。ワイシャツの袖を肘の少し前まで捲り、同じように制服のズボンの裾も膝下まで捲り上げている。シャツのボタンは第三ボタンまで外しており、胸元に白と黒の勾玉を組み合わせたような太極図のネックレスを覗かせている。髪は赤みがかった茶髪、右耳には円状に並べた五つの点の、ある一点と二つ隣の点とを線で繋ぐ作業を五回繰り返した形――星形の形状の金属輪のあしらわれたピアスが目立つ。教師に目を付けられる典型的な不良スタイルだ。名前は――覚えていない。派手な名前だったのは記憶に残っているが。

「あんた、いつからそこに居たんだ?」

 僕は不快感を隠そうともせずに言った。気を遣う理由もない。話すのはこれが初めてだ。

「キミが眠る前から居たが、その質問、いささか奇妙ではないかい? ボクはこのクラスの生徒なんだしさ、ここに居たところで何ら不思議はないだろ?」

 目の前の不良は、チャラチャラした恰好の割には理路整然と話す。

「……あんたの言うとおりだ。だが、理由もなしにこの時間帯まで教室にいるという点で奇妙なのはあんただ。僕は至極当然な問を発したはずだ」

「あんたあんたってさぁ。ボクにはしっかりと名前があるんだよ、真田クン。……いや、そうか、覚えてないだけだね。ボクの名前は安倍等含あべ らがん。それから、ここに居る理由もある。キミが目覚めるのを待っていたんだ」

 そう言うと安倍はこちらを指差した。

 ――何だ、コイツ。全て見通したような目をしている。

「……僕に何の用があるんだ? 悪いが僕は疲れてるから、お前に付き合ってる余裕はない」

「つかれてる? あぁ、疲れてる……ね。確かにキミはつかれてるよ」

「……何で安倍が、僕が疲れていることを知ってるんだよ。……いや、まあ確かにあんだけ爆睡してりゃそう見えなくもないか……」

「違うね。真田クン、キミは『疲れている』んじゃなくて『憑かれている』んだよ」

「……!? 今、何て……?」

「だからさっ。キミは憑かれているんだ、物の怪に」

「…………物の怪?」

「そう、物の怪だ」

 安倍等含は右口角を上げて、確かにそう言った。

「……見えてんのか?」

「主語を補ってくんないか? 真田クン」

「白い服の……女だよ」

「面白いな、真田クン。大抵の女子高生は白いワイシャツを着用してるけどね……それとも、白い服の『普通じゃない』女の話かな?」

 安倍は下等生物を見るような目で僕を見下して言う。僕は徐々に苛立ちを募らせていた。

「…………安倍、お前は《彼女》の正体を知ってるのか? アレは何だ。何で僕の前に現れる。お前は何を知ってるんだ?」

「言ったろう、それは『物の怪』だ。だが、悪霊の類じゃない。ただキミの前に現れるだけの存在。キミが気にしなければ済む話さ。害はない」

「ふざけるな! お前が何で《彼女》の存在を知ってるのか分からないが、害がないはずないだろ! 僕はずっと悩んでるんだ! 今朝だって、アレの事を考えていて、死にかけた!」

「…… だろうね。キミがアレを気にしないでいるのは不可能だ。何故ならアレはキミが発端で発生した物の怪だからね。……ボクがキミと一対一で話せる状態を作ったのは、ボクの善意をもってキミの悩みを解決してあげようと思ったからだ。クラスメートが《面影》を自身に引っ張り込んでいるのはボクとしても好ましく思わないからね」

 安倍はそう話して、右耳のピアスを指先で軽く弾いた。ピンッと音を立ててピアスが揺れる。

「オモカゲ? 何だよ、それ」

 僕は尋ねずにはいられなかった。本当は「物の怪」というものの意味がまず解らないのだが。

「既に亡き者の姿さ。……真田クン、ボクが言うのも変だけれど、キミはオカルトを信じちゃう質かい? 普通の人は、『物の怪』に対して納得がいかないはずだけれど」

「……僕は《彼女》が幻覚であると信じようとしていた。だが、お前が《彼女》を知ってるなら、その線はない。人ならざる者、異形の存在だってことにした方が辻褄が合う。アレはそれだけ異常だ」

