聖女様は肉食女子(物理)
「それじゃあ、聖女様の住んでいた世界はどんなだったのですか?」
そう聞かれ、彼女は曖昧に笑って誤魔化した。
「うーん、こっちとはかなり違ってる感じ?」
すると、ウサギに似た長い耳を持つ、神官を名乗る青年は目をきらきらさせた。
「聖なる浄化力をお持ちの、清らかな貴女が生まれた世界。きっと、美しい場所なのでしょうね……!」
どんな想像をしているのやら。
文化が違い過ぎるものばかり、彼女の頭に浮かんで来る。どう説明したらいいのか分からない。
固い道路と高層ビル、飛行機、自動車、船舶。こことは違う多種多様な動植物、複数の宗教、地域ごと特色のある料理、高度な医療、世界を繋ぐネットワーク、科学や物理法則がある世界。
こちらの世界は、何処までも植物が大地を覆っていて、女神様の祝福や呪いや魔法がある、大層自然豊かなファンタジー要素の多い所だった。
聖女とは、この地を荒らす瘴気とかいう、怪しい青黒いモヤモヤした煙みたいな、謎の歪みを浄化する為に、異世界から来た人間のことを指していた。
残暑の続くある日、彼女は夢の中で「わたくしは女神です」と宣う、ピカピカ光る人型の何かに会った。
「お願い、終わったらちゃんと元に戻してあげるから、ちょっと手伝って。頑張って平和な世界にしたのに、手違いがあって歪みが出たの。それを消して欲しいのよ。貴女なら簡単だから。本当にお願い。私一人じゃ手が足りないの、マジで! 異世界だけど行って欲しいの。適当に意思疎通の補助サービス付けとくわ。大切に扱うよう言っておくから!」と、すごい勢いで頼まれた。
女神とやらの世界が、緊急対応必須で超絶大変なことになってるらしいと、何となく雰囲気で察した。
そっかぁ大変ですねぇ、と、眠い頭で無責任に考えたら、まだ良いとも悪いとも返事をしてないのに、いつの間にか神殿の召喚の間で、パジャマ姿で立っていた。なお、水族館のお土産で買ったお魚模様のお気に入りだ。
ちょっと女神様の可否判定、早すぎないですか、と彼女は思った。
目の前には、ウサギ耳の柔和な美青年神官と、渦巻く羊角のイケオジ宰相と、立派なトナカイ角のおじいさん王様と、その息子か孫らしき、短め鹿角の美少年王子が立っていた。
彼らは、突然の事で困惑中の彼女に丁寧に挨拶した。
それから、まずは、とそれぞれ簡単な自己紹介をした。
正直言って、相手の言語が理解不能だった為、彼女は全員の名前を覚えられなかった。
が、肩書きは把握した。双方で相手の言ってることが何となく理解可能だ。これが女神様のサービスっぽい。
なので、たぶん意思は通じている。と、思う。恐らくきっと。
ウサギ耳美青年神官が、
「女神様の神託で、世界を枯らす瘴気を払う聖女を異世界から借りてやったから、大事に使えグッ、ゲフンゲフン、仕えなさいと言われました」と言い、羊角イケオジ宰相に小突かれていた。
だいぶ意訳なのか、ポンコツ神官ぽいのか不明だ。
暫定聖女は思った。
非現実的過ぎる。あ。これ夢かも。うん、夢だな。
夢でも面倒臭いな、と彼女は思ったが、何となくやらないと帰してもらえないような気がする。前に読んだことがあるライトノベルはそんな感じだった。
ウサギ耳な美青年神官の説明によると、聖女の仕事は瘴気を払うこと。
別に戦うわけでもなく、消えろ、と念ずるとスウッと消えていく仕様らしい。女神様の言った通り作業は楽そうだ。
ただし、浄化は一日一カ所がせいぜいだという。転移陣の魔法に使う充魔力? 充電みたいなあれこれの問題だそう。
トナカイ角のおじいさん王様が、「これは聖女にしか出来ぬことなので、すまないが瘴気を払う作業をして欲しい。一人で行けとは言わない。世話係をつける」とか言った。
