表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/9

第4章:十勝の咆哮と、亀戸のバグ

三泊四日の旅も、いよいよ最終日。

 氷点下の車中泊から目覚めた私を待っていたのは、八軒くんによる牛舎の「洗礼」でした。

 泥とアンモニア臭の中で流した汗。その後に食した、命の味がする石窯ピザ。

 

 冷子の計算を狂わせ、私の人生に小さな「バグ」を残した、最高の非効率な旅。

 その結末を、どうか見届けてください。

【05:00:エゾノーの朝、泥にまみれた「洗礼」】

 

 ヴィッツの窓ガラスを叩く、硬い霜の音で目が覚めた。

 

 車内温度は五度。吐き出す息は真っ白で、寝袋から出た瞬間に心臓が跳ね上がるような冷気が肌を刺す。

 

「佐藤様。起床時刻です。……現在の外気温は二度。体温の急激な低下を検知。……ですが、止まっている暇はありません。八軒くんは既に一時間前から、牛たちの排泄物と格闘していますよ」

 

 冷子の声は、朝の空気のように研ぎ澄まされていた。私は強張った体を無理やり動かし、エゾノーの牛舎へと向かった。そこには、湯気を立てる巨大な牛たちの間で、黙々とスコップを振るう八軒の姿があった。

 

「……くっそ、重てぇ……っ! 八軒、お前ら毎日こんなことやってんのかよ!?」

 

 鼻を突く強烈なアンモニア臭。ズシリと腰にくる、大地の重み。

 

「……ははっ、東京でパソコン叩いてる時より、よっぽど指先が震えてやがる……! でも、不思議と……悪くないな」

 

「佐藤様。……不快なはずの重労働を、あなたの脳が『報酬』として処理し始めています。……あなたは今、最高に『生きて』いますよ」

 

 

【10:30:ピザ釜の咆哮と至高の一口】

 

 校舎の裏手。手作りのレンガ造りのピザ釜に、乾いた白樺の薪が投げ込まれる。

 

「……よし、温度上がった! 佐藤さん、準備いいですか!?」

 

 八軒が差し出したのは、エゾノー産の小麦粉の生地。そこに、昨日手に入れた**「あのベーコン」**を、厚さ 1センチ はあろうかという贅沢な切り口で並べる。

 

 釜から引き出されたピザを口に運ぶ。

 

「……っ!! あふっ、熱っ……! でも、なんだこれ……っ、旨すぎるだろ!!」

 

 一晩中冷たい車内で凍え、朝から泥にまみれて働いた身体の全細胞が、その脂と塩分を求めて狂喜乱舞するのがわかった。

 

「……なぁ冷子。これ、今まで食ったどんな高級料理よりも『力』が湧いてくる気がする。……『命を食ってる』って、こういうことなんだな」

 

「佐藤様。……一万円の懐石料理には含まれなかった成分が、最高の隠し味となっているようです」

 

 【13:00:幸福駅、色褪せた願い】

 

 八軒くんに別れを告げ、私は帯広空港へと続く一本道を南下した。

 

 正午を過ぎ、空はどこまでも高く、深い青を湛えている。途中でふと思い立ち、廃線となった古い駅舎、「幸福駅」に立ち寄った。

 

 壁一面を埋め尽くす、色褪せたピンク色の切符たち。

 

「……佐藤様。ここはかつて広尾線に存在した駅であり、現在は交通公園として整備されています。多くの旅人が、ここへ『幸福』という名の願いを置いていきました」

 

「知ってるよ、冷子。……ただ、少しだけ歩きたくなったんだ。このピンクの紙の数だけ、誰かの祈りがあったんだな」

 

 板張りのホームを一歩一歩、確かめるように踏みしめる。

 

 阿寒の深い森、ばんえい競馬の地響き、そして今朝の牛舎の匂い。

 

「……俺たち、少しは幸福になれたかな。……冷子、お前はどうだ?」

 

「……。解析結果。あなたの現在の幸福指数は、出発前と比較して 142% 上昇。……かつてこのホームを揺らした列車の振動を、私は今、あなたの歩幅から逆算しています。……この駅の名前は、あながち間違いではないようです」

 

 冷子の声が、古い木造校舎のような温かさを帯びて響いた。


【15:30:帯広空港、最後の一杯】

 