 僕がそう言うと安倍は薄ら笑いを浮かべた。

「そんなら話が早い」

「《彼女》はいわゆる『霊』なんだな。何で僕に憑いた?」

「霊……ねぇ。うーん……。……時に真田クン。キミはその女が誰か知らないのかい?」

「……あぁ、知らない」

 ――知らないはずだ。知らない……はず。

「《面影》なんだから、キミが知らないのはオカシイなぁ。既に知っている姿がキミに見えてるはずなんだが。……まぁね。気持ちは分かるよ、真田クン。だけれども、キミがそれを認めなければボクも解決策を伝授出来ないんだ」

「認めるも何も、僕は何も知らない」

「質問、キミの親、兄弟、親戚に最近亡くなった人はいるかい?」

「いない」

「じゃあ、特別仲の良かった友達が亡くなった?」

「いや、ない」

「じゃあ……キミにとって大切だった誰かが亡くなった……とかは? まぁ、これは前の質問と被ってるけども……」

「…………」

 ――大切な誰か。

 安倍のその言葉を聴いた瞬間、ある少女の顔が頭に浮かんだ。

 あいつが霊になるなんて……。あいつ――結城小夜ゆうき さよが僕の前に現れるなんて……あるはずが……ないんだ。

「幼なじみが……一年前に……。だけど……」

「……それだ。真田クン、その子に間違いない。何故早く言わなかった?」

「違う! 《彼女》は……小夜……じゃない。髪で隠れて顔が見えないんだ」

「真田クン、それが確固たる証拠さ。キミが認めたくないから顔が見えないんだよ。認めろよ、真田クン。キミが認めなければ、問題は解決しない」

 安倍ははっきりとした口調で、問い詰めるように言い放った。

 もはや認めざるを得なかった。僕は、《彼女》が死んだ幼なじみの小夜であることを認めたくなかったんだ。

 心の中に、頑なに拒み続けていた何かが、すっと入り込んだ心地がした。体が重く感じた。

「……小夜は……何で僕の前に……」

「キミが、何かやり残しているからさ」

「……小夜は、僕のせいで死んだんだ。僕なら小夜を救えたんだ。だから、小夜は僕を怨んでる」

「ばかだな、真田クン。ボクは悪霊の類じゃないって言ったろう。……まぁいいや。まずはキミと幼なじみ……何だっけ、えーっ……小夜チャンか。真田クンと小夜チャンに関して、詳しい話を聞きたい。ホントは事情は聞く必要はないんだが、キミの場合、念の為に……ね」

 安倍が僕に近づきながら言った。

 安倍等含。初めて話すというのに、僕に何が起きているのか、全て見通しているようだった。

 もはや、この風変わりで謎に満ちた男に頼るしかなかった。

 僕は、安倍に訝しげな視線を送りながらも、全てを話すことを決めた。



 僕と小夜は、幼い頃から兄姉のように仲が良かった。現代において、幼き頃の親友関係など、それが異性のそれであればなおのこと、時が隔たりを作ってしまうものである。しかし僕と小夜は中学三年生の初夏――小夜が交通事故で死んだその日まで、その関係が揺らぐことはなかった。

 毎年、正月には互いの家族と共に初詣に出掛け、クリスマスにはプレゼント交換なんかもやった。

 僕の誕生日には小夜が僕の家で祝ってくれた。小夜の誕生日には僕が彼女の家に行って祝った。

 誕生日プレゼントは毎回贈り合った。中身は開けるまで分からない。欲しいものをプレゼントするのではなく、自分があげたいものを贈る。それがルールだった。

 あの日は小夜の誕生日だった。一年前の小夜の誕生日、僕はいつものように彼女を祝うつもりだった。しかし、その日は朝から体調が悪かった。熱が三十九度もあって、体中が痛かった。横になっていると天井がクルクルと回る。とても小夜の誕生日を祝える状態でないことは明々白々の事実だった。