話してる時間がやたら長いのに、その中身は案外単純だった。やはり装飾言葉を抜いた意訳とみた。
「聖女様の作業中の安全は、全面的に国が支援をしますし、こちらに滞在中のお世話も必要経費も出しますから、頼みます」とか何とか、羊角イケオジ宰相にも拝まれた。
これも同じく、長々としゃべった割に内容がそんな感じ。女神様が分かり易く訳してくれているようだった。
「なんなら、人質兼小間使い代わりに王子や神官を連れて行ってもいい。頼む、世界を救ってくれ」
「お願いします、聖女様。助けて」
トナカイ角のおじいさん王様の懇願と、鹿角美少年王子に涙目ですがられて、彼女はイヤだと言えなかった。
老人と子供を出すのはずるい。
まさか、そういう押しに弱い人間だから聖女に選ばれたんだろうか。
まあ、終わったら女神様が帰してくれるみたいだけど。
彼女が仕方なく了承すると、「もう浄化作業に出る準備は整っていますので、早く早く」と、そのままもう一度、転移陣に乗せられた。魔法でひとっ飛びだ。
あれよあれよって、こういう時に使うのかも。
転移後、ふと横を見れば、なんと王様が言っていた通り、ウサギ耳美青年神官と涙目鹿角少年王子がくっついて来ていた。
他にも、護衛っぽい水牛角のあっさり顔でマッチョなイケメンと、山羊角で濃い顔のゴツいイケメン、世話係と思われるキリン角のすらりとした綺麗系侍女と、ロバ耳の小柄な可愛い系の侍女が、後ろについて来ていた。えっ、いつの間に。
流石に瘴気の発生地へ移動したら、どうやら夢ではなさそう、と彼女は感じた。
だって、外の淀んだ空気はパジャマでは寒かったし、砂利な地面で裸足は痛い。
服と靴って、ご飯とトイレ並に大事だった。
上空で大きく広がる青黒い不穏なモヤモヤ瘴気を指差し、ウサギ耳神官が言う。
「聖女様、あれです。浄化を念じて下さい。お願いします」
モヤモヤの周りの木々が乾燥している。枝カサカサの幹ボロボロで、可哀想なことになっていた。大地もカチカチして表面がひび割れている。所々に変色した草がまばらに散っているようだ。
なるほど世界が枯れかけている。
半信半疑で、パジャマで裸足の聖女が瘴気を睨み、「消えろ」と念じると、フッとモヤモヤが無くなった。淀んだ空気が軽くなる。わあ、簡単。
固唾を飲んで見ていた皆は、歓声を上げて喜んだ。
思わずウサギ耳神官が感謝の祈りを女神に捧げる。
「女神様、聖女様を借りてきてくれてありがとうございます。これで、みんなが毎日ご飯を食べられますように!」
「いや、どうなの、その祈り。……あ、意訳か。女神様に聖女の召喚を感謝し恵みと日々の糧を賜わらんことを、みたいな? だいぶ酷い適当さ」
最初の一カ所で瘴気の浄化が終わると、世話係のロバ耳小柄侍女が、聖女様用の衣類と靴を差し出した。
「あの、よろしければこちらをお使い下さい。遅くなりまして申し訳ございません」
「ありがとう。うん、ちょっと外でパジャマはね……」
「あら、就寝着でしたのね」
その後、帰りも転移陣の魔法で無事に神殿に戻った。
聖女は神殿に部屋をもらって休むことになった。が、枕が変わったせいか地味に寝不足になった。
木製ベッドに木綿のシーツ、蕎麦殻枕と重たい綿入れ布団なのだが、何故か毛布が無い。もし愛用のパジャマも無かったら眠れなかったに違いない。
そんなこんなで聖女は、翌日も目が覚めたらやっぱり異世界にいて、完全に夢じゃないと理解した。
しかし、どういう理由か、聖女は自分の名前も家族や友人も思い出せず、ぼんやりと地球の日本の関東地方に住んでいた、ぐらいしか思い出せなくなっていた。
どうも己の個人情報を引き出すのに、制限がかかっているようだった。何の配慮?
