第6章:室蘭編――鋼鉄の咆哮と、ナトリウムの光
登別の熱を身に纏い、次に向かうは「鉄の街」室蘭。
そこは、人間の執念が自然をねじ伏せた、無機質でいて情熱的な構造物の迷宮でした。
標高約二百メートルの測量山へ駆け上がり、工場の灯りを「無料」で網膜に焼き付けた私を待っていたのは、空腹という名の暴力。
秘伝のタレと、スパイスの咆哮。
そして、深夜のビジネスホテルで炸裂する、冷子の「物理的お仕置き」とは――!?
【14:15:登別温泉・第一滝本館 前】
鶴見中尉と温泉で別れ、硫黄の熱気で全身を朱色に染めた私は、湯冷めを許さぬ足取りでバス停へと向かった。
「佐藤様、出発です。室蘭行きの直行便『高速むろらん号』は一日に数本。……これを逃せば、登別駅経由の各停を乗り継ぎ、余計な時間と数千円に相当する価値をロスすることになります」
冷子の冷静なナビゲートが、浮き足立った私の心を引き締める。
【14:23:道南バス・登別温泉~室蘭行 乗車】
私は一番後ろの座席で、自分から立ち上る硫黄の匂い(【嗅覚】)を報酬として噛み締めていた。窓ガラスが、私の体温で微かに曇る。
バスが温泉街の坂を下るにつれ、背後の地獄谷から漂っていた「生」の腐敗臭が遠のき、代わって潮の香りと、乾燥した砂の匂いが混ざり始める。
【15:15:室蘭市内・東町ターミナル付近】
バスが室蘭市内へ滑り込むと、車窓の風景は一変した。
視界を埋め尽くすのは、巨大な「鉄の構造物」の群れだ。空を突く巨大な煙突、複雑怪奇に絡み合う錆びた配管、そして夕闇を前に点灯し始めた、工場群の冷徹なナトリウム灯。
「……冷子。ここは、俺の『半年間』と似た匂いがする」
工場の排煙、重油の焦げた臭い、柔軟剤の香りを消し飛ばす潮風、そして遠くから響く、鉄を叩く鈍い重低音(【聴覚】)。それは、自然の猛威を鉄の鎧でねじ伏せた、人間の執念の結晶だった。
私はバスを降り、重厚な海風を胸いっぱいに吸い込んだ。
【16:50:東町ターミナル ~ 中央町方面行バス】
「佐藤様、ここからの移動は体力と時間のトレードオフです。中央町までバスで移動し、そこから標高200mの測量山へ、約3km、一時間の登坂を開始します」
「……登ってやろうじゃないか。その先にしか見えない光があるなら」
【17:10:中央町バス停・進軍開始】
バスを降りた私の前に立ちはだかるのは、壁のような急勾配だった。一歩踏み出すたびに、登別の温泉で解れたはずの筋肉が悲鳴を上げる。
「……冷子、この坂……五キロはあるんじゃないか?」
「正確には約3kmですが、負荷は5km分以上。……17:41、トワイライト開始です。急いでください」
私は亀戸で鍛えた足腰でアスファルトを蹴り上げた。毛穴の奥に染み付いた硫黄の匂いが汗と共に噴き出す。
【18:10:測量山山頂 到着】
最後の一歩を踏み出し、私は展望台の最上段に崩れ込むように辿り着いた。激しく脈打つ鼓動が、耳の奥で鉄を叩く音のように響いている。
だが、顔を上げた瞬間、その荒い呼吸が止まった。
【視覚:光の幾何学】
眼下に広がるのは、漆黒のベルベットの上にぶち撒けられた、数千、数万のダイヤモンドの飛沫だ。
正面には、闇を切り裂く白い弧を描く白鳥大橋。主塔から伸びるケーブルが、まるで巨大なハープの弦のように繊細に、街の明かりを反射している。
その左手。室蘭港を囲むように鎮座するコンビナート群は、巨大な「光り輝く城塞」と化していた。
【聴覚:鉄の呼吸】
一時間の山登りで静まり返った私の耳に、下界の「音」が重低音となって届く。「ゴォォ……」という遠い地鳴りのような工場の稼働音。不意に闇を切り裂く「プシューッ」という高圧蒸気の排出音。それは室蘭という巨大な鉄の獣が吐き出す「生の喘ぎ」だった。
【触覚:相反する熱】
吹き抜ける海風は、私の汗を急速に奪い、肌を刺すような冷気で包み込む。だが、視界に飛び込むフレアスタックの紅い炎が、網膜を通じて脳を直接焼く。
「寒い……。だが、熱い。……この光を維持するために、どれだけの『人の執念』が注ぎ込まれているんだ」
「……はい、佐藤様。……一円の電気代も払わず、この巨大なエネルギーを視覚的に略奪する。これこそが、今夜の貴方の、最大の『利益』です」
【19:00:下山開始】
「佐藤様。19:00。最終バスの一歩手前に十分間に合うスケジュールです」
「……あぁ。分かっている。……帰りは、この光を背中に背負って降りるさ」
第7章:室蘭編――鋼鉄の晩餐、あるいは黄金の救済
【19:40:室蘭・中央町商店街付近】
測量山から駆け降りた私の足を止めたのは、先ほどまでの「執念」ではなく、「許し」だった。胃袋を抉るようなタレの匂いに、私はついに降伏した。