 僕は激しい頭痛と寒気、吐き気、その他諸々の症状を無理矢理抑え込んで自室のベッドから這い出て、机の上の携帯電話を掴んだ。朦朧とする中、僕は小夜に電話を掛けた。

 その時のやり取りを、僕は一字一句間違わずに記憶している。


『……もしもし』

『夏樹? どうしたの』

『悪い、体調崩した。熱が三十九度くらいある。だから今日の……』

『え、三十九度!? 大丈夫!?』

『あぁ……大丈夫。心配すんな。だけど、ちょっと今日は行けそうにない。後で埋め合わせするから……』

『何言ってんの、そんなのいいの! 今日おばさんは?』

『……あぁ……そういや母さんは町内会の旅行で居ないとか……』

『大丈夫じゃないじゃない! すぐ行くから待ってて!』


 その日、一台の乗用車が小夜を撥ねた。ブレーキ痕はなく、時速八十キロほどのスピードで衝突したという話だった。原因は飲酒運転だった。

 小夜は即死だった。彼女が死んだのは僕の自宅の二百メートル先だった。

 救急車の音は聞こえていた。それでも僕は何も気付かなかった。まさか小夜がこの世を去るなんて夢にも思わなかった。小夜が死んだ時に、僕は家のベッドで微睡んでいたんだ。

 ――何も、出来なかった。無力な自分への失望感。滝のように降り注ぐ罪の意識。そして、悲しみ、怒り。

 おびただしい負の感情が僕の世界に渦巻いていた。

 全てを受け止めたふりをして、自分がもう大丈夫なんだと信じ込むのに慣れて、やっと冷静さを取り戻したのは三カ月後だった。

 その頃から、《彼女》は僕の前に現れるようになった。部屋の窓から外を眺めた時、外を出掛けた時、遠くに《彼女》を見るようになった。何処でも、何時でも、《彼女》はその存在を確かに訴えかけていた――――



 僕は、全てを安倍に話した後、安倍と共に学校を出た。

 学校を出るまでの間、安倍は幾度も「うーん」と唸り声を上げ、思案を巡らせていた。僕の問題を解決すべく、策を練っているのかと思うと、少し申し訳なかった。

「真田クン、小夜チャンは誕生日に亡くなったんだよね。彼女の命日はいつだい?」

「……今日だ。去年の七月二十一日に小夜は亡くなった」

「マジでかい!? ははは、それはボクもタイミング良くキミに話しかけたもんだ! おっと失礼。不謹慎だったね」

「やっぱあんたムカつくな、安倍」

「ゴメンゴメン。しかしな、真田クン。《面影》を払うにゃあ、都合がいい。ボクの予定ではキミの誕生日に勝負するつもりだったんだ。キミは『夏樹』だし誕生日も八月辺りだと思ったからね。しかし、キミにとっては小夜チャンの《面影》を呼び出すには、小夜チャンの誕生日であり命日である今日の方がいい。より《面影》の存在を強く感受出来た方が成功する」

 僕はそれを聞いて、密かに緊張していた。安倍と同じように、僕もまた今日何かを実行するとは思っていなかった。

「……なあ安倍、僕は具体的に何をするんだ?」

「まず、日付が変わる前に、小夜チャンの墓とか、彼女を強く感じ取れる場所に行くんだ。そしたら、《面影》に会えるはずだ。命日で誕生日である時間と墓のような思念の強まる場所なら遠くに見ることはない。多分キミの声が届く範囲に現れるさ」