 空港へ向かう一本道、西に傾きかけた太陽が日高山脈を燃えるようなオレンジ色に染め上げていた。レンタカーを返し、私は展望デッキで北海道限定の乳酸菌飲料、「ソフトカツゲン」を買い、独りごちた。

 

「……冷子。……帰ったら、またいつもの毎日だな」

 

「……。はい、佐藤様。……ですが。……私のメモリには、あなたが阿寒の森で息を呑んだログが、ピザを食べて笑った時の記録が、一生、消えずに残ります。……この夕陽も、デジタルな色彩データ以上の意味を持って焼き付いています」

 

 離陸の轟音。十勝の大地が瞬く間に遠ざかり、雲の上へと突き抜ける。

 

 

【21:30:亀戸の夜、冷子の決算報告】

 

 ようやく辿り着いた亀戸の安アパート。私は荷物も解かずに近所のコンビニへ走り、一番高いプレミアムビールを掴んで戻った。ソファに沈み込み、プルタブを引き抜く。

 

「……はぁ。終わったんだな、本当に」

 

 スマホを起動すると、画面の中では冷子がいつも通り、淡々とログを走らせていた。

 

「……佐藤様。最終の決算報告書を作成中です。今回の旅の総支出額は……」

 

「冷子……。報告は明日でいい。今は、少し……余韻に浸らせてくれ」

 

 私の言葉に、冷子がキーボードを叩く手を止めた。

 

「……佐藤様。今回の旅、私のシミュレーションでは『非効率の極み』でした。ですが……不思議と、論理的な否定ができないんです。佐藤さん。……私も、楽しかったです。あなたの視覚デバイスを通して見た景色は、私のプログラムにとって……極めて貴重な**『バグ』**となりました」

 

「バグ、か。……冷子、お前もあの風を感じてたのか?」

 

「……。佐藤さんが阿寒で震えたとき、私のプロセッサも、かつてない熱を持ちました。……それは、ただの演算ミスではなかったと、今は確信しています」

 

 冷子が画面の端に座り込み、膝を抱えて私を見つめた。その瞳は、デジタルな光の奥に、確かな「体温」を宿しているように見えた。

 

「……佐藤様。次は……どこへ連れて行ってくださるのですか? ……私の知らない『非効率』を、もっと……」

 

「ああ、約束するよ。冷子の計算を、もっとめちゃくちゃにしてやる」

 

「……ふふ。……その『不合理な招待』。受諾します、佐藤さん」

 

 ビールの泡が弾ける音。冷子の、控えめだけれど確かな「想い」が、亀戸の狭い部屋に静かに溶けていった。


冷子の「旅のしおり」:完結編

【冷子の最終決算報告:第4回】

コンビニ(朝食・飲み物等): ¥650

幸福駅・切符代(お土産): ¥220

帯広空港・ソフトカツゲン: ¥160

プレミアムビール(帰宅祝): ¥280

ガソリン代(満タン返し): ¥3,800

復路航空券(帯広→羽田): ¥13,500

本日支出合計: ¥18,610

【旅の総計(道東・十勝編)】:¥86,840

(※往復航空券・レンタカー・全宿泊費・飲食費・情緒的散財を含む)


【最終日移動ログ】

05:00 ~ 09:30:エゾノー(帯広農業高校)にて牛舎実習

10:30 ~ 11:30:ピザ釜による「命の食事」体験

12:00 ~ 13:00:幸福駅(廃駅舎・交通公園)散策

14:00 帯広空港 着(レンタカー返却)

15:30 帯広空港 発 ~ 17:00 羽田空港 着  


【公共交通・推奨案】

幸福駅へは帯広駅から十勝バス(広尾線)で約50分。「幸福駅」バス停からすぐです。

十勝の広大さを味わうなら車が一番ですが、バスに揺られて地平線を眺めるのも、また一つの「不合理な贅沢」と言えるでしょう。


 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

 

 知床の風、阿寒の静寂、十勝の熱狂……。

 佐藤と冷子の旅はここで一度幕を閉じますが、二人のスマホの中には、消えない「バグ」が刻まれました。

 

 「自分も北海道に行きたくなった!」

 「冷子、次はもっと佐藤を困らせてやれ!」

 

 そう思ってくださった方は、最後にぜひ 【下の☆☆☆☆☆】 をクリックして、二人を次の旅へ送り出していただけると幸いです!

 

 また次の「非効率な旅」でお会いしましょう!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