とりあえず、お年頃のようだけど年齢不明、平々凡々な容姿。聖女なんだから女ではある。
まあ、皆も聖女としか呼ばないし、色々不安感はあっても、特に不便は無い。
浄化作業を始めてしばらくすると、段々と異世界のことが分かってきた。
この世界の住人は穏やかな気質であるらしく、たまに小さな喧嘩もするけれど、普段は豊かな自然の実りなどを採集して、のんびりと暮らしているようだ。
王様は居る。でも、王様とは人々のまとめ役ぐらいの意味だった。戦争なんか一度もしたことなさそうだ。
女神様が言っていた『平和な世界』って、そういうことかな?
そして、皆の言う瘴気というやつが、女神が言っていた歪みだ。
この世界は植物が多い。瘴気を放っておくと、瘴気に触れた植物がどんどん枯れ、大地が干上がったみたいになり、終いには砂漠みたいなカラカラの不毛の地になるんだそうだ。そりゃ大変だ。
瘴気の浄化が可能な聖女様は、それはもう、大事にされた。
王様の命令ではあるけれど、何処に行くのにも神官と王子と護衛二人と侍女二人が、ぞろぞろついて回る。
その上、「もし聖女様がずーっとこっちに居てくれたら、瘴気がいくら湧いても安心なんだけどなあ」なんてことを鹿角美少年王子がつぶやいたり、「真に尊く素晴らしい聖女様です」とウサギ耳美青年神官が崇めてきたり、イケメン護衛達に熱い目で見られたりした。
周囲は分かりやすく聖女を大層チヤホヤした。
やだ照れるぅ、なんて聖女は言ったが、実のところ、全く面食いでも年下趣味でも獣耳好きでもなかったので、軽く笑ってあとは全部流した。
残念ながら、この聖女に恋愛的な察知能力は搭載されていないのだった。無くて幸い。
またしばらくして、聖女は気が付いた。
転移魔法陣を使い、この世界の色々な場所へ行ったけれど、鳥や魚なんかは見たのに、肉食動物には一度も遭遇しなかった。ここには猛獣が居ない。
それと、食事内容が植物ばかりだった。料理に草木の実や根や葉をどっさり使うけれど、肉類は入っていない。たんぱく質は主に豆類だ。
神殿は精進料理なのかな。強制的なダイエットみたい。あっ、これ、痩せられるかも。
そこまで考えて、はた、と彼女は思いついた。瘴気のせいだろうか。
もしかして野生動物と家畜が、最初に瘴気にやられちゃったのかな、と。
それとも、小説なんかで良くあるみたいに、動物が魔獣になっちゃってるとか。
なんかこう、悪い方に様々な妄想と疑問がわいてきて、思わず聖女はウサギ耳神官に聞いた。
「この世界って、瘴気の他に、その、魔王とか魔獣とか、敵みたいな奴が存在する?」
ウサギ耳神官は、綺麗な赤目をぱちくりした。
「魔の王者と魔の獣ですか? 大昔はいたみたいですけど、女神様がそういうのがお嫌いで、撲滅しといたそうです」
ふぁっ、女神様よ?!
「撲滅……。猛獣、大型肉食動物もいないですよね?」
「あぁ、神話には描かれています。多分、絶滅しました」
いやいや……。これ、食物連鎖とかどうなってんの?