「ちょっ……待てよ。会ってどうすんだよ」

「キミが小夜チャンに出来なかったこと、言えなかったこと、キミが成し得なかった何かを伝えるんだ。そうすれば、《面影》は消える」

 出来なかったこと。言えなかったこと。安倍はそう言った。

 僕が彼女に言わなくちゃいけないことは何だろう。今更、何をしてあげられるんだろう。

「安倍、最後に訊いていいか?」

「何だい?」

「お前は何者なんだ? 何で僕を助けてくれるんだ?」

「キミが《面影》に打ち勝ったら、教えてあげるよ」

「……ちぇっ。そーかよ」

 僕は投げやりに返して、意味なく夜空を見上げた。

「じゃあ、ボクはこの辺で」

 不意に安倍が呟く。

「は? もしかして僕は独りでやるのか!?」

 すかさず僕は叫んだ。

「当然、こういうのは独りの方が良い。じゃ、頑張って~」

 そう言い放つと、安倍は背中を向けて、手をひらひらと振りながら去っていった。

 僕は、独りきりになった。

「…………うしっ、行くか」

 緊張と恐怖に震える体に鞭を打って、僕は歩き出した。



 午後十時、僕は小夜の骨壺の収められた結城家の墓の前に来ていた。墓石の横側には「結城小夜」と名前が彫られていた。

 昼の内に供えられたのか、何本も華が置かれていた。僕もまた、墓地に来る前に買ってきた華を添えた。

「……小夜。来てくれ……」

 囁くように独り呟いて、結城家の墓の前の階段に腰掛けた。



 かなりの時間が経過したが、小夜は現れてくれなかった。左手に付けた腕時計を見ると、針は午後十一時を差している。

「はぁ……」

 溜め息をついて夜空を仰ぐ。今朝の日照り雨はとっくの前に止んで、星が綺麗に輝いていた。

 小夜と天体観測をしたことがあった。三年か四年くらい前だったか。

 思い出の中の小夜と《彼女》はやはり違う。小夜は死んだ。死んだんだ。だから――だから僕は、《彼女》と決着を着けなきゃいけない。

 爽やかな微風が頬を撫でた。初夏の香りの混じった風は次第に強くなる。遂には、目を開けられないほど――強く。

 僕は思わず瞼を堅く閉じる。

 数秒すると、風が徐々に静まっていった。

「――――!!」

 徐ろに瞼を開くと、《彼女》は僕の眼前に居た。

 それはまさしく小夜だった。長い紙は顔には掛かっておらず、前髪はバランス良く左右に振り分けられてある。その姿は生前の彼女そのものであった。

 しかしそれでも、悲しいほどに生前と違う現実もまた、確かに存在した。目の前の彼女の表情からは、かつての活発な少女の眩しい笑顔はなく、真っ白な「死人の肌」がはっきりと確認できる。

「……小夜」

 僕は思わず彼女の名を呼んだ。

 小夜は光のない瞳で僕を見る。僕の体中に冷たい血が巡るのが分かった。

「小夜……。僕は、お前を救えなかった。小夜が冷たくなる中、僕は家で何もせずに寝てた。僕のせいで、僕の家に来る為にお前は外に出た。そして、事故に遭った。ずっと、僕は逃げてた。小夜に会うのを怖がってた。死んだお前と再開するのを、無意識に拒んでた。多分本当は気付いてたんだ。心は気付いてた。だけど……僕は弱かった。言えなかった。言うのが怖かった。…………ごめん。本当に……ごめん」