「……冷子。……今夜は、……今夜だけは、俺の信条を一時停止する」
「……佐藤様。……了解しました。現在の空腹度を鑑み、『ご当地摂取モード』への移行を承認します」
【19:50:室蘭やきとり・老舗の暖簾】
店内は、炭火の煙と仕事終わりの男たちの活気で満ちていた。私は隅の席に座り、震える声で注文を告げる。
「……生ビール一つ。それと、室蘭やきとりを……精肉を、五本。タレで」
黄金色の泡を湛えた生ビールと、黒光りする秘伝のタレを纏った室蘭やきとり。皿の端には、鮮やかな黄色の洋カラシが添えられている。一気に煽る。
「……っはあぁぁ……っ!!」
半年間、水道水で凌いできた喉が、歓喜の悲鳴を上げた。
炭火の香ばしさ、濃厚な脂の甘み、玉ねぎのアクセント。
「……美味い。……これこそが、室蘭の『鉄』を打つ奴らが喰らってきたエネルギーか……ッ!!」
【20:45:二軒目の暖簾・カレーラーメン】
ビールと焼き鳥で完全に「リミッター」が外れた私の鼻腔を、今度は濃厚なスパイスの香りが貫いた。
「……冷子、これは浪費じゃない。明日のための『鍛造』だ」
冷子の制止を振り切り、私は漆黒のスープを啜った。辛い、だが甘い、そして重い。額から噴き出す汗は、半年分の「停滞」が排出される音だった。
【22:15:室蘭プラザホテル・客室】
ユニットバスから漂う微かな消毒液の匂い。ピンと張られた真っ白なシーツ。
「……冷子。……寝る前に、やっておこうか。今日の『戦果』の確認を」
【第一日目:最終決算報告】
午前(第5章分): ¥10,070
午後(移動・飲食・宿泊):
登別~室蘭(バス・市内移動合計):¥1,150
晩餐:¥2,750
宿泊費(室蘭プラザホテル):¥5,800
本日総支出:¥19,770
「……一万九千七百七十円。亀戸なら一ヶ月近く生き延びられる金額です。佐藤様、あなたの胃袋は今夜だけで『もやし千四十袋分』の資産を焼却処分しました。よろしいですね?」
「……あぁ。高い買い物だった。……だが、あの夜景と、あのタレの味、そしてこのシーツの感触……。それを合わせれば、一万九千円など『端数』に過ぎん」
「――佐藤様。その甘えた思考回路、一度焼き切る必要がありますね」
カッ……ッ!!!!!
スマホの画面が警告色と共に最大輝度で発光した。暗い室内で瞳孔が開いていた私は、逃げ場のない純白の光に直撃される。
「うわあああぁぁぁッ!! 目が、目がぁぁぁぁぁッ!!!」
「……随分な言い草ですね。……ですが、認めましょう。佐藤様の仰る通り、これは『浪費』ではなく、明日を支配するための『維持費』。……仕方ありません。家計簿の隅に、小さく『心の潤い』と追記しておきます」
【第一日目・最終残高:130,230円】
「……さあ、佐藤様。明日は『地球岬』の暁光が貴方を待っています。今夜は、泥のように眠ってください」
冷子の「旅のしおり」:室蘭侵食編
【移動ログ:鉄の街攻略】
14:15 登別温泉・第一滝本館 発
14:23 道南バス「高速むろらん号」乗車
15:15 室蘭市内・東町ターミナル 着
16:50 市内路線バスで中央町へ移動
17:10 中央町・測量山登坂開始(徒歩進軍)
18:10 測量山山頂 到着。夜景略奪開始。
19:00 下山開始(徒歩)
19:40 中央町商店街 着。晩餐(二連撃)へ
22:15 室蘭プラザホテル チェックイン。冷子による最大輝度制裁。
【免許を持たない皆様への冷子ガイド】
都市間移動の最適解: 登別から室蘭へは、JRよりも道南バスの「高速むろらん号」が温泉街から直通で便利です。
測量山の死闘: 室蘭の夜景スポットは基本的に山の上にあります。バス便は皆無。タクシーを使えば往復数千円ですが、佐藤様のように中央町から「徒歩」を選択すれば、カロリー消費と引き換えに移動費は 0円 です。ただし、街灯が少ないためスマホのライト(無料)は必須。
室蘭グルメの聖地: 中央町(旧市街)に宿泊すれば、老舗のやきとり店やカレーラーメン店が徒歩圏内に密集しています。飲み歩きには最高の立地です。
「鉄の街」の熱狂に呑まれ、一晩でもやし九十袋分を溶かした佐藤。
しかし、冷子の最大輝度攻撃を受けてなお、その心は不思議な高揚感に包まれていました。
「佐藤、いいもん食ったな!」
「冷子のツンデレ物理攻撃、もっと見たい!」
と思ってくださった方は、ぜひ 【下の☆☆☆☆☆】 で評価をお願いします!
次回、第7章は「地球岬の夜明け」。
室蘭の断崖絶壁で、佐藤はさらなる「世界の美しさ」を思い知ります。お楽しみに!