「絶滅。あの、そういえば人類っていうか、人族は? なんて言うか、皆さん獣の角とか耳とか、尻尾もあるようだし、獣人ですよね……?」
「は? ヒトゾク? あ、聖女様のような、猿耳の無尾人類のことでしょうか。それは滅亡しました。
我々有尾人類は、その後、女神様が無尾人類の代わりに、平和的な草食動物を元にして新しくお造りになった種族です。そう神話にありました」
うん、と鹿角少年王子もうなずいた。
「猿耳の無尾人類は、増えると勝手に戦争を始めるから、女神様がそれならいらないって、消しちゃったんです。皆で平和に暮らしなさい、危ない生き物も気持ち悪い生き物も片付けておきましたよ、って。
女神様は世界の平和を大事になさってて、とてもお優しいんですよ」
うなずいたウサギ耳神官が、祈りの形に手を合わせる。鹿角少年王子も同じように手を合わせた。
「嗚呼、素晴らしきかな、我らの女神よ!」
……なんてこった。人間がいなかったわ。
聖女の目が点になり、頭の中は驚きで一杯になった。
あの女神様、やりたい放題やっちゃってるよ。そりゃあ歪みも出るでしょうよ。
もしかして、気持ち悪い生き物って、昆虫とか爬虫類のことかな? 全く見かけないし。
女神様ったら、ヤバイ魔獣も邪悪な魔族も、怖い猛獣や昆虫類とか爬虫類も、好きじゃないからいらないって消しちゃった?
異世界よく分からないけど、世界の均衡大丈夫? 種族の存続可否判定、安直なんじゃない?
「ここ、人間が居なかったんだね。私、獣人って初めて見たよ。やっぱり異世界なんだねぇ……」
遠い目をしたら、ウサギ耳神官が言った。
「それじゃあ、聖女様の住んでいた世界はどんなだったのですか?」
「うーん、こっちとはかなり違ってる感じ?」
「聖なる浄化力をお持ちの清らかな貴女が生まれた世界。きっと、美しい場所なのでしょうね……!」
聖女は曖昧な苦笑いをして、個人情報に触れずに思い出せた、あちらの記憶を少しだけ披露した。
「あー、でも、同じようなのはあるよ。植物とかね。鳥や魚もいるけど、もっと動物は色々な種類があって、いっぱい面白いのがいたよ」
「え、どんなのですか?」
鹿角美少年王子は好奇心旺盛なお年頃のようだ。
「うーん。こっちに無い生物と言ったら、ライオンとか虎とか熊とか、猛獣だね。蛇やワニみたいな爬虫類も。あっちには、鳥だって、鷲、鷹、フクロウなんかの猛禽類もいたし。魚類も、マグロや鮫や、アロワナとかピラニアとか。チョウチンアンコウみたいな面白い深海魚もいたなあ……。わりと魚は好きなんだよね」
「超珍餡子?? どんなのですか、それ」
鹿角少年王子がワクワク顔で食いついた。残念、餡子じゃない。あんぐり顎からのアンコウ(諸説有り)だ。意訳の翻訳間違いかな。
誰しも好きなことを聞かれたら、口が滑らかになる。聖女もそうだ。水族館でお土産を買う程度には魚が好きだった。
「あっ、聞きたい? チョウチンアンコウはね、深くて暗い海の底に住んでいるんだけど、頭の上に光る疑似餌がついてて、小魚なんかをそれでおびき寄せて大きな口でパクッと食べちゃうの。すごいでしょ。でね、雄と雌のサイズが丸っきり違ってて、小さい雄はでっかい雌を見つけたら噛み付いてくっついて、その後は雌から栄養をもらって生きるの。面白いでしょ。で、だんだん溶けるみたいに雌と一体化しちゃうんだよ。凄く不思議な生き物なんだよー」
流れるように説明すると、鹿角少年王子は、自分よりも背の高い聖女をこわごわと見上げた。