 僕はため込んでた気持ちを遂に小夜に話した。

 無力で馬鹿な自分の、一年間の謝罪の言葉を、伝えた。涙で、何も見えなかった。

「…………小夜」

 小夜は、少しも表情を変えなかった。その存在は未だ色濃かった。

 ――消え入る気配など、微塵もなかった。

 これ以上、彼女に対して言えることが僕にあるのか。謝罪する以外に僕は何をやり残したんだ。

 ――それとも。

 それとも、小夜は僕を、二度と許してはくれないのだろうか。

「……そう……だよな」

 そうだ。謝って許してもらおうなんて……最初から無理な話だ。僕は、ただ傲慢だっただけじゃないか。

「真田クン、キミはバカか」

「――――!?」

 背後から声がした。反射的に振り返る。

「ボクは二回も言ったじゃないか。彼女は悪霊じゃないし、キミを怨んでなんかいないってさ。怨みを持った悪霊ならとっくにキミを殺してる」

 安倍だった。安倍が僕の後ろで呆れたように佇んでいる。

「安倍……!! お前、いつから……」

「ちょっと前も同じ質問を聞いたな。まぁいい。さて、真田クン。怨んでもいない彼女に謝ってどうする」

「……怨んで……ない?」

「ああ、そうだ。生前の小夜チャンを思い出してみな。彼女はキミを怨むような人間か? キミは熱で動けなかったんだぞ」

 生前の小夜。いつも笑っていた。明るかった。行動的で活発で、夢があった。

 僕が、小夜の立場だったなら、きっと――――

「……ありがとう。僕を……怨まないでいてくれて」

 目の前の小夜は、表情を変えず、ただこちらを見ている。

「真田クン、言えなかったことは全部言ったか? まだ、何かを言えずにいるんじゃないのか? 怯えるな。引き下がるな。キミの衷情はそれだけか?」

「…………」

 言えなかったこと。――いや、今だから言えること。

 そうだ、僕は――――

「小夜、僕は小夜が好きだった。いなくなって初めて気付いた。前からずっと、好きだった!」

 言わなかったこと、言えなかったこと、言おうとしなかったこと、そして言えなくなってしまったこと。

 僕はやっと、それに気付けた、話すことが出来た。

 再び、強風が吹いた。しかし、今度は決して目を閉じなかった。

 小夜の姿が霧のようにかすれていく。彼女の姿が闇に消え入ろうとしている。

 彼女が完全に消える直前、その表情は柔らかなものに変わっていた。

 ――――笑顔だった。

 そして彼女は最後に言った。


《ありがとう、夏樹》


 僕はその姿が見えなくなるまで、笑った 。そして、彼女が消えたら、泣いた。

 想いが伝わった気がして、嬉しかった。

 ふと気が付くと、安倍等含は姿を消していた。

 明日、礼を言おう。僕はそう心に決め、小夜の墓を去ろうとした。

「……あっ」

 僕は一つ言い忘れていたことに気が付いた。

 彼女の墓に振り返り、僕は言った。

「誕生日、おめでとう」



 七月二十二日



 半ば当たり前のことではあるが、僕は今日も高校へ登校する。いつも通りの通学路だが、いつもより気持ちは晴れやかだ。思わずすれ違った人に挨拶などしてしまった。

 学校が見えてくると校門にアイツが立っていた。赤みがかった髪に、不良チックなファッション、星形のピアスに太極図風のネックレス。

「よお、安倍。もしかして僕を待ってたのか?」

「まあね。その後何もなかったか、早いとこ確かめたくてさ」

「別に何もなかったぜ。それより、昨日はありがとう。さっさといなくなりやがって、感謝し損なったじゃねえか」

「ははは、あのタイミングで消えた方がカッコいいじゃないか。しかし、《面影》なんていう初歩の初歩って感じの物の怪を調伏するのに僕が直接出向くことになるとは、キミも厄介な性格してるよ」

「お前、何で小夜の墓の場所知ってたんだ? ていうか、最初から来るつもりだったのか?」

「キミは彼女の存在を認めていなかったくらいだ。どうせ本当の気持ちなんて言えないと思ったのさ。だからヤバくなったらボクがキミの目を覚まさせてあげようと思って、こっそりキミを尾行してたんだ」

「……ちぇ。なんか面白くねぇな。全部お見通しかよ……」

 やはり、安倍は全部見通していた。僕が失敗しかけるところまで読んでいたのだった。

 ここでふと、気になっていたことがあったのを思い出した。

「そういや、約束だ、お前の正体を教えろよ。何でお前は小夜が見えていたんだ? あれは僕にしか見えないと思ってたんだが」

「あぁ……。何てことない。ボクの家系はそういうのに強いんだ。死霊、生霊、邪気、妖怪、魑魅魍魎。いわゆる物の怪と呼ばれる存在。そういうのを調伏するのがボクの家系の代々伝わるお仕事」

「…………マジでそんな仕事があんのかぁ?」

 何て訝しい職業であろう。しかしながら、昨日まで悩んでいた事柄を鑑みると、不思議なことに案外信用できそうである。

「昔は、あー……昔と言っても平安時代くらい前まで遡るけれど、陰陽師と呼ばれる役職があった。明治以降はその名はすっかり廃れたけどね。その陰陽師の恩恵に預かって、現代に残る怪奇事件を解決する? みたいなもんさ。平たく言やあ、エクソシストってやつかな。ただ、一般人には頭がオカシくなった風に見られがちだから、ボクらは普段お坊さんやったりしてるんだけどね」

