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第7章:室蘭・覚醒編――地球の拍動、あるいは断崖の蒼

 室蘭の夜を走り抜け、目覚めた私はホテルの「無料朝食」という甘美な響きに呑まれていました。

 亀戸での飢餓感を爆発させ、炭水化物を胃袋に過積載した状態で向かうは、絶景の聖地「地球岬」。

 そこで私を待っていたのは、180度湾曲する水平線と、己の矮小さを突きつける太平洋の咆哮。

 魂を揺さぶる「幸福の鐘」を鳴らした先に待つのは、一日わずか四十個の伝説――「母恋めし」を巡る、絶望的な確率の戦い。

 果たして、もやしで鍛えた私の運命力は、北の鉄路で奇跡を起こせるのか!?

【07:00:室蘭プラザホテル・朝食会場】

 

 室蘭の朝は、工場の煙突から立ち上る白煙が、朝日に輝くところから始まる。

 私は、ホテルの「無料朝食(宿泊費込)」という言葉の響きに、かつてない高揚感を覚えていた。

 

 目の前には、地元産の焼き魚、炊き立ての白米、そして室蘭名物・カレーラーメンを彷彿とさせる小鉢。

 私は、亀戸では決して見せることのなかった機敏な動きで、トレイを「茶色の炭水化物」で埋め尽くしていく。

 

「佐藤様、警告です。その盛り方は『無料』という言葉に対する飢餓感の爆発です。……胃袋の容量を無視した過積載は、この後の『地球岬への進軍』に甚大なデバフを招く恐れがあります」

 

「……構わん。……これほど美味い『無料』が、この世にあるか……ッ!!」

 

 私は、室蘭の力強い朝食を胃袋に叩き込み、今日という日の「燃料」を最大までチャージした。ロビーを出る彼の背中は、昨日よりも一回り大きく見えた。


【08:35:室蘭プラザホテル前・東町ターミナル】

 

「……冷子。俺は、朝食を『元を取る』ために食ったんだ。そのエネルギーを、ただの徒歩で垂れ流すのは効率が悪すぎる。……バスだ。バスはないのか」

 

「……チッ。……合理的な判断ですね、佐藤様。東町ターミナルから『地球岬団地』行きのバスが出ています。運賃は二百十円。……貴方の太ももを筋肉痛から守るための『保険料』としては格安です」


【09:15:地球岬団地バス停・降車】

 

 バスを見送った私の前に続く道は、穏やかな、しかしどこまでも続く一本の坂道だった。

 

「……冷子。……聞いてないぞ。バスを降りたら、そこはもう展望台じゃないのか……ッ!!」

 

「……話が、違うじゃないか……ッ!!」

 

 私の絶望的な叫びに、スマホの画面から冷子の愉悦に満ちた声が返ってくる。

 

「誰も『玄関先まで送る』とは言っていません。……佐藤様、室蘭のバスは市民の足ですが、観光客の足腰まで甘やかすほど、この街の鉄は柔らかくありませんよ。ここから先は、貴方の『もやしで研ぎ澄まされた筋肉』を信じるフェーズです」

 

 冷子の冷徹な突き放しを背に、私は一歩、また一歩と大地を踏みしめる。海からの風が、昨日までの工場の匂いを優しく洗い流していく。


【09:35:地球岬展望台・最上段】

 

 予定より遥かに早く、私はその場所に辿り着いた。

 だが、展望台の最上段へ踏み出した瞬間、私の時計は機能を停止した。

 

 気づけば、三十分が経過していた。

 

 水平線の湾曲、太平洋の深く重厚な蒼。網膜が、魂が、あまりにも巨大な情報の奔流を処理しきれず、私はただの「絶景を映す器」と化していた。

 

【視覚:180度の湾曲と、絶対的な蒼】

 そこにあるのは、ただの海ではなかった。視界の左端から右端まで、遮るもののない「絶対的な水平線」が支配している。その境界線は、巨大なコンパスで描かれたかのように、ゆるやかで、しかし残酷なほど明確な弧を描いて湾曲している。

【聴覚:断崖の重低音】

 高さ百メートルを超える断崖絶壁。その真下で、太平洋の荒波が黒い岩肌に激突する音が、地鳴りのように響き上がってくる。それは地球という巨大な生命体が、今まさに吐き出している「呼吸」そのものだった。

 

「……冷子。……俺は、今まで何を恐れていたんだ」

 

 白亜のチキウ岬灯台が、太陽を背に受けて眩しく輝いている。あまりにも孤高で、美しい佇まいに、私は自らの「もやし十円の損得」がいかに矮小なものであったかを悟った。

 

「……佐藤様。一円の損得も存在しないこの空白の時間こそが、今の貴方には最も贅沢な『支出』なのですね。……ですが、そろそろシステムを再起動してください。伝説の駅弁が、他者の胃袋へと消え去っていますよ」

 

 私は「幸福の鐘」の鎖を強く握りしめ、魂の底からそれを引き絞った。

 

カーン……ッ!!!!!