「……暗黒海底に住み、罠餌を仕掛けて小さき者を捕獲し、しかもそれを喰らう? 更に、矮小な男が偉大な女に食らい付いて、その後は女に養ってもらって生き長らえる身となるが、やがて女の中に溶け消えてしまう? 一体どういうこと? ……何の呪い?」
なんだか顔色が悪い。
しかし、聖女は楽しい不思議魚の紹介に夢中で、王子を見ていなかった。
「凄く不思議といえば、カクレクマノミっていう魚も面白いよ。毒のあるイソギンチャクと共生してる、小さくて可愛い魚だよ。産まれたときは全部雄なんだけど、成長すると一番体が大きい魚が雌になって、次に大きい雄の魚と夫婦になるの。他のは小さいまま。それで、もし雌が死んじゃったら、残った大きい雄が雌に変化するの。どうなってんのか謎だよねえ」
「……それは、つまり、可憐な姿でありながら、毒を持つ者と親しく、共に暮らしており、最初は男に産まれたけれど、成人すると女に変じて夫を得る? 一族の他の者は幼いまま? けれど、女が死んだら今度は夫が女になってしまう、と……? それは、一族あるいは家系ごと何かに呪われているのでは?」
鹿角少年王子が呆然とした。虚ろな目で、ロバ耳の小柄な可愛い系侍女を、ふと見た。
侍女が青い顔で首をブンブンと振る。
「そそそれは大変不思議ですねえぇ。聖女様の世界の生物は、お、面白いです? ねえ。そっ、それよりっ、他にもっと何か! 楽しい生物はいませんか?! た、例えば子供に人気がある、とか。とか!!」
鹿角少年王子がドン引きしているので、何とかしようとウサギ耳神官が話を逸らしにかかった。若干、神官の顔色も悪い。
聖女が首を傾げて考える。
「子供に人気ねえ……。子供なら、だいたい小動物が好きかな。もふもふした犬とか猫とか。あと、男の子は昆虫が好きだったりするよ。強くてカッコイイって」
「あ、子供達は柔らかな小さき者が好きなんですね……」
王子がほっと少し微笑んだ。気を取り直したようだ。
ちょっと安堵したウサギ耳神官が、先を促した。
「そうなんですか! 良かった。その雄々しい昆虫とは。どんな生き物なのですか?」
「一番人気はやっぱりカブトムシかな。次はクワガタムシ。立派な角とかハサミ顎があって、黒くてツヤツヤしてる。どっちも強くて力持ちなのが、なんだか王者っぽくていいみたい。樹液が好物で森とかに住んでるよ。家で飼ってる子供もいるくらい人気だった」
少年王子の顔が明るくなった。
「わあ。そうなんですね! 角が立派で覇王のような剛力の、艶めく漆黒の生物。いいなあ、見てみたいなあ。じゃあ、他には?」
後ろの方で、お供に付いてきた、水牛角の涼しげイケメンのムキムキ護衛と、濃い顔イケメンで山羊角のガチムチ護衛が、なんか張り合うように胸を張った。
「他に、かぁ……。私はどっちかといえば蜻蛉が好きだけど、けっこうカマキリも人気だったよ。シュッとスリムで品があって、虫にしてはスタイルが良いもんね」
横で控えて座っていた、キリン角のすらりとした綺麗系侍女がそわそわした。
それに気付き、ウサギ耳神官がほんのり微笑んで聞いた。
「細身で品があり容姿が良い、素敵ですね。それはどんな生き物ですか?」
「えっと、カマキリは、じっと待ち伏せしてると、まるでお祈りしてるみたいに見えるの。でも、前脚がトゲ付きの鋭い鎌みたいになってて、一瞬で他の虫を捕まえるし、自分より大きい獲物を狙うこともあるし、凄くハンター系な昆虫なのよ。雌なんて、産卵前に雄を食べちゃうこともあるよ」
ビクッ、とキリン角侍女と鹿角少年王子が肩を震わせた。