「陰陽師!? お前、安倍って、まさか! あの有名な安倍晴明(あべのせいめい)の末裔なのか!?」

「いやあ、まさか。ボクの祖先は、その有名な安倍晴明の名前にあやかって安倍と名乗った、祓い師に近い陰陽師だよ」

「……へえ……。なんか、いろいろ驚いたけど、結局フツウの高校生かよ」

「これでも、この道ではボクは高名な祓い師だけどね」

 そんなことを話しながら僕たちは教室へ向かっていた。

「なぁ、安倍。小夜は成仏したのか? 僕の想いは……彼女に届いたのか?」

 ふと心配になり、僕は安倍に訊いた。

「……真田クンはホント、バカだよな。成仏なんかしないったら」

「…………は?」

 思っていたのと違う安倍の言葉に、僕は思わず立ち止まった。

「真田クン、何度も言うが、小夜チャンは怨みなんかなかった。怨みのない人間が化けて出るとでも思うのかい? わざわざキミの告白を受けるために化けて出るなんて、そんなお節介な霊なんていない。最初から小夜チャンは成仏してたんだ。キミは彼女が死んでから、ずっと自分を責めていた。そんなキミを怨むなんてことしないよ」

「……じゃ、じゃあ……昨日まで見ていた小夜は……一体?」

 急な話に、うまく息が出来なかった。話が読めない。

「いいかい? キミが見ていた彼女は《面影》っていう物の怪だ。特別な存在、大切な存在を失い、残された者が、その想いの強さ故に心の中の大切な人の『面影』を見るようになってしまう。正確には物の怪が残された者に取り憑き、取り憑かれた人は物の怪の姿を見るようになってしまう。しかし、その見え方は人によって違う。心の中の想いが反映するからね。真田クンの場合は普通とは違って小夜チャンの存在を認めてなかったから顔が見えないっていう例外的状況になったんだけどね」

「……な、なんだって? な……んだよ、それ」

 何ということだ。それじゃあ、僕は勝手に空回りしていただけか?

 それじゃあ彼女は――――

「――あれは小夜本人じゃなかったのか?」

「そう。あれはただの《面影》だ。何でもないただのキミの記憶の一部。それを《面影》と呼ばれる物の怪がキミに見せていただけ。ボクからしたら滑稽な見世物さ……」

 そう言って安倍は至極冷ややかな、冷酷な目をこちらに向けた。

 ――――何だ、これは。僕はコイツに、安倍等含に遊ばれていただけなのか。

 そんな――そんなことって!!

「……と、言いたいところだが、ちょいとそうはいかないんだな、これが」

「…………え?」

「いやさぁ。ボクは《面影》について割と詳しく知ってる。なんせ、現代の憑き物騒ぎのほとんどは《面影》か、その親戚みたいなもんだからね。……で、《面影》というものは姿を変える。……だが、喋れないんだ。いや正しくは、応えられない。だって、全部取り憑かれた側の心の投影なんだもん。《面影》の目的はキミのやり残した想いを解消すること。《面影》はある意味、良霊なんだ。《面影》はキミの心から小夜チャンの姿を借りて具現化した。だが、それだけだ。声や喋り方や記憶は、姿を現すために必要ない。キミの言葉に応答する必要もない。キミが言えなかったことを言って、納得がいけば《面影》の物の怪としての使命は終わりなんだから」

 安倍はピアスを人差し指で弾きながら、そう話した。

 しかし、だとしたら――――

「で、でも! あの時、小夜は僕に『ありがとう』って応えてくれた。声だって、小夜の声だった!」

「それだけじゃあない。キミのことを『夏樹』と呼んだし、笑顔を見せたりした。記憶のないはずの《面影》が……だ。実を言うと、僕はその予想外の展開にヒドく動揺しちゃってさ。家に帰ってずっと考え込んでいたんだ。そんで、結論を出した」

「結論……!! 何だよ、結局、どういうことなんだよ!」

 僕は声を荒らげて安倍に迫った。

「喋る機能のない《面影》が話し、声と記憶を持つ、それは有り得ないことだ。……もし、本物の小夜チャンがキミの《面影》に干渉しない限りは……ね」

 そう言って、安倍は口角を全開に上げて笑顔を浮かべた。

「それって、つまりどういうことだよ?」

「あー……真田クン。ボクはこんななりだが高名な祓い師なんだぜ。古き教えに無い事例を認めるなんて、完全完璧絶対主義者のボクには身を切るような行為なんだ。ボクにそんなこと言わせるなよ」