 

 透明な鐘の音を水平線の彼方へと送り出し、私は母恋駅へと駆け下りた。


【10:50:母恋駅、審判の時】

 

 急坂を駆け下り、辿り着いたのは古めかしい木造駅舎、母恋ぼこい駅。

 

「……冷子。聞いたことがある。ここには、一日わずか四十個、手に取った者は幸せになれるという伝説の駅弁があるらしいな」

 

「……正確な情報は『母恋めし』。工藤商店が一つ一つ手作りする、ホッキ貝の炊き込みご飯とおにぎり。……佐藤様、現在時刻10:50。完売の文字が、貴方の空腹を処刑しに来る前に、窓口へ突撃なさい」

 

「……頼む。……十五万円の運を、ここで使い果たしても構わんッ!!」


【10:55:母恋駅・窓口】

 

 私の荒い息が、窓口のガラスを白く曇らせる。中から温かい眼差しを向けた駅員さんが、ゆっくりと口を開いた。

 

「……お客さん、運がいいね。ちょうど今、予約のキャンセルが出たところだよ。これが本当の最後の一つだ」

 

 その瞬間、私の膝から力が抜けた。カウンターに置かれた、手作りの温もりが宿るパッケージ。

 

「……あった。……冷子、あったぞ……ッ!!」

 

「……奇跡的ですね。佐藤様の『もやし運』は、北海道の地で『ホッキ貝運』へと昇華されたようです。一千五百円。今の貴方にはその価値があります」


【11:20:母恋駅 ホーム・ベンチ】

 

 列車の到着まであと数分。私は我慢できずに包みを解いた。現れたのは、ホッキ貝の殻に美しく盛られた炊き込みご飯。一口、かぶりつく。

 

【味覚:磯の記憶】

 口の中に広がるのは、暴力的なまでの「海の旨味」だ。ホッキ貝の出汁が染み込んだ米の一粒一粒が、咀嚼するたびに磯の香りを爆発させる。

 

「……美味い。……地球岬で見たあの『蒼』が、全部この中に詰まってるみたいだ」

 

「……美味しいものを『美味しい』と笑って食べる。……十五万円の本当の使い道を、ようやく理解し始めたようですね」

 

 遠くから、ガタン、ガタンと列車の走る音が聞こえてくる。私は最後の一口を飲み込み、力強く立ち上がった。

 

「……さあ、いこうか。冷子」

 

「……はい。……次は、アニメの約束の地。……洞爺湖が、貴方を待っています」


冷子の「旅のしおり」:地球岬・母恋編

【冷子の最終決算報告:第7回】

前日繰越残高: ¥130,230

本日午前支出:

市内バス(東町~地球岬団地):¥210

母恋めし(駅弁):¥1,500

本日午前合計:¥1,710

【現在残高:128,520円】

冷子の冷言:

「バス停からの坂道で『話が違う!』と喚いていた醜態、しっかり記録しました。しかし、その後の三十分の沈黙、そしてキャンセル待ちの一食を引き寄せる執念……。徐々に、この地の『バグ』に順応してきましたね」


【移動ログ:地球岬攻略】

08:35 東町ターミナル 発(道南バス)

09:15 地球岬団地バス停 着(絶望の開始)

09:15~09:35 徒歩進軍(冷子に煽られながら)

09:35~10:15 地球岬展望台(魂の洗濯)

10:55 母恋駅 到着(執念のラスト一食確保)

11:20 母恋駅 ホームにて実食


【免許を持たない皆様への冷子ガイド】

地球岬へはバス便がありますが、降りてから岬までは自力です。甘えは捨てましょう。

帰りは母恋駅まで下り坂を歩くのが論理的です。約1.5km、徒歩20分程度。景色を楽しみながら「母恋めし」への期待を高めるのが作法です。


 ついに「地球の丸さ」を網膜に刻み、奇跡の駅弁を勝ち取った佐藤。

 一万円の晩餐よりも、百円の損得よりも、ただそこにある「蒼」と「旨味」に救われた瞬間でした。

 

 しかし、旅はまだ二日目の午前中。

 次に向かうは、円形の湖が美しい「洞爺湖」。そこにはどんな出会いが待っているのか?

 

 「地球岬の景色が見たくなった!」

 「母恋めし、最後の一つをゲットできて良かったね!」

 と思ってくださった方は、ぜひ 【下の☆☆☆☆☆】 で評価をお願いします!

 

 次回、第8章は「約束の地、霧弥湖の風」。

 佐藤の感性が、再びアニメの聖地で炸裂します! お楽しみに!

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