「っ、祈りを捧げると見せかけて、鎌と刺で出来た腕を使い不意打ちで屠る? しかも、自身より巨大な生物をも糧とする? 女は子を産む前に男を食らう……。なんと邪悪で冒涜的な」
ウサギ耳神官の耳が、気持ち垂れてきたようだ。
「は、犯多亜系とは?」
「狩りをするっていうか、肉食っていうか、そういう感じ。私が好きな蜻蛉のオニヤンマもハンター系だよ。こっちもかなり人気あると思うの。めちゃ早く飛んで空中で他の虫を捕まえて食べちゃうのよ。ハエとかアブとかスズメバチまで駆除してくれて、マジ有能。昆虫で最強。益虫でしかない。有り難い。大好き!」
聖女が力説するのは、ハエもアブもスズメバチも嫌いだからだ。
蜻蛉系は良い。彼女は子供の頃、指でクルクルやって蜻蛉の目を回す遊びをした。
「! 肉を食すとは。せせせ、聖女様の世界の人々が、他の生き物を殺戮及び殲滅し、その血肉を食するような者を賞賛なさり、お好みになるとは知りませんでした……」
女神様のサービス意訳が盛大に失敗している。が、誰もそのことが分かっていない。
ウサギ神官が冷や汗を流している。他の者も気持ち聖女から身を引いていた。
よせばいいのに、意を決して鹿角王子が恐る恐る聞いた。
「あの、もしや聖女様は、(他者の)肉(体)を(捕)食したことがお有りなのですか……?」
「うん? お肉? そういえば、こっちでは料理に肉が入ってないね。普通に牛豚鶏ぐらいはあるよ。流石にジビエ料理とかはあんまり食べたこと無くて、鹿肉のタタキを一回だけ。私、どっちかというと肉より魚派なんだ。お刺身が好きだから」
聖女の言葉は、爆弾に等しかった。
「ひぃ!! 身の生削ぎ切りですと!」
「な、ななな、普通に、牛?!」
「鹿……、身を、切り取り、焼いて……料理……っ」
ウサギ耳神官の耳がぴったり伏せられている。気丈に山羊角護衛が立った背後で、鹿角王子が泣きながらしゃがんで震えていた。侍女二人が言葉も無く卒倒し、水牛角護衛は逃げ出した。
きょとんとする聖女と皆の間に、深くて暗い、飛び越え不可能な溝が出来た。
この世界、植物と植物を食べる生き物と、草食動物由来の獣人しか居ないのである。
従って、肉食は禁忌だった。女神様的な、平和な世界、であった。
ともあれ、溝とか壁とかは、瘴気を払うことと関係ないらしく、作業に影響しなかった。
しかし、鹿角王子が寝込んで聖女に付き添えなくなり、キリン角細身侍女とロバ耳小柄侍女の二人は、サイ角を持つ無表情な侍女と、象耳な威圧感のある侍女に交代した。
護衛は踏み止まって役目を続けているが、常に警戒態勢で接近してこない。
ウサギ耳神官は代理が居ないようで、ぶるぶるしながら聖女様に随行した。
それはそれとして、聖女は毎日転移し、ガンガン歪みの瘴気を消していった。
そしてとうとう、世界は澄んだ空気を取り戻し、元の緑豊かな場所へと回復したのだった。
最後の瘴気を浄化して、神殿へ帰還した聖女一行は、トナカイ角のおじいさん王様に終了報告をした。
トナカイ角のおじいさん王様は、大変満足して言った。
「ご苦労だった。聖女は女神様のご意志の通り、瘴気を消し世界を救った。皆も良く聖女を支えて勤め上げた。感謝する」
王様の労いに、皆が感涙していた。口々に感想を漏らす。
「はい。全員、命の危機に耐えて頑張りました。早いとこ終わって良かったです」
「本当に。いつこちらへ襲いかかって来るかと、気が気ではありませんでした」
「聖女様も、食事など色々ご不満が有ったでしょうに、ずっと穏やかに我々と接して下さいました」
聖女の方は、それなりに達成感はあるものの、皆よりも今ひとつ感動が薄い。