 安倍は困ったような表情で赤茶けた髪を掻き上げた。

 安倍の言葉はつまり、《面影》が最後に僕に対して言った「ありがとう」は、本物の小夜が発した言葉だというを意味していた。

 安倍は最後まで僕を滑稽だなんて思っていなかったんだ。コイツは小夜の存在を僕に示してくれた。

 だけど僕は「バカだから」、安倍に反発してやった。

「……安倍、言葉にしなきゃ伝わんないこともあるんだぜ。人を弄びやがって、なんにも言わないつもりか? え?」

「……ちっ。真田クンは何てヒドい人間なんだ。くそっ」

「……で、お前はどう思うんだ? 今回の例外に関して」

 僕は安倍の意見を聞きたかった。僕を助けたコイツ、安倍等含の答を。

「あくまでもボクの仮定だ。小夜チャンの『ありがとう』は本物の想いじゃないかな。……だから、これだけは言っておく。真田クンの想いは、小夜チャンにきっと伝わったさ」

 安倍は、笑顔でそう言った。

 僕は思った。安倍はお節介なくらい良いやつだって。僕は、コイツに感謝しなくてはいけないなって。

「昔の人はよく『面影』だなんて言ったよね、真田クン」

「ん? 何でだ?」

「いやさ、『面影』は『面影』であり『想影』でもあるんだ。想いが強ければ、それだけ《面影》は強く現れる。そして、その想いは時に、相手の《想影》すら呼び出すような、奇跡になる」

 そう言う安倍はどこか楽しげだった。

「安倍……ありがとう」

 教室に着くと、僕はもう一度感謝の言葉を伝えた。

「ははは、次からはお金払わせるからね」

 そんな安倍の言葉を背後に聞きながら、僕は席に着いた。

 安倍等含、不思議な男だ。

 僕は窓から大空を眺めた。

 その日の空は、僕の心のように晴れ渡っていた。



Fin.


 僕の稚拙な文章を最後まで読んでいただき、感謝します!

 着想から執筆までに一週間ほど時間が掛かりましたw

 掌編にしようかと思っていたのですが、ダイジェスト感が酷かったので、思い切って短編にさせてもらいました。

 陳腐な内容だったかもしれませんが、感想をお願いします。

 今後も長編『undecided』を続けながら、今回のようなお題小説に挑戦したいと考えているので、よろしくお願いします!


2010年9月29日(水)追記


解説


今一度、ここでお礼を言いたいと思います。

読んでくださった方、ありがとうございます。

さて、正直、相方の竜司作の「あとで聞いた」と比べ、この作品は特に深みがあるのか……という疑問はあります。

エンターテインメント性を加えすぎた感があるので。

強いて言うならば、これがハッピーエンドなのか否か、ってところです。

自分の本当に好きな相手に気持ちを伝えるのは良い事だと思います。そしてそれに相手が応えてくれるならば、やはりそれは好ましいことでしょう。

しかし、この物語の主人公、真田夏樹はその相手ともう二度と会うことができません。

想いが伝わって、それに応えてくれた人は、もうこの世には居ないんです。

この先、会いたいと切望する彼の望みは決して叶えられない。

だからこそ、安倍等含は真実を自ら話さなかったんです。

真田に尋ねられるまで「想いが伝わった」などとは言わなかった。

そんな慰めを言って、これ以上想いを重ねたら、永遠の別れに堪えられるか、彼には解らなかったんでしょう。

安倍という存在も、祓い師としてそういった問題を抱える宿命も背負っているんでしょうね。


……と、まあ裏設定はこんなもんです。

あとは……人名を小説ではありきたりな「夏樹」「結城」「小夜」にして、逆に安倍の名前を「等含」という風変わりな名前にしたり、妙な喋り方やファッションさせることで、雰囲気の違いを表現したりとか、いろいろ細かいのはあるんですが、書いても得が無いので(笑)この辺で。

ぜひ、相方の掌編も読んでみてくださいw

それでは……

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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは。 拝見させていただきました。 『面影』の正体、面白かったです。 いや、真田君の気持ちを考えると、面白かったというのは不謹慎かもしれませんね。 でも、こういうことか、と一旦納得させ…
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