ぽりぽりと頰を掻いて、んー、と首を傾げた。
「私、そんなに大変じゃありませんでしたよ。全然疲れなかったし、周りがなんか、すっごく気を遣ってくれたから」
「いいえ、それは当然の配慮でした」
うるんだ赤い目で、ウサギ耳神官が首を振る。
「女神様が異世界から借りてきた聖女様は、伝説の肉食もする猿耳無尾人類でしたが、寛大で忍耐強く肉欲を抑え、この世界を救って下さいました。ありがとうございました!」
「あれ、なんか肉食女子みたいに思われてた……?」
違うのだが、ある意味そうだった。
聖女の役目を終えた彼女は、神殿の召喚の間へ移動した。そして、連れて来られた時と同じように、元のパジャマ姿になって、転移陣の上へ裸足で一人、立った。
トナカイ角のおじいさん王様が別れの挨拶をした。
「聖女様、世話になった。この恩は忘れない」
「お役に立てて何よりです」
ウサギ耳神官も礼を述べた。
「聖女様、今まで我慢なさっていた分、元の異世界で満足するまで肉食女子して下さい。猿耳無尾人類でありながら、私達を惨殺したり捕食せずにいて下さって、ありがとうございました」
えっ、誤訳? それとも酷い誤解が? もしや適当過ぎる意訳のせい?!
と、彼女が思った時には、転移陣からペカッと光が溢れ、この世界から去っていたのだった。
聖女様のお供を務めた全員は、喜びにむせび泣いた。生きてて良かった。
さて、夢の中っぽい所に再びやって来た彼女は、女神らしい光る人型と再会した。
「ありがとう! マジで助かったわ。約束通り元に戻してあげるわね。あら何よ。え、私の平和な世界が歪だったから、歪みが出たんじゃないかって?
仕方がないのよ。原始の有機物は、栄養を他の有機物から得るように進化してきたんだもの、元々が肉食なのよ。それを試行錯誤して、草食動物に変えて知的生命体に進化するまで高速で育てあげたの。苦労したんだから。
でも急ぎすぎたのね。不本意な進化分岐の芽を潰して消して壊して変えて、こねくり回したら不具合が多くなっちゃったみたいで。仕方なく神力で無理に押し通したら、変なところから綻びが。
やっぱり一神教は駄目ねえ。全体管理が忙しくて、細かいところが後回しになっちゃう。共同経営は役割分担が出来るから細かいケアが可能だけど、全体方針の話し合いで毎回揉めるのが嫌で、拒否してたのよ。
え、趣味に走りすぎ? 一神教向いてない? そうかなぁ。は? 一介の豊穣神にでもなれって? でも貴女だって自分の好きな物は極めたいし譲れないでしょ? 私は争いの無い平和な世界が好きなだけ」
彼女は何も話していないが、ぼんやりとした思考さえも神には筒抜けらしく、女神様は一人でしゃべって肩をすくめた。
「いいの、一匹の猿耳無尾人類の雌に理解なんか求めないわ。一定期間私の世界に滞在して修正活動してくれたら、もう貴女に用は無いの。
あ、個人の認識制限を解除しなくちゃね。うん、これはね、貴女一人で種族全体の代わりになれるよう設定したせい。因果律を変える鍵にしたかったから、偏りのある個人情報が不要だったの。よく分からない? いいのよそれで。
はい。じゃ、これでおしまい。ありがとう、お疲れ様。そしてさようなら。二度と私に会うことも無いでしょう。
なあに? 意訳サービスがポンコツだった? そんなことないでしょ。貴女ちゃんと仕事出来てたじゃない。それじゃあね」
個人的に、夏休みといえば、海水浴と自由研究と、水族館や動物園などの施設巡り。自由研究といえば、昆虫採集か植物採集。
そんな感じで書きました